【完結】僕らの思春期に花束を

その日、アズールは今か今かとラウンジの開店時間を待っていた。こんなにも開店が楽しみなのは、新装オープンのとき以来かもしれない。
最も、待っていたのは開店そのものではなく、開店後に来る花屋の娘であったが。

「アズールゥ、そわそわしすぎ」
「もう少し落ち着かないと花屋さんも怖くて逃げてしまうのでは?」
「う、煩い!お前たちは自分の仕事に戻りなさい!」

ここぞとばかりにちょっかいをかけてくる双子を追い払い、すぐに出迎えられるように入口周りを行ったり来たり。こんな寮長は初めてだ、とサクラの寮生たちも珍しいものから目が離せない。
やっと誰かの影が見えたと思えば、それはジェイドがここぞとばかりに呼び寄せたメイドで、肩を落として少し溜め息をついた。

「そうだ…そもそも誘っただけなんだから…来ない可能性だってあるんだ…過度な期待は自分のためにならない…」
「あの…?」
「へ?」

開店間もないというのに、支払いカウンターに手をついて一人反省会をし始めたアズールを覗き込む一つの人影。
反射的にそちらを向いてから、アズールはその恰好のまま固まってしまった。

「アズールさん…?大丈夫ですか?調子が悪いのならスタッフの方をお呼びします?」
「…………!?!??!?!?!?!?」
「どこか具合が…」
「っち!ちが!」
「!」

勢い、娘の肩を掴んで直立状態になったアズールは、頭に「???」と大量のクエスチョンマークを浮かべる娘をじっと見つめる。
いつもの仕事着も可愛らしいが、おめかししてきてくれたのだろう、先取の春色をベースに小花が散らされたふんわりとしたワンピースに分厚めのカーディガンを羽織った娘is可愛い。
心なしか髪も巻いてきたのか。それに、それに、なんだか良い香りがする。

「…フレグランスですか?」
「…?…ああ!アズールさん、やっぱり敏感なんですね。すみません、好きじゃない香りでした…?」
「はい!?い、いえ!?ぜんぜん!好きですが!!あっ、いや、この好きはその、香りについてで!!」

嫌いか好きかと聞かれたら君の全部が好きだ、などと、小説通りの台詞を発することは叶わず、代わりにしどろもどろ言葉を紡いだアズールはこのままタコ壺に戻りたいとさえ思ったが、娘はその言葉を聞いて呆けたあと、ほわほわと頬を染めて笑った。

「よかった…!いつもアズールさんがお店にきてくださるとき、とても良い香りがお店に残っているから」
「は、」
「私は、お花を触っているときは自分にフレグランスを付けることができないんですけど、今日は、特別」

一発KOであった。
なんだ特別って?特別?僕と会うこの日が?特別。そうか僕は彼女の特別か。
今、アズールの脳内はお花畑である。

「あの、ここでお話していると他のお客さんに迷惑になっちゃいません?大丈夫ですか?せっかくの感謝祭なのに…」
「あっ!?あっ!そう、そうですね!?あの、どうぞ、こちらに!」

あくまでも感謝祭だと思い込んでいる娘の気の利いた一言で、やっとのことでアズールの時間は動き始めた。
とにもかくにも、今日は娘に楽しんでもらわなければと意気込んで、カウンター席に案内する。
奥のボックス席からその様子を楽しそうに見つめる六つの目があったのは言うまでもないが、それから数秒も待たずに「ジェイド!ジェイド!お客様に紅茶を!」と呼び出されたのも至極当然のことなのであった。
カウンターに娘を腰かけさせると、アズールはすぐに厨房に消えてしまう。
一人残されては、娘もそわそわと海を見たりカウンター内に所せましとならぶ茶葉の缶を意味もなく数えたり、自分の指先を見つめたりして無意味に時間をつぶす他ない。
学生がやっているカフェという文句から想像していたのとはレベルが違いすぎる店内に冷や汗をかく。チラシで見たのよりも全然煌びやかだし場違いすぎる。写真に収めてマジカメにアップ…なんていう勇気すら沸いてこなかった。
こんなことならもっとおしゃれをしてくるんだったと心の中でちょっと泣いたほどだ。
目の前にやっとジェイドが来たときには安心で叫びだしそうだった。

「ジェイドさん…!!よかった…もう!こんなおしゃれなカフェって知ってるんだったらちょっとくらい情報くださいよ!」
「すみません。貴女がいらっしゃるなどとは思いもよらず」
「それはそうですけど…」
「ところで、当店では茶葉は僕がブレンドしています」
「そうなんですか!?すごい……」
「お客様一人ひとりにあったものをご用意する『オリジナルブレンド』という紅茶が人気です」

コトリと出された品のよいカップからは、華やかでしかしどこか優しい香りが漂う。ゴールデンリングが綺麗に出ており、『いかにも』良いものであることが伺われた。

「貴女には、この一杯を」
「わぁ…!美味しそう!」
「こちら、貴女を想って選んだ世界に一つのブレンドです。…あちらのお客様からです」
「え」

『あちら』と言われ、ジェイドの指先を追って娘がそちらに顔を向ける。
瞬間、顔をそむけたジェイドが「ぶっは!」と噴き出したのは、もう娘の耳には届かなかった。
そこにいたのはもちろんアズール。
パチリ☆とウインクを一つ贈ってアピールをする、アズール・アーシェングロットであった。

「あ、あずっ……」
「そちら、僕の気持ちです。お気に召しましたか?」
「っふふっ…!ははっ…!」
「…?どこかおかしかったですか?」
「だって…うふふっ…ふふっ!」

口を押えて肩を震わせる娘だったが、それを意味がわからないと訝し気に見つめていたアズールにすぐに向き直った。
なお、ジェイドはそのうちにさっさとメイドのところに戻って一部始終を報告していた。

「ごめんなさい、こんな映画みたいなこと、自分にあるなんて思ってもいなかったから…驚いちゃって」
「…は、よかったです……。何か気に障ったのかと」
「そんなわけ!ありがとうございます!私のイメージのお茶なんて、嬉しいです。頂いてもいいですか?」
「もちろんですよ。どうぞ」
「いただきます」

こくりと一口、紅茶を飲んで、ほぅっと息をはいた娘はにっこりと笑う。

「おいしいです!」
「お気に召したようで何よりですよ。当店自慢のスイーツも用意がありますので、ぜひ召し上がってください」

暫くスイーツを楽しみながら、紅茶や花やお店のことについて盛り上がった二人だったが、ふと、娘が思い出したように声を上げた。

「あっ!楽しすぎて忘れるところでした!」
「?どうしました?」
「あの、アズールさん、お誕生日だったんですよね?」
「え…、ああ、そうですね」
「遅れてしまったんですけど、これ」

差し出されたのは小ぶりのブーケと、小さな箱。

「男の人に花っていうのもどうかなと思ったんですけど…うちにくるお客さんも男性が増えてきてますし、アズールさんはよく遊びに来てくれるから、嫌いではないのかなって。それから、こっちはチョコレートです。お仕事の合間にでも…と言っても、ここのお料理の方がおいしいかも?」

失敗しちゃったな、と笑いながらも「お誕生日おめでとうございました」と告げられた言葉に、言葉を返すことができずフリーズしたアズールの背中にバチンと飛んできたのは、通りすがりのフロイドからの平手だったことは添えておこう。
アズールは、今しかない!と意気込んで、ゴホンと咳払いを一つ。そうしてキリッと眉を吊り上げた。

「あの、こんなことをこちらが言うのも何ですが、」

何をいうにも前置きをしてしまうのは癖のようなものだが、いささか唐突にそのワンシーンは始まった。

「勘違いでなければ貴女は僕に好意を寄せていますね?」
「え!?えーっと…?好意…?あの、アズールさんにはご贔屓いただいている以上に仲良くしていただいていて…」
「ええ、ええそうです。貴女のそれは好意に他ならない。それでは僕がなぜ貴女をこれほど気にかけているか、わかりますか?」
「へ?」
「好意と恋の間の海を…僕がその海を越えたら、あなたのそれも恋になる。僕は泳ぐのは得意なんですよ。いつか絶対越えますから」

それを言いきった瞬間、アズールは脳内でガッツポーズを決めたのだが、サクラの寮生が全員びちゃびちゃに紅茶をこぼした。「何いってんだ寮長は!!!!!!!」と。
アズールが言いたかったのは、「こうい」と「こい」の違いは、「こ」と「い」の間にある「う」が壁となっていることだと。
僕はこの「う(海)」を越えるから、きっと二人は恋仲になれるのだ、と、そう言うことだった。
娘の頭の中でその意図が考えられたのはコンマ五秒程度。それを正しく汲み取る時点でもうだいぶ堕ちてしまっているのではと周りは思うわけだけれど、当の本人はそれに気づいていないのだから恋愛とは面白いのだ。
ぽかんとして、それから耐えられずに「ふ、うふふっ…うふふふっ…!」と小さく震えた娘だったが、頬を染めてそれはそれは嬉しそうに笑った。

「アズールさんが迎えに来てくれるなら、一緒に越えられるでしょうね、この広い海も」
「…!」
「オリジナルブレント、ごちそうさまでした。本当に、とっても美味しかったです」
「へ?あ、え」
「また、来てもいいですか?」
「!!も、もちろん!!いつでも来てください!!」
「あ、お会計は…」
「いいんです!今日は感謝祭なので!!」

ありもしない感謝祭のチラシを掲げて指さされたのを見て納得した娘は、そのまま店を出ていった。
立ったまま放心してしまったアズールを寮生全員で介護したことは、オクタヴィネル寮生以外、誰も知らない。
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