【夏油傑】君の恋路に立たされている
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「じゃあさ、交換して」
ぽつりと話しかけられたので、え?と私は顔を上げた。
実際、「え?」と声に出して聞き返していた。
交換、とは。
何か手持ちの物と、封筒を交換しろという意味だろうか。
「私、上の方が楽でさ」
夏油はそう言って、靴棚を指差した。
あぁ、と私も納得する。
交換というのは、下駄箱の場所を取り替えてくれという意味だった。
確かに、と私は思う。
自分の出席番号が振られた憎き扉は、彼にとっては障害にもならない高さだ。
一方で、足の長い男子が一番下の下駄箱をいちいち覗くのも、煩わしいところがあるのだろう。
改めて、相手のベルトの位置に気がつく。
私の胸と同じくらいの高さに夏油の腰があることに、単純に驚いた。
「ダメかなぁ」
夏油が小首を傾げる。
のんびりとした動作だったが、ダメじゃないよね?と念を押すかのような口調だった。
断る理由は、特に無い。
が、なぜだろう。
礼儀正しいヤクザに恐喝されているような気分でもある。
とは言え交換してしまえば、私のささやかな悩みも綺麗に晴れることは間違いない。
適材適所、という言葉が頭に浮かんだ。
背の小さい私には、低い位置に下駄箱を、だ。
「わかった」
と頷く。
が、 当然気がつく。
「いや、 待って」
「なんで?」
既に夏油は下駄箱の中身をそっくり外に出そうとしていた。
私は慌てた。
「交換したら、夏油宛のラブレター、全部私に届いちゃうんだけど」
「届いちゃうんだけどぉ、」
夏油は、間延びした裏声で繰り返した。
きっと私の真似なんだろう。
しかし、作業を中断するつもりはないようだった。
私の頭上で淡々と進められた靴の引越しを終えると、いつもの調子に戻り、「そん時は、椎名さんが貰ってもいいよ」とこちらを向いた。
「えぇ、いらないよ」
「遠慮なさらず」
「じゃあ、バレンタインデーのお菓子が間違って届いても、ぽっぽナイナイしちゃおっかな」
「お、いいね」
「だめだよ、恨まれちゃう」
私が、と言うと、夏油は噴き出した。
どこがツボだったのか、彼は大きな口を開けて豪快に笑った。
そして、「楽しみだな」と呑気に吐き捨てた。
夏油は、下の名前を傑と言う。
彼の名前が、ゲトウスグルと読むのだと初めて知ったのは、クラス替えで3年1組の名簿を見たときだった。
つまり、 本人には申し訳ないが、 つい最近のことになる。
そして、申し訳ないが、名字も名前も何一つ読めなかった。
けれど彼の存在自体は、入学した当初から目を引かれていた。
理由はもちろん、身長が学年でずば抜けて高かったから。
これはどうしようも無いことなのだけど、私は持たざる者だから、背の高い人を見かけると、つい「おっ」と思ってしまうところがある。
嫉妬というか、憧れというか、違う人種を見る気分と言いますか。
例えるなら、同い年のゴルフプレーヤーとか、フィギュアスケーター選手の活躍をテレビで知った時みたいな。
へぇ、すごいや、という気持ちで見ている。
ギネスブックを読んでも同じ感想を持つ。
へぇ、すごいや、そんな人間もいるのか、である。
だから、私は随分前から、夏油の後頭部を校内で見かける度に「今日は良いことありますように」と、勝手にご利益をもらっていたように思う。
更に言うと「あの人は動物に例えるなら、 虎だな」と一方的な分析までしていた。
虎っぽいと思ったのは、騒がしい男子の群れの中でも、彼だけはいつも泰然としている、ような印象だったからだ。
友人といる時も、ひとりでいる時も、自分のペースや縄張りを保つかのように振舞っていて。
こちらに向かってゆっくり歩いて来られると、背も高いし、何考えてるかわかんないし、何より迫力があって、怖かった。
実のところ、クラスメイトになった今でもちょっぴり怖い。
特に、黙って隣に立たれたときや後ろから気配を感じる時なんかがそうだ。
小心者の私は気が気ではない。
命の危機さえ感じる。
もしや、知らぬ間に怒らせているかもしれない。
油断してると、ガブリと噛み殺されるんではないか。
そんな妄想を膨らませては、草食動物さながら逃げ出すこともしばしばだった。
大変失礼なことをしたと反省するのは、いつも後になってから。