【伊地知潔高】レモネードの作り方。
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昼過ぎになってもカーテンを閉めていた。
世界と断絶してひとりになる方法をそれしか思いつけなかったから、昼過ぎになってもカーテンを閉めていた。
薄暗い7.5畳の空間の隅で私は膝を抱えて、唯一好きなロックバンドの音楽だけを小さく流した。
エアコンの空調でカーテンはそよそよと揺れる。
その隙間から、陽の光と、このアパートの前に面した道路をはしゃぎ通り過ぎていく子供の声が侵入してくる。
外の世界の平穏さが、今の自分には息苦しかった。
初めてのひとり暮らしの住処として選んだこの物件は、築年数の割に内装が新しく、バス・トイレ別で、家賃も手頃で、その良い条件の分だけ壁が薄かった。
隣や上の部屋で暮らす人の生活音や共同廊下からの話し声が聞こえてしまう。
周囲の音へじっと耳を澄ましていると、まるでアパートと一体化したような気分になる。世界でひとりになるには向いていない場所だった。
時折り、共用廊下を行き交う足音がする。そのうちのひとつが、私のいる部屋のドアの前で止まった。
インターホンは壊れてて鳴らない。
合鍵でその人はドアを開ける。
ビニール袋か何か持っているのか、ガサガサとした音も連れているのを私は背中で聞いていた。
「馨さん、寝てるんですか?」
潔高の声だ。
「急にすみません。瀬戸内の親戚が荷物を送ってきたので」そこで彼の言葉は途切れた。
室内の様子に呆れかえったのかもしれない。
あるいは、床に投げ捨てられた一枚の不採用通知が目に入って全て察してくれた可能性もある。
とにかく壁の方を向いて座っている私には彼の表情は見えないけれど、なんとなく、その沈黙に動揺の気配が無いことだけは分かって、少しだけ救われた。
手洗いうがいを済ませてから私の隣にしゃがんだ潔高は、いつもと違う香りをしていた。
すっきりとして甘酸っぱい。
レモンだ、とすぐに気がつく。
香水のような人工的な匂いではなく、苦さも混じった本物のレモンの香り。
なぜこの人が纏っているのだろうと思うけれど、素直に顔を見たらせっかく止まった涙がまた出てきてしまいそうな気がして私は、余計に自分の膝を強く抱えて床に垂れた彼の右手の甲を見ていた。
しばらく無言で座っていた。
しめやかな空気を持て余したのか「馨さん、最初に聞きたいのですが」と潔高がぎこちなく口を開いた。
「どこか体調が悪いんですか?」
私は黙って首を横に振る。
身体は気怠いけれど、悲しいかな、それは精神的なものが原因だった。
すぐさま「では、意気消沈してるだけ?」と質問が続く。
失礼だけど、そんな言葉で片付けたくはない。
「別に……」
意地を張った私の声は拗ねた子供みたいで、いつから自分はこんな捻くれた人間になってしまったのかと悲しくなった。
ぎゅっと口を結んだ。
「そうですか」
反対に、潔高の声はなんだか緩んでいた。
「安心しました。馨さんは、そうですね……。少しだけ疲れちゃっただけなんですね」
う、やばい。
体温のある慰めに視界が涙で滲む。
ひとりで泣きすぎて生まれた鈍い頭痛は、泣くと和らいでかえって落ち着くものだった。
このままぎゅっと抱きしめられたい、と思うけど、潔高はゆっくり立ち上がり、カーテンを両手でめくって外を覗いた後、私の頭にぽんぽんと手を置いてから部屋の電気を点けに動いた。
「見てくだだい。さきほど宅配で届いたんです。なんだと思いますか?」
ガサゴソと袋を漁る音がする。
「レモン」
鼻をすすりながら、私は振り向かずに答える。
「ふふ、正解です」
目の前に置いてくれた。
袋いっぱいに詰まった、はじけるような甘酸っぱい香りと黄色。
シーリングライトの光を反射してそれは鮮やかに眩しくて、自分よりもよっぽど生気に満ちているようだった。
それにしても大量の数。
すごいね、と言おうと潔高を見たら、レモンじゃなくてこっちを見ているのでぱちんと目が合った。
「すごいですよね、私も最初にもらった時に驚いて、馨さんにも見せたいって思って持ってきたんです」
そういうのってずるい。
潔高は外の世界で出会ったいろんな光景や感覚を、私と共有したがる人だった。
ほら、見てください、とスマホで撮った写真をみせてくれるとき、幸せそうな、優しい眼差しをしていることを私は随分前から知っていた。