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第一部

 しかして、朝日が昇りだすその道中で、マサタミはこれまでにない異変を感じ始めた。本来、村や町というものは、領主の膝元である都から近ければ近いほどに栄えていく。人の行き来が盛んになり、様々な品が集まって、商人たちは道の脇に店を連ねては、威勢のいい声で通りを行く人々を呼びこむ。だというのに、都への距離が縮まれば縮まるほど、マサタミが立ち寄る村や町からは活気が消えていく。通りに並ぶ店の戸は固く閉ざされ、道を行く数少ない人々は一様に虚ろな目をし、マサタミの姿を目に留めると、たちまち逃げだす。

 マサタミは、幼少より人々から避けられることを多く経験してきた。今さら、逃げ惑われても悲しみを覚えることはない。だが、疑問はあった。彼らは、真にマサタミが生まれもつ異形の容姿を恐れたのだろうか。なぜなら、マサタミがそれらの村や町を訪れるのは初めてのことではなく、以前はこのような扱いはされていなかったのだから。お武家様あんたはたしかにちいとばかり妙な形ですがねどんな形をしていたってあんたが武勲のあるお武家様だってことに変わりはしないんでさあ、払いの良い客を追っ払おうなんて馬鹿な商人はいやしませんって――

 疑問の答えが出たのは、マサタミが都を目前にしたころ。静まり返った宿場町を通りがかったときのことだった。

「返せ!」

 威勢のいい声がしたかと思うと、小さな石が馬上のマサタミを目がけて飛んでくる。マサタミが首をひねってそれを避ければ、小石はさらに数を増した。

「返せ、返せ、父ちゃんを返せ!」

 叫びながら石を投げつけてくるのは、薄汚れた着物を着る一人の子ども。けれど、マサタミは子どもがしきりに繰り返す言葉に、目を眇めた。

「なんのことだ」

「とぼけやがって! 領主の命だなんだって言って、おまえらが売りもんも、食いもんも――父ちゃんも、みんな奪ってったんじゃないか!」

 激昂する子どもが、石を握った手を振りかぶる。放たれた小石はホウリの顔に当たり、鋭いいななきが宿場町に響き渡る。マサタミは、とっさに手綱を引いた。「どう、どう」

 幸い、ホウリは暴れることなく、すぐに落ち着きを取り戻したものの、未だ子どもは石を握りしめている。マサタミはホウリの背から降り、子どもとの間に立った。瞳に宿る憎しみを燃やし、子どもはマサタミを睨みあげてくる。向けられる敵意の眼差しを一身に受けながら、マサタミの胸は妙なざわめきを覚えていた。

「その話、詳しく聞かせてくれねえか」

「お武家様。それでしたら、どうか私めにお話しさせていただけませんか」

 ホウリのいななきを聞きつけたのだろうか。人気のない道の真ん中には、白い顎ひげを蓄えた老人がたたずんでいた。「ここでは少々都合が悪い。私の宿へいらしてください」

 わずか、人目を気にするような素振りを見せた老人に、マサタミは静かにうなずき、ホウリの手綱を握る。マサタミに引かれて歩くホウリの足音だけが、静かな宿場町に響いていた。

 馬屋にホウリを繋ぎ、マサタミは老人の宿へと足を踏み入れる。町同様に、その中はしんと鎮まり返っていた。客はおろか、下男や下女がいる気配すら感じられない。

「どうぞ、こちらです」

 老人にうながされて進んだ廊下の先にあったのは、人気のない厨房だった。

「少々お待ちください」

 壁際にある棚へと近づき、その側面を老人の細い腕が押す。一見、壁に固定されているかのようだった棚が、ゆっくりと動いた。壁に、ぽっかりとした穴が空く。屈みこむことで、どうにか人ひとりが通り抜けられる程度の穴だった。

「隠し部屋か」

 小さく、マサタミは呟いた。

「もともとは食料をしまっておくための部屋でした」老人が、悲しそうに笑った。「どうぞ、中をご覧になってください」

 言われるがまま、マサタミは身を屈めて穴を潜る。マサタミの伸びた角がぶつかり、壁にかすかな傷をつけた。そうして、かつては食料庫だったという部屋へと入ったマサタミは、目をみはる。部屋の四方を囲む壁に立てかけられているのは、大よそ町人には縁がないはずのものだった。鞘に収められてはいても、マサタミの眼前に並ぶ無数の刀剣類は、灯りを照り返して鈍く鋭く光っている。

「こいつは、どういうことだ」

「あなた様であれば、おわかりになられるはずです」

 マサタミの後に続いて部屋へと入ってきた老人は、静かにマサタミを見つめて言った。「東雲領主の横暴を知り、耐え忍び続けてきた霊獣の子――カガミハラマサタミ公。ほかでもない、あなた様であれば」

 老人の目には、いつしか、鋭い光が宿っていた。それは冴え渡る三日月のようであり、今はこの部屋で眠る刃がもつ鋭さ。追い詰められた生命が見せる、覚悟の光。

「領主に、反旗をひるがえす気なのか」

 部屋にひとつしかない出入り口でたたずむ老人を見おろし、マサタミが問えば、老人は鋭すぎるその目を閉じた。

「正しくは、そのつもりでした。集まった一揆衆とまとめ役が、領主の命で都へ連れていかれるまでは」

 そこでようやく、マサタミは先刻の子どもが叫んだ言葉の意味を理解した。おそらく、カゲアキは民たちが企てる一揆の情報を、どこかで手に入れたのだ。そして、一揆衆を粛清するべく、自身に忠実な武士を使って都へと連れ去った――

「今や、この町に残っているのは、私のような老いぼれと、女子どもと、冬を越すこともできぬわずかばかりの食料だけでございます」

 壁にかけられた一振りの刀を手に取り、老人は言った。薄く開かれた瞳が、悲しげに刀を見つめている。

「衆のまとめ役だった私の息子も、もはや生きてはおりませんでしょう。この國の領主は、我々を殺す気なのです。なればこそ、私はあれの意志を継がなくては」

「よせ」

 目を眇め、マサタミは低く言った。

「この町の奴ら全員が立ち向かったとしても、勝ち目はねえ。無駄死にするだけだ」

 瞬間、老人が声を荒げる。

「ならば、どうすればいいとおっしゃるのか! このままでいたところで、我々に待つのは死なのです!」

「だからって死に急ぐ理由もねえだろうが!」

 怒号をあげ、マサタミは老人の手から刀を引ったくった。老人が、おどろいたようにのけぞる。マサタミの手には、刀独特のずしりとした重みがのしかかった。知らず、歯を食いしばる。しんとした沈黙が降りた。

 どうしようもないほどの怒りが、マサタミの腹の底から、ふつふつとわきあがる。それを感じ取ったのか、否か。刀を奪われた老人に言葉はなく、呆然とマサタミを見あげるだけだった。今にも叫びたくなる思いをこらえようと、こぶしに力をこめる。こぶしが、ふるえた。

 やがて、マサタミは静かに口を開く。

「あんたらが握るべきなのは、生きるための、生活するための道具だ。こんな殺し合いの道具じゃねえ」

 大きく、老人の目が見開かれた。マサタミの手中に移った刀と、先刻までそれを握っていた自身の手とを交互に見やる。顔はみるみるうちに青ざめ、ふるえる唇の奥で歯が鳴りだした。老人とて、握りたくて握ったものではないのだ。平凡な町民として生きてきただろう人間が、他人と殺し合うことを恐れないはずがない。だのに、老人はかすれた声で言い募る。

「ですが」

「俺が、話をつけてくる」

 老人のそれを遮るようにして、マサタミは言葉を放った。ゆらりと、部屋を照らす燭台の火が、揺れる。マサタミは言った。自分も領主からは毛嫌いされているが一揆を企てていた領民が直談判するよりは良いはずだと。領主が長年要求してきた霊獣の力を行使することも辞さないと。けれど、もし、

「それでも、聴く耳をもたねえようなら――この國の領主は、俺が討つ」

 マサタミを映す老人の瞳から、涙がこぼれた。

「今の話、本当なのか?」

 壁の穴を潜り、マサタミが再び厨房へと戻ったとき、目の前には、町で石を投げつけてきた子どもが立っていた。その手に、もう石は握られていない。まっすぐにマサタミを見あげ、子どもは、ただ繰り返し問いかけてくる。

「本当に、領主を殺してくれるのか?」

 子どもの後ろには、それまで息を潜めていたのであろう町民たちが並び、じっとマサタミのようすをうかがっている。マサタミはその場に膝をつき、子どもと目線を合わせた。

「武士に二言はねえ。おまえらが虐げられ続けるのなら、俺は領主を討って、この國を治める。それが、俺の守るってことだ」

「負けたら、承知しねえからな」

「誰に向かって口利いてんだ」マサタミは笑った。「本当に、威勢のいいガキだ」

 宿場町を立つマサタミに、町民たちは残り少ない米を炊いて作った握り飯を持たせた。道中で食べてほしいと言われ、マサタミはこれを大事に懐へしまった。町長でもあった老人は、しばし思い悩んでいるようすだった。しかし、やがて何か覚悟を決めたような面持ちで、懐から一振りの短刀を取り出すと、それをマサタミに差し出した。かすかに甘く香る木の鞘には、見慣れない文字と文様が、いくつも彫りこまれている。

「こいつは?」

「霊樹と呼ばれる木を鞘に使った短刀でございます。話によれば、霊樹とは霊獣に力を与えるものだという。あなた様こそ、持つにふさわしい代物でしょう」

 マサタミは、霊獣に関する知識をシノやトオイリの文献から得ている。だが、「霊樹」というものについては初耳だった。受け取れば、木の鞘は不思議としっくり手に馴染む。どこで手に入れたのかと問うと、老人は遠い目をして言った。

「幼いころ。私が流行病で生死の境を彷徨っていたとき、宿に泊まっていた一人の娘から預かりました。病を払ってくれるからと」

 以来、老人の病はみるみるうちによくなり、町中に蔓延していた流行病そのものがなくなった。しかし、老人に刀を預けた娘は忽然と姿を消していた。宿代と、一通の文だけを残して。

 ――ぼうや、その刀は決して誰にも渡してはいけないよ。大切に、大切に持って、いつかぼうやに必要がなくなったとき、私が受け取りにいくよ。

 老人が持つ古びた紙には、見覚えのある筆跡で、そう言葉が綴られていた。刀を握るマサタミの手が、ふるえる。おちびさん。懐かしい声が、耳の奥でよみがえる――

「約束を破ることにはなりますが、相手があなた様であるのなら、きっとあの娘は許してくれる。そんなような気がするのでございます」

「そう言ってくれるか」

「ええ、マサタミ公。どうしてか、あなた様を見ていると、あの娘が語ってくれたことを思い出すのです」

 その娘が、かつて老人に何を語ったのか、マサタミにはわからない。なぜ、その年月を感じさせない姿で、在りし日の己の前へと現れたのかも。今は、ただただ胸が詰まる思いだった。

 ホウリで駆けること、二刻ほど。城下へ到着するころには、再び日が暮れていた。ところが、どうにも妙だった。城下の町に人の影はなく、家々に明かりが灯る気配もない。取って代わるように町中を漂うのは、異臭だった。マサタミは、このにおいを嗅いだことがある。だが、それは民たちが賑やかに生活を営む場ではない。凄惨な光景が広がる静かなる地でのことだ。宵闇の中で白く浮かぶ雪さえ、ここでは黒く染まり、ホウリの蹄が踏みしめるたびに水音が響く。知らず、マサタミの表情は険しくなっていった。

 開け放たれた城門の付近にも見張り一人おらず、マサタミはホウリをそこに残して、明かりのついた城内へと進む。マサタミが城内へ入ると、それを待っていたかのように、一人の女が現れた。純白の嫁入り装束をまとった若い女だった。凜とした空気をまとっているが、じっと顔を伏せているために、表情はうかがえない。

「カゲアキ様が、お待ちでございます」

 女は、短く領主の名を口に出し、マサタミをうながした。「こちらへ」

 町で嗅いだ異臭は、城内にも満ちていた。床や壁には、赤黒く変色した血痕がこびりつき、城の奥へ進むほどにそのにおいは強くなっていく。一方で、マサタミの前をゆく女は、それらには目もくれず、怯える風もなかった。嫌な予感に、マサタミの胸はざわめき立つ。

「城の者はどうした」

 マサタミが問うと、女は答えた。

「死にました。主様の命にございます」

「領主が死ねと命じたのか」

「いいえ、私が殺しました」

「おまえが?」

 マサタミはおどろいて、自分よりも小さな女の背を見やる。女は背筋を伸ばして先をゆくだけで、振り向くことさえなかった。

「骸はどうした。それもおまえが弔ったのか」

「いいえ、食らいました」

 それはどういう意味なのか。しかし、マサタミが女を問いただすことは叶わなかった。

「――主様、お連れいたしました」

「入れ」

 部屋の前で立ち止まった女の呼びかけに、男の声が返る。女は顔を伏せたまま、マサタミに道をあけた。マサタミは女を一瞥した後、すぐに意識を部屋の奥にいるだろう領主へと向ける。そうして、戸に手をかけた瞬間、つんざくような悲鳴が耳を打った。

 開いた戸の向こうで、血しぶきが舞う。頬に飛んだ生温かいそれを、マサタミは拭うこともできずに呆然と立ち尽くした。

 おそらくは、小姓だったのだろう。床に崩れ落ちた若い男は、すでに事切れたのか、ぴくりともしない。その亡骸を、冷たい目をした壮年の男が見おろして立っている。男はマサタミを見やると、手にした刀を振り、滴る血を払った。

「こうして直に会うのは初めてになるか。よく来た、マサタミ。東雲領主として、城主として――このカゲアキ、おまえを歓迎しよう」

 たった今、丸腰の民を切り捨てておきながら、微笑さえたたえてみせる眼前の男に、背筋が粟立つ。もはや、マサタミには事を穏便にすませるという選択肢などなかった。

「何の真似だ」

 低く、獣の唸るような声が出る。

「気でもふれたか、ウシトラカゲアキ」

 対して、カゲアキは鼻で笑っただけだった。

「おまえがそれを言うのか。狂気の末に生まれた霊獣の子よ」

 人が霊獣に惹かれ、霊獣が人に惹かれる。異なる種族が交わり合う。それらを狂気と呼ぶのならば、マサタミは返す言葉をもたない。だが、マサタミは、これがカゲアキの挑発であることを見抜いていた。

 マサタミは、ただ黙してカゲアキを睨むだけに留まり、カゲアキは、これをおもしろくなさそうに見る。「ふん、小蛇が」

 侮蔑のまなざしは、しかして、マサタミを通り抜け、部屋の外にたたずむ女へと向かった。嘲りの笑みが、浮かぶ。マサタミの背後で、女の息を呑む声がした。

「馳走だ、食え」

 舐め回すかのような、陰湿な口調が女に命じる。吐き気がした。だが、それ以上に、カゲアキの言うことの意味がわからない。怪訝に眉を寄せたとき、女があわただしくカゲアキの前へと進み出た。膝をつき、手をつき、女は深く頭を垂れる。

「主様、お言葉ではございますが」先刻までの淡々としたようすからは想像できないほどに、女は動揺していた。「どうか――どうか、この子の前でそのようなことは――」

 ざわりと、総毛立つような殺気を感じた。

「私の命に従えぬというのか、この獣風情が!」

 カゲアキの怒号に、女は頭を垂れたまま、動かない。きっちりとそろえた指先は白くなり、背中はふるえている。いっそ、哀れなほどであった。ふつふつと、マサタミの腹は怒りに煮えたぎる。

「ウシトラカゲアキ。てめえは、民をなんだと思ってやがる」

 カゲアキが失笑した。

「民? これが、民だと?」

「何がおかしい」

「小蛇よ、きさまは大きな勘違いをしている。これは、人ではない。畜生だ。きさまと同じ、畜生なのだ」

「てめえ」

 怒りにまかせ、マサタミは刀に手をかける。すると、カゲアキは陰鬱になるような顔で言った。

「そう急くな、小蛇よ。きさまに良いものを見せてやろう――喰らえ、シラヌイ」

 絶叫があがった。高く、女の声をしたそれは、やがて、低く、聞いたこともないようなものへと変わってゆく。マサタミは驚愕に目をみはり、悶え苦しむ女を見ていた。

 長い黒髪を振り乱し、女は狂ったように声をあげ続ける。白いうなじに、なにか、鱗のようなものが現れたかと思うと、瞬く間に女の全身へと広がり、その華奢な身体は肥大化していく。

 いつしか、そこに女の姿はなくなっていた。在るのは、巨大な生きものであった。その体躯は、蛇行し流れる川のようにうねり、燭台に灯る火に照らされ、マサタミの上に黒々とした影を落とす――角は折れ、鱗のほとんどが剥がれていたが、その姿は幼き日に紙の上で見た存在と、とてもよく似ていた。

 ぞろりと並ぶ鋭い牙をのぞかせ、耳まで裂けた口が死に絶えた小姓を食らう。血しぶきが床を濡らし、粘着質な水音が部屋を支配する。カゲアキが、高らかに笑う。言葉をなくして立ち尽くすマサタミを、カゲアキはひどく滑稽そうに見ていた。

「どうだ、小蛇。いくら上手く人の真似事をしていようと、所詮は獣よ。きさまの中に流れる血の本性もまた、これと同じなのだ」

 カゲアキは、猫撫で声で言う。なぜならばこの畜生はほかならぬきさまの母親なのだから――

 その一瞬、マサタミはカゲアキの言葉を理解することができなかった。今、ここで骸を食らう哀れなみすぼらしい龍が、自分の母親であると、信じることができなかった。

「母、上――?」

 呆然と、口からこぼれた言葉。無心に骸を食らっていた龍が、ぴたりを動きを止めた。長い首がねじれ、血の滴る顔がマサタミに向けられる。金色に輝く瞳が、哀切に揺らいでいた。

『タツ。おまえは、本当に大きく、立派になった……私のこんな姿など、見せたくはなかったというのに』

 ふいに、マサタミの頭にひらめくものがあった。

「角を折ったのは、その男ですか。鱗を剥ぎ、あなたを縛り、城の者を殺させたのも」

 龍は、答えなかった。金色の瞳を伏せ、涙するだけだった。

 思わず、マサタミは龍の、母のもとへと駆け寄っていた。あふれる涙を拭おうと、その手を伸ばした。

 刹那、母の頭蓋を槍が貫いた。

 声もなかった。ぼたぼたと、顔に赤黒い血液が垂れ、マサタミの眼前で、母は崩れ落ちた。

「母上!」

 しがみつくように抱いた顔は、痙攣している。されど、母は未だ息絶えてはいなかった。槍に貫かれてなお、かすれた声で言葉を紡いだ。

『タ、ツ……よく、お聞き……我々は、真名を奪われると、手も足も出せない……天地を揺るがすこの力も、意味をなさない……矮小な人の子にも、抗えない……そして、それは、おまえも同じこと……』

「喋ってはなりません!」

 血反吐を吐く思いで叫んだ。けれど、その口は閉ざされない。

『けれど、安心なさい……おまえの真名は、あの方が守り抜いてくださった……だから』

 それきり、部屋の中はしんと静まりかえった。息を引き取った巨大な骸が、マサタミとカゲアキとの間に横たわっている。マサタミはふるえるこぶしで、見開かれた龍の目を閉ざし、言った。

「……どういう、つもりだ」

「はて。どう、とは? 民を食らう化けものなど、領主である私が見逃すはずもあるまい?」

「ウシトラカゲアキ……!」

 マサタミは狂った。怒りに狂った。

 ようやく出会えた母の角を折り、鱗をはぎ、ついにはマサタミの目の前で殺した領主を、憎んだ。激しく憎悪した。マサタミの中に眠る、龍の血が騒ぐ。マサタミの周囲を、稲光が走る。

「てめえだけは、絶対に許さねえ」

 怒りと悲しみにまみれた雷鳴が、東雲の國に鳴り響いた。



 一夜にして、東雲の領主となったカガミハラマサタミの名は、雷鳴の轟きのごとく天地を揺るがし、やがては、その右腕であるトオイリシノの名もまた、広く知れ渡るようになった。しかし、マサタミの生家がある町の民たちは、口をそろえて言った。マサタミ様はお可哀相だと、大切な人を亡くされただけでは終わらずついには血の繋がりまで失われたと――
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