【虎杖悠仁】そよめきなりしひたむきなり
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剣道の話なんて半分も理解できなかったであろう馨は、突然熱く語りだしたクラスメイトに驚きぽかんと固まっていた。
しかし虎杖と目が合うと、みるみるうちにその表情は柔らかみを帯びていき、しまいには口元に笑みさえ浮かべ始めた。
「よかった」
と彼女は言った。
「虎杖くん、ちゃんと剣道に本気なんじゃない」
「そ、かな?」
視線が困惑したように宙を彷徨う。
「自分じゃよくわかんねーや。何に対しても必死になれてない気ぃするんだけど」
「じゃあ、脱力が上手いんだね」
「え?」
虎杖はパチパチと瞬きをした。
脱力?と聞き返すと、馨はこくんと頷いた。
「私ね、いつも目の前のことで一杯一杯になっちゃうから、そういうの羨ましいな」
彼女は申し訳なさそうに相手を見上げた。
あぁ、と虎杖は納得したように呟いて、いつものようにひと呼吸をした。
「なるほどね」
と彼は言った。
そのたったひとつの行為によって、彼の表情にかかっていた狼狽の影は、跡形もなく消え去った。
「椎名さん、いいこと言うね」
「ん゛っ………ご、ごめん」
「なんで謝んの?」
「偉そうなこと言っちゃったから……」
「んなことないって」
虎杖は目の前に立つ、同い年の少女を見つめた。
いつも教室の談笑からは外れた場所でこちらを見ている、消極的なクラスメイトの女の子。
自分が密かに抱えていた悩みの種に、初めて建設的な意見をもたらした稀有な存在。
彼はその細い瞳の奥に、一瞬深い煌めきを走らせた後、それまでとは違った色を滲ませた。
「知りたい?」
「えっ?」
「脱力のコツ」
「椎名さんにだけ特別、教えてあげる」
と秘密めいた口振りで、虎杖は彼女に向き直り、そして1歩近づいた。
「"頭1つ分、上の空気"」
「なに、それ?」
彼女は警戒の目を向けた。
「コーチが試合前によく言うんだよ。緊張したり、相手の空気に呑まれそうになったりしたら、口の前の空気じゃなくて頭1つ分上の空気を吸うつもりで息をしろって。そしたら、なんっつーか、スッと姿勢が良くなって、周りが見えるようになるってさ。あとは、こう、肩の力を抜いて……」
虎杖は流れるような動きで馨の両肩に手を置いた。
小さな身体がびくりと跳ねる。
「え、え?あのあのあの、」
「はいはいはい、力まないで。リラックスぅ」
急激に縮んだ距離に焦る彼女と対照的に、虎杖は落ち着き払っていた。
部活で培った弛緩のための呼吸法、姿勢、視線、意識の置き場所。
そういったことを思い出すことで冷静になれた分、今の状況に思考がやっと追い付いたのだ。
放課後の2人きりの教室、窓辺、向き合う男女。
この状況を利用しない手はないとばかりに薄く笑って、ぎこちなく逃げようとする彼女の肩を引き寄せる。
「いいい、虎杖くん」
「………………」
「え、え、え、え、」
「………………」
「なんか喋って!」
虎杖は馨の顔を覗き込み、そしてじっと待っていた。
目の前の少女は冗談を受け流す事が苦手なだけで、今、この場において正しく求められる振る舞いができるくらい賢明であることはよく知っていたから。
だから彼女が抵抗しようと身じろぐ様子を見せたとしても、虎杖は満足そうに目を細めるだけで沈黙を保ち続けた。
やがて彼女が諦めたように動きを止めると、彼はその華奢な肩を押さえていた骨ばった指を滑らせる。
右手を相手の頭の後ろに、左手を細い腰へと回した。
瞬間。
「虎杖さん」
「「!?」」
2人は大きく飛び上がった。
虎杖は銃を突きつけられた犯人の如く両手を上げて、慌てて教室の戸口を振り返る。
「げ!伏黒」
「お疲れさまです。虎杖さん」
「いつからいたんだよ!?
「何の話だ?」
ドア付近に無表情で立っていた伏黒恵は、「今来たとこだけど」としれっと言った。
そして虎杖"さん"なんて白々しい呼び方をし、同級生なのに敬語を使う彼は、俺は早く帰りたいんだけどといった雰囲気で、真っ直ぐ教室の中へと入ってきた。
もちろん冷静で強かで、ある意味度胸の座った性格の人間は、初対面の女性に会釈をする礼儀正しさも忘れない。