それは、星の瞬きのような

 人の頭って、結構重いらしいよ。いつだったかそう教えてくれた張本人が、環の膝に気持ちよさそうに頭を乗せてもうどのくらいになるんだろう。伸ばした足を少しだけ浮かせてみると、パリパリ、とふくらはぎが畳からはがれる、わずかな音がした。

「七瀬、こっちも飲んでみろよ!」
「七瀬さん! ちゃんぽんはダメなんですよ。……ダメですって! もう今日はアルコールはやめておきましょう!」
「陸、ほんとにダメ。僕の言うこと聞けない?」

 陸と天の20歳を祝う宴――誕生日当日からはもうひと月近く経っているのだけれど、「大事な後輩がお酒飲めるようになったんだよ⁉︎ みんなで! 全員で! お祝いしたいじゃん!」と、百が気合いでスケジューリングをし、今日という宴にこぎつけた。おかげ様で、全員時間通りに集合とはいかなかったが、21時という比較的健全な時間帯にはまだ来ていないメンバーはナギ一人だけとなった。さっきスタジオを出たと連絡がきたから、きっとすぐに合流できるだろう。
 去年のナギの誕生日会も、同じようにすさまじかった。そして今回も、例にもれず、だ。

(来年これ、3回やんのか? ウケる)

 きっと悠の時、一織の時、それから自分の時も、同じようなお祝いが開かれるんだろうなと思う。

 百セッティングの料亭は完全に個室でプライベート流出の心配なし、そして当然のように料理も美味しく、お酒が飲めない未成年組も大いに楽しめる環境だ。しかも、会計はリバーレ持ちという夢のような席。特に明言されずに宴が始まるのだが、いつの間にか百が会計を済ませている。

「さすがに次は全員集まるのは無理かもな」
「次って誰? いすみん? ……あー12月ってスケジュール鬼だもんなぁ」
「俺は別に、やらなくてもいいんだけど……」
「うっそだ、いすみんそーいうのめっちゃ寂しがるじゃん」
「勝手言うな! 寂しくねーよ!」

 ムキになる悠にはいはい、と笑いながら返事をすると、だってまだ2口しか飲んでないんだよ? という陸の声が聞こえてきた。でも焼酎なんて、と一織と天が揃って食い下がったその時、さぁっと、障子が開いた。

「みなさーん! お待たせしましたー!」

 登場したのは、ナギだ。うぇーいという歓声に、「乾杯だー!」という複数人のはしゃいだ声。何回目の乾杯だよ、と環と悠が笑い合いながらノンアルコールをナギに向けて掲げた。
 大和と楽は巳波を挟んで何か熱く語り合ってるし、千と百はトウマに絡んでいて(トウマは、ものすごく困った顔と驚いた顔を繰り返している)、虎於はうちなー口の龍之介とテンションの上がり切った三月に挟まれて肩を組まれている。そこに何故か乱入するナギ。全員声量がいつもの倍になっている。「トリガーのステップ!」という楽しそうな大和の声に楽が立ち上がり、軽やかなステップを披露すると、環の膝に置かれた頭がもぞりと動いた。

「えっ……トリガーのステップ……!?」
「あっこら! そーちゃんはいいの! このまま寝てろって……!!」

 起き上がりかけた壮五の肩と背中をゆっくりとさすって「いいこいいこ」と呪文のように唱えてやると、「ふふ、そーちゃんいい子」と嬉しそうに笑いながら、また環の膝に沈んでいった。眠りに落ちる心もとない体をなだめるように、ぎゅっと強く抱きしめているのは、環の上着だ。

「すご。四葉、職人技じゃん」
「おー。この人はもうこうやって封印しとくに限る。あぶねーから、色々……」

 はは、とフライドポテトをかじりながら悠が笑っていると、一織と一緒に陸を止めていたはずの天が突然立ち上がった。

「……九条さん?」
「天にぃおっき~。タワーみたい」

 天は、けらけらと笑う陸と一織の間に割って座り、そのままずいっと陸に詰め寄る。

「陸。ちゅーしちゃおっか」
「……えぇ……!?」
「はあ!?」

 問答無用で顔を近づける天を、一織が後ろから抑え込む。

「うちのセンターになんてことしようとしてんですか!? 七瀬さんも満更でもない顔しないで! というか九条さん……あなた酔ってますね!? サイレントで酒癖悪くなるのやめてくれません!?」
「陸とちゅー、だめなの?」
「ダメに決まってるでしょう!?」
「じゃあ」

 天が逆を向いた。

「和泉一織がしてよ」
「ええ!? ちょっ……!」

 天が急に迫ってきたせいで、一織の上半身の体勢が崩れそうになる。肘が、畳につく。覆いかぶさった天の口を、手のひらで抑えた。

「ちょっと! ちょっと四葉さん! 亥清さん! 助けて……!!」

 珍しく涙目の一織に、身軽な悠が走る。く、九条さん、と慌てて一織から天を引きはがそうとするが、なかなかかなわず、天をどうにかするのは諦めて逆サイドに回り後ろから一織を抱え込んですんでのところで天の下から引きずり出した。「あーあ」という非難がましい天の声。かと思えば、くるっと転身して「陸」と甘えた声を出す。「天はキス魔かー」という楽しそうな楽の声が聞こえた。
 どうにか二人を引きはがそうと悠と一織で奮闘していると、

「一織、お前さん……大きくなったなぁ……」
「え!? に、兄さん!?」
 
 いつの間にか近づいてきていた三月が、一織の腰に抱き着いている。

「お前こーーーーーんなにちっちゃかったのに……」

 親指と人差し指で1センチくらい、を示唆すると、「そんなちっちゃいイチ、お前は見たことないだろ」と、何がそんなに楽しいのか、というくらい大爆笑している大和の声が響く。

「来年……めちゃくちゃにお酒を飲んで、ここにいる全員に迷惑かけてやりますから! 絶対に、そうしますから……!」

 一織らしからぬ悲痛な雄たけびに、成人組は大盛り上がりだ。一方で一織という戦力をなくし、一人で天と陸を抑えきるのは無理だと悟った悠が、助けて、と視線をよこしてきた。

「やばいやばい……! あー、そーちゃんちょっと……このまま寝てて、な?」

 そっと畳に壮五を寝かせ、悠の応援に向かう。壮五という重しがなくなって、太ももにざぁっと、血が通うのを感じた。

「てんてんダメだって! そういうのは好きなやつとしろ!」

 環の発言に、キスは好きな人と、だってー! と異常な盛り上がりを見せる成人組を無視し、なんとか天を引きはがし龍之介と虎於の間に混ぜ込んでしまうと、いつの間にかお眠モードになっている陸を広間の端に寝かせた。本当に数口しか飲んでいないはずだけど、やっぱりアルコールに弱いらしい。天もそう何杯も飲んでいたわけじゃないのだが、ショークラブの息子にしてはアルコール耐性がない。それとも初めてのお酒って、こんなものなのだろうか。環には、わからないけど。
 つるりと上質な座布団を枕代わりに陸の頭の下に差し込むと、陸の上着を上半身に、勝手に拝借した大和の上着をおしりの辺りにかけてやった。

(りっくんこんなとこでずっと寝かしとくわけにいかねーし、バンちゃんに連絡して、迎えに来てもらった方がいいかな……)

 タクシーという線も考えたが、陸を一人で帰すわけにもいかないし、こんなこともあろうかと思ったらしい万理には「何かあったらいつでも連絡して」と言われていた。スマホを、と思って自分の席を見やると──

「あ! ももりん、ゆきりん! 何やってんの!」

 千と百が、いつの間にか移動してきていて、壮五の頬を指でつん、とつついていた。

「だーめだって! せっかく封印してんのに……!」

 陸がすやすやと寝ていることを確認し、急いで壮五のもとに駆け寄る。

「封印、ですって。エーテルネーア様」
「やばいですね、封印とか」
「封印なんて、解いちゃった方がいいですよねぇ」
「その通りです! 苦しみから解放しちゃいましょう!」
「シャオくんほら、起きてーパパだよー封印やめよー」

 千が壮五の頭を撫で、百が「起きようね~」と上半身を起こすと、

「あ~! リバーレだ~」

 ふにゃりと嬉しそうな声が壮五から発せられる。

「あー! 起きちゃった! もー! へたくそなダンマカごっこやめろ!」
「へたくそだって。僕たち本人なのに?」
「ショック~。プラセルくん反抗期?」
「もう本人に戻っちゃってるじゃん! てかどうすんだよそーちゃん! せっかく寝かせといたのに!」
「起きてた方が楽しいよね、壮五!」
「うん、そーちゃんもう起きる、寝るのや~」
「リバーレと遊ぼうね」
「リバーレとあそぶ~」

 壮五のおぼつかない視線が、百から環に移された。たーくんだ、という小さい声と共に、花が咲くように、壮五が笑った。

「あれー環、どこ行くの~?」
「……電話! あと! トイレ!」

 環君怒ってるねぇという千の悪びれない声を背に、環は廊下に出た。
 古いけれどよく磨きこまれた板張り。ぬくもりのある木造が音を吸収してくれているのか、ひとつ角を曲がると喧騒は遠くのもののようになった。万理に電話しようとスマホのロックを解除すると、理からラビチャが来ていることに気付く。レッスンスタジオにタオルを忘れたらしく、もし行ったら回収しておいてほしいとの用件だった。了解、と王様プリンのスタンプを押すと──

「うぉ……っ!」
「たーくん、見つけたぁ……」

 後ろから抱き着いてきたのは、先ほど宴会場に置いてきた壮五だった。

「そーちゃん、一人で出歩いちゃだめじゃん。よろよろなんだから」
「そーちゃん一人だいじょぶだよ。でもたーくんいないとさびしいから一人やだよ」
「何言ってるかわかんねーよ、もー……」
「だって、そーちゃん、」

 環の腰に回された腕に、きゅっと、力が入った。

「たーくん、だぁいすきだから」

 抱き着かれたまま、顔を後ろに向けて頭を撫でると、「きもちい」、と嬉しそうな声が聞こえた。そのまま指を、壮五の輪郭をなぞるように、滑らせた。
 壮五の体温が、冷房で冷えた背中をつたって、環に移っていく。心臓の音も一緒に。まるで溶けて、ひとつの身体になってしまったようだ。はあ、という、アルコール交じりの熱い吐息が、環の首筋にかかった。
 ふいにスマホが振動する。理からの「ありがとう」というスタンプがきていた。そうだ、万理に電話しなければと通話ボタンを押そうとしたが──わずかな逡巡ののち、ラビチャに切り替える。「バンちゃんごめん、りっくん迎えに来てもらっていい?」手短にそう送ると、スマホをポケットに突っ込んだ。万理はお店の場所も知っているし、これで滞りなく迎えに来てくれるはずだ。

「そーちゃん、トイレまでちょっと歩くから」
「たーくんも一緒?」
「一緒」

 やったぁ、というはずんだ声を連れていく。女性用の個室がふたつと、男性用の個室がふたつ。男性用の扉を開けて、入る。
 壮五と、二人で。
 扉を閉めると、環は壮五と向かい合うように振り返った。

「そーちゃん」
「なあに」
「俺も、」

 壮五の顔の横に、閉じ込めるように手を置く。

「……おれも、そーちゃんが好き。だから──」

 そう言うと、目を細めて、ほんの少し……1センチだけ、壮五に顔を近づけた。

「──今日も……絶対に、忘れて、な」

 環の名前を呼ぼうとしたのか開いた口に、そのまま、噛みつくように口づけた。壮五の唇が環の唾液に濡れ切った後、角度を変えて、壮五の舌をつかまえた。ん、という吐息と一緒に少しだけ逃げた体を、しっかりとつかまえて、頬と耳の下にも丁寧にキスをした後、壮五の「ん、」という声を聞きながら、唇にまた戻る。
 壮五の腕が環の首に回されて、さっきより体が密着したら、また、心臓の音が聞こえてきた。それは、壮五の音じゃなくて、壮五を伝って聞こえてくる、自分の鼓動だった。
 もうすでにこれ以上ないというほど密着しているのに、もっともっとと言うように壮五が腕に力を込めた。応えるように、環も腕の力を強める。

──何回目だろう。こうやってキスをするのは。

 気持ちを自覚したのは、早かったと思う。でも、自分といるときの壮五の安心しきった顔を見ていたら、何も言えなくなってしまった。だから、壮五が、酔っている時だけ。

 でも、

「たーくん……ないてるの?」

 もう、限界かもしれない。チリっと熱をはらんだ指先に、おぼろげにそう思った。
 
「……泣いてない。ちょっと、黙って」

 少し、本当に少しだけ、宴会場の笑い声が聞こえてきた。さっきまであの中にいたのに、まるで遠い世界の出来事のようだ。

 環君、と呟いた壮五の声が二人きりの空間に溶けたまま、環は、今一時だけの熱を体に刻み込むようにキスをした。
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