【夏油傑】君の恋路に立たされている
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女子高生になって迎えた3度目の春に、ささやかな悩みができた。
都立高等専門学校の正面入口には、生徒が靴を履き替えるための昇降口がある。
白っぽい扉つきの下駄箱が、方眼紙のマス目みたいに積み重なって、ずらりと横に並んでいる。
それが私を悩ませていた。
何故って、自分に割り当てられた下駄箱が一番上の段にあるからだ。
率直に言って位置が高すぎる。
そして私の背は低い。
今はまだ。
平均身長に満たない私は、出席番号が振られた靴棚を見上、 こんなの絶対おかしいよ、と新学期の初日から嘆いた。
だって、靴は何のためにある?
足もとを素敵に魅せるためだ。
それを目線より高い場所で出し入れしなくちゃいけないなんて。
しかも、毎日。
頭がおかしい。
配慮、そう配慮が足らない。
視力の悪い生徒を、教室の一番後ろの席に座らせるくらい配慮がない。
黒板の文字が見えない生徒は、前の席にしてあげるのが普通だろう。
足の速い子はリレーのアンカーに。
可憐な絵画は額縁の中。
ゴミはゴミ箱。
背の小さい私には、 低い位置に下駄箱を、だ。
しかし、誰に向かって訴えるべきか、未だ判らず。
今日も煮え切らない想いと共に、春の柔らかな匂いを胸いっぱいに吸い込んで右手を伸ば、なんとか下駄箱の扉を閉める。
バタン、と響く安っぽい金属音にも、馬鹿にされている気がしてならない。
むー、と頬を膨らませていたその時。
制服の袖から、ひらりと小さな断片が落ちてきた。
例年通りに満開を迎えた、校舎前の桜並木の花びらだ。
今年も春の訪れと共に、校門から昇降口の手前まで足並み揃えて咲き誇った。
その下を歩く新入生の初々しさも相まって、まさに爛漫と言った眺めになっている。
きっと、今日も知らないうちに、1枚連れてきてしまったのだろう。
もちろん、その景色を見ながら登校するのも、今年で最後になるのだけれど。
細く射し込む朝日に目を細める。
散りゆく薄桃色は毎年ながら、儚い。
袖もとからひらひらと緩やかに下降していく、迷子の花びらの行く末を見守ると、それはやがてふわりと着地した。
隣にしゃがみ込んでいた人の、髪の毛の上に。
お、とつい声に出してしまった。
私のスカートの真横にあった夏油の顔が、 パッと上がった。
一番下の列の下駄箱を使っているんだろう。
常々ちゃんと制服を着ろとお叱りを受けている勝手にカスタマイズしたボンタンを履いて、中途半端に開いた小さな扉の前で豪快に股を開いてしゃがむ姿勢をとっていた。
目が合うと「ども」と下から挨拶してくる。
私はきょとんとしてしまった。
彼とはまだ然程親しくなかったという理由もあるけど、それ以上に、頭の上の桜の花びらに気付かない様子で手に持っている、その控えめな柄の封筒に目が釘付けになったからだ。
固まるこちらを他所に、夏油は静かに下駄箱の扉を閉めた。
膝に手を置き、「よいしょ」と立ち上がる。
あっという間に、 見上げるほどの大きな壁となって立ち塞がった。
「おはよ、 椎名さん」
と、もう一度、ゆっくりと挨拶される。
私も今度こそ、けれど相手の手元をまじまじと見ながら「おはよう」と返した。
その視線に気が付いたのか、夏油は「これ?」と扇ぐように、封筒をぱたぱたさせる。
「私のトコロから出てきた」
ただ事実だけ述べた様子で、何の感情も込めずにそう言った。
見たところ、宛名も差出人の名前も無い。
しかし私は確信をもっていた。
きっと中の便箋には、華奢で綺麗な文字が恥じらいと共に並んでいるはず。
「ラブレターだね?」
ちょっとワクワクしながら尋ねた。
「さぁ?」
とはぐらかされる。
「開けてみないと、 わからない」
「いいなぁ」
感嘆の言葉が口から漏れた。
貰えて良かったね、という気持ちもあったし、こんな時代にわざわざ手紙という手段を選びとった相手の人柄も、なんだかいいなぁ、と思ったからだ。
「欲しい?」
と、 夏油が聞いてきた。
少し驚いて、首を横に振る。
いらない。
確かに、いいなぁとは言ったけど、目の前にある夏油宛のそれを私が貰っても嬉しくはない。
「そっか」
と夏油は呟いて、うーん、と頭の後ろを掻いた。
彼の上に乗っかっていた花びらが、思い出したかのように、はらりと離れていった。
思わず目で追う。
高校で見る最後の桜かもしれない。
しんみりしてしまって、冷たい地面に降り立つ様子まで、見届ける。