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沈黙。
その間に俺は昔の記憶の扉を開いた。
栄光の日々と、苦悩の日々が俺の頭の中で再生される。
色々あったよなあ。本当に。
最初はお節介な面倒なやつだと思っていた。
けれど一つ彼女の良いところに気づくとどんどん惹かれて行って。
想いが募って、我慢出来なくなって。
俺から告白した。一世一大の告白だった。
彼女が喜ばすために色々なサプライズを考えて。
部員の皆にも協力してもらって。
そんな中、俺たちは結ばれた。
“嬉しすぎるよ・・・景ちゃん”
そう言って、彼女は泣いて、笑って、俺の恋人になった。
喧嘩もしたっけか。今思えばしょうもないことばかり。
殆ど俺の嫉妬というわがままからの発端だった。
彼女の笑顔が他の奴等に向けられるのが本当に嫌だったんだ。
それほど可憐な微笑みだった。
“景ちゃんだって他の人と笑ってるのに”
膨れっ面で、でも辛そうに、俺に文句を言う彼女に俺は何度謝り、好きだと誓い、抱きしめただろうか。
“景ちゃん!”
彼女の、俺の名を呼ぶ声が何度も何度も再生される。
人は声から記憶が無くなっていくというけれど、俺は彼女の声すら忘れたことがない。
その声は時に優しくて、儚げで、悲しくて。
俺の感情を豊かにさせる。
けれど。
彼女は突然姿を消してしまった。
学校にも部活にもいない。
教師からは交通事故だと言われた。皆が悲しみにくれる中、俺は教師の声が聞こえないでいた。
見舞いに病院に行った。部員の皆で行ったんだ。
忍足が言ったんだ。いきなり訪問して驚かせてやろう、と。
ガラリと病院の扉を開ければ。
頭に包帯を巻いて、点滴を打たされている、無惨な彼女を見つけた。
そして俺たちを見て、驚いた。
ここまでは良かったんだ。
そのまま彼女は怪訝そうな顔で訪ねるんだ。
“どちら様でしょうか”
信じたくなくて、耳を塞ぎたくなってた。
けれどお前の冷たい声は俺の鼓膜を震わした。
皆も信じられないといった顔で、彼女を質問責めにした。
当然、彼女は泣いてしまった。混乱して訳がわからなくなって泣いてしまった。
両親まで亡くして、彼女には莫大な絶望がのしかかっていた。
けれど泣きたいのはこっちだと、俺は病室の隅でその様子を眺めることしかできなかった。
心にポッカリと穴が空いてしまったようで。いや、確かに穴が空いたんだ。
そこから、俺の大切な何かが弾き出されそうだった。
黒い何かが。怖くて恐ろしい何かが。
そのままフラフラと帰ろうとする俺に、彼女は訪ねた。何の気なしに。
“あの、お名前は”
跡部だ。それだけ言ってさっさと病室を出た。
辛くてそんなお前に自分のことなんて話したくなかった。
それから彼女の見舞いにいくのは止めた。
そして彼女はそのまま引っ越して行った。
行き先は親戚の家だと知っていたから、中学を卒業して、高校生になってから訪ねた。
けれど物抜けの空だった。
俺様の情報網をなめるなよ、と直ぐに引っ越した先を特定した。
そこには名前をガラリと変えた君が住んでいた。直ぐに親戚のセンスだと分かった。
俺は孤独を胸に抱え、彼女に会わず帰った。
俺はなにをしているんだろうと自分を責めようとしたが、止めた。
そんな元気すらもう無かった。
それから数十年。
こんなところでお前と再会するなんて。
彼女の後ろ姿を見ただけで聖だと分かった自分がいた。
抱きたかった。キスもしたかった。
けど、恋人なのに結局他人同士の俺たちは、『客』として触れ合う。
そんなことを思い出せるほどの沈黙が続いた。
けれど心のどこかで俺は動揺していた。
どうして思い出しちまうんだ。ありえねぇ。
もうあれから数十年も経つんだ。
今更・・・、今更遅すぎる。
だってもう聖は他の男の物になっていて。
今だってほら。泣きながら左手の薬指の指輪を触っている。
落ち着くのか。
俺もやれるならやりてえと思ったが、自分の指にそんなリングは無かった。
目の前で、ずっと好きで、ずっと会えるように願っていた女が泣いているというのに。
今の俺には聖の涙すら拭く権利もねえ。
不意にエレベーターのモーター音が聞こえた。
それは不幸にも俺たちのいる階に止まった。
全く知らない男が降りてきて、聖のセンスの悪い偽りの名を2・3度呼んだ。
それでようやく聖は振り向いた。
そしてそのまま項垂れるように男に身体を預けた。
酔っているんだろう。
男は聖を抱きながら、すみません。とカウンターに金を置く。
男の左手には聖と同じ指輪がしてあった。
ズキリと胸が痛んだ。
どうしようもなく悔しくて、悲しくて。
泣きたくもないのに、涙がこぼれ落ちそうなのを必死に我慢した。
男はそのまま聖を抱いてエレベーターに乗ってしまおうとする。
もう、会えないのか。
もう喋れないのか。
嫌だ。連れていくな。ソイツは俺の、大切な、大切な。
恋人なのに。
「待てよ、聖!!」
俺の呼びかけに聖は1度で振り向いた。
それが無性に嬉しかった。お前はやっぱり聖なんだと。
涙が果て、赤く腫れた綺麗な瞳で俺をあおぎ見た。
さらりと長い髪が踊るのを見て、昔を思い出した。
「大好きだ。大好きなんだ。この数十年間、お前を、聖を忘れたことなんて1度もねえ!!」
行こうか、と男が聖をエレベーターへ引き込む。
そりゃそうだ。自分の妻に求愛する男なんて信用ならねえし、不安だ。
聖はどうしたら良いか分からないといった顔で男の指示に従う。
俺の目をバチリと見た。まっすぐ見た。
俺は自分の目から涙が溢れていることすら気に止めずに叫んだ。
それは俺の心からの言葉だった。
「幸せにな」
「ッ・・・!!ぁ、とべく・・・!」
聖は浮ついた手でこちらに伸ばす。
扉がウィンと閉まり、二人を下に送るエレベーター。
俺は彼女の最後の残像を記憶に焼き付けた。
終わった。
終わっちまった。
俺の数十年間に渡った初恋。
いい大人になったのに、ボロボロと涙が出てくるのはどうしてだろうな。
本当に止まることを知らねえ見たいに流れやがる。
ああ畜生。
「んだよ、いつもみてぇに激ダサと言われた方が気が楽なんだが」
「っ・・・うっせ、このアホ部!」
バーカウンターでいつまでもマスターが泣いていて、逆にこっちが白ける。
けれど俺の胸の中は熱いものでいっぱいだ。
会えないと思ってたのに会えて。
もう名を呼んでもらえないと思っていたのに。
少しだけ、思い出してもらえた。
・・・跡部くん、か。
「倉永の口から久々に聞いた気がするな」
「あぁ・・・そうだな」
けれど彼女が呼んだのは、病室で出会った時の俺に対してだ。
恋人の俺じゃねえ。
恋人同士だった時、彼女は俺の名を下の名前で呼んだ。
結果、思い出してはくれなかったが、これで良かったのかもしれない。
もし思い出していたら、俺はきっと彼女に辛い選択を迫っていただろう。
彼女に辛い思いをさせるなら、このままでいい。
俺を忘れたままでいいんだ。
・・・。
・・・どうして、今日、彼女に出会ってしまったのだろう。
俺だって、もう諦めて、彼女を思い出の人としていたのに。
昔の気持ちがぶり返す。
好きだ。
本当に、大好きだった。
本気で、生涯をかけて愛した女だった。
昔の俺は泣くことなんて考えられなかったのに、ボロボロと涙が出てくるのはやはり歳をとったからなのか。
マスターが俺にシャンパンを注ぐ。
「飲めよ、跡部。・・・昔の話でもどうだ」
「・・・ああ、そうだな。サンキュー、宍戸」
変わらない旧友とともに。
輝いていたあの頃を語る俺たちは、確かに歳をとったと深く感じた。
俺を、忘れたままでいてくれ。
そのほうが、楽だから。
END 2014/7/20