【虎杖悠仁】狭くて、 丸くて、 ただひとつ
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「でも俺、すげえ筋肉質なんだよ。自分で言うのもアレだけど、身体能力高ぇし、モノマネうまいし。髪の毛だってピンク色だし」
「ピンク!」
馨は嬉しそうに声をあげた。
「私の髪は、灰色がベースのアッシュなの。ピンクベースのグレージュと迷ったんだけど……」
「アッシュ?グレージュ?」
馴染みのない単語だ。
「どう?似合ってる?」
馨は自慢するように頭を軽く振る。
「うん、とても」
「良かった。嬉しい。 美容師さんに相談してお願いしたの。私に似合おう色にして下さいって。そしたら、ピンクよりグレーの方が似合いますよって」
「え、」
と虎杖は声に出した。
「それ、染めたの?」
「つい最近。先週だったかな」
「地毛かと思った」
「騙された?」
馨は笑った。
「あなたって皆から愛されて育ったんだね。話しててよく分かる。そういう人は、疑うことを知らないからどうか気を付けて」
とびきり優しい声だった。
同じことを東堂あたりに言われたらムッとしてしまうだろうけど、裏表の無い馨の声には毒気が無くて、自分に注がれていることに安心感さえ覚えてしまう。
「今度はあなたのことを教えて。普段は何をしているの?」
「にん……バイトかな」
「どんなバイトをしてるの?」
「うーんと、清掃……?」
「なんで疑問形なの」
くすくすと笑った。
呪霊を祓っていると言えればどんなにいいか。
モヤモヤとした気持ちが沸き上がるが、自分の事を知ろうとしてくれていると思うと、嬉しくなる。
「でも今はまだ、修行中」
「清掃のお仕事って大変なの?」
「すげえ大変。なんでこんなに忙しいのってくらい。でも、早くみんなに追いつきたいからさ」
「すぐに追いつくよ。きっと」
予言するように馨は同意した。
そこでふと彼女は口をつぐんだ。
どうしたのだろうと思っていたら、電車がやってくる音が耳に届いた。
間を空けず、蘇我行きを告げるアナウンスが鳴る。
「私の乗る電車だ」
それは会話の終了を意味していた。
まだ話したりない気持ちがあっても、引き止めるほどの権利は無い。
「そっか、お別れだね。俺は逆方向」
ホームに侵入した電車が惜しむようにスピードを落としてくる。
じゃあね、ありがとう、と馨は颯爽と立ち上がり、青いキャリーケースに手を伸ばした。
その探るような手つきを見て、虎杖は初めて気がついた。
彼女とケースの間に隠れるようにして、白い杖が置かれていた。
「さようなら、悠仁くん」
慣れた手つきで杖を伸ばしながら、女の子が失敗をごまかすときにする照れ笑いをサングラス越しに馨が見せる。
「くれぐれも、詐欺には気をつけて」
そして彼女は白い杖で地面を叩いて、電車へまっすぐ歩いていった。
それはとても自然な動作で、まるで軽快なリズムを取っているかのようで。
地面を鳴らしながら歩き、車両に杖がぶつかる音の変化に反応して、彼女は荷物と一緒に電車に乗りこんだ。
ドア付近に立つ人たちが、手すりを掴んだ馨に視線を向けて、一斉にスペースを空けるように一歩動く。
優先席から背の低い婦人がさっと立ち上がり、馨に声をかける。
相手に耳を傾けるために馨が顔の角度を変える。
一瞬反射した小さなピアスの光を残して、ドアが閉まった。
電車が走り去ったあと、虎杖はしばらく椅子に座って自分の両手を見つめていた。
最初に彼女を見つけた時から、お別れに至るまでのことを順番に思い出そうとしていた。
背後に東京行きの電車がやってこなかったら、暗くなるまでそこに座っていたかもしれない。
立ち上がった時、隣の椅子にあの雑誌が残されていることに気がついた。
馨が忘れていったのか、わざと置いていったのか分からなかったが、それを手に取る。
車両のドアをくぐる。
座席でお喋りしている高校生や、音楽を聞いているサラリーマン。
複数の人間の視線が一瞬パッと自分に注がれる感覚がするが、特に煩わしさは感じない。
こういう時に、どういう気持ちになるべきなのかもよく分からない。
そうじゃなくても、1、2、3秒。
数えているうちに自分に集まった意識はすぐに散り散りになる。
さっきまで座っていたホームが空っぽになっているのが見えた。
電車が発進し、音の無いその景色が収束するようにどんどん小さくなって、最後には見えなくなる。
何か、感情がコロンと音を立てて動いたけれど、どう言葉にして良いのかわからなかった。
伝えたい相手も遠い。
独特の振動に揺られながら、名残になった雑誌を広げる。
インクの匂いが立つ紙面をめくる。
来る。
次、また、また会えたら、と虎杖は散りばめられた言葉を集めて思考を組み立てる。
どこかでまた会えたら、その時には、この気持ちを伝えたい。
言葉を見つけておかなきゃいけない。
行間の狭い塊の上を。
漁るように目が動く。
読めなかった"沁々"という文字を探していた。