【虎杖悠仁】狭くて、 丸くて、 ただひとつ
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「それ、逆さまだよ」
深く考えるより前に、 虎杖は声をかけていた。
興味を惹かれると見知らぬ人にまで話しかけてしまうのは小さい頃から続く悪癖だった。
失礼だろ、と前に伏黒に咎められたことを思い出し、慌てて自分なりに失礼のないよう言葉を付け足す。
「それ、その雑誌。サングラスのお姉さん」
スレンダーな脚を組んで椅子に座っていた、その女性の反応は早かった。
顔を隠すように持っていた雑誌からおもてを上げたが、大きなサングラスをかけているせいで目元はわからない。
突然天から降ってきた虎杖の声に驚いた様子で、彼女が一瞬周りを見渡すように顔を動かすと、耳の小さなピアスが日光に反射して瞬いた。
8月も最終週に迫った平日。
薄い潮風の香りが届く白い昼間の駅のホームには、彼女と、その正面に立つ虎杖以外には誰の足音も聞こえない。
ただひとつ、二人の頭上で響くアナウンスが、沿線上で起こった人身事故による上下線の運転見合わせを先刻から告げていた。
「お姉さんって、もしかして私のこと?」
底抜けに明るい声で彼女が訊ねる。
「そう。雑誌が上下逆さま」
虎杖は指を向けて教えてあげた。
任務の帰り道、思ったよりも早く呪霊を討伐できたため、ぶらり途中下車の旅を一人で決行していた。
初めて聞く名前の駅でぶらぶらして、いざ帰ろうとしていたら電車は遅延。
やって来ない電車を待つのに飽きてしまったところで、思わず話しかけてしまったのは、逆さまになった表紙の富士山の写真が原因だった。
青い湖が上で、青い空が下。
一面シアンの、しかも水面に姿を映した逆さ富士だった。
真ん中に線を引いたように綺麗な上下対称。
よくパッと見て、違和感の正体に気付けたもんだと、得意げにも感じた。
椅子に座る女性は、そこでようやく虎杖の方を向き、顎を上げた。
外跳ねのショートヘアが風に毛先を揺らしている。
落ち着いた色味だったが、光の当たる角度によって濃淡が変わり、不思議な透明感と柔らかさを纏っていた。
まるで、毛並みの良い純血の猫、みたいな髪の毛。
映像がぱっと虎杖の頭に浮かんだ。
昨日テレビで観た、上品そうな、そう、確か、ロシアンブルーと呼ばれる品種。
一緒に夕飯を食べていた伏黒が妙に食いついて検索し始めたのでその横文字は記憶に新しかった。
「これでいいかな」
のんびりした様子の彼女は、手に持っていた雑誌をくるんと正しい向きにひっくり返した。
「うん、完璧」
「ご親切に、ありがとう」
青空に舞い上がる風船のように、軽やかな口調だった。
「少し恥ずかしいな。この世界には、いつまで経っても慣れなくて」
虎杖は顎を引いて、それから角度を変えて首を傾げた。
不思議な言い方をする人だ、と思った。
この世界、なんて。
小学校の音楽の授業で、世界は1つと教わったはずだけど。
世界はせまい、世界はおなじ、世界はまるい、ただひとつ。
細身のジーンズを履いたその女性の脇には、手に持っている雑誌の表紙とお揃いで空色の、大きなキャリーケースが置かれていた。
東京に来た観光客だろうか。
一瞥して彼女に視線を戻す。
透明感の強い、艶のある髪にサングラスとピアス。
服装はTシャツのラフな格好。
唇の両端は柔らかく上向き。
物珍しい見た目ではない。
でも雰囲気が謎めいているのは何故だろう。
もしかしたら外国人なのかもしれない。
もしかして呪術師だったりして。
サングラス掛けてるし。
少しばかりの期待を持った。
両手がむずむずと動いてしまう。
制服に着いているパーカーの首元を、ぎゅっと引っ張る。
この人と、少しだけ喋りたい、と思った。
ネズミを見つけた野良猫と同じで、一度興味を持ったら手を出す以外考えられない。
理性で自分を抑えることは虎杖にとってまだ難しいことだった。
運の良いことに、今はうるさい同期もいない。