あなたの手にかかれて幸せでした
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どうして。どうして。こんなはずじゃなかったのに。人を殺したくない。喰いたくなんてないはずだったのに。
「…葵湖か?」
「義勇、さん」
1年ほど前までわたしは鬼殺隊士だった。そこそこ強くて優秀な方で、もう少しで柱になれそうだと思っていた。義勇さんとは何度も一緒に任務をこなした。余計なことを話さない人だからわたしが一方的にお喋りを仕掛けていたのをよく覚えている。任務の行き帰りに一緒に食事をしたり、わたしの買い物に付き合ってもらったり。義勇さんはほとんどお喋りはしないけど、美味しいものを食べた時や仔猫に指を舐められたときなどはかわいい顔をする人だと思っていた。
義勇さんがわたしの足元に転がる人間の残骸を見た。
「行方不明になったと聞いていたが」
「ご覧の通りですよ」
わたしは任務の帰りに下弦の陸に襲われた。1人だった。命からがら鬼の首を地面に落とし、わたしも地面に伏した。息も絶え絶えだったが鬼の首が消えていくのを確認するためにずっと見ていた。すると、鬼の首がわたしの背後を見て「無惨さま…」とこぼしたのだ。血が冷え切るような恐ろしさと絶望感を感じた。わたしはもう振り返る力さえ残っていなかった。
「お元気そうで、何よりです」
「お前は顔色が良くないな。以前はもっと血色のいい頰をしていた」
無惨と呼ばれた男はわたしを通り過ぎて、下弦の陸の鬼の頭を踏みつけた。「やはり下弦の鬼は役に立たない」その男は死んだ鬼に対していらいらと不満を述べている。男が振り返ってわたしを見た。その男はひび割れたような赤い目をしていた。「おまえはもうすぐ死ぬ」無惨はわたしの髪を引っ張り頭を持ち上げる。地面に義勇さんに貰った簪が落ちた。そうだ、無惨に殺されずともわたしはもう死ぬ。「助けてやろう」わたしは耳を疑った。そして無惨はわたしの首に爪を立てた。
「鬼になったのか」
「ええ」
義勇さんが日輪刀に手をかざす。わたしは彼と対峙すべく立ち上がった。
2度目の人生は最悪だった。鬼殺隊士が鬼にされてしまうなんて大失態だ。人を殺す前に死んでしまおう。そう思ったのに、できなかった。鬼の本能か無惨の支配のせいか。日輪刀は無惨に砕かれてしまったので日が昇るのを待ったがどうしても日に当たりたくないと感じ日陰に入ってしまう。そのうち腹が減って仕方が無くなり、通りかかった人間を殺して喰っていた。そうしたくないと思うのに身体が勝手にそうしていた。自分で死ねないのならば殺してもらうしかない。そうして鬼殺隊士の目の前にわざわざ現れるようになった。
「鬼殺隊士だったお前が、かつての仲間を喰らう鬼になるとはな」
「できれば喰いたくはないのですがね」
足元の鬼殺隊士の死体を見やる。義勇さんがわたしに向かって刀を振りかぶった。
鬼殺隊士に殺してもらおうというのは甘い考えであったことがすぐに分かった。無惨の鬼に対しての支配は理性でどうにかできるものではなかったのだ。「そうまでして死にたいか」無惨は時折現れ気まぐれにわたしに血を与えた。その度に人を喰らうことへの罪悪感が薄まり人間から遠ざかっていくのを感じた。「ええ、もちろん」そう言うと無惨はにやりと笑ってわたしの頰を撫でた。恋人にするような手つきだ。「お前にはまだ役に立ってもらう」無惨の手がわたしの帯に伸びる。
「わたしを殺せる鬼殺隊士がなかなかいないのですよ」
「そうだろうな」
義勇さんの刀を避けるため空中に飛ぶ。鬼になったわたしの跳躍力についてくる義勇さんを見てさすが柱だと思った。
わたしに向かってくる鬼殺隊士たちはあまりに弱かった。殺されるために鬼殺隊士をおびき出しておいて、その隊士たちを殺して喰うわたしに無惨は満足気に笑いかけた。無惨に好きなようにされるのは苦痛だったはずなのに、無惨の血が濃くなってくると悦びを感じるようになった。その頃には若い人間の方が味が良いと思うようにもなった。そんな自分に吐き気がした。それなのに死ねない。「お前が殺した鬼殺隊士の中には柱はいないな。死にたいと言いつつ強い奴は避けているのか」「違う」柱は忙しい。柱の屋敷の場所でも知っていれば話は別だっただろうが、わたしは彼らの居場所がわからなかった。「お前は美しい。そして強い。これだけ血を与えても持ち堪えている」髪を撫でていた無残の手が首に回る。「お前には期待しているんだ。葵湖。顔を知っているのなら探しやすいだろう。柱を殺せ」爪が刺さるのだろうと思っていた首に無惨が噛み付いた。
「わたし、別に殺したくて鬼殺隊士の前に現れていたわけじゃないんです」
義勇さんは何も言わずにわたしに技をかけてくる。一切の容赦はない。
「死にたくて、ただ自分では死ねなくて」
血鬼術で技を受け流しながら彼の様子を伺う。無表情だ。少しは悲しい顔してくれてもいいのに。
「誰かに殺してもらおうと」
「元鬼殺隊士が鬼になり、自分ではどうにもならないから他人に殺してもらおうなどと。恥を知れ」
義勇さんの斬撃がわたしの着物の端を切り裂いた。ああ、やっぱりこの人は強いな。地面に飛び降り、義勇さんを真っ直ぐに見て言う。
「殺してください」
いきなり逃げるのをやめたわたしに義勇さんが初めて戸惑った顔を見せた。
「義勇さん、殺して。首を切って。お願い」
望み通り首を落とした。出来るだけ苦しみのない技を選んだつもりだった。自ら首を切れと望んだ割にはかなり抵抗を見せた葵湖は朝日が昇る直前に塵となって消えた。
ふと、葵湖が消えた地面を見て落ちている簪に気づいた。俺がかつて葵湖に贈ったものだった。
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