豚ロワイヤル優勝者への捧げものたち……

「しばらく距離を置こう」
 そう言って去っていくでっかい背中を、俺は無言で見送るしかなかった。青春って、後から思い返せば微笑ましくて、あったかいものなのかもしれない。でもね、青春時代ど真ん中なんて棘刺すことばっかりよ。試合に負けて、恋人にまで振られて、マジで俺の人生踏んだりけったりなんだけど、どうすりゃいいのこれ。


【ちょっと待ってください!】


 夢見が悪くて飛び起きる、なんて人生で何回もあることじゃない。でもここ三日、
「また、あの夢かよ……」
 毎回のように同じ夢にたたき起こされる。苦い瞬間の映像だけが繰り返される。そんなに律儀に、緻密に、VTRのように繰り返さなくても良いのに。悪夢ばかり見るなんて与太話には聞いたことあるけれど、自分がそんな精神薄弱だとは、思わなかった。かっこわり、と呟いてベッドサイドのスポーツドリンクを煽って、体温計を脇に挟んだ。
 夏休みの、午後二時。本来、練習真っ盛りの時間帯だ。ピピピ、と音がする。デジタル数字は三十七度二分を示していた。
「あちゃー、もう下がってきちゃったか」
 ばたりとベッドに倒れ込んで天井を仰ぐ。ずっと、このままでいたい。誰にも会いたくない。一人になりたい。ボールにも、今はちょっと触れたくない。というか何も考えたくない。こんなこと、高尾にとって初めてだった。

 秀徳高校バスケ部は歴史あるチームだ。全国大会では常にベストエイトの好成績を残す東京の王者。
今年――高校二年生の高尾と緑間が挑んだインターハイ、秀徳は、五位に終わった(・・・・)。結果を「残した」、ではなく、あくまでそういう結果として「終わった」。今までは、ベストエイトに入れば御の字だった。でも、今年は、違う。キセキの世代の一人緑間真太郎が加入して二年目。優勝を期待されていた昨年のインターハイは決勝リーグにすら進めなかった。ただ、次のウインターカップの結果は三位。その結果にチームより周囲が湧いた。大幅なジャンプアップ。次は優勝を、狙えるのではないか。主力は抜けたらしいけれど、それは他校も同じことだ。チームとしての出来は上々と聞く。だから準決勝からは、校長やら理事長がこぞって観戦に来るはずだったのだ。
なのに、秀徳高校は準々決勝で、敗退を喫した。
試合を終えたチームを、それでも、学校も関係者も笑顔で迎えてくれた。大健闘だ、と。でもそれがかえって、悔しさと惨めさを、増長させた。気が、する。もちろん外野は悪くない。それはわかっている。

 我らがエース様は、少ない口数が更に、少なくなった。「一人で考え中です」というオーラが、高尾には察知できてしまった。他の選手に対しては表面上は普通に振る舞っていた気がする。特に後輩には、むしろ気を遣っていたのかもしれない。そんな配慮、出来るようになったんだねぇと感心して、初めて少し離れた座席に座った。相棒としてエースと再奮起を誓う機会が、きっと、今後、ある。たぶんそれは今じゃない。二人っきりになれるチャンスは山とあるのだ。だって相棒で、それになにより、恋人なんだし。
 そう思っていたのに、なんだ。学校で形式ばかりの試合結果報告をして。チャリアカーに緑間を乗せようと――今日はじゃんけん無しで、漕いでやろうと思ってた――いつものルーチンよろしく、裏庭に向かった。そこで奴は、言ったのだ。

「しばらく距離を置こう」

「は?」

 素っ頓狂な声を出してしまったと思う。冗談だろ、と言おうとしたら、「ほんとに、今まで、悪かった。……楽しかったのだよ」と言い残して、その場を去ってしまったのだ。いつもより重い、足取りで。距離を、置こう。つまり一般的に。

(それって、別れようってことじゃん……)

 それがつい三日前の出来事。翌日、ベッドから起き上がれなくて、何事かと思ったら四十度近くの発熱。さすがに部活は休んだ。発熱なんて、小学校三年生以来だ。監督にもキャプテンにも「夏風邪ひくバカ」と笑われたけど、今は普通以上にあっけらかんと接してくれていることが、ありがたかった。
(このタイミングで大熱こくとか、自分でも嘘だろって思うわ……)
 最低のタイミングだけど、最高の計らいだとも思った。頭を冷やしたい。整理したい。その、色々と。
 熱のせいか、無性に人恋しくなった。緑間の、人より少し冷たい手を思い出す。今あの手に触れたら、気持ちいいだろうなと思う。
(でも俺たち、別れたんだよなぁ)
 距離を置こう、ということは、そういうことだ。即効性はなくとも、そういう未来のために撒いておく、体(てい)の良い薬のようなものだ。腹が立つ。突然そんなこと言ってきた緑間にも、それでも会いたいと思ってしまった自分にも。何かしたかな、と考えてみるけれど、思い当たらない。やはり試合の結果が、二人の関係にも尾を引いてしまったのだろうか。勘違いかもしれないとも思ったけれど、「今まで楽しかった」とまで言われてしまってはもうぐぅの音も出ない。

 携帯の電源は、部活への連絡時以外、切ってしまっていた。来ない連絡を女々しく待つのは、主義に反した。
 ここ二日間、頭を整理したいとは思ったものの、出来たことと言えば結局、漫然と寝ていただけだ。それでも、熱が下がったのだから明日からは部活に行かなくてはならない。あと一日くらい、との悪魔のささやきも聞こえたが、さすがに何日も体を動かさないとなまってしまうし。
「なんで修行だらけなんだろうなぁ、俺の人生」

 ぽつりとこぼした言葉が頼りなく空間を漂った。人生は、そこそこ楽しい。なかなか上々だとも思う。だけどいつも、絶妙なところで試練が下されてる、ような、気がする。敗退が決まった瞬間と、去っていく背中。繰り返す夢の光景を思い出してしまって、まーたメンタルトレーニングしろってか、と神様に悪態をついて、再び眠りについた。


 また、性懲りもなく夢を見た。ただ今回は相手チームのゴールが決まろうとしたその瞬間――呼び鈴の音で、目が覚めた。家族は出払っていていない。宅急便だろうか。だったら後ででも良いかと居留守を決め込んだ。なのに、今度は連続で二回、三回とインターホンを押されて、挙句、ドンドンとドアを叩く音が聞こえてきて、さすがに起き上がった。そっと二階の自室から玄関をのぞいて、
「しんちゃ――緑間?!」
 思いもしなかったその影に、我にもなくがらりと窓を開けた。しばらくぶりに浴びる陽光が肌に痛い。
 はっ、とした面持で緑間が顔を上げた。たった二日会わなかっただけだけど、随分と久しぶりのような気がした。相変わらず、ばちりと目線をかち合わせる奴だ。
「ちょ……待ってて、今開ける!」
 階段を駆け降りて、玄関のドアを開ける。蒸した空気と一緒に見慣れた顔が目に入った。
「おう……久しぶり」
「……なんだ、元気そうなのだよ」
「朝まではすげぇ熱だったけど、お陰様で……」
 不自然な沈黙と、止まったような空気。暑さのせいか、緑間の顔に、汗の筋がつーっと伝った。ぽたりと落ちては、次。涼しい顔してたくさん汗をかくところも、好きだったよなぁ、と呆けた頭を、蝉の声が現実に戻した。
「あ、んで……どったの、いきなり」
「決まってるだろう、お見舞いなのだよ」
「決まってるって……てか、まだ練習やってる時間じゃねーの?」
「今日はもう終わったのだよ」
 別れた直後にお見舞いも何もないと思うが。でもこのまま酷暑の中を帰すのは気が引ける。正確な時間はわからないが、日の高さからだいたい夕方の四時くらいだろう。
「とりあえず、入ってけば。一応クーラーついてるし」
「体は大丈夫なのか」
「だいじょぶだいじょぶ」
「じゃあ、お邪魔させて頂くのだよ」
 玄関先で紙袋を渡されて、(有名フルーツ店のゼリーだ、律儀な奴め)そのお見舞い品を冷蔵庫に入れる。氷たっぷりの冷たい麦茶を二人分注いで、緑間を先に行かせた自室に向かった。
「病み上がりなのに、気を遣わせてかえって悪かった」
「いや、こんくらい体動かさねぇと」
 はは、という空笑いが部屋に響いて、麦茶を煽る氷の音だけが聞こえてきた。それから、ブーンというクーラーの稼働音。古いせいかなかなか効きが悪い部屋から、夏の空気が抜けていかない。けれどないよりはマシだ。
 なにしに来たんだ?
率直な感想を言えばそれだ。繰り返すけれど、緑間にとって高尾は振った相手だ。これから気まずくないように、緑間側から歩み寄ってくれたということなのだろうか。でも、わだかまりを感じさせないバスケを自然にしてくれそうではあれ、家に来るとか、あとは例えばわざわざ何でもなかったかのようにメールを送ってくるとか、そんな類の気遣いをするようなタイプの人間ではない。断じて。
(てかそれって、振られた側が踏ん切りついてから、やることだしなぁ……)
 気が付くと緑間のグラスには氷が残るのみになっていた。ちょっと不自然なくらい、黙ってしまった。こういう時積極的にしゃべるような緑間ではない。これも、断じて。いつもだったら沈黙なら沈黙でいいのだけど、状況と立場とタイミング的に、その静けさが意味を持ってしまいそうで居心地が悪い。部の様子でもなんでも良いから、口火を切ってしまおうと決めた。そっちの方が穏便に済みそうだし、それに実際、大会後のチームの雰囲気は気になるところだ。
「なぁ――」
「――お前が生きてて、良かったのだよ」
 重い口をなんとか開かんとした時、普段もっと重い口が先に動いた。
「……はい?」
「死んでるのかもしれないと思った」
「え、なに、俺が?」
「……二十四時間返事がないのは初めてのことだったのだよ。ご家族も旅行だと聞いていたし、一人で冷房もつけない部屋で熱中症で倒れてるのかもしれないと思った」
 こんなに焦ったことはないのだよ、と小さい声が聞こえた。
「えーと……?」
 突然の思ってもみなかった方向からの会話投球に戸惑うも、要するに、連絡したものの返事がないから心配してきたということらしい。
「わりぃ、携帯電源切ってて。てか、そもそも……」
 そもそも、お前と別れたせいで電源切ってたんだけど、……とは、さすがに簡単には口にできなかった。
「いや、あの……ちょっと話するの、気まずかったってか」
「いやだったのか」
「うーん、簡単に言えば、ちょっと、そうかも……?」
「……そうか、仕方ないな。体のこともあるし、それに、元はと言えば、俺の、せいだ」
「え?」
 緑間の顔は、これぞ苦虫を噛み潰したような、という態だった。
(なんだよ、それもわかってて、なのにわざわざ来たの?)
 高尾の頭に無数のはてなが浮かぶ。振った直後に高尾を心配して家に来たこと、どうやら気まずさ覚悟で、しかも何が二人をそうさせているかわかっているらしいところまで、まったく想定の範囲外だった。むしろ、それがわからないからこうやって家に来ることができるんだと思っていた。いつもなら想定外含め緑間の行動は織り込み済みなのに。‘恋人’というレッテルがはがれると、自然、うまくいかなくなるものなのだろうか。たかがラベリングの問題に左右される程度だったとは、思いたくなかった。
「こういうのに、どっちか一方が悪いとか、ねぇじゃん。だいたいどっちも、ちょっとずつ悪いじゃん」
「俺は、そうは思わないのだよ。これじゃ何のために……」
 緑間が言葉に詰まった。困ったように目を伏せる。お前から賽を投げておいてなんだ、と思うが、昔からこの顔には弱い。仕方ないなぁ、という気に、させられてしまう。
「そんなことねぇって。出した結論がこれならもうなるようにしかならねぇよ。でもさぁ」
 空気がどんどん重くなっていく。夏の湿気も裸足で逃げ出すくらいには。こういうのは、どうにも苦手なのだ。だからそれを払拭するように、カラっと明るい声色に努めた。こんな時に道化みたいだな、と思うけれど、その声に乗って、全て飛んでいってしまえばそれはそれで良い。
「試合に負けるわ恋人に振られるわ、俺の人生どうなっちゃってんの、とは思ったねー」
 言ってやった。これで笑い話にして、明日からはいつもじゃないいつも通りが始まる。そう思ったのに。
「振られる? ……誰に振られたんだ?」
 きょとん、と緑間が高尾を凝視した。
「え、誰って、一人しかいねぇじゃん?」
「待て、お前は……お前は俺と、つ、付き合ってるんじゃないのか?」
「だから、お前が俺を、振ったんだろ。言わせんなよ」
「俺が? いつ?」
「……ちょっと待って」
 緑間が、誤魔化そうとしているようにはどうにも見えない。本当に、現状が理解できておりません、という顔。
「……距離置こう、って、言ったじゃん」
「言ったな。インターハイの後に」
「それって、別れようって意味じゃん?」
 ガタン、と音がして、見ると緑間がうずくまっていた。しばらくそのままでいたかと思うと、
「な、なん……なんでだ!」
 緑間が、がばりと起き上がった。
「なんでって! 距離置こうって言ったら、普通別れようって意味でしょ! 一般的にそうなの! あなたとの未来が見えなくなったからもう終わりにしようって! そういう遠まわしな言葉なの!」
「そ……そうなのか?」
「そうなの」
 そんな馬鹿な……と言ってから考え込むと、今度ははっとしたように高尾に顔を近づけた。
「いや、待て。お前は、なんでそれを承諾したんだ?」
「は?」
「俺の言葉を別れの意味だと取って、それを承諾したんだろう?! なんで受け入れたのだよ! 俺がどんな気持ちでお前と――」
「え! ちょっと待って!」
 なんで俺、怒られてんの? たぶん、頭の中をこんなに疑問符が乱舞することもそうそうないだろう。えーと、と言葉でインターバルを置いて、ひとつひとつを、頭の中で展開していった。
「……だって、お前がそうしたいって言うなら、そうするしかないじゃん。しかもタイミングがタイミングだったし」
「あぁ……それもそうか」
 緑間がずいっと身を引いた。また何か、考えごとをしているようだ。長いまつ毛に縁どられた瞳が、右下に目線を落とす。
「あのさ」
「なんだ」
「とにかく、別れ話は俺の勘違いってことね?」
 もはや緑間の態度と言動でだいたいのことは予想がついたけれど、こくり、と頷く彼を見て、やっと肩の力が抜けた。
「なんだよ、良かったー……」
 ベッドにばたりと倒れ込む。どっと疲れた。考えてみれば、「距離を置こう」なんて遠回しな表現、彼が出来るはずないのだ。これは手痛いミスだ。
「……距離を置こうと言ったのは」
「ん?」
「俺が、どうしたらいいかわからなくなってしまったからだ」
 緑間が自分のことを話すのは、随分と珍しいことだ。こういう時は、丁寧に、礼儀正しく、念入りに、全身全霊を傾けて聞くのが正解だとわかっていだ。
「……勝てないことが、悔しかった。チームを勝たせたいし、お前を勝たせてもやりたい。なのにこんな結果で終わってしまった」
「……それこそ、お前のせいじゃねーじゃん。俺だってお前もチームも勝たせてやりてーよ」
 五位で良かったじゃん、なんて、生ぬるいことは言えなかったし思ってもいなかった。もし勝てたなら。チームとこいつはどんな顔をするんだろう、それが見たくて、何にだって耐えてきたのに。
「それとも、一緒に敗北を背負うには俺じゃ力不足?」
 へらり、と笑って言って見せると、違う、と想定外の強い否定が返ってくる。
「負けて、それから……」
 先を続けにくそうに逡巡する緑間の顔をのぞくと、ふいっとそらされた。
「それから……つらい、と思った。その時、お前に、慰めて欲しいと、思ってしまった……」
「へ?」
 せっかく実情が理解できてきたというのに、緑間が何を言っているのか、またわからなくなってしまった。
「そんなの、全然、するんだけど」
「違うのだよ。……チームメイトとして再起を誓うだとか、そういうこととは、別に……」
 その、と緑間がまた口ごもった。それでも高尾がその言葉尻を逃す意図はないことは知っているのだろう、観念したように口を開いた。
「チームとしてじゃなくて、恋人としてどうにかしてほしい、と思ってしまったのだよ……」
 お前も悔しい想いをしているときにそんなことを考えてしまって、だから、だとか、
「……んだよ、それ」
後の言葉はもうあまり、高尾の耳には入っていなかった。
「真ちゃん、めっちゃかわいいじゃん」
 大きな体を横から抱きかかえると、びくり、と固まった。
「いいのに、言ってくれて。俺そういうの得意よ」
 知ってると思うけど。
「……相棒と恋人、混ざるとけじめがなくなるのだよ」
「そういう難しいこと、お前は考えなくていいのに」
 今まで全部俺がやってきたんだから、これからも俺に任せてよ。
 待ってくれ、と言って覆った顔から表情は伺い知れなかったけど、赤くなった耳が見えただけで充分だった。
「合わせる顔が、なかったのだよ。どう振る舞ったらいいかわからなかった」
「そのままずーっと気まずいままだったら、どうする気だったの」
「その時は、お前が良き頃に話しかけてきてくれるかと思ってた」
「なんだそれ」
「だから、悪かった。……甘えすぎてたのだよ。だからちょっとは自立しないといけないのかと」
「いや、いいんだけどさ。今回のことは今後の反省点ってことで……」
 頼ってんのかそうじゃないのか、はっきりしてほしい。でもそういう得体(・・)の(・)知れない(・・・・)ところ含めて、入れこんでしまっているのだから自分だってどうしようもないという意識はあった。あったうえで、こうだ。とにかく、今回の一件についてはこちらの不行き届きな部分も多分にあるのだ。そう、伊達じゃない自負をしている。先ほど自分でも言った通り、痴話喧嘩の原因なんて辿ってみればどっちもどっちなんだし。
 でも、麦茶の氷を食みながら、口内でゆっくりと溶かしている様子を見たら、その唇がどんなふうに熱くなるのかを思い出して、
「でもなー、ここんとこ振り回されっぱなしだった責任は取ってほしいなー。負ける夢と振られる夢の二本立てばっかりでさすがにきつかったわ」
 少し、悪戯を仕掛けたくなってしまった。
「ぬ……わかった、どうすればいい」
「真ちゃんからちゅーしてくれたら許す」
「そんなことでいいのか? お安い御用なのだよ」
「マジ?」
 じゃあ、目つむってるからよろしく、と正座して緑間の方を向く。でも、いつまで経っても唇に何かが触れる気配がない。そっと目を開くと、
「ちょっと待ってくれ……」
 そう言って右手で真っ赤な顔を抑えている緑間がいた。
こうなることは、織り込み済みだ。
 夏の気だるい空気の中、つーっと額の横を走った汗を、ちゅっと舐めとった。驚いた拍子に、はっ、と息を吸って、緑間が上半身を少しだけ、後退させた。カラン、と麦茶の氷が溶ける音がした。
「風邪移ると困るから、今日はここまでね」
「いや、でも」
「な、ウィンターカップは絶対優勝しような」
「? そんなことは、当たり前なのだよ……?」
 何故このタイミングでそんなことを言うのか、たぶん緑間はわかっていない。
「そんで、優勝したらそん時ご褒美に今日のお願い叶えてよ。ね、しーんちゃん」
 これなら、青春のど真ん中も悪くない。神様、時間進めるの、ちょっと待ってくんねーかな、と、高尾は少し、笑った。そっと重ねた手は、やっぱり記憶の通りひんやりとした、極上の温度だった。
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