【夏油傑】幸せの名前
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「炭水化物」
ワンルームのキッチンに立ち、私は流し台めがけて鍋の中身をひっくり返した。
べこん、と響くシンクの音。
もくもくと真っ白な湯気が上へとあがってあつあつの熱湯は、ざるの網目をすり抜ける。
一気に湿度が上昇したキッチンに残されたのは、茹でたてのもちもちマカロニ。
「脂質」
そのざるの中に、切ったバターを放り込んだ。
近くにあった菜箸でざっくりとかき混ぜたら、すぐに小さくなって消えてしまった。
軽く揺すって確認してから、その菜箸でコンロにかけたフライパンの中身を炒める。
バターは脂質、マッシュルームはビタミンB2。
ローリエの葉は、風味付け。
薄切りにされた玉ねぎが透明から飴色へと変わり始めた。
あらかじめ量っておいた小麦粉に手をかけたとき、ピンポン、と聞こえるインターホン。
火を止めて、左手にある玄関の扉を見た。
それから冷蔵庫の上に視線をすべらせて、時計の確認。
朝に連絡されていた時間よりも、ずっと早い到着である。
手を拭いている間にまた、ピンポン、と音が鳴る。
はーい、と大声で返事をしてから、1つにまとめた髪の毛を軽く縛りなおした。
玄関の方へ駆けていき、鍵とチェーンに手をかける。
「すぐる?」
開けたドアの向こうに立っていた恋人の姿に、驚いて名前を呼んでしまった。
冬の足音が聞こえ始めた時期だというのに、制服のままの彼はコートも着ていない。
「久しぶり、馨」
言いながら、傑はスン、と鼻を軽くすすった。
それから、へにゃりと目元を細めて笑った。
「とってもとっても、久しぶり」
「いらっしゃい。外、寒かったでしょ?」
「ん」
「赤くなってる」
右手を伸ばして、傑の鼻を包んであげる。
はは、あったかい、と彼がくすぐったそうに肩を揺らした。
「馨の手、バターと玉ねぎの匂いがするね」
「もうお腹空いてる……よね?ごめんね、まだもうちょっとかかりそうなの」
「大丈夫。早く来たのは私の方だし……。手洗いうがいしてくる」
そう言って靴を脱いで、彼はそのまま脱衣所の中へと消えていった。
一人暮らしの1K。
玄関とキッチンと浴室のドアが同じ空間内に存在している狭い間取りで、私達は会話を重ねる。
「最近、風邪が流行っているみたいだよ。悟も熱でダウンしてるし」
「五条が風邪を引くなんて珍しいね。こっちはそんなに流行ってないんだけどなぁ」
「そう言って油断してる人間が、風邪菌もらってばらまくんだよ。気をつけろよ」
がらがらがら、とうがいの音が聞こえ始める。
私は肩をすくめて、2つのコンロに火を付け直した。
傑は私より2つ年下。
だけど兄か母かのようにあれこれいつも心配してくる。
他人の身体は気遣えるくせに自分のことにはとんと疎くて、コートも忘れて遊びにきちゃうような傑の方が、絶対先に風邪ひくだろうな。
まぁでも、大切にされることは嬉しい事だ。
と、気を取り直して調理の続きにとりかかる。
炭水化物、と呟きながら小麦粉を加えて、木べらで手早くかき混ぜた。
だまができないように、混ぜて、混ぜて、牛乳を少し加える。
牛乳はもちろん、なんと言っても、
「タンパク質とカルシウム」
「あ、また言ってる」
背後から傑の声がしたかと思うと、後ろからぎゅっと抱きしめられた。
いつのまにか制服を脱いでYシャツになっている。
「大学で栄養学を学ぶ馨さんにとって、グラタンとはずばりなんでしょう?」と頭の上から声がしたので、「カロリーがちょっと高いかな」と残りの牛乳を投入しながら答えておいた。
「やっぱりお豆腐使って、カロリー半分にすればよかった」
「それは勘弁してよ。悟の分の任務もこなしてきて疲れてるんだから、私の好きなものくらい食べさして」
もうお腹ぺこぺこ。
と、迷子の子犬みたいな声がする。
そんな傑の、鍛え上げられた逞しい腕の中にすっぽりと収まったまま、今度は生クリームを加えていく。
木べらで生地をのばしていたら、「お腹ぺこぺこのぺこぺこって、なんでぺこぺこって言うんだろう」と傑がぼんやり呟いた。
「馨、それ、手作りホワイトソース?」
「うん。フランスでは通称―――」
「ベシャメルソース、だっけ?」
「ふふ、正解」
「何回も言うから覚えちゃった。そっちの鍋は?」
フライパンの隣のコンロで、コトコトと音を立てている片手鍋。
勝手に伸びてきた腕が蓋を開けると、茹でた野菜のほくほくとした香りが漂ってきた。
「野菜スープだ。美味そう」
「まだ味付け前だよ?」
「だって、いい匂いだからさ。この時点でおいしくなること確定してる」
あぁ、早く食べたい。
と、私の背中に彼の体重がのしかかる。
幸せの重み、と言葉が浮かんで、唇から「えへへ」と照れた笑いが漏れてしまった。