【乙骨憂太】クレオパトラの真珠
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中学生の頃、私は世界の中心にいると信じていた。
私が死んだらそこで世界が終わりだと信じていた。
私が世界の中心で、そして世界は"私の人生"という予め決められた台本を辿っているだけだと信じていた。
周りの人間は"私の人生"という名の劇のただの役者であり、ただの脇役にすぎない。
そう考えた時、私の心の声はみんなに聞こえているんじゃないかと不安になった。
みんな聞こえているのに知らないふりをしているだけなんじゃないか、と。
私の心の声をみんなでこっそり嗤っているんじゃないか。
片想いの気持ちが彼にバレているんじゃないか。周りの女の子たちにバレているんじゃないか。
心底心配した。
中学を卒業して、高専生になって、そこでようやく気が付いた。
私の心の声は誰にも聞こえない。
だからどんなに熱く見つめていても、想いは伝わらないんだということに、やっと気が付いた。
だから乙骨憂太に告白した。
彼と付き合ってからはずっと、どうして伝わらないんだと苛々することばっかりだ。
本棚に詰まった背表紙たちを眺めながら、私はこの図書館こそがこの世の果てなんじゃないかと考えた。
私は本なんて読めない。
読みたくない。
頭が痛くなる。
けれどどういうわけか、私が一生かかっても読みきれないほどの本たちがここに集まっている。
この1冊1冊に、知らない人間が膨大な時間をかけて執筆しているのだ。
信じられない。
そんなわけない。
きっと全てのページに文字が詰まってるわけじゃない。
私が手に取らない本たちは全て中身が真っ白なんだ。
私が生まれた時から、読む本とそのページは全て決まっていて、それ以外のページは作ってない、白紙なんだ。
きっとそうだ。
例えば、ゴビ砂漠の真ん中とか、グランドキャニオンの底辺とか。
私が一生のうちに行かない世界も本当は存在しないんだ。
最初から作られていない。
私の行動範囲の外側は真っ白。
もしくは真っ黒。
そんな妄想をしていたら、図書館の一番奥まで来ていた。
ここまで来たのは初めてだ。
古くて分厚い外国の事典ばかりが並ぶこのコーナーは、誰も興味を示さないようで人の気配が全くなかった。
一番隅の本棚の、一番壁際まで歩いた。
ここがこの図書館の一番奥だ。
この世の果ての一番奥。
どう考えても持ち運びできないくらい分厚い本の背表紙たちに、こんなの、誰が借りるんだと不思議な気持ちになる。
気紛れに、一番下の段の1冊を引っ張り出してみた。
壁のほうを向いて、両手で抱えるのがやっとなほど大きくて重いそれを床の上に置く。
ここ数年、誰にも開かれていないんじゃないかと思われるその本を前に、魔法使いの儀式の如く床に膝をついて座った。
外国語で書かれた大きな大きな本の表紙をめくる。
それは裏表紙だったのだろう。
知らない言葉だけれど、なんとなく一番最後のページだなとわかった。
出版社とか、執筆者とか発行日なんかが書かれているページ。
そこに記されている年号は私の母が生まれるよりも前のものだった。
適当に真ん中あたりをねらってページを開くと、舞い上がった埃にくしゃみが出そうになる。
図書館だから耐えねば、と思ったけれど我慢できなかったので両手で口を覆ってクシュ、とくしゃみをした。
鼻をすすりながら本を覗きこむ。
百科辞典なのだろうか。
よくわからない白黒の写真と、これまたよくわからない文字の羅列。
案の定私には理解できないこのページは、それでも私に開かれるのを待っていたのだ。
何十年も前から。
この図書館の奥で。
自分の心臓の音しか聞こえない沈黙に、私はそのページを指でなぞった。
きっとこの分厚い本の全てが文字と写真で埋まってるわけじゃない。
私が開かない他のページは白紙だ。
きっと白紙。
この世の宇宙は全部真っ白なんだ。
私に関係のないことは全部真っ白。
背後で人の気配がした。
床に膝をついたまま振り返ると、少し離れた所に憂太が立っていた。
ぴよんと変に乱れた髪をした彼は、私の姿を確認するとほっとしたように息を大きく吐いた。
真っ白な宇宙に向いていた意識が、また私というちっぽけな人間に戻ってきた。
涙が出そうになって慌てて正面に顔を戻す。
私は世界の中心のはずなのに、どうして目の前の男の子1人にこんな悲しくなるんだろう。
しばらく黙っていたら、私に動くつもりがないと察したのか憂太が隣にやってきて床に座り込んだ。
「なに読んでんの?」
小さな子にでも話しかけるように、優しい声で囁かれた。
私は答えなかった。
まだ怒りの気持ちが収まっていなかったからだ。
むすっとした顔をしていたら、大きな溜息が聞こえた。
私は意地を張って床の上の本を見ていた。
見ていた、というより視線を向けていただけだ。
理解できない黒文字が白地から浮かび上がるくらいに見つめながら、私は憂太とのメッセージのやり取りを思い出していた。
あの素っ気ないメッセージを。
私がどんなに寂しい夜を過ごしたかを。
いつも恋人のことを一番に考えるなんて無理だってわかってる。
四六時中メッセージのやり取りをすることだけが、愛を深める手段じゃないことだって知ってる。
でも、私は寂しかった。
隣に座っている憂太は、長いこと黙っている。
身動き1つしないので、気になってちらりと横目で彼を盗み見た。
彼は開かれたページをじっと見つめていた。床に片膝と両手をついて、白黒写真を食い入るように見つめていた。
真っ黒な瞳を、乱れた前髪が隠している。
それを見て、あぁ、やっぱり私はこの人が好きなんだと思った。
集中してる憂太は格好いい。
格好いいんだよ。
大好きなんだよ。
本当は連絡をとりたかった。
電話したかった。
久しぶりに会って、楽しく会話したかった。
喧嘩なんてしたくなかった。
こんな面倒な彼女になりたいわけじゃなかった。
彼が忙しいことなんて百も承知だ。
でもさ、私は寂しかったんだよ。
この人は、恋人に寂しい思いをさせて、申し訳ないな、って考えないのかな。
ごめんね、って。
一言謝らないのかな。
「ごめんね」
突然憂太が掠れた声で言った。「なんて、言わないからね。僕は」
「なっ……!」
なんだとっ!?と言おうとした口を彼の右手で覆われた。
しー!と左手の人差し指を唇に当てた憂太は、慌てたように周囲をきょろきょろと見回した。
ここが人が滅多に来ない図書館の隅だとわかると、彼は安堵の息を吐いて右手を離す。
なんで?なんで謝らないの?
怒りを通り越して惨めになった。
涙目になって睨む私に、憂太は苦しそうな表情を見せた。
困ったように視線を横に向けて、自分の頭をわしゃわしゃと掻き回している。
それから、急に私の耳に唇を寄せると小さな声で言った。
「寂しかったのは、僕も同じだから」
はっと息を飲んだ私の口がまた塞がれた。
驚いて固まる私に、憂太は噛み付くようにキスをしていた。
私ばかりが怒っていた。
私ばかりが我慢していると思い込んでいた。
ごめんね、って言ってほしかった。
でも本当に言って欲しい言葉はそれじゃなかった。
私ばかりが我慢していると思い込んでいた。
でもそうじゃなかった。
会えない気持ちは憂太も同じだった。
私は。
私はただ一言。
僕も会いたかったよ、寂しかったよって言って欲しかっただけなんだ。
本当にごめん。
自分のことしか考えられない私で本当にごめん。
その言葉を言う代わりに、私は彼のキスに応えた。
言いたい気持ちを伝え合うように、私達はキスをした。
図書館の一番奥の本棚の隅で、誰にも聞こえないように、誰にもばれないように、私達はキスをした。
言わなくても伝わると思っていた。
きっと彼も言わなくても伝わると思っていた。