第18章
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なんだかんだと10周を走り終えたのは私と内田さんだけだった。
途中から残っていた子達もパラパラとリタイアをし、グラウンドの端で座り込んでいる。
私も後半にはゴールと同時に見るも無惨にハーハーと肩で息をし、膝に手を当ててガックシとうな垂れた。
対して内田さんは多少は息が上がってるものの、まだ爽やかにトラックを徐行して走っていた。
そんな彼女はアフターケアが終わったのかこちらにやってきて私の肩をポンと叩く。
「水、飲み行こ!…みんなも!」
彼女は周りをしっかり見て、声掛けをし、指示をする。
今日はずっと内田さんに先導して貰ってばかりだ。
凄いな…、小学生の時に陸上やってたって言ってたけどもしかして部長やリーダーも勤めていたのかな?
そう思うぐらい内田さんの指示の仕方はとても自然だった。
それなのに自分は…。
今日1日彼女に引っ張って貰っていてばかりでなんの貢献もしていない事に気付いた。
自分がテニス部に行きたいと言ったのに…殆ど内田さんに指示してもらってる…。
彼女の行動力に驚かされてばかりで、率先して動けない自分に苛立ちを覚えた。
小さい頃から引っ込み思案で、なかなか自分から前に出れなかった。
不用意な発言をして注目されてしまったり、自分の意見を否定されたらどうしようとネガティブに考えてしまって、言葉が出なくなる。
そのせいで今まで何回苦い想いをしたか。
思い出しただけでも気持ちが沈むのが分かった。
何度も何度も自分を変えたいと思った。もっともっと、理想としている自分に近付きたい…!
拳をギュッと握れば、内田さんが私を覗き込んでいることに気が付いた。
「わ、わあ!!」
「わあ!!こっちがびっくりした〜!」
ケラケラと笑う彼女はやはり明るくて人懐っこい素敵な女の子だった。
…。
思わず彼女の両手をガシリと握る。
彼女も私の行動に驚いた様で目を見開く。
「内田さんみたいに素敵な人になりたいよ〜〜!!!」
「なになに!どうしたの?!」
取り敢えず水飲みなよ〜と促され、皆んなが列を成して飲んでいた給水機に向かい、自分も水分補給をする。
久々にたくさん走ってから飲む水はとても美味しかった。
口元に垂れる水を手でクイと拭うと彼女と目が合う。
ニコリと優しく微笑んでくれ、女子テニス部の部室に戻る為に歩いている最中で、かくかくしかじかと説明する。
私の話に目をまん丸くして、そして頬を染めていた。
それから盛大に声を出して笑われた。
「あっはっは!!!私が、理想の姿〜!?やめてよ〜」
「で、でも!今日とか凄く感銘を受けて!」
「感銘て!そんなたいそうな事してないって〜」
「内田さんみたいに行動出来たら、ウジウジ悩む事も無くなるのかなって…」
語尾が弱くなる私に内田さんはムッとした表情を作って見せた。
あれ?
予想もしない表情に私はハテナマークを頭から出してまう。
「私が悩みの無い能無って言った?!今!」
「わ〜!!違う!違くて!!そういう意味じゃ!」
ワタワタと大慌てする私を見て、彼女はさらに大笑いした。
「あははは!分かってるって、面白いな〜!」
「も〜本気でそう思ったんだよ?」
ここまで笑われてしまうとなんだか凹んでしまう。
やっぱり言わない方が良かったかな…。
言ったら言ったで、やっぱりこう思ってしまうのが私の本当にダメなところだ。
ふと、彼女が歩みを止めて、頬の赤みはそのままに私に向き直る。
…?
今日初めて見る、いつになく真剣な表情を見せた後、ポワッとはにかみながら微笑んだ。
「ありがとう。そんな事言って貰うの初めて」
照れくさそうに笑い、頬を掻く彼女の事を堪らなく愛しく感じる。
ドキドキと鼓動が早くなる。
私も、会って間もない人に自分の悩みを伝えたのは初めてだし、こんな、感謝の言葉を言って貰えるなんて…。
さっきまで凹んでた心が嘘みたいに色鮮やかになる。
嬉しい、照れくさい、恥ずかしい、安心した…いろんな気持ちをぐるぐると心の中に感じていた。
再び歩き出した時、ポツリポツリと彼女も話してくれる。
「私もね、あんまり自分の性格、好きになれなくて。お調子者って言われちゃうし、うるさいって怒られちゃったりもするし」
たはは、と困った様に笑う彼女をジッと見つめる。
私は、素敵だなって思ったもん。
そう思いながら見続けていると、彼女はフッと愛おしそうに笑った。
「今日ね私も倉永さんの事、ずっと素敵だな、可愛いなって思ってたんだよ」
「?!」
思いがけぬ言葉に今度は私が足を止める番だった。
そんな様子の私を見て彼女はまた笑った。本当に嬉しそうな笑顔だった。
「教室でさ!友達とクラス離れちゃったな〜どうしよう〜って思ってたら妙に緊張した感じの倉永さんが入って来てさ」
「…?」
「ちっちゃい身体に大っきいテニスのリュック背負ってたのが可愛くて!仲良くなりたいな〜と思って声掛けてみたんだけど、話せば話すほど素直で良い子だなって思って。顔見れば何が言いたいのか大体分かるし」
「えーっ?!」
「あれ、知らなかった〜?顔に書いてあるよん!」
驚いている私のほっぺを内田さんはツンと触れると、めちゃめちゃ分かりやすいんだから!とイタズラっぽく笑う。
そ、そんなに顔に出てるかな。
彼女は短時間にいろんな種類の笑顔を私に魅せてくれていた。本当に、私にとって凄く魅力的な子だった。
私にないものを持ってる。そう思えて仕方ない。実際そうだと思う。
「…少しの勇気を出せばいいだけで、そのままの自分でいいんだよ」
ハッと振り向く。彼女の言った通りに顔に出ていたのか、私に優しく諭すようにそう答えてくれた。
出会ったばかりの私たち。
そんな事、全く関係ないみたいにスッと言葉が心に入ってくる。
じんわり温かくなった、この気持ち。
初めての感覚だった。
自分を受け入れてくれたのが嬉しい…いや、それだけじゃない。
彼女自身の弱さを私に伝えてくれたことも、心を許してくれたみたいで嬉しかった。
人にはそれぞれ向き不向きがある。それは、分かってる。
私が彼女みたいになれない事も。
彼女が私みたいになれない事も。
自分の理想の姿というのは、本当はないものねだりなのかもしれない。
けど理想に近づくために努力する事は悪い事じゃない。
理想の自分はこんな時どう動くか、どうするのか。ちょっとの勇気を持って、行動してみようかな。
“自分を甘やかすな、充実した学園生活をテメエでつかみ取れ!”
ふと彼の、跡部景吾くんの言葉が頭の中に響いた。
本当に、その通りだ。
私は彼の言葉をそっと胸にしまう。
跡部君みたいに、みんなの前でも堂々と自分の意見を言えるようになりたいな。
内田さんみたいに、明るくみんなを引っ張っていけるようになりたいな。
なりたい…じゃない、なるんだ。
少しずつで良い、変わっていこう。
「内田さんも…今のままでも凄く魅力的だよ!」
私が決意を胸に内田さんの方へ顔を向けると、彼女は嬉しそうに笑った。
気付けば氷帝テニスコートの近くまで歩いてきていた。パコンパコンとテニスボールの音が響いている。
今日このまま女子テニス部へ戻ったとしても次は何やらされるのかな…。
そんな事を考えていれば、制服を着た女子生徒達がテニスコートへこぞって走っていくのが見えた。
なにごと??
私と内田さんが顔を合わせるのと同時に、次は女の子達の興奮した叫び声が聞こえて来る。
「ねえねえ、聞いた?!跡部様が先輩を全員倒しちゃったんだって!」
「えぇ?!」
「やば!観に行こう!!」
噴水の近くにいた他の子にそう伝え、そのまま女の子たちがテニスコートへ駆けて行く。
私たちも仮入部の全員で思わず視線を混じ合わせた。みんな、観に行きたそうにウズウズしているみたいだった。
跡部君、あの勢いで先輩たちを全員倒しちゃったんだ…!
気持ちがうわずる。
彼の試合が観たい。
私もそう感じたのと同時に駆け出していた。
そう来なくっちゃ!と、内田さんも私に続く。他の部員たちも。
着いた先では、彼は制服を着た一人の男の子と試合を始めるところだった。
私たちはぞろぞろと客席へ降りていく。
そこには放課後の部活動の風景に似つかわしくないほど、人が溢れかえっていた。
まばらだけど殆どギャラリーで埋め尽くされており、ほぼ女子だが中にはちらほらと男子も混ざって感心したように彼らの試合を見ていた。
その中に先ほど意地悪をしてきた女子テニス部の先輩たちの姿も見えた。
一瞬みんなでギクリとしたが、なるべく気にしないように少し離れたところに落ち着いた。
「きゃ~!!跡部様~~~!!!」
「頑張って~!!」
既に応援団…というかファン?の人たちの声援が熱い。
彼はそれに答えるように、手を掲げ、指を鳴らす。
「勝者はオレだ!」
彼がそう宣言した途端にドッとギャラリーが湧く。女の子たちの声が鼓膜に響いて思わず肩をすくめる。
そんな中、私と内田さんはタハハと苦笑いをした。
凄い目立ちたがり屋…というか派手好きなのか。自信家なのか。
「…しのびあし?にんそく??」
そうぽつりと漏らしたのは内田さんだった。
目線はスコアボードに向けられている。
私も身を乗り出し、スコアボードに書かれている名前を目を凝らして見てみた。
確かにしのびあしって書いてあるけど、あれは…。
「人の名前だし、おしたり…じゃないのかな」
私がそう言うと、彼女はなるほど!!と目を輝かせて彼の名前を、「忍足くーーーん!!頑張って~!!!」と思いっきり叫んだ。
ッえ!?
彼女の予想もしなかった行動に私も含め、周りも驚いて彼女を見る。
コートの二人もチラとこちらを覗っていた。
「いや~逆張り?というか跡部様の声援強すぎて、あっちの彼の方を応援したくなるというか」
こういうとこだよね~と彼女が困ったように笑う。
私は思わず吹き出して笑ってしまった。
私だって、分からなくもない。謎の逆張り精神。…負けず嫌いともいう?
一緒に笑いあっていたところでそろそろ試合が始まる様だった。
よく見たらコート側のベンチ付近に廊下や学食で出会った赤髪の男の子と長髪の男の子、そして太陽のようなふわふわしたオレンジ髪の子も観戦していた。
そうか、あの子たちもテニス部に入るんだ。
跡部君からのサービスゲームのようで、彼は次々にサービスエースを決めていく。
あっという間に1ゲーム、跡部君が取ってしまった。
「え~~!?なんでなんで??そんなにすごかった?今のサーブ!確かに見えなかったけど!!」
内田さんが納得できないみたいにジタバタと地団駄を踏んでいた。
確かに彼のボールは早い。ある程度の動体視力を持ち合わせていないと、しっかりボールを目で追うことは難しいかもしれない。
けど、今の様子だと…。
「多分様子を見てたんじゃないかな…」
忍足君は私たちに対して背を向けているから確信を持てる訳じゃないけど、ボールの軌道を追っているように見えた。
様子見で1ゲーム見送ることは特別珍しいわけじゃない。
中学生プレイヤーでそんな冷静に試合をする選手もそうそう居ないとは思うけど。
私がそんなことをブツブツ言っていると彼女は私の肩を持ち、ガクガクと揺らした。
「凄い凄い!!テニスやってるとそこまで分かるの!?倉永さんが言うならその通りなんだろうね!」
「ほぎゃー!!分かった!分かったから揺するのやめて!」
私が彼女を窘めると彼女はてへへと舌を出して笑う。
まったくもー!と服の乱れを直してコートに向き直ると、コートチェンジが終わったようで今度は忍足君がサーブを打つところだった。
彼のサーブは綺麗に決まり、跡部君が打ち返す。
その瞬間、彼の手首がクイッと動くのを私は見逃さなかった。
予想通り、ボールは着地と同時に軌道とは別の方向に飛んでいく。
ボールに回転を掛けて軌道を変えたんだ。
忍足君もギョッとした様子で、踵を返す。
ローファーであの瞬発力。…凄い!
彼は少し戸惑ったものの、しっかりと反応してボールを打ち返してポイントを取っていた。
隣で内田さんが嬉しそうにぴょんぴょん飛んでいる。
私もとてもワクワクして彼らを見ていた。
人の試合をじっくり見るのはとても久々だった。
ましてや同い年の子たちの。
私も混ざりたくてウズウズしてくる。
彼らのラリーは暫く続いていた。
ポイントを決めて、決められて。
二人とも本気なのか楽しんでいるのか、口角が上がっていた。
どんどんと日も暮れていき、空は黄金色に染まり始めていく。
周りの力強い声援が続く中、私と彼女はただただジッと彼らを見ていた。
跡部君、本当にすごい。忍足君も。
中学生とは思えないくらいに洗礼されたテニスだった。
ドキドキ、ドキドキと胸が高鳴る。
それは私もテニスが好きだからか、それとも彼らのテニスに魅せられているからなのか。
多分、どっちも。好きなんだ。
途端に跡部君の目が輝いた気がして、思わず凝視する。
「くらえ!!」
両手持ちのバックハンドで強くボールを打ち返し、忍足君のラケットのグリップへと当てた。
彼の手からラケットが後ろへ弾かれるのと同時に、ボールは山なりに跡部君の元へと返っていく。
彼はニヤリと笑い、高らかに飛んだ。
「破滅への…
次の瞬間、激しいスマッシュが忍足君のコートへと叩きつけられる。
みんなの息を飲む声が聞こえてきた。もちろん私も。
彼は細く華奢な手を、顔の前に掲げて口の端をつり上げる。
「俺様の美技に酔いな」
女の子たちの黄色い悲鳴と男の子たちのドヨメキ。
私なんてもう口を手で押さえていた。
ドキドキが、心臓が口から飛び出そうだった。
うかつにも、うかつにもときめいてしまった…!
何故うかつにも!と思っているのかさえ自分でも分からなかったけど、ときめくはずじゃなかった。
彼の、テニスが良かったの…!とても美しくて鮮麗されていて、だけど力強さも感じて…。
ドキドキしていた鼓動が、浅く、早く、トクトクトクと代わっていた。
入学して早々、跡部君という人物が分かった。
天性のカリスマ性があり、とても目立ちたがり屋で派手好き…だけどその整った外見やポテンシャルからも彼に付いていく人はごまんといる。
入学式での堂々とした宣言、実際のテニスの能力。彼の自信や態度の大きさには確かな裏付けがあった。
実際今日一日で彼の虜にされた人はたくさんいる。ここのテニスコートに集っている人はそうと言っても過言じゃないだろう。
自分のうるさい鼓動と熱く感じる頬をどうにかしようと溜息を吐いたところで思わずポロっと言葉が出た。
「「かっこよかった…」」
ハッと顔を上げて、ハモった声の主を見る。
内田さんだ。彼女も頬を紅く染めていた。
お互い驚いた顔で見つめあった後、恥ずかしくなってふにゃふにゃの変な顔になる。
タハハと笑いあうと彼女はテニスコートにいる忍足君へと視線を向けた。
「彼、圧倒的に不利な立場にいたのにずっと跡部様に食らいついてポイント取ってて…。凄いな~と思ってみてたんだけど、試合終わりの楽しそうな笑顔にやられちゃった」
確かにと、私も忍足君を覗き見る。
今も彼は跡部君と談笑中だ。さわやかな笑顔になったり、呆れ顔になったりしている。
彼は途中参加だったのか、制服のジャケットを脱いだままの格好で運動に向いていないローファーのまま、確かに跡部君のテニスに付いて行っていた。
周りの環境にしてもそうだ。
氷帝の現部員、しかも氷帝レギュラーの先輩たち全員を倒し、ギャラリーをも跡部君の魅力に惹かれ応援している最中、忍足君を応援していたのは内田さんほぼ一人なのだ。
普通はプレッシャーでプレイが委縮してしまいそうだけど、忍足君にそんな様子はなかった。
彼女の言う通り、キラキラとした楽しそうな笑顔で跡部君とテニスをしていた。
「倉永さんは跡部様の事ずっと見てたでしょ」
「ッへあ!?」
変な声が出て、咄嗟に彼女の方を振り返った。
彼女はニシシと半ばいやらしくも見える表情で私を見ていた。
別に特段焦ることはないのだけど、図星なだけに妙な汗がダラダラと止まらない。
何も言わずただ焦っているだけの私を見て、彼女はまた一層意地悪そうに笑う。
「好きになっちゃったんでしょ!」
「…!!いやっ!あのその、好きじゃない!!全然!」
かぶりをブンブンと振る私を見て彼女は「本当~?」と覗き込んでくる。
本当…かどうかは正直分からない。
跡部君には朝から驚かされてばかりだった。
そのたびに私の心臓は強く反応をしていた。
好き、好意を寄せる…、確かに私の中では彼の存在は好意的に受け止めていた。
堂々とした発言や、彼のテニスなんかは特に、自分に持ち合わせていないものばかりで正直憧れる。
…憧れる!そうだこれだ!
「憧れだよ!跡部君は」
「憧れ~??さっきかっこいいってときめいてたじゃない」
「うっ…!いや…憧れでもときめきはあるよ、うん…」
私はしどろもどろに何故だか言い訳をしつつ彼女に弁解をした。
そんな私にいぶかしげな視線を送った後、彼女は客席の手すりに腕を置き、そのまま枕にするように頭を置いてテニスコートを見下ろした。
もちろん視線の先には彼…忍足君が居た。
彼女は彼に熱い視線を送ったままポツリとつぶやいた。
「私は、好きになっちゃったよ。忍足君の事」
私の息を飲む音がした。
そのあと、サァ…と風が吹き、彼女のショートヘアが風になびく。
熱を帯びた視線、彼女の柔らかな頬の紅潮、悩ましげな少し開いた唇。
恋する少女そのものだった。
暫く私たちの周りに静寂が訪れた。
実際、周りは帰り支度を始めていてポツポツと人が帰っていく。
でも、そんなこと私達には関係なかった。
私は、彼女に見とれていた。
好き…という気持ちが跡部君にあると聞かれると、それはまだ薄くて、私が今日確実に惹かれている人間は内田さんの方だった。
こんな、魅力的な女の子は今まで出会ったことが無かった。
ハッと気が付いたように顔を上げ、照れ笑いをしながら「みんなには内緒ね」という彼女に私は構わず抱き着いた。
「私、内田さんの事だーいすき!」
「…へっ!えっ!わ、私も倉永さんのこと好きよ」
「内緒にする~!応援してる!!」
「なんか倉永さんって時折テンションおかしくなるのなに??」
彼女にはいはいと窘められて、私たちも帰路に就く。
まずは着替えに女子テニス部の方へ戻らないとね~と話しながらテニスコートの客席の階段を上がる。
そのまま出口へと続く踊り場のような場所でいきなり後ろから話しかけられた。
「あれ?もしかして10周サボって試合見てた??」
「おいおい初日からサボんなよ~」
私と内田さんがハッと振り向くと、案の定そこには女子テニス部の先輩達がニヤニヤしながら立ってた。
「…10周しましたけど」と内田さんが睨みつけながら言うと、おお怖!とおどけた様に互いを見合わす先輩達。
いい加減、私もムカついてきた。
先輩たちのニヤニヤした顔を見て、私はあっ、と合点した。
ふつふつと胃が熱くなる。
周りの帰る人たちもなんだなんだとこちらを横目で見ながら去っていく。
内田さんが怒った顔をしながら言い返そうと一歩前に出ようとしてたところを、私は手で制した。
彼女はおっかなびっくりの表情で私を見る。
私は彼女に目線を合わせて頷いた。平常心、平常心。
ゆっくり息を吸って、吐く勢いで私は声に出した。
少しの、勇気持って。
「お言葉ですが…先輩たちの方こそサボりですか?」
「はあ?!」
私の言葉に、先輩たちは顔を真っ赤にして跳ねる。
まさか私が言い返すと思ってなかったんだろう。驚いたように目を見張って、それ以上何も言わずにこちらの様子を覗っていた。
私はあえて、分かりやすいように先輩たちの全身を舐めまわすように見る。
そんな様子の私に、先輩たちはギクリとした顔でこちらを見た。
「だって先輩達、制服姿でカバン持ってるじゃないですか。このまま帰る予定なんですよね」
「ああ、そうだよ!何か問題でも?」
「問題ですよ。私たちはあなた達の指示でグラウンドまで行きましたけど、そのあとどうするつもりだったんですか?」
「…!」
「走り終わって帰ってきたら先輩たちが居ない…。そんなちゃちな嫌がらせをしようとしてた訳ではないですよね?」
今度は内田さんが驚いて口を押えていた。
周りの、見てた仮入部の子たちも。
先輩たちは図星みたいで、ぐうの音も出ない。そんな情けない顔をしていた。
私ももう一度、息を吸って吐いて。言いたかった言葉を言う。
先輩たちの目を見て。
「…申し訳ありませんが、入部は辞退します。こんな人たちと一緒にテニスが楽しめる筈がありません」
先輩たちがキッとこちらを睨む。そのまま口を開こうとしたけれど、周りの様子を見て、唇を嚙み締めていた。
私もふと見渡すと、周りにいた誰もが先輩たちに厳しい視線を送っていた。
仮入部の子なんかは信じられないといった様子で涙目になっている。
先輩たちもさすがに分が悪いと悟ったのか、終始無言の早歩きで、私を突き飛ばしてそのまま出口へ向かっていった。
私は突き飛ばされた勢いで、よろめいて地面へ倒れそうになる。
「倉永さん!」
「ッ…!」
内田さんの悲鳴にも近い、私を呼ぶ声が聞こえた。
思わず目をつぶったところで、地面の衝撃はなかなか来なった。
代わりに訪れたのは誰かに肩を抱かれている感覚。
それどころか、周りからキャア!と興奮したような歓喜の悲鳴が聞こえた。
恐る恐る目を開けば、深く青い瞳の彼の目が私の瞳に飛び込んできた。
えっ!?
彼、跡部君はラケットを小脇に抱え、もう片方の腕で私を支えてくれている。
表情は…何故だかとても面白い物でも見たかのように口元に弧を描いていた。
私は慌てて体制を整えると、おずおずと彼を見た。
「あ、ありがとうございます」
「礼にはおよばねえ。お前、なかなか言うじゃねーの」
フッと笑う彼の笑顔にドキンと胸が高鳴る。
今日見ていた人、話題の人物が今隣に立っている。そんな意味でも私の心臓はバクバクと騒がしくなっていく。
改めて隣に立つと…普通の男の子にもみえる。
ただ、身から漂う気品とカリスマ性が彼を只者にはさせない。
背丈はほぼ私の変わらず、強気な表情。近くで顔を見ても、とても整った顔立ちをしていた。よく見たら目元には泣きボクロがある。
美人とはこういう人の事を言うのかな…。
彼は私の顔をジッと見た後、口を開いた。
「お前もテニスすんのか?」
「あ…はい」
「だったらいつかオレ様に挑戦して来いよ。受けて立つぜ」
行くぞ、樺地。と後ろにいた幼稚舎の制服を着た大きな子に声を掛けて出口から去っていく。
周りも、ようやく一騒動が終わったかと帰り始める。
私は、ただポーッとその後ろ姿を眺め続けていた。
憧れ?…尊敬?本当にそんな気持ちなのだろうか?
「聖!」
急に名前を呼ばれて、思考から現実へと引き戻される。
私を呼び掛けた声の方へ振り向くと、そこのには内田さんがにこやかに立っていた。
彼女はこっちに駆け寄ると、私を抱きしめた。
暫くぎゅっとした後に身体を離す。
彼女は私の肩を両手で掴んだまま興奮しているように喋った。
「ちょ~~~カッコ良かったよ!聖!」
「ほんと…色々緊張した…!あ、あと名前…」
名前で呼ばせて!と彼女は屈託のない笑顔で私を見つめる。
私は何だか今日一番嬉しくなって、満面の笑みで頷いた。
「これからよろしく!リナ!」
「私も!聖!」
私達はこの入学式の日の出来事がきっかけで仲良くなった。
女子テニス部はこのことがきっかけか、はたまた日々の積み重ねがいけなかったのか、暫くしてから廃部になった。
一部ではこの騒動を終始見ていた跡部君が裏で手を回して廃部にさせたのではと噂をされていたけど、私は違うと思う。
なるべくしてなったとしか、思えなかった。
結局、私が氷帝でテニス部に入ることはなく、また跡部君に挑むこともなかった。
入学して暫くしてから数か月も経たない内に、私にテニスを教えていた父がまた海外に行くと言い出したのだ。
いつもこうだ。日本へ帰ってきたと思えばすぐまた海外へ行ってしまう。
私も毎回付き合ってはいたけど、今回は前向きになれなかった。
”充実した学園生活をテメエでつかみ取れ!”
跡部君の言葉が脳内でリフレインする。
この言葉がどれだけ胸に響いたか。
幼少期から海外のあらゆるところを転々としてきた私にとって、同じスクールで長期間同級生と過ごしたことはなかった。
今回、氷帝学園で大切な親友も出来た。憧れ…尊敬できる人も。
この場所を離れたくない。私はそう強く思った。
それを両親に説明すると、大層喜んでくれた。
そのまま、あとはよろしく!と2人して海外に旅立ってしまった。
基本海外で生活して、私の学校の長期休みに合わせて帰ってくるぐらい。
小さい頃からずっと両親と一緒にいたからか、不思議と日頃の生活では寂しくならなかった。
ただテニスは父がきっかけで始めたものだったから、その父が日常にいないのは初めてで、どんどんテニスとは疎遠になってしまった。
そうこうしてるうちに3年生になって…。
跡部君と初めて同じクラスになって。
また、テニスと触れ合って。
楽しい。
毎日が、楽しい。
これが充実した日々?
…。
あれ?
私、今何してるんだっけ。
立海のみんなと練習試合することになって…。それで…。
段々と入学式の、あの日の温かな記憶が遠ざかっていく。
いや、むしろ思い出していたんだろうか?今まですっかり忘れてた…。
身体が震え始める。寒い。とても寒い。
苦しい…?息も出来ない。
息を吸おうと口を開けば、ガボガボと口に水が入る。
たす、けて。
そう叫びたかったけれど、叶わなかった。
______________
ブハァ!!と勢いよく水面に顔を出す。
川に落ちて、流されて。ようやく穏やかな水流の場所にたどり着いたようだった。
俺は今まで足りなかった空気を思いっきり吸って、頭を働かせる。
「…!先輩!倉永先輩!!」
周りをキョロキョロと見渡しても彼女の姿は見えない。
あ~~どうしよう!どうしよう!完全に俺のせいだ!!
焦る頭の淵で、片腕がやや重たいことに気付く。
まさか!
水中に潜ってみると俺の腕を意識を失いながらも掴んでる倉永先輩がそこにいた。
良かった!本当に良かった!
俺は倉永先輩の腕を引っ張り、水面に顔を出させる。
けど先輩はぐったりしたまま青白い顔をしていた。
やばいやばい!やばい!
彼女の脇に自分の腕をくぐらせて、徐々に岸に泳いでいく。
すると不幸中の幸いか、河原に近づくにつれて川も浅くなった。
そのまま自分が先に上陸し、倉永先輩を腕を持ち上げてずるずると河原へと運ぶ。
「倉永先輩!起きてください!倉永先輩!!」
俺はすぐさま声を掛けたが、変わらずぐったりとしていて反応はなかった。
ああ!こういう時なにすればよかったんだっけ~~!副部長の話ちゃんと聞いておけば!!
前になんか言ってた気がすんだよな~~!と自分の濡れた髪をボリボリと掻く。
彼女の顔をジッと見る。するとハッと脳裏に浮かんだ!
そうだ、人工呼吸!!
バッと横たわる倉永先輩の隣に行き、顎を持ち上げる。
持ち上げるまでは良かったんだけど…。
…人工呼吸って、いわばキスだよな…!?!?
顎を持ち上げ軌道を確保して??
あ?その前に呼吸の確認か??
倉永先輩の口元に耳を近づけても呼吸音は聞こえない。
サーっと自分自身の血の気も引いていく。
鼓動!!鼓動確認もだ!!
バッと先輩の胸に耳を押し付ける。
「柔らかい…」
じゃなくて!!心臓はちゃんと動いてるみてーだな。
とくん、とくんと静かに動いている音が聞こえる。
この鼓動が正常なのか異常なのかは分からねーけど、動いてるからよし!
やはり人工呼吸をしなくちゃならねーみてーだな。
思わず、ずぶ濡れのジャージの裾で自分の顔をぬぐう。
そっと倉永先輩の顔の近くに近づき、顔をのぞき込む。
やっぱかわいー。ってか跡部さんの女に俺が勝手にキス(人工呼吸)してもいいのか??
跡部さんの女か確証はないが、アイツが女を連れてくるなんてやっぱり只の女の訳が無い。と俺は思っていた。
遊園地で会った時もそうだ。氷帝のレギュラーとわざわざ遊びに来ているなんて、ただもんじゃねーと。
でも彼女がもし、このまま死んだら?
それこそ取り返しがつかない。
氷帝のやつら…全員で200人って言ってたか。
そいつらにボコボコにテニスボールでぶつけられたら、いくら俺でもただじゃ済まねえ。
その前に、真田副部長や柳先輩に…。
ひぃぃ!!と情けない声が出るのと同時に腹を括る。
「倉永先輩、失礼します!!」
彼女の顎を持ち、鼻をつまみ、俺は息を吸った。
そして彼女の唇に、俺の唇が―――。
「ッ!ゴホッゴホッ!!」
重なる前に倉永先輩は自力で意識を取り戻した。
彼女が噴き出した水が俺の顔にびっしょりと掛かる。
これは、これで間接キスか?と瞬時に考えてしまう思春期の自分に嫌気が差す。
ゼーハーと辛そうに息をする倉永先輩に俺はハッと抱き起した。
「倉永先輩!倉永先輩良かった!すみません、俺…」
「ッ…き、桐原君…?無事で、よかった」
「!まず自分の心配してくださいよ!!大丈夫ですか?!」
抱き起した倉永先輩は辛そうにヒューッとした呼吸音を繰り返してながら頷く。
どう見ても大丈夫ではないように俺は見えた。
あまりにも青白い。
思わず彼女の手を握る。
驚くほど冷たかった。
俺の方が断然体温が高い。
同じぐらい川に浸かっていたのに何でこんなに差が??
不安に思って先輩の顔を見ると、首に赤いものが見えた。
…?
昼間はポニーテールにしていた髪が、川に落ちた衝撃で解けてしまっていた。
「…先輩、ちょっと失礼しますよ」
俺がそう言っても倉永先輩はただ浅く呼吸を繰り返すばかりだった。
首筋の髪を避けるとそこにはべったりと血が付いていた。
…!!
彼女が横たわっていた河原をよく見ると、頭を置いていた部分にはしっかりと血が溜まっていた。
「先輩!怪我、したんすか!!」
「…川に落ちた時に、頭を底の方で打ったみたいで…」
息も絶え絶えに先輩はへへ…と笑う。
いや笑っている場合じゃないって!
先輩は身体をカタカタと震わせている。
そうだ、まずは身体を温めないと…!あと止血はどうすりゃ?!
俺がわたわたしていると先輩が察してくれたみたいで、辛そうにしながらもポツポツと話してくれる。
「頭の、止血は清潔な布で数分間抑えれば…ッいいんだけど」
「分かりました!!」
俺は聞くや否や来ていたジャージを脱ぎ、ジャーっと水を思いっきり絞りパンパンッと水を切る。
そのまま畳み込んで、倉永先輩の後頭部へと押し付けた。
「ッえ!それ桐原君の大切なジャージじゃ…」
「そうスけど、命には代えられませんて!」
俺がかっこつけようとウインクすれば、先輩は血の気のない顔で微笑む。
そうだ、身体も温めないと…。
こういう時は男女が裸で抱き合って…温め合うという手法が脳裏をよぎる。
だけどさすがに裸はな~…先輩が嫌がるだろうしな~。
俺は別に構わねえんだけど~。
と思いながらも俺は倉永先輩の頭を抱えながら近くに座り込み、俺の足に先輩を乗せる。
そのまま抱きかかえれば、服同士がくっついて一瞬ひんやりするも、暫くすればお互いの温かな体温を感じることが出来た。
先輩も身を預けてる方がやはり楽なのか、俺の肩に頭を埋めて落ち着いた呼吸を繰り返していた。
片方の手を先輩の腰に回し抱き寄せて、出来るだけお互いがくっつく面積を増やす。
っは~、先輩細~。ちゃんと飯食ってんのかなあ。
時間が経つのに連れて段々と先輩の呼吸も落ち着いてくる。
身体もそこそこ温まったみたいで震えるほどでは無くなったみたいだった。
空を見上げると川に落ちた時は夕暮れだったのに、すっかり暗くなり始めている。
これ以上遅くなると帰りの道が本当に分かんなくなっちまう。
「…倉永先輩、そろそろ移動しますよ。背中に乗ってください」
「あり、がとう」
止血していた手を離すと、出血は今のところ収まったみたいだった。
そのまま先輩をおんぶすると俺は歩き出す。
落ちたところは崖になっていたけど、ここの河原はそのままなだらかに森へ続いていた。
だけどどれぐらい流されたのか、今どこにいるのか、俺には全く分からなかった。
「ここの山、川はだいぶウネっていて、結構流された感覚はあるけど、テニスコートからはそんなに離れてないと思うんだよね」
倉永先輩がポツポツと話し、あっちの方向じゃないかなと俺の肩越しに森の先を指さす。
先輩の指示を頼りに、俺たちはまた森へと歩を進めた。
暫く獣道とも言えない森をさまよう。
「真田ふくぶちょ~~!柳せんぱ~い!!」
声を上げながら。少しでも早く見つけて貰うためだ。
「跡部さーん!!」
もちろん返事はずっと返ってこない。
けど、声を張り上げないとこっちが不安で潰れそうだった。
もう、どっぷりと日も暮れてしまっていた。
「先輩、こっちで合ってますかね」
肩越しに先輩に聞く。
先輩は何も答えない。さっきまでは指示してくれていたのに。
俺は驚いて何度も「先輩!?倉永先輩!?」と声を掛ける。
ふと、肩から生暖かい感覚がして、ハッと自分の肩を見る。
真っ赤だ。血だ!
止血が甘くてまた出血したんだ。
耳を澄ますと呼吸はしてるみたいで、とりあえずそこだけは安心する。
けど俺は不安から、既に駆け始めていた。
誰か!早く!倉永先輩を!!
足元でバキバキと小枝が折れる音がする。
ふくらはぎや太ももに枝が切りつけてくる感覚もある。
そんなもの、どうでも良かった。
俺を助けてくれた先輩を、倉永先輩を救いたかった。
先輩は頭を川底で打ったって言ってたけど、俺のせいだ。
俺をかばって抱え込んでくれていたことは覚えていた。
そのせいで先輩は頭を打ってしまった。
半ば泣きそうになりながら、俺は走っていた。
ハッと目の前をよく目を凝らすと、なにやら光が見える。
チラチラと木々の間から数個…。
あれは、懐中電灯の光か?!
「真田副部長!!柳先輩!!仁王先輩!!!」
ありったけの大声を上げて、俺は全力疾走した。
すると聞こえたみたいで光が一斉にこちらを向く。
「赤也!赤也か!?」
聞き慣れた、真田副部長の声が遠くから聞こえる。
普段は声を聴くたびに身を縮めさせる思いだが、今ばかりはさすがに安心した。
あちらもこっちに駆けてきてくれているのが分かる。
俺も負けじと走る。
すると、とうとうみんなの姿が見えた。
俺は既に泣いていた。
「赤也!!…倉永!」
俺はそのままの勢いで真田副部長の胸元へとダイブした。
そんな俺をがっちりと受け止めてくれる。
柳先輩や仁王先輩、柳生先輩もすぐさま駆けつけてくれた。
良かった!見つかった!!と安堵するみんなの声を搔き消して、俺は叫んだ。
「倉永先輩を!早く!!助けてください!!」
真田副部長が、みんながハッと俺の背中でぐったりしてる倉永先輩に目をやる。
ああ、よかった。
みんなが居れば、もう、安心だ…。
俺は、そのまま副部長の胸の中で気を失った。
第18章 END 2024/09/25
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