豚ロワイヤル優勝者への捧げものたち……
ベッドで寝息を立てている御幸の背中を、つー、となぞった。
ここに来るのは、二度目だ。初めて来たときからほとんど様子の変わっていない、御幸の実家の、自室。決して広いとは言えない空間に、野球選手のポスターや、本、それから、一応、というように、参考書が並んでいる。いつから替えていないのか、少し子供っぽいカーテンが、空調に揺られていた。
季節はもうだいぶ、冬に足を進めている。部屋を暖めてはいるけれど、それでもどうしても肌寒さを感じた。
御幸の背中は、すべらかだ。散々過酷な季節を乗り越えてきたというのに、そんなことは知らないというように。
日焼けの褐色と、無垢の白との境界を、引き続き、ゆっくりとなぞっていく。この指から右と左は、全然違うものなのだ。みんなが知っている御幸。そして、自分しか、知らない御幸。
半袖の、口のあたり。それから、長袖のユニフォームを着ていることが多いせいか、手首を境にしてそこもまた、色が変わっている。そこをぼーっと(うっとりと、とも言う)指を滑らせていたら、突然パシリと手を掴まれた。沢村より低い、手の温度。
「なーにやってんだよ」
「……起きてたんすか」
「ばか、んなことされたら起きちまうだろーが」
あー、今何時だ?とつぶやきながらベッドサイドに置いてあったペットボトルの水を、少しだけ煽る。食べ物でも飲み物でも、意外とお上品に口にすることを、沢村は知っていた。
「んで、なに一人でかわいいことしてんの? また、‘思わず’?」
「またってなんすか、またって」
「なんだ覚えてねーのかよ。一年の時いきなり俺の背中なぞってきたじゃん」
「……え、そんなことあったっけ……」
「忘れてんのかよ!」
「先輩意外と物覚えいいっすよね」
感心したように言うと、眉間にしわをよせ、目をぱちくりとさせながら、目の前の男は言った。
「はあ? 俺は、お前のことは全部覚えてんだよ。それだけ」
「……そういうストレートなとこも、意外なんでやめてほしいんすけど」
「俺はいつでもズバっと言うだろ」
「そりゃ、野球のことはそうだし、それでいいんすけど……」
突然の剛速球を素直に受け損なって、弱火にかけた鍋の水がふつふつと沸騰を始めるように、沢村の心は揺れた。
その時、携帯がぶるりと振動した。小湊だ。明日何してる、という、おそらく遊びの誘いだろう。それに、「秋田から親が来る」とだけ返して、スリープモードにした。貴重なオフに沢村を選んで誘ってくれるのはしごくありがたい。でも明日は、ダメだ。御幸とオフが重なる日なんて、次はいつかわからない。
「へえ、嘘つくの上手になったじゃん」
「いや、嘘とか。人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」
「だってそうだろ。前はあんなにあたふたしてたくせになぁ」
‘前’というのは、初めてここに来た時だ。
御幸と、二人で。
誰にもバレないように、ここに。
この、バレないように、というのが沢村には難易度が高くて、適当に言っておけばいいものを突拍子のない嘘を言ってしまって、降谷にずかずかと突っ込まれては慌てておかしな嘘を重ねていた。なんで助けてくれないんすか、と恨めしい目で御幸を見たけれど、もう溺れてしまいそうな勢いで慌てふためく沢村をにやにやと見ていたかったというのが正直なところだ。
「てか、いいんすか。あんたもうプロじゃん。高校球児と会ってたらなんかまずいんじゃねーの」
「なんだ知ってたのかよ。沢村のくせに」
「まあ……春っちが言ってるのちらっと聞いた」
「それはお前、得意の嘘でどうにかするしかないじゃん」
「嘘とか苦手っすよ。知ってるくせに」
「じゃあなんだ、お前」
御幸が沢村の前髪をかき上げた。形の良い額が丸見えになる。
「一年以上、俺に会わないつもりかよ」
「……そーいうわけじゃ、ないっすけど。あ、ちょっと、やめてくださいよ」
戯れに髪をくしゃりとされて、そっと手を振り払った。おかしそうに笑う御幸についに心が沸騰しそうになって、たまりかねて
「先輩、もっかい背中見せて」
なんとか視線から逃れようと、起き上がった。御幸の返事を待たず、綿布団をめくる。え、なに? と聞こえた楽しそう声は、スルーした。
「……でっけぇ背中」
「ったりめーだろ。誰だと思ってんだよ」
御幸が、ベッドサイドの間接照明を付ける。オレンジに染まる背中。
「あ、思い出した」
その時、記憶の引き出しが、急に開いた。
◇
思い出したのだ、一年と少し前。あれは初めての合宿のすぐ後のことだったか。
窓から差し込む初夏の陽光が、更衣室をきらきらと照らしていた。ただそれは既に西陽で、もはや爽やかさなど残していなかった。明るいのにちょっとだけ寂しい。うだるような熱帯夜の気配。そんな光。オレンジ色の、光。
その光にさらされた、背中。そう、思い出した。橙の、背中。
沢村はそこから、目が離せなくなった。
無防備に曝露された体。Tシャツ焼けの跡が残っていて、肩から下が、白い。
気付いたらその、日焼けと白磁の肌の境目に、指を滑らせていた。
「……お前、なにしてんの?」
「え? あ、すんません、思わず……」
「あのなー、思わず、で人の背中なぞんのかよお前は?」
呆れた御幸の顔。すぐに背けられた顔が、オレンジに染まっている。
(本当はあんなに、綺麗な肌してんだ)
御幸に、守られた部分があるなんて、想像もしてなかった。裸で練習するわけではあるまいし、服の下が日に焼けてないなんてことはわかるはずなのに、でもなんだか、御幸は全身がちゃんと、戦っている人なのだと、思っていたのだ。それから、
(……肩が広い。背中、でけぇ)
そんなことだって、わかって、いたはずだ。並の体格では、暴力的なまでの球を捕ることなんてかなわない。考えなくても当たり前にわかることなのに。でもなぜか、今までは隠されていた守られた肌と広い背中を目の前にして、沢村は、どうしようもなく、ショックを受けてしまった。
厳密にショックと言っていいのかはわからない。もやもや、じわじわと、じっとり水が、染みてくるような。悲しいような、切ないような、泣きたくなるような。
頭の中は、御幸のことでいっぱいだった。特に、先日の稲実との練習試合で、強引なバッティングで点を取った時のシーンが、ずっと頭を流れている。
「――いつまで見てんだよ?」
「あ」
「着替えづれぇからお前向こういけ」
しっしっ、と追いやられて、「なんすかー、もう」とか適当な軽口をたたきながら、自分のロッカーに戻った。
なんでもないようなふりをして着替えを済ませたけれど、夏のアスファルトみたいな胸の疼痛が止む気配は、訪れてくれなかった。
◇
「先輩の背中がでっかくて、あの時、俺びびったんだと思う。焦ったっつーか、ショックっつーか」
「なんて?」
「だから、背中なぞった時っすよ。一年の時に」
「あ、思い出したの?」
「だから、さっき、思い出したって言ったじゃん」
もう、と抗議をすると、ははは、と軽い調子で御幸が笑った。むっとして言い返そうと思ったけれど、あの時の自分のひりつく感情が、体の真ん中から流れてきて、どうにも抗えなかった。
「知らない俺って言っても、まだ一年だったんだから当然じゃねーか」
「そりゃそうなんすけど、なんていうかなぁ……」
うーん、と首をひねる。今は、白くて広い背中を見ても、なんとも思わない。むしろ心は弾むばかりだ。
(先輩、今、無防備だなぁ)、と。
あの時の、やけどをしたようだった気持ちは、綺麗さっぱりどこかへ行ってしまったようだ。一体何に、そんなに苦みを抱えていたんだろう。紐を手繰り寄せるように、記憶の綾を確認していく。ひっかかったのは、初めて試合で球を受けてもらった時。それから御幸の、野球の「やり方」を目の当たりにした時。それが始まりだった気がする。それから御幸のことを知るたびに、焦って。雪だるまのように積もっていく焦燥は、膨らみすぎて、パチン――とはじける前に、春の雪解けのようにどこかに行ってしまった。それが、何故か――
「あ、わかった」
点と点がつながるのは、いつも唐突だ。特に、沢村の場合は。
「なに?」
「俺、初めて会った時が一番、先輩のこと知ってるつもりだったのかも」
「……はぁ?」
「だから、知らないことがどんどん出てきて焦ったっつーか……あの、学校の先生って先生ってこと以外は想像できないじゃないっすか。あれと似てるってか……」
「学校の先生って……こんな時に色気ねーこと言うのね、お前」
あーそうだ。きっとそうだ。うんうん、と一人頷く沢村に、呆気にとられた御幸。
「秋田で初めて会った頃の俺は、なんか無敵だったんすよ。全部知ってる気がして。先輩のすごいところちゃんと知ってるのも俺だけだと思ってたし、そんで、球とってもらいたいって入学したのも俺だけだと思ってたから。実際さ、みんなは俺より先輩のことよく知ってたじゃん……俺と同じ、降谷みたいのもいたし……それ知ったらどんどん遠くなっちゃって」
「今は?」
「背中がでっかくて白いのも、変な日焼けしてんのも、食べ方がうまいのも、変なカーテンつけてんのも、俺しか知らないから、もういいんすよ」
「……へぇ」
怪訝そうな御幸の表情が緩んで、口角が、少しだけ上がった。
「ほんと、そういうとこなんだよな」
「うわ、その言い方。ばかにしてるんすね?」
「ちげーよ! お前、あれだろ。特別扱いされていいってわかった瞬間、安心したんだろ」
手が、触れた。先ほどの制止とは違う、夏みたいな温度で。触れてもらうのは、嬉しい。もう幻影を追って焦る必要はないと、ちゃんとわかるから。思うつぼなのが、少し悔しいけれど。
「先輩、俺寒いんすけど」
と言うと御幸はまたおかしそうに笑って、沢村に応えてくれた。
ここに来るのは、二度目だ。初めて来たときからほとんど様子の変わっていない、御幸の実家の、自室。決して広いとは言えない空間に、野球選手のポスターや、本、それから、一応、というように、参考書が並んでいる。いつから替えていないのか、少し子供っぽいカーテンが、空調に揺られていた。
季節はもうだいぶ、冬に足を進めている。部屋を暖めてはいるけれど、それでもどうしても肌寒さを感じた。
御幸の背中は、すべらかだ。散々過酷な季節を乗り越えてきたというのに、そんなことは知らないというように。
日焼けの褐色と、無垢の白との境界を、引き続き、ゆっくりとなぞっていく。この指から右と左は、全然違うものなのだ。みんなが知っている御幸。そして、自分しか、知らない御幸。
半袖の、口のあたり。それから、長袖のユニフォームを着ていることが多いせいか、手首を境にしてそこもまた、色が変わっている。そこをぼーっと(うっとりと、とも言う)指を滑らせていたら、突然パシリと手を掴まれた。沢村より低い、手の温度。
「なーにやってんだよ」
「……起きてたんすか」
「ばか、んなことされたら起きちまうだろーが」
あー、今何時だ?とつぶやきながらベッドサイドに置いてあったペットボトルの水を、少しだけ煽る。食べ物でも飲み物でも、意外とお上品に口にすることを、沢村は知っていた。
「んで、なに一人でかわいいことしてんの? また、‘思わず’?」
「またってなんすか、またって」
「なんだ覚えてねーのかよ。一年の時いきなり俺の背中なぞってきたじゃん」
「……え、そんなことあったっけ……」
「忘れてんのかよ!」
「先輩意外と物覚えいいっすよね」
感心したように言うと、眉間にしわをよせ、目をぱちくりとさせながら、目の前の男は言った。
「はあ? 俺は、お前のことは全部覚えてんだよ。それだけ」
「……そういうストレートなとこも、意外なんでやめてほしいんすけど」
「俺はいつでもズバっと言うだろ」
「そりゃ、野球のことはそうだし、それでいいんすけど……」
突然の剛速球を素直に受け損なって、弱火にかけた鍋の水がふつふつと沸騰を始めるように、沢村の心は揺れた。
その時、携帯がぶるりと振動した。小湊だ。明日何してる、という、おそらく遊びの誘いだろう。それに、「秋田から親が来る」とだけ返して、スリープモードにした。貴重なオフに沢村を選んで誘ってくれるのはしごくありがたい。でも明日は、ダメだ。御幸とオフが重なる日なんて、次はいつかわからない。
「へえ、嘘つくの上手になったじゃん」
「いや、嘘とか。人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」
「だってそうだろ。前はあんなにあたふたしてたくせになぁ」
‘前’というのは、初めてここに来た時だ。
御幸と、二人で。
誰にもバレないように、ここに。
この、バレないように、というのが沢村には難易度が高くて、適当に言っておけばいいものを突拍子のない嘘を言ってしまって、降谷にずかずかと突っ込まれては慌てておかしな嘘を重ねていた。なんで助けてくれないんすか、と恨めしい目で御幸を見たけれど、もう溺れてしまいそうな勢いで慌てふためく沢村をにやにやと見ていたかったというのが正直なところだ。
「てか、いいんすか。あんたもうプロじゃん。高校球児と会ってたらなんかまずいんじゃねーの」
「なんだ知ってたのかよ。沢村のくせに」
「まあ……春っちが言ってるのちらっと聞いた」
「それはお前、得意の嘘でどうにかするしかないじゃん」
「嘘とか苦手っすよ。知ってるくせに」
「じゃあなんだ、お前」
御幸が沢村の前髪をかき上げた。形の良い額が丸見えになる。
「一年以上、俺に会わないつもりかよ」
「……そーいうわけじゃ、ないっすけど。あ、ちょっと、やめてくださいよ」
戯れに髪をくしゃりとされて、そっと手を振り払った。おかしそうに笑う御幸についに心が沸騰しそうになって、たまりかねて
「先輩、もっかい背中見せて」
なんとか視線から逃れようと、起き上がった。御幸の返事を待たず、綿布団をめくる。え、なに? と聞こえた楽しそう声は、スルーした。
「……でっけぇ背中」
「ったりめーだろ。誰だと思ってんだよ」
御幸が、ベッドサイドの間接照明を付ける。オレンジに染まる背中。
「あ、思い出した」
その時、記憶の引き出しが、急に開いた。
◇
思い出したのだ、一年と少し前。あれは初めての合宿のすぐ後のことだったか。
窓から差し込む初夏の陽光が、更衣室をきらきらと照らしていた。ただそれは既に西陽で、もはや爽やかさなど残していなかった。明るいのにちょっとだけ寂しい。うだるような熱帯夜の気配。そんな光。オレンジ色の、光。
その光にさらされた、背中。そう、思い出した。橙の、背中。
沢村はそこから、目が離せなくなった。
無防備に曝露された体。Tシャツ焼けの跡が残っていて、肩から下が、白い。
気付いたらその、日焼けと白磁の肌の境目に、指を滑らせていた。
「……お前、なにしてんの?」
「え? あ、すんません、思わず……」
「あのなー、思わず、で人の背中なぞんのかよお前は?」
呆れた御幸の顔。すぐに背けられた顔が、オレンジに染まっている。
(本当はあんなに、綺麗な肌してんだ)
御幸に、守られた部分があるなんて、想像もしてなかった。裸で練習するわけではあるまいし、服の下が日に焼けてないなんてことはわかるはずなのに、でもなんだか、御幸は全身がちゃんと、戦っている人なのだと、思っていたのだ。それから、
(……肩が広い。背中、でけぇ)
そんなことだって、わかって、いたはずだ。並の体格では、暴力的なまでの球を捕ることなんてかなわない。考えなくても当たり前にわかることなのに。でもなぜか、今までは隠されていた守られた肌と広い背中を目の前にして、沢村は、どうしようもなく、ショックを受けてしまった。
厳密にショックと言っていいのかはわからない。もやもや、じわじわと、じっとり水が、染みてくるような。悲しいような、切ないような、泣きたくなるような。
頭の中は、御幸のことでいっぱいだった。特に、先日の稲実との練習試合で、強引なバッティングで点を取った時のシーンが、ずっと頭を流れている。
「――いつまで見てんだよ?」
「あ」
「着替えづれぇからお前向こういけ」
しっしっ、と追いやられて、「なんすかー、もう」とか適当な軽口をたたきながら、自分のロッカーに戻った。
なんでもないようなふりをして着替えを済ませたけれど、夏のアスファルトみたいな胸の疼痛が止む気配は、訪れてくれなかった。
◇
「先輩の背中がでっかくて、あの時、俺びびったんだと思う。焦ったっつーか、ショックっつーか」
「なんて?」
「だから、背中なぞった時っすよ。一年の時に」
「あ、思い出したの?」
「だから、さっき、思い出したって言ったじゃん」
もう、と抗議をすると、ははは、と軽い調子で御幸が笑った。むっとして言い返そうと思ったけれど、あの時の自分のひりつく感情が、体の真ん中から流れてきて、どうにも抗えなかった。
「知らない俺って言っても、まだ一年だったんだから当然じゃねーか」
「そりゃそうなんすけど、なんていうかなぁ……」
うーん、と首をひねる。今は、白くて広い背中を見ても、なんとも思わない。むしろ心は弾むばかりだ。
(先輩、今、無防備だなぁ)、と。
あの時の、やけどをしたようだった気持ちは、綺麗さっぱりどこかへ行ってしまったようだ。一体何に、そんなに苦みを抱えていたんだろう。紐を手繰り寄せるように、記憶の綾を確認していく。ひっかかったのは、初めて試合で球を受けてもらった時。それから御幸の、野球の「やり方」を目の当たりにした時。それが始まりだった気がする。それから御幸のことを知るたびに、焦って。雪だるまのように積もっていく焦燥は、膨らみすぎて、パチン――とはじける前に、春の雪解けのようにどこかに行ってしまった。それが、何故か――
「あ、わかった」
点と点がつながるのは、いつも唐突だ。特に、沢村の場合は。
「なに?」
「俺、初めて会った時が一番、先輩のこと知ってるつもりだったのかも」
「……はぁ?」
「だから、知らないことがどんどん出てきて焦ったっつーか……あの、学校の先生って先生ってこと以外は想像できないじゃないっすか。あれと似てるってか……」
「学校の先生って……こんな時に色気ねーこと言うのね、お前」
あーそうだ。きっとそうだ。うんうん、と一人頷く沢村に、呆気にとられた御幸。
「秋田で初めて会った頃の俺は、なんか無敵だったんすよ。全部知ってる気がして。先輩のすごいところちゃんと知ってるのも俺だけだと思ってたし、そんで、球とってもらいたいって入学したのも俺だけだと思ってたから。実際さ、みんなは俺より先輩のことよく知ってたじゃん……俺と同じ、降谷みたいのもいたし……それ知ったらどんどん遠くなっちゃって」
「今は?」
「背中がでっかくて白いのも、変な日焼けしてんのも、食べ方がうまいのも、変なカーテンつけてんのも、俺しか知らないから、もういいんすよ」
「……へぇ」
怪訝そうな御幸の表情が緩んで、口角が、少しだけ上がった。
「ほんと、そういうとこなんだよな」
「うわ、その言い方。ばかにしてるんすね?」
「ちげーよ! お前、あれだろ。特別扱いされていいってわかった瞬間、安心したんだろ」
手が、触れた。先ほどの制止とは違う、夏みたいな温度で。触れてもらうのは、嬉しい。もう幻影を追って焦る必要はないと、ちゃんとわかるから。思うつぼなのが、少し悔しいけれど。
「先輩、俺寒いんすけど」
と言うと御幸はまたおかしそうに笑って、沢村に応えてくれた。
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