【夏油傑】幸せの名前
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一昨年まで、私は高専に通っていた。
3年になったとき、この黒髪の長髪に飄々として掴みどころのない憎たらしい男子生徒が入学してきた。
そして私は今こうやって、彼のリクエストした料理を作ってあげてる。
こんな関係のそもそもの始まりとなったきっかけはなんだったかと記憶を辿れば、口を大きく開けて呪霊を飲み込む傑の顔が、いつも頭の中に浮かんでくる。
『はい、これ。よかったら食べて』
たまたま一緒になった任務先で、いつものように呪霊を飲み込む彼は、必ず眉間に皺を寄せて険しい表情をしていた。
呪霊がおいしいはずがないのは当たり前なのだが。
口直しのガムでもあれば良かったのかもしれないけれど、その時私が持っていたのは一口サイズのおにぎり2個だけで、小腹が空いた時のためにポケットに入れていたものだから、形だって崩れてしまっている。
それでも、「ありがとうございます」と1つ受け取った1年生の夏油傑は、大きく口を開けて頬張ると、「うわ、うまい。ただのおにぎりなのに」と、感心したように呟いたのだ。
その時、私はなんて返事をしたのか覚えていない。
けれど、それまで感じたことのない不思議な充実感に包まれたことは、今でもはっきりと思い出せる。
それからよく傑のためにおにぎりを差し入れていたけど、面白がっていた五条や羨ましそうにしている硝子の分も作るようになった。
夢中でおにぎりをパクついて、そんな3人を眺めながら、この気持ちって何なのだろう、と考えたことまで覚えていたりするのである。
そんな処理しきれない感情の正体に気が付いたのは、その後すぐのことだった。
任務先でヘマをした私を救助にきた彼等。
1級案件の呪霊をまるで赤子の腕を捻じるかのように一瞬で討伐。
そこで、気が付いた。
あぁ、これが愛というものなのか、と。
変な話だとは思うけど、本当にそう思ったんだ。
なんとなしに作っていた、自分の手から生み出されたものが、彼等の血肉になって身体を作る、力になる。
私も一緒に戦える、呪術師でなくとも。
こんな形で誰かを支えることができるのだと、その時初めて気が付いて、私は大学進学を決意した。
元々、呪術師としての才能はあってないようなものだったし、卒業したら補助監督にでもなろうかなとうっすら考えていた程度だったから、勉強ができるはずもなく、短大に滑り込むのがやっとだった。
「馨」
優しい声が落とされて、回されていた傑の腕がするりと抜けた。
「髪、後れ毛、かわいい」
マカロニがソースに絡む。
ローリエの葉が取り除かれて、ヘアゴムを解く傑の息が、私のうなじに沁みこんでいく。
愛は食卓にある。
なんて、どこかのマヨネーズのCMで謳っているけど、それを私に教えてくれたのは他でもない夏油傑だ。
愛なんて、10代の自分が口にするには重くて、照れくさくて、現実味のない言葉だとずっとずっと思っていた。
でも私は気付いてしまった。
味付けは彼の好きな薄めにすること。
苦手なセロリは細かく刻めばバレないこと。
玉ねぎは甘くなるまでじっくり炒めて、人参は一切れだけお花の形に切っておく。
カップに浮かんだオレンジ色のその花を、傑は最後の最後までとっておいて、一番最後、幸せそうに口元へとスプーンで運ぶ。
大切な人のためのひと手間を惜しまない。
これが私なりの愛の形なのである。
将来は栄養士として働いてもいいかもしれないと考えている。
頑張っている全ての人を、食を通して支えてあげたい。
落ちこぼれだった私がそんな夢を描けるようになったのは、傑のおかげだ。
だから私は、彼への愛を料理で示す。
その結果目の前にあるのが、このグラタンと野菜スープなのである。
蓋を開いて、鍋の中にコンソメキューブを投げ入れた。
コクのある香りが鼻をくすぐる。
幸せの水位が増していくキッチンで、傑が私の首筋にキスを落とした。
「いい匂い」
「牛肉と野菜の旨味が、ぎゅぎゅっと詰まった香りだね」
「じゃなくて、馨の匂いが」
「ん?」
「おいしそう」
もう一度私のうなじにキスをした彼の唇が、髪の生え際を上っていって、耳たぶにまで辿り着く。
それから、ごめん、と甘くて掠れた声で囁いた。
「こうやって会えたの、久々だからさ」
そう言って、こちらの返事を待たずに耳を食み出す。
突然の柔らかくて熱い舌の感触に「ちょっと!」と反射的に身体をよじった。
「台所でそういうことしないで」
振り返って傑の肩を強めに押したら、ごめん、と彼が困ったように笑って謝った。
何故かわからないが照れている。
怒った?と彼が尋ねる。
私よりうんと背が高いのに、どういうわけだか上目遣いがとても上手い。
その視線に見つめられたら、怒ってるなんて言えるわけない。
フライパンの方へ向き直りながら、「怒ってないよ」と私は笑った。