【夏油傑】ハネムーンでもリバティでもない
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「おぶってあげる。家はどこ?」
その人は迷う様子も無く、颯爽と私に背を向けるようにしてしゃがみこみました。
そして言うのです。
「私の名前はスグル。魔法使いじゃないから、ぴったりの靴は出してあげられないけど、馬車になら喜んでなるよ」
その親切な申し出に感謝しながら、おねがいだから、王子さまにもなれるなんて言わないでね、と私は釘を刺しました。
もうこりごりだったのです。
プリンセスのように愛を囁いてもらえていたのに、呆気なく縁が切れてしまうのは。
とは言え、最後に誰かにおんぶをしてもらったのは何歳の時だったかしら、という具合だったので、私は一歩近づいたきり、ぼうっと立ち尽くしてしまいました。
久しぶりすぎて、背負われる側はどうしたら良いのか、まるで分からなかったのです。
昔は何も考えずに大人の背中に飛び乗っていたはずなのに。
「早くしてもらっていいかな?」
私が動かないでいるのを躊躇と捉えたのか、スグルと名乗った人は低い声を出しました。
「私は、不自由してる女の人を知らんぷりして置いてくのは夢見が悪くなると思って声かけてるだけなんだよね。早く帰りたい気持ちはお互いさま」
その声の奥には、親切に振る舞うことに対する照れが隠されているようでした。
成熟した見た目に反して、まだ子供っぽいところが残っている人なのかもしれません。
そしてそれが、私にはかえって新鮮に感じられるのでした。
私が知っている男の人というものは、年上で、女の子を大切に扱うことに照れなどなく、さも当たり前のようにエスコートして、そして然るべき時には迷いなく距離を測れるような人ばかりだったのです。
スグルの背中に身体を預けると、小さい頃を思い出すような、懐かしい香りがしました。
彼の腰を挟むようにして宙に投げ出されている自分の足が、小さい頃の記憶よりも長く、奇妙に感じられました。
重い?と彼の首に腕を絡ませて ひとつ訊ねると、
「そりゃ、人がひとり乗っかってるから」
その言葉の割には、足取りは軽快でした。
「それなりに重くて御免なさいね」
けれども、ご機嫌を取るように優しい嘘を吐かれるよりは、よっぽどマシだったのかもしれません。
私は、体重がスグルにかかりすぎないように身体を少しばかり自分で保とうと気を付けました。
深い群青色の天蓋に浮かぶ月に、雲が被さり、辺りは濃い闇に包まれます。
「気を悪くしたなら謝るよ。ごめんね。変な意味で言った訳じゃないんだ」
場違いなほど明るい声でスグルがゆったり喋ると、彼の鎖骨や喉の振動が私の腕に伝わりました。
「私の家は、ふたりキョウダイでさ。揃って お母さんっ子の甘えんぼだったから。私の母親はふたりを一度に抱いてたんだよ。その時、『幸せの重みだ』って よく言ってた。だからこれも、幸せの重み」
スグルは、クスクスと笑いました。
私が乗っている背中も一緒に揺れて。
ふたりの子供に くっつかれるなんて、スグルのお母さんは大変だったでしょうね、と私は考えました。
けれど、きっとスグルは、そのお陰でたくさんの愛情を受けて育ったのでしょう。
私が一番ほしいものを、生まれた頃からもっていたのでしょう。
広い肩が頼もしく、いとおしく見えてきました。
「私は小さい頃、親と手を繋ぐのが嫌だったわ」
優しい揺れに眠気を覚えながら、私は彼の耳に向かって囁くように言いました。
「どうしてかわからないけど、誰かに触れていると、その場所から、私の考えていることが相手に伝わってしまうような気がしていたの。全部筒抜けなんじゃないか、って思うと、怖くて触れなかった」
「私はいま、お姉さんをおぶっていて、何を考えてるか分からないけど」
「当たり前でしょう。小さい頃の妄想だもの」