第一部

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 間もなくして、タツマルは元服式によって名をマサタミと改め、カガミハラの正式な当主となった。これを境に、東雲の領主であるウシトラカゲアキはたびたびマサタミを他國との戦へ駆り出すようになり、難癖をつけては民たちに膨大な税を課した。

 その血を示せ。戦を命ずるカゲアキからの書状には、決まってそう綴られていた。考えずとも、これらがカゲアキの悪癖の表れであることを疑う余地はない。しかし、マサタミは抗わず、かといって素直に従うこともなかった。

 マサタミは決して、戦で霊獣の力を使おうとはしなかった。携えた武器のみを振るい、その技で勝利を収め、ただの一度の敗走もなかった。武士として華々しい戦果をあげる一方で、増える民らの税を、マサタミは自らの蓄えを分かつことで長くこれに耐え忍んだ。シノもまた、そんな主をかたわらで支え続けた。カガミハラが治める地には自然と田畑が増え、冬場に備える新たな食料が、マサタミの手によっていくつもつくられていった。

 一段と厳しい冬には、かつてカガミハラを去った者たちさえも、マサタミのもとを訪れることがあった。このころには、マサタミに生える角も隠しようがないほど大きくなっており、その姿を一目見るだけで人々は恐れをなした。マサタミは自らの手料理で、客人を可能な限りに手厚くもてなした。

 ある食事の席で、一人の武士が言った。なぜ、かつてカガミハラを見限り、去った自分たちを相手にそうまでするのかと。なぜ、何も言わないのかと。

 それまで、それぞれの家に分け与える食料のことしか口にしていなかったマサタミは、これを一笑した。黄金色の瞳を細め、「それなら」と、盃を傾ける。

「おまえたちはどうしてカガミハラを訪ねて来たんだ? 霊獣の怒りが治まったって保証もねえだろう」

 男たちは、答えに困窮したようすで身じろぎをした。なぜなら、マサタミが口にしたことは、彼らにとって後ろめたい過去でしかない。それどころか、かつて自ら去った家へ頭をさげに来るなど、恥じ入るべきことでさえあるだろう。

 しかし、男たちはやって来た。背に腹は代えられないと、生きて一族で冬を越えるためにと、カガミハラを訪ねて来たのだ。男たちの置かれた状況や抱く思い、守るべきもの、それらすべてを承知したうえで、マサタミは酒をあおった。

「おまえらがここへ来たっていうなら、未だ縁はあるんだろうよ」

 例え一度は断たれた関係であろうとも過去に結ばれた縁を容易く断つことはできない、縁もゆかりもない家を訪ねて来るのは流離い人か夜盗の類くらいなもんだろう――

「俺は、死んでも切れねえ縁に生かされてる。そいつが言うんだよ、今の俺が守るべきはおまえたちだってな」

「それは、彼の森に住んでいたという娘のことですか」

 マサタミと然程変わらない年若い武士が、問うた。たちまち、隣に座していた武士が「よせ」と、若い男をたしなめる。ところが、若い男にはその理由がわからなかったのだろう。盃に口をつけていたマサタミは、怪訝そうにする若い男をちらと見た。

「マサタミ様」

 同席していたシノが、小さく何事かを言いかける。マサタミは口の端をつりあげ、ぽつりと呟くような声で返した。「さあな」

 この誤魔化すような答えを、若い男は不満に思ったようではあったが、たしなめられた手前、言及することもできないのだろう。以降、その類の話が話題にのぼることはなく、男たちは日が暮れる前に食料を持って屋敷を後にした。

 その夜。マサタミは幼いころに自らが抱いた感情を昼間の男のものと重ね、誤魔化してばかりだった恩人の胸中を思った。だが、てんでわからなかった。わかろうとすればするほど、それは霞のようにおぼろになる。

 マサタミは凍えるような夜気の中で縁側に腰をおろし、月を肴に温めた酒をあおった。庭の草木は積もった雪に覆われ、月明かりに照らされて青白く光っている。夜更けであることもあってか、屋敷は長らく静まりかえっていたものの、ふいに廊下の軋む音が響いた。その音も、歩調も、マサタミはよく知っている。振り返ることもせずにいると、慣れた気配が背後で立ち止まった。

「お風邪を召されますぞ」

「シノ、おまえも付き合え」

「なりません――と、言ったところで、聞いてはくださらないのでしょうな」

 諦めた声で、シノは言った。「お付き合いいたしましょう。ちょうど、キヨからの頼まれものもありますゆえ」

「ばあさんからの?」

 シノの口から出た名前にマサタミが振り返ると、隣に座った忠臣は手にしていた筍の皮包みを開いた。白い湯気が、夜の帳に立ちのぼる。知らず、マサタミの目は細くなった。

「そうか、まんじゅうか」

「酒の肴にはいささか不向きではありますが、せめてお身体を冷やされないようにとのことです」

 以前、町でまんじゅう屋を営んでいたキヨは今、屋敷の厨房を任されている。先刻、マサタミが厨房で酒を温めていたのを見て、わざわざ温かいまんじゅうをこしらえてくれたらしかった。包まれていたまんじゅうがひとつではなく、シノを介して渡されたのもまた、キヨの心遣いだろう。

 明日にでも、礼をしにいかなくてはならない。内心でひとりごち、マサタミはまんじゅうを手に取った。頬張れば、昔と変わらない味が口の中に広がる。

「ああ、うまいな」

「そうですな」

 隣でまんじゅうを食うシノを見やり、マサタミは小さく喉を鳴らした。いぶかったのだろうシノが視線を寄こしたため、マサタミも笑いをこらえずに口を開く。

「悪い。おまえとまんじゅうの組み合わせが、どうも妙でな。あいつにも見せてやりてえと思ったんだ」

 くつくつと喉を鳴らすマサタミを、シノは呆けたように見ていた。「マサタミ様」と、小さく名を呼ばれ、ますますマサタミはおかしな気分になる。

「俺があいつの話をするのは、意外か?」

「いえ、そのようなことは」

 口ではそう返してきたものの、シノの顔には正直な思いが表れている。マサタミは笑みを消し、空を仰いだ。厳冬の夜空にぽかりと浮かぶ月が、冴え渡っている。着物の上から胸元に手を当てれば、首からさげた小瓶の感触がした。忘れることのできない日々が、鮮やかに脳裏を駆ける。

「……あいつは、本当に死んだのか」

「依然、このシノのもとに、あれの噂を運んでくる風はありませぬ」

「そうか」

 息を吐くようにして、マサタミは笑った。刹那、闇に白く映えて見えた吐息すら、あっけなく夜にとけ、消えてゆく。

「脆いな」と、小さく呟いた。人の想いも、命も、あるいは、この世界さえも――

 領主カゲアキの悪癖は増長するばかりだった。その対象はカガミハラを始めとして、近隣の武家が治める民たちにまで及ぶようになった。カガミハラ家当主であるマサタミは、これを自らの責任であるとし、領主の悪癖にあえぐ者たちへの援助を惜しまなかった。すると、やがて人々の信頼はマサタミへと傾き、カガミハラを離れた者たちも戻ってくるようになる。考えずとも、至極当然なことであった。だというのに、東雲の領主としてはこれがおもしろくなかったのであろう。異形であり、霊獣の血を引くマサタミが東雲の民たちに受け入れられていくほどに、カゲアキからの風当たりはますます強くなっていった。

 そんな折だった。東雲の領主が、遠い異國から奇妙なものを買い取ったという噂が広まったのである。

 領主のカゲアキは珍しいものや甘いものに目がなく、今回のように大枚をはたいて他國から品を買い取ることは多々あった。しかし、時には珍品だけを目当てに戦を仕かけて國を滅ぼし、強奪することさえある。表にこそ出さないものの、マサタミは領主の趣味で引き起こされる戦には、ひどく辟易していた。おそらくは、戦に駆り出される他家の武士らも同じような思いを抱いているだろう。これでは夜盗の類となんら変わらない。だからこそ、領民の納めた莫大な税が無益なものに使われようとも、それで誰の血も流れないのであれば、マサタミは重畳だと思っていた。

 しかし、この噂が広まると同時、マサタミのもとへと一通の書状が届いたのである。それは、ほかならないカゲアキからの書状だった。見せたいものがある、ただちに登城せよ――

「これをどう思う?」

 夜半に届いた書状を片手に、マサタミはかたわらに控えたシノへ問う。シノは伏せていた目をマサタミへと向け、極めて冷静なようすで答えた。

「おそらくは噂に聞く品のことかと」

「おまえも、そう思うか」

 噂どおり、領主が遠方から珍品を買い取ったというのならば、それを周囲に披露しようとしてもおかしくはない。しかし、どうにも妙だと、マサタミは思う。これまで、ウシトラカゲアキは幾度となく珍品を手にし、その都度トオイリ家や他家の者を登城させていた。だが、そこにカガミハラ家の当主であるマサタミが呼ばれた例はなく、今回のように、トオイリ家が呼ばれなかったという例もまた、ないのである。ともすれば、これもまた、カゲアキの悪癖なのか。

「今回の噂、おまえの耳にはどう聞こえる」

「風の運ぶ情報が、ひどく曖昧です。まるで、何者かに阻まれているかのようで、領主が手にした品の仔細を名言することは私にもできませぬ」

 シノは告げた。

「ただ――」

「どうした」

 何か言いよどむ素振りのシノを怪訝に思い、マサタミは書状を文机に置く。正面から向き直ったシノの表情には、困惑の色が濃く現れていた。

「領主が手にしたのは――これまでのような代物ではないやもしれません」

「どういう意味だ」

「風が、領主の手に渡った品の、言葉にならぬ声を運んでくるのです。やもすれば、生きた何かではないかと」

 その刹那、マサタミの頭に過ぎるものがあった。それは予感であり、確信。迷いはなかった。マサタミは再び書状を手に取り立ちあがると、それを懐にしまう。

「予定を変える。急ぎ馬の用意をしろ。準備が整い次第、ここを立つ」

 シノは異を唱えなかった。刻まれた眉間のしわをより深くし、ただ祈るように言った。「どうか、お気をつけて」

 後のことはすべてシノに任せると告げ、マサタミは馬の腹を蹴る。もともと、馬とは乗り手の感情に大層敏感なのだが、ホウリと名づけられたマサタミの愛馬は、殊更に聡かった。逸る主人の気持ちを鋭敏に感じ取り、ホウリは凍てつく夜の帳を切り裂くように都へと駆けた。

 此度の呼び出しが、マサタミをさらに追い詰めるための罠だなどということは、重々に承知している。それでもなお、マサタミは都へと向かわねばならない。なぜならば領主はマサタミを追い詰めることを良しとし、そのためならば無関係な民を苦しめることも厭わない。命に背こうものなら、その被害が再び民にまで及ぶだろうことは想像に難くない。しかして、夜明けも待たずにマサタミが出立したのには、別の理由があった。

 この地を吹き抜ける風は、東雲で起きた様々な事柄を、情報として、鳳凰の血へともたらす。トオイリはその血を引き継ぐ家系であり、今のマサタミに遣えるシノはトオイリ家当主にほかならない。扱う力は、すでに先代当主ユキマサをも上回る。そのシノが言ったのだ。領主が手にしたものはこれまでのものとは違うと、領主の手中にあるそれは言葉にならぬ声をあげていると、生きた何かであるかもしれないと――

 未だ不確かな情報であっても、カゲアキの性格を考慮すれば、おのずと見当はつく。東雲の領主が手中に収めたのは、おそらく――霊獣にまつわる生きた存在なのだ。

 だからこそ、マサタミは行かねばならない。領主の下で生きる民としてではなく、人と霊獣との間に生まれた存在として。自らと同じような境遇にあるやもしれぬ同胞を、助けるために。
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