放送室
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『今日のクラシックはベートーヴェンによる月光でした』
お昼休みの間にある煌びやかな学園に私の機械を通した無機質な声が鳴り響く。
氷帝学園の昼休みは優雅なクラシックを流すのが毎日の恒例である。
その他の雑務は学園のレストランの日替わりメニューの読み上げ、各部活動の成績の読み上げ、奉仕活動のお知らせ諸々などがある。
新学期。次々と決まっていく各クラス委員。
1番候補だった図書委員をジャンケンで奪われ、他に何か無いかとやり過ごしている内に残った放送委員に無理矢理丸め込まれたのだった。
放送委員は決まった期間、お昼休みは毎日放送室で1人で過ごす事になる。
学園のレストランを楽しみにしている人は勿論、友達と過ごしたい人や図書室へ向かいたい人には不向きな仕事なのである。
そして何を隠そうこの私も氷帝学園に入学して以来、引っ込み思案のせいか友達が1人も出来ず毎日図書室へ滑り込む毎日だったのだ。
放送委員に決まった瞬間も慌てふためき抗議したのだが、小鳥の囀りでも聞いているかのごとくスルーされ、なす術もなく見事に撃沈したのだ。
放送委員のローテーションは各クラス2週間ずつ。
新学期から3年生のお手本のような放送に始まり、とうとう1年生の私に順番が回ってきたのだった。
もう嫌だ。何が嫌だと言えば当然この仕事だ。自称引っ込み思案は勿論、話す事も苦手なのだ。
人に話しかけられたら問題ない程度に話せる。しかし、話しかけられない、話が弾まない。
日々一緒に過ごす友達も特におらず、学校であまり声を発さない生活を送っていた。
そんな私が放送委員なんて…
「絶対横暴!絶対陰湿な嫌がらせ!」
「そんだけでかい声が出るなら放送もしっかりやれ」
いきなり聞こえた男の人の声に私は飛び跳ねて、機材に腰をぶつける。
放送室のドアを開け放ち、いかにもという仏頂面で機嫌が悪そうな男子生徒が入り口に佇んでいた。
久々に大声を出した上に聞かれたのが愚痴だなんて…!
やってしまった!と心臓を高ぶらせていればその人は私が座っている横に立ち、放送マイクを乱暴にブン取る。
そして当然の如く私に言うのだ。
「おい、マイクの電源を付けろ」
突然の事に声を無くし、かと思えばハッと急いで壁に備え付けられている機材のスイッチを押してボリュームを上げる。
すればその男子生徒は思いっきり息を吸い込み思いの丈をマイクに吐き出した。
『氷帝学園、男子テニス部全員に告ぐ!今日こそは榊監督の手解きを受けること!こそこそ逃げてんじゃねーよ、アーン︎!?』
「!?」
『っと、俺様とした事が失礼した。では、念の為もう一度言う。氷帝学園男子テニス部部員全員に通達する…』
バァン!と不協和音が聞こえそうなほど息を荒くした言葉をぶつけたと思えば、コホンと取り繕う様に改めて丁寧な言葉で話し出す彼は…
こ、この人!知らな人なのに見たことあると思ったら氷帝学園の生徒会長!!
そして関東屈指のテニス強豪である氷帝学園男子テニス部部長の跡部景吾…!さん?!
ツラツラと放送をし続ける冷静になった彼とは対照的に二人きりだという事に今更気付き慌てふためく私。
落ち着いて、落ち着くのよ私。
制服の上から、高鳴る心臓をキュッと押さえつける。
まず今の状況を把握よ。薄暗くて狭い空間に二人きり。・・・これはマズイ。
何がマズイかと説明をすると、クラスの人たちが私が放送委員で放送室に居ることを知っている。(日頃からそう意識してる人はいないと思うが…)
そして、急に跡部さんの声が放送されたって事はそれ即ち一緒にいる事がバレている!
放送は機械の鍵が無いとスイッチの切り替えが出来ないのだ!
それは職員室に常にあるが、お昼の放送の時は私がそれを持ち出している。
その事を他生徒が知っているかは置いておいて、この時の私は頭の中でグルグルと考えを巡らせていた。
彼に釘付けだった目線を一旦放送室を見渡す役割を与えてみる。
跡部さんが持つマイクのふもとには私の食べ終わったお弁当箱が畳められている。
放送委員はみんなの昼休み中に放送をするので放送委員になった人はもれなく放送室でご飯を食べる事になるのだ。
他にも情報は、と目線を移動させる。
机、壁際の本棚にはクラシックをはじめとする様々なジャンルのCDで積み重なっている。
その他先生が適当に置いた備品で、本来広いはずの放送室は人が3人も入れば窮屈な部屋になっていた。
CDやら備品やらを壊す訳にもいかないので無理に動けない。無理に動いたら絶対何かしら体に当たって壊してしまう。
人の通れそうな幅は人間一人分。生徒会長との距離、頑張って壁に身体を寄せるが1メートルも離れられない。
更にこれでもかと言うほど機材が敷き詰められている中動くと機材のスイッチやら何やらで引っかかる。
つまり無理に移動すれば不自然だし、躓くし引っかかるしCDを落としてしまうかもでとどのつまり動くことは不可能・・・!
押さえつけていた胸がこの状況に更なる高鳴りを私に見せつける。
しかも、生徒会長の跡部さんって言ったら女子生徒はじめ先生にもファンが居るっていう・・・学園の王子様だったはず!
そんな王子様はなんだかイライラした様子で、放送を終えてマイクをスタンドへ戻しているところだった。
そうだ、私はお昼休みの放送の途中だったのだ。
休みが終わるまで残り15分程、あと1曲分のクラシックを流す事ができる。
人に話しかけるのは苦手だが、業務を怠って先生に怒られる方がもっと苦手だ。
「あ、あの。放送の続きをしたいんですけど…」
蚊の飛ぶ様な声で話しかけると、彼はスッとこちらを向いて背筋を伸ばした。
初めてしっかりと目線が合う。どちらかと言うと私の方が目線を外していたのだが。
しかし、目が合った瞬間に身体がびくりと動いた。
驚いたのだ。彼の端正な顔立ちに。
男性に対して思ったことは今までなかったのだが、息をのむほどの美人だった。
彼はそんな様子の私を気にすることもなく、他に思い悩んでることがあるような顔で前髪を掻き上げる仕草をした。
「あ?・・・あぁ長々とすまねぇな」
「あっ、いえ、別にいいんです」
別によくはないのだが、思わずそう受け答えしてしまう。
自分の気持ちとは裏腹の言葉を口に出した私は後ろめたさからうつむいた。
彼は伏し目がちに私を見て言った。
「いつも放送で聞く声とは全然違うな。…生の方がいい」
えっ?と顔を上げる私の顔を彼は覗き込む。
長いまつ毛。何もかもを見透かすような、少しブルーの入った綺麗な瞳。
その瞳が私の目を捉えて離さなかった。
「スピーカーから聞こえてくる声はぶっきらぼうだが、綺麗な声だと思ってたんだ」
私はその言葉に思わずたじろぐ。
頬がブワッと火照るのが分かった。
「そんなこと言われたの初めてです」
「ハッ、確かにそうかもな」
「えっ」
彼曰く、以前から昼休みに一人で図書室に居る私を度々見ていたようで、その様子からまあ私に親しい友達がいないことを察していたという。
なんとまあ失礼な考察だと思いつつも、それは見事に当たりなのだから何も言えず。
彼の事を人づてに聞いた情報しか知らない私は、普段の自分の様子を知っている跡部さんの話に少し焦った。
そもそも自分の放送をしっかり聞いている人が居たなんて、意外だったのだ。
お昼の放送はみんな聞き流していると思っていた。それこそアニメやゲームのBGMの様に、流れていて当たり前のものだと。
彼は先ほど行った放送で少なからず部員の反応があったらしく、通知が来ているであろうスマホに一瞬目を落とたが、また私に目配せして言った。
「1年生なんだろ?その様子じゃまだまだ学園には慣れてねえとは思うが、学園生活は一瞬だ。
後悔の無いよう、勉学や部活動、そしてこの委員会の仕事をこなすことだな」
「そう…ですよね」
ドキリとした。全部図星だ。
このままでは駄目だと思う反面、なかなか行動に移せずにいた。
引っ込み思案で自分から動けないだけで、独りで過ごしたいという気持ちは微塵もなく、人と仲良くならなくてはという焦りが日に日に募っていた。
そもそも、何をしたらよいのか分からないのだ。
「まあ?お前の事は図書室で見かけた奴とこの放送の声が同一人物と知ったのは今日が初めてで、
偶然ではあるが一つ助言をしようじゃねーか」
彼は私の表情ですべてを汲み取ってくれたらしく、いたずらに微笑みながらパチリとウインクをした。
親しくもない、今日初めて言葉を交わした人間に何故こうも親切にしてくれるのか私には分からなかった。
彼はクルリと回り、マイクスタンドが置いてある机に腰を据えて体重をかける。
そして腕を組み、右手をビッと私の方に差し得意げに言った。
「挨拶だ」
「…挨拶?」
「ああ、挨拶を舐めるんじゃねーぞ?
人と人のコミュニケーションにおいて最も大切と思った方がいい」
なるほど、挨拶!
確かに会話の初めにおいても、見知らぬ人と話すにおいても挨拶はされたら返すもの!
普段はその人自身と話す話題もなく、それ故に人と話すことが全くなかった訳だが、
挨拶するだけなら会話も何も用意しなくてもいいのだ。
ふむふむと聞く私に、調子を良くしたのか彼も言葉にもまた熱が籠った。
「お前の声は聴いてて心地がいい。よく通るしな。
…上手くいかなかったら俺様に相談しな、勝手に助言をした分の責任は持つぜ」
じゃあ、と背を向け放送室を出ようとする彼に私は慌てて言葉を投げかけた。
「あ、ありがとうございました!」
「フン、どういたしまして。1年A組放送委員の倉永 聖、さん」
バタンと閉まるドアを見て、しばらく動けなかった。
どことなく埃臭い放送室の中にかすかに香る彼の残り香が今起こった事が本当にあった出来事だぞ、と告げてくれている。
私は思わず自分の手を握り締めて胸に置いた。
学校で久々に人と話した高揚感。
相手は学園の有名人。
しかも何故か名前を知られていた…。
このたった数分のコミュニケーションに終始様々な意味でドキドキされっぱなしだった…。
まあコミュニケーション下手で人との関わりが久々なのは自分自身のせいでもあるが。
深く深呼吸すると普段より部屋の中が明るく見えた。
ふと時計を見るとお昼休憩は残り10分を切っていた。
流石に音楽を流すのは厳しいかと、私はマイク前に座りいつもやっている通りにマイクボリュームを上げて告げた。
「本日の放送は以上です。担当は1年A組、倉永 聖でした」
言い終わった瞬間にハッとなる。
急いでマイクのボリュームを下げ、椅子の背もたれにズルズルと身体を預けた。
頭の中がずっとボーっとしている。自然に口元がほころぶ。
なんだ、跡部さんが私の名前を知っていたのって。
「本当に、放送をしっかり聞いていてくれたんだなあ…」
私の小さな独り言は、放送室が静かに受け止めてくれていた。
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