俺の隣に
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本日全ての授業が終わった俺の行動は本当に素早いものだったと自分でも思う。
カバンから携帯を取り出し学園の前まで車を迎えにこさせ、俺へと押し寄せる雌猫どもの波をスラリとかわす。
そして恋人のクラスへと即行で行き、有無を言わせず即行で連れ去る。
他のクラスの奴らはぽかんとした顔で俺たちを見送った。
俺の腕に抱えられた恋人は朝のようにまた顔を真っ赤にさせてプンスカ怒っている。
どうやら人前でこの俺様に接触されることが相当お嫌いの姫様のようだ。
本当は嫌じゃねえくせに。
そう耳元で囁いてやれば、恋人は潤んだ瞳でキッと俺を睨んで黙り込む。
俺は優越感に浸り恋人の頬にキスをし、ようやくたどり着いた車に乗り込んだ。
車が発進すれば、恋人は携帯を取りだし親へ連絡をしていた。
その間、俺は窓の外をボンヤリと見つめる。
やはり集中する事がないと思い出す。
嫌な気分全てを。感覚を。感情を。
何故だか目尻が熱くなって俺はハッと驚いた。
なに、泣いてんだよ・・・俺。
いや泣いていない。まだ雫が溢れたわけじゃねえ。
咄嗟に自分の心に醜い弁解をする。
けれど確かに潤った自分の瞳は存在していて…先程から恋人の目が痛い。
横を見なくても分かる。
俺様をじっと見つめてくる視線をひしひしと感じた。
ため息と同時に座席に落ちた俺の手を、恋人の小さな手が優しく包み込む。
その温かさに俺はピクリと身体を弾ませた。
「‥・あん?」
隣に座る恋人を横目で見れば、主人に傅く仔犬のように小さく、可愛らしく見えて舌打ちをした。
それから霧雨のように俺は恋人をやさしく包む。
俺の腕の中で小さく呼吸する恋人が愛おしくて、早く家についたらいいのにと思った。
そんな中、恋人はやっぱり俺が変だとか細く呟く。
俺はおかしくなんてねえ。全て、全てあの悪夢のせいだ。
こんな事を恋人に言ってしまえば笑われてしまうのだろうか。
そんなことを思った俺は、恋人の独り言を聞き流すことしか出来なかった。
「おいこら。ベッドからでろ。制服にシワが出来るだろーが」
「やだー。眠いもん」
「いいか?まず制服で寝るということは、俺様の神聖なベッドに外野から砂と埃を持ち込むという…」
「後で洗って貰おうよ。ね?」
先刻の車の中でのしおらしさは一体どこへ行ったのか。
俺の部屋へ着くなりベッドへダイブする恋人に、俺までも引きずり込まれた。
バフッというシーツの空気が拡散する音を耳元で聞けば、まあいいかという妥協の言葉が頭から出てくる。
そして隣の恋人が今日は自分から擦り寄ってくるから最高だ。
柔らかで甘いシャンプーの香りが俺の鼻を可愛く擽る。
いつものように抱きしめてしまえば、改めて俺の恋人がスレンダーだということを知った。
強く抱いてしまえば折れてしまいそうだ。
ふわりと力を解けば、今度は恋人が俺にギュッとしがみついてくる。
着ている制服がもどかしくなり、俺は恋人からブレザーだけを取り去った。
「可愛い奴…。お前こそ今日は変じゃねえの」
「ッ、いいの!」
照れる恋人の額にキスを落とせば、彼女ははっとしたような顔で俺を見上げる。
そうして少しの自慢顔をし、俺から離れ寝転び、出来上がったスペースをポムポムと叩く。
あーん?もしかして…そこに寝ろと?
男が女に腕枕させてたまるか。と俺が渋った声で呟けば、恋人は口を尖らせて催促をする。
機嫌を損なすと怖いからな、こいつは。
俺は恋人の催促に従い、細くて柔らかな腕に恐る恐る頭を預けた。
恋人は浅く笑うと、そのまま俺を抱きしめる。
今ままで感じたこともない柔らかさと、くどい程甘い香りに俺はくらくらした。
自然と目が閉じる。
身体の緊張が解ける。
自分からも恋人を手繰り寄せ、柔らかな丘にまた顔を埋めた。
カッターシャツ越しに恋人の体温を感じる。
呼吸、吐息、鼓動…全てを。
恋人の全てを求める俺を、やさしく撫でてくれる。
それだけで今朝の悪夢が嘘のように思えた。
悪い夢に捕らわれていた俺の心がそこを脱出しようと必死にもがいてる。
俺は再び熱くなる目尻が憎いと思った。
こんなんで俺は、俺は本当に。
「お前を、守れるのか。とても不安だ。・・・怖いぜ」
恋人はピクリと反応し、また俺を優しく抱き締めた。
なんだか今なら何でも言える、変な気持ちだった。
夢の中の俺は、ただ“自分の不幸”に感傷しているだけだった。
それはあくまで倉永が他の男に取られる憎さより、倉永が俺の傍からいなくなるということに。
俺は自分の不幸ばかりに目がいって、お前を守ることができなかった。
たかが夢の中のじゃねえかと思うかもしれねえが、俺はその事が恐ろしく不安だった。
今だってそうだ。
倉永が俺の傍からいなくなってしまうと考えたら。
震えが止まらない。
こんなにも辛くなるだなんて。
俺は知らなかった。
もし現実でこんなことが起こったら、俺は倉永を取り戻すことはできるのだろうか。
相手の男を殴ることは出来るのだろうか。
一瞬でも自分の立場を気にして戸惑ったら、それは俺が本気で倉永を愛していないということになってしまうのか。
醜いこの愚かな嫉妬も。俺様らしくない。
倉永はずっと俺の傍にいてくれると思っていた。
それがたった1度の悪夢を見ただけで変わっちまうとは。
思えばそうだ。
生徒会長や部長とやらで全く会えない恋人に不安を覚えない奴はいない。
だったら心優しい倉永だって・・・。
「もういいよ。跡部君」
恋人の抑制で、だらだらと語っていた俺の口はギュッと紡がれる。
少しの震えと、溢れ出す涙が止まらなかった。
情けないと思った。
渇れきって疲れきった心が潤いを求めていた。
俺は恋人を求め、また強く抱く。
「跡部君、大好きだよ。いつも傍にいてくれてありがとう」
俺の心に潤いをもたらす声が降り注いだ。
小学生でも言える、簡単で真っ直ぐな言葉に俺はそれだけで心軽くなる。
自分の単純さにただただ呆れるばかり。
先程まで沈んでいた己の心は一体何処に。
恋人の、倉永の温かな手により、俺は悪夢の呪縛からすんなりと解かれる。
もう一度、大好きだよと呟かれ、胸がいっぱいになった。
倉永こそ、いつも俺の傍で笑っていてくれてありがとう。
そう言いたかったが、俺は意識を手放しつつあった。
ったく、情けねえよな。
悪夢から解放された俺の心は安らぎに満ちていた。
今度の眠りは安らかだった。
隣に恋人がいたからかもしれない。
ずっと肌を寄せ合っていたからかもしれない。
俺は軽くなった心と共に、二人で眠りについた。
もう悪夢はみなかった。
代わりに。
大切な恋人が、俺に微笑みかける。
END 2014/10/22