【夏油傑】東京雨の日
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シトシトという、雨の降る音を聞いていた。
それ以前の記憶は薄く、あぁ、いつの間にか寝ていたのか、と馨は思った。
うっすらと瞼を開けると、辺りは群青色の硝子越しのようにほの暗く、頭上にかかる濃紺のカーテンの向こうが淡く白んでいた。
けれど、夜明けなのかそれとも日が暮れるところなのか、判別がつかない。
一体、いまは何時だろう。
答えを知る気にもなれず、馨は毛布に身体を包み直して目を閉じた。
遠く聞こえる雨音のせいだろうか。
長い眠りから醒めて眠いと思う前に、また眠りに落ちるのをくり返していた。
もう随分と寝ている気がする。
果てしない時間の中を断続的に、夢とうつつの狭間を浮き沈みして、所在のないままにこんこんと眠り続けているようなのだ。
ふわふわとした感覚に身を預け、うっとりとまどろんでいるとふと、すぐ側で誰かの息づかいがあることに気が付いた。
しんとした部屋で聞こえる、穏やかな、深い呼吸のくり返す音。
首をねじって見ると、誰かの背中があった。
広く、大きな白いTシャツから伸びる逞しい腕は、寝台からはみ出している。
沿うように横たわるその人を見て、あ、とすぐに気が付いた。
「夏油」
寝起きの掠れた自分の声が、自分ではなく別のところから聞こえたように思えた。
夏油がいる、と考えて、僅かに上下するその影をぼんやりと見つめていた。
彩度の低い、青みがかった視界の中で、その広い背中や、肩甲骨や、首まわりの凹凸が滑らかに繋がっているのを観察しながら、どうして自分は夏油の隣で寝ているんだろう、と考えた。
よくよく見渡すと、天井も、カーテンも、馨の部屋とはまるで違う。
そうか、ここは夏油の部屋か。
枕元には、漫画本が置いてあった。
主人公の男子が街に佇んでいる表紙で、馨は眠る前にこの漫画を読んでいたのだ。
夢の世界から現実へ。
次第に目が醒めてくる。
と同時に、記憶の糸がするりとほどかれてくる。
この部屋に、五条と遊びにきたこと。
もう一人の同級生は二つ返事で断られたため、3人で手に余るほど多く出された課題に取り組むつもりだったこと。
けれど横のテレビでは、終始映画のDVDが再生されていたこと。
今は電源が落とされて真っ暗である。
確か、と馨は思い出す。
確か、勉強に飽きて、わたしはベッドでごろごろしていたのだ。
適当に目についた漫画を手にとって読んでいた。
登場人物たちが言葉巧みに騙し合いをする話で、世界観がよく飲み込めないままに3巻まで読んで、飽きて、気付いたら五条と夏油も両側に寝転んでいて、すごく狭い、と思いながら、「これは両手に華ですなぁ」と笑って言ったのだ。
それ以降の記憶は曖昧である。
ゆっくりと上半身を起こすと、頭が鉛のように重かった。
五条の姿が見当たらない。
ということは、もう帰ったのだろうか。
そしてわたしは、夏油と一緒のベッドに残されています、と。
はて、と頭を傾げた後、そろそろと毛布の中の自分の姿を確認した。
遊びに来た時のまま、変わらない格好だ。
序でに夏油の衣服もみるが、白Tにスエットとは言え着衣である。
ですよね、と笑いを溢した。
ここで何かを心配するのは余りにも滑稽だ。
もそもそと頭を掻く。
シャワーを浴びたい、と思った。
蒸し暑くはないが、寝汗をかいたようで、目には見えない膜がまとわりついているみたいで心地良くはない。
寝る前に此処でくつろいでいた記憶は遠い彼方。
寝台という船に揺られて、いくつもの日付変更線を跨いで帰ってきたような気分だ。
あー、と腕を伸ばして倒れ込むと、曲げた指の関節が夏油にぶつかった。
「夏油ぉ」と、もう一度呼び掛けた。
馨の前髪は乱れ、おでこが剥き出しになっていた。
しかし、それよりも空腹だった。
「起きてくださいな」
と彼を二度ノックした。
「もうじきに朝ですよ」
もうじき、とは、具体的にどのくらいかは定かではなかったが、いつかは朝が来るのだから嘘ではないはずだ。
夏油、ごはん食べたい、起きよう、と片手で揺すると、夏油が小さく呻いた。
そして寝返りを打ってきた。
あ、と逃げる間もなく、片腕が掬いとるように上に被さってくる。
抱き寄せられた、というよりは、潰された、という表現に近かった。
胸元に押し付けられて、馨は「あつい」と最初に漏らした。
次の言葉は「おもい」だった。
這い出そうと身じろぎをして、脱力した人間の腕はこんなにも重いのか、と驚いた。
寝起きでうまく力の入らない手で突っ張って、もそもそと動けば動くほど、不思議なほどに夏油の手足は余計に絡まってくる。
あれ、あれあれ、とほどこうとしているうちに、包み込んでくる身体が小刻みに揺れだしたので、あっ、と気がついた。
「夏油、起きてるんでしょ!」
いつの間にか口元を横に広げていた夏油は、顔を隠すようにシーツにおでこを押し当てて「ごめんごめん」と声を圧し殺して笑った。
「馨ってホントおもしろいね」
「うわー、またそうやってバカにしてくる」
「あれ、外、雨降ってんの?」
うつ伏せになっていた夏油が、肘をついて顔を上げた。
雨だれの音を嗅ぎ分けるように目を閉じ、味わうような雰囲気で、んー、と言って、再びパタンと倒れた。
「ダル……」
「雨の日って身体が重いよね、低気圧で」
「雨っていうか、寝過ぎ何度と思うよ」
「一理ありますな」
シーツの上を手探りでガラケーを探した。
馴染みのある自分の物では無かったが1台見つかり、上へとスライドすれば暗がりの中で煌々と光を放った。
強烈な明るさに「うっ」と声が出た。
目を開けられず、放り投げる。
「おい、私の携帯」
「頭いたぁい」
「いま何時?」
「ズキズキする……。低気圧のせい?」
「寝過ぎなんでしょ」
もういいや、と夏油が諦めたように言った。
それを合図にして、二人はしばらく口を閉じることにした。