じゅじゅさんぽVol.10【致死量の傷】
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流していた涙はいつの間にか止まっていた。
枯れた、と言った方が正しいのか。
鬱な瞳で画面の向こう側を見ている私の隣で、小学生時代の私が私を見つめている。
同じような瞳で。
中学の上がるまで、また別の家庭に預けられた。
ここの人たちはとても優しくて温かくて、まるで本当のお父さんとお母さんみたいな人で大好きになった。
苗字を変えようと提案してくれたのはお父さんだった。
『馨が幸せに暮らせるための、嫌な思いをしないための一つの策に過ぎないから。本当の名字は君の中にちゃんと大切にしまっておきなさい。その上で、僕たちと本当の家族になってくれればいいんだから』
陽だまりのような笑顔だった。
水面下に落ちる日差しのような。
毎日出てくるご飯がおいしくて。
毎日安心して眠れるベッドが気持ちよくて。
飲まれそうになっていった。
この温かな環境に。
『家を、出る……?』
『どうして……?私達と一緒に過ごすのが嫌になった?』
小学校を卒業する前に、家を出る事をお父さんとお母さんに話した。
驚いた表情で、不安そうな声色で、私を見つめる二人に心臓がぎゅっと痛くなった。
短い時間、私を大切に育ててくれた彼らを裏切ろうとしている。
でも、私の心の問題でもあったから。
『いつかバレるよ。いくら苗字を変えたって、私のお兄ちゃんが人を殺したってことには変わりない』
『その時はその時だろ。オマエが気にするような事じゃ……』
『気にすることだよ。私のせいで二人が傷つく姿は見たくない。喧嘩をする姿を見たくない。私のせいで二人が不幸になったら耐えられない。こんな私を愛してくれたからこそ、私も二人を愛していたから。だから二人は幸せにならなくちゃ。私なんかのせいで大切な人生を台無しにする必要ないんだよ』
私の視線はお母さんのお腹に向けられた。
子供がなかなかできなかった夫婦。
だから孤児院で私を見つけて引き取ってくれた。
幸せになってほしいから、と。
子供が幸せにならない未来はあってはならない、と。
どこまでも優しすぎて、その優しさが痛かった。
子供がなかなかできなかった夫婦。
でも、漸く子供がお母さんのお腹の中に宿った。
小さな小さな命がお母さんのお腹の中にいる。
私とは違う、ちゃんと血の繋がった子供。
『その子が生まれたとき、私は邪魔になる』
『そんなこと……!!』
『あるんだよ。人の弱みにつけこんで、攻撃してくる人間は沢山いるもん。身に覚え、あるでしょ?』
私の言葉に二人は何も言えなかった。
父方の両親から母親が責められている場面を何度か目にしたことがある。
子供が産めない事を知っていたら結婚なんてさせなかった。
心ない言葉に傷ついて泣いているお母さんをお父さんが慰めていて。
子供が産めなくてごめんなさい、と泣いて謝って。
私は本当の子供じゃないから。
本当の子供になりたかったけど、それは絶対に無理だから。
そんな時に子供が宿って。
いよいよ私はいらない子になってしまう。
きっとお父さんとお母さんはそんなことしない。
我が子と同じように私を愛してくれる。
そういう人たちだって確信できる。
だからこそ私は嫌だった。
『二人が私の幸せを願うように、私も二人と赤ちゃんの幸せを願ってるんだよ。漸く血の繋がった子供が生まれて来るのに、私なんかがいたら不幸になる。子供がいじめられる。酷い言葉を投げられて傷付く。そんなの、私は望まない。だから私は家を出るよ』
『馨……』
『短い時間だったけど、お父さんとお母さんの子供でいられてよかった。楽しかった。嬉しかった。幸せだった。ちゃんと愛を感じていたよ。私を愛してくれてありがとう。だから今度はお腹の子にその愛をあげて。私は充分すぎる程貰ったから』
お母さんは泣いていた。
お父さんも泣いていた。
私は、泣かなかった。
『僕たちの幸せの形の中に、君は入っているんだよ』
『うん、知ってる。痛いほど知ってる』
『それでも、家を出ていくんだね……?』
『うん』
力強く頷く私に二人はそれ以上何も言わなかった。
頑固な私の最後の願いを、二人は聞き入れてくれた。
私は必要最低限の荷物を持ってお父さんとお母さんと過ごした家を離れた。
作ってもらった銀行の通帳には、100万円のお金が入っていて二人の顔を見れば「少ないけど門出の祝いだよ」と笑っていて。
泣かないように我慢していたのに、決壊したダムのように頬に涙が伝った。
『たまには帰って顔を見せて頂戴ね』
『電話もするから無視するんじゃないぞ』
3人で抱き合って泣いて。
その後、私は振り返らなかった。
振り返らないで家を出た。
電車に揺られて、本当のお父さんとお母さん、そしてお兄ちゃんと過ごしたあの家を目指した。
着く頃には夕方になっていて、目の前の自宅にため息が漏れた。
外壁に散らばる汚い単語の羅列。
「売家」と建てられた看板を無理矢理ひっこぬいて、ゴミ置き場に投げ捨てる。
当り前だけど玄関の鍵はしまっていた。
鍵穴にヘアピンを差し込んでピッキングをすればすぐに鍵は開いた。
『……うえっ』
埃とカビと若干の血の匂い。
鼻がひん曲がるかと思った。
でも、戻って来た。
それが嬉しくて、悲しくて、寂しくて。
その日は、リビングの真ん中で眠った。
お父さんとお母さんが殺された場所で。
二人の温もりを感じたくて。