君となら

 ニューヨーク、マンハッタン。
 今日もパトカーのサイレンが喧しく響く街。その一角でパーティが開催されている。豪奢なホテルのホールには著名人たちが、我が一番と言わんばかり着飾ってグラスを傾けている。
 その向かい。
 高さはパーティ会場の階にギリギリ届くくらいのなんの変哲もないビジネスホテル。その一室で、パーティ会場を監視している者がいた。
 行儀悪く椅子に横から腰掛けて、双眼鏡を覗き込んでいた女は、「あ」と声を上げた。同室でベットに寝転んでいた男がピクリとまぶたを動かした。
「見つけましたよ。ヒバリさん」
 男はあくびをひとつして起き上がる。
 視線を双眼鏡に戻した女は引き続きターゲットの行動を追っていた。
「どれ」
「あの紫のドレス着たブロンドのマダムです」
 耳元で声がした。気配もなく背後に近寄った男に女は双眼鏡を手渡そうとする。
「ああ、あのメガネの」
「裸眼で見えるんですか?ここから?」
 驚いたと目を見開く女は男の部下である。
 男は「僕は人間としての性能が違うのさ」と返して女が座っている椅子の背もたれに肘を置いた。
「そうですか……。彼女はソフィア・ムーア。歳は40才前後で、企業経営者です。表向きは違う人間に任せていますが、実質彼女の手腕によって運営されています。趣味は宝石収集。ちなみにお好みはお目元涼しい系の若い男です」
「僕だね」
「えっ。ヒバリさん……?いや、まあ、そうかもしれないですけど。まさか口説くんですか?守備範囲広すぎません?」
「いや、そっちじゃなくて」
「え?」
「隣にいる娘がかわいいんだ」
「娘ぇ? ていうかまじで見えてるんですね、やば。何メートルあると……」
 確かに彼女の隣には面立ちの似た若い女が居た。女は内心へーああいうのが好みなんだと思った。
「どうやって接触しましょうね。今からガードマン倒して乗り込んでみます?」
 なんちゃって、軽口を叩くも、その方法を考えることこそ自分の仕事である。とりあえずパーティ会場から出たところを尾行して滞在しているホテルなり自宅なり突き止めようかな等と考えていると雲雀が「ぁ」と声を漏らした。
「どうしました、」
「ちょっと貸して」
 雲雀は双眼鏡をひったくると窓越しに会場方向に目を凝らした。双眼鏡を構える姿ですら様になる男である。思わず雲雀の顔を見つめた。暫くして「やっぱり」と雲雀が双眼鏡を突っ返してきた。
「あの会場に知り合いが居る」
「え? ほんとですか?」
「乗り込むよ。正面からね」

 雲雀は携帯電話で何者かに連絡を入れると、付いて来いとホテルを出た。
 最初の行き先はパーティ会場ではなくブティックだった。閉店後だというのに雲雀のためにわざわざドアを開けてくれたその店で、雲雀の部下は着せ替えられ、髪型までセットされた。手で引きちぎれそうな頼りない生地のドレスはシンプルな造りではあったが、自分を品よく見せてくれていた。「僕の隣を歩くんだからそれなりの格好をしてもらう」と言い放った雲雀も、伏せられた金額も恐ろしい。経費だよとけろりと言っていたが支払いはブラックカードだった。間違っても汚せないのではと思う瞬間から冷や汗が流れていく。
 頭のてっぺんから爪先まで雲雀に見つめられ、部下は硬直した。「うん、まあまあかな」と雲雀のOKが出たところで、ようやく本番の潜入となったのである。


 *


「ほうら。かわいい部下がお待ちよ。さっさと行ってらっしゃいな」
「………」
 美しい上司の美しい奥方は、つーんと顔を背けてしまった。機嫌を損ねていても、台無しにならないその顔貌は流石としか言いようがない。かわいい部下、と言われた本人はその場の気まずさに頬を掻いた。化粧が剥げるのを思い出して、掻いた手をそのまま握りしめる。
 今回の任務において、同行する人間は自分だけであり、移動手段の手配から案内まで自分が務める。その為、草壁がいつもそうしているように雲雀を迎えに自宅に向かえば、既に支度を終えた雲雀と不機嫌そうに腕を組んだ彼の妻が居たのだ。
 雲雀はハァとため息をついた。それに雲雀の妻がぴくっと反応する。夫婦間に置いて、特に喧嘩直前の空気の中、ため息を吐くのは悪手ではと不安になり当事者ではない自分が肝を冷やした。ところが雲雀は「行ってくる」と妻に背を向けたのだった。

 ジャリジャリと庭の石を踏む。音を立てているのは自分だけであり、雲雀は静かに歩んでいる。気まずさに耐えていたぶん、その場から解放され我慢が利かなくなって口を開いた。
「あ、あの良かったんですか? 奥様」
「ああなったら2時間くらい構ってやらないと機嫌が治らない、面倒な女なんだ。そんな時間ないだろ。どうしようもないよ」
 君には関係ない、そうピシャリと言われるだろうくらいに思っていた為、意外だなと目を見開く。
「そうですか……すみません。余計なお世話を」
「別に。そのうち妻の護衛を任される事になる。多少人となりを知っておいた方がいい。今日は顔見せのつもりだったんだけど、おかしなところを見せたね」
「いえ………そんなことは」
 あっけらかんとしてそんなことを言う雲雀に、他人の夫婦間はよくわからないものだと思う。政略結婚だと聞いてはいたが、………あんなものなのだろうか。
 小さな声でもう一度、いってらっしゃいと絞り出すように言った悲しげな背中が、目に焼き付いていた。

 間も無く裏口に停めていた車にたどり着いた。乗り込んで、ハンドルを握る。
 雲雀は横で目を閉じ、寝る姿勢を取った。時刻はもうすぐ日付が変わる頃。風紀財団のプライベートジェットが空港で待っている。今回の行き先との時差は十数時間程だ。自分も飛行機に乗り込んだら眠る予定である。


 *


 今のところ問題なし、そう、連絡を入れる。
 用意したホテルに雲雀を案内し、自室で荷物を下ろした。重要なものは匣に入れているので中身は空同然だ。
 そして張り込み用の部屋で雲雀と再度合流した。
 雲雀は部屋に入るなり「君の仕事だ」と言い放ちスーツ姿のままベッドに寝転んでしまった。どれだけ寝る気なんだろうか、確かに自分の仕事ではあるので大人しく双眼鏡を握った。
 ターゲットの写真を手に入れられず、自分の記憶力だけが頼りなのだ。

 ソフィアは、トラッド6が台頭する前から北米に根を張っていたファミリーのドンの家出娘である、というのはボンゴレ内でも知られていた。彼女の父親はまだ存命で、ギャング達に大きな影響力を持っている。今回持ち込まれた情報は彼女が親元と親交を取り戻した、というものであった。
 資産家の未亡人として大金を持つソフィアとギャングが手を結べば、トラッド6との抗争用の武器を連中が手に入れかねない。それでなくてもギャング達の撒くドラッグはボンゴレ同盟ファミリーの粛清対象となるのだ。秒読みであった抗争が今落ち着いているのはミルフィオーレがなにやらチャチャ入れしたかららしいが、この隙に目を摘んでおかなければならない。

 ゴッドファーザーの面影を持つ人物を探して目を凝らす。………居た…天然のブロンドと大きなサファイアのついたリング。

「見つけましたよ。ヒバリさん」


 *


「招待状が無くても入れるものなんですか? ここって会員制ですよね? 一応会員証の偽造はできますけど」
「正面から入るって言っただろ。知り合いに紹介して貰って正当な手段で会員になる」
「なんですかそれ、どんな知り合いですか」
「貴族」
「はぁ、貴族。…………きぞく?」
「僕が会員になるから君は僕の連れとして入れて貰おう」
 名家ご出身の方は貴族の知り合いとかいるのか、自分とはかけ離れた世界観だ。雲雀の部下は、深呼吸して背筋を伸ばした。雲雀の元へ来て一番最初の大仕事なのだ。気合も入るというわけである。

 雲雀の知り合いの貴族とは。
 彼はエレベーターホールで待っていた。
 メルヘンな物語に出てくる王子、金髪碧眼の美青年。年の頃は雲雀よりやや年上であろうか、彼は余裕のある微笑みを浮かべ親しげにハグの構えをとった。
 雲雀はそれを無視した。
 ──思っていたより若い男だな。勝手なことだがでっぷり太った金持ち風の男か、灰色の髭を蓄えた初老の紳士だと思っていた。
「あいも変わらずシャイな男だね、恭弥は」
 いや違うと思います。やれやれというジェスチャーに脳内で返事をする。妻は元気かと問うたその男は、まあねと適当に相槌をうつ雲雀をにこにこと見つめて、後ろで様子を見守っていた自分に視線を移した。気軽にエディと呼んでくれとウィンクをして、握手を求めてくる。
「君が噂の部下の子だね、よろしく」
「はぁ、よろしくお願いします。あの、噂って?」
「恭弥の部下に女の子は珍しいから」
「余計なこと喋ってないで早くしてくれない」
「ああ、今行くよ」
 あんな上司じゃ大変だろう、困ったことがあったら相談するといい。こそっと言って、エディは名刺を押し付けてきた。
「手続きは済んでる。ガードマンたちも恭弥の顔を覚えたから、もう入れるよ」
 良家の知り合い様様である。
 何の抵抗もなく滑り込めたパーティ会場で、グラスを受け取って談笑しつつブロンドを探す。だが、どうやら先に見つけたのは雲雀だったらしい。
 エディに目配せしてみせると、納得したと言わんばかり目を輝かせた。
「ああ! クレアか! 彼女、最高にキュートだよねわかるよ。君も彼女狙いかい? アゥッ」
「Hi. キョーヤ。あなたの結婚式以来かしら」
 艶やかなブリュネットをアップにして、毛先を片側に垂らした美女が流れるように現れた。エディの肩に手を置いて微笑むと、エディがどもりながら妻のカレンだと説明する。カレンはそれを聞いて満足したように彼の肩から手を離した。その際、半歩ほど足の重心を変えたのを見て、足でも踏まれていたのだろうと当たりをつける。
 エディはたくさん指輪をしていた。スリムなタイプから豪奢なものまで。下品にならない程度に重ね付けをしているから既婚者とは気づかずにいたが、結婚指輪も混ざっているのだろう。エディ本人の軽薄な印象もそのイメージを助長させている。
「クレアならよくジムで会うわよ。そうよね、エディ」
「あ、ああ。その通りだ」
 ソフィアの愛娘はクレアというらしい。自信溢れる王子のような風格だったエディは妻に尻に敷かれる夫そのものの様子に早変わりしてしまったが、クレアに紹介を取り付けてくれた。
 雲雀は日本の若き事業家として、自分はその秘書として。雲雀の名目に関しては間違いではないため物は言いようである。
 しかも、幸運なことにクレアは雲雀をいたく気に入った様だった。見たこともない愛想の良い笑顔を作った雲雀は、確かにかなり良い男であった。獄寺が見たら「誰だアイツ」と言いそうだ。いや絶対に言う。自分もそう考えたし、憮然とした表情を隠すのに必死だったから。
 そしてその様子をソフィアも見ていた。
 ──雲雀さんってこんなに流暢に話せるんだな。
 違和感のない英語で、当たり障りのない会話をしてクレアを笑わせている。果ては趣味嗜好まで聞き出し、連絡先まで交換していた。普段ああやって女を口説くんだろうか、恐ろしい男だ。普段は聞かん坊のくせに。
「また会おう」
「ええ、是非」
 あの顔の雲雀に言われたらどんな女だって是非って返事するだろう。もう少し話していたかったとクレアの顔に書いてある。自分はその時ようやく気づいたが、雲雀は結婚指輪をしていなかった。本当にそういう方向で行くつもりなのだろうか。
 しつこくない程度で会話を切り上げた雲雀は、さっさと会場の端に移動した。自分もついて行く。
 エディも戻ってきて、雲雀と低い声でひそひそとやっていた。時折話しかけてくる人間を捌きながら、会の終わりを待った。雲雀とエディはなんせ顔が良いから人目を引くのだ。横で愛想笑いをして酒を煽っていると、密かに監視していた母娘が会場を出て行く。周囲に挨拶をしているのがちらと聞こえた。
「ちょっと、私。お手洗いに」
 自分の話し相手をしてくれていたカレンに断りを入れて、後を追う。同じエレベーターには乗らない。非常口から階段へと出た。見つからないよう二階下まで下りて、音を立てないように窓を開けた。高層ビルの窓は人が通れるほどは開かない。
 ──お帰りはどうせ車でしょ。
 胸元からリングを、レッグホルスターから匣を取り出す。右手中指に通したリングに灯る炎は藍色。匣から出てくるは、女の掌に収まるほどの大きさの蝶。藍と黒の模様の、幻想的で艶やかな生物型匣兵器。ほんのりとインディゴの余韻を照らし出しながら、自分の指に大人しくとまる。
 その手を窓の外に差し出した。
「行っておいで」
 蝶はその声とともに姿を消し、指の上から夜の街へ飛び立って行った。


 何事も無かったように会場へ戻り、そろそろと客が減り始めたのに混じって雲雀と抜け出した。直接ホテルへは戻れないから、少し歩いてタクシーを呼んだ。
「ッあー緊張した……こんな高そうな服、初めて着ましたよ」
「君は金のかけ甲斐のない人間だね。女ならもっと喜んでみても良いのに」
「雲雀さんって宝石とか被服と与えとけば女は機嫌が取れると思ってるタイプのひとですか? そんなだから奥さんと喧嘩になるんじゃありません? アッ」
 思わず口を滑らせた。口を手で覆う。
 雲雀に押し付けられた酒を処理する係にされ酔っているとはいえ……いや、そんなもの言い訳だ。咬み殺される。謝らなければと雲雀の顔を見上げれば、じとりとした目で見つめ返された。
「申し訳ありません………また余計なことを」
「咬み殺したいところだけど、使い物にならなくなったら困るからやめといてあげるよ」
「ほんとすみません。………あの、このドレスとかアクセサリー類はどうしたら」
「似合ってるからあげる」
「えっ!? ありがとうございます」
 そんな、あっさりと。自分とは全く違う金銭感覚に慄く。
「この御恩は必ず仕事で」
「うん。期待してる」
 ネオンに照らされた雲雀が微笑んだ。暗がりの中、一瞬だけ見えた象牙の肌と、穏やかに引き上げられた口元。この任務が始まってから、否、おそらく出会ってから初めて見た本物の笑顔かもしれないと思った。
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