【虎杖悠仁】Soliloquy
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高専に入学した頃から馨が好きだと気づいた。
俺の一目惚れ。
誰かに打ち明けたことはない。
理由は2つ。
1つは、周りにからかわれるのが嫌だから。
変にお節介を焼かれたり、お膳立てしてもらうのは好きじゃない。
もう1つは、というか、こっちの方が理由としてメインなのかもしれないけれど———。
馨には、年上の付き合っていた相手がいるから。
恋人のいる相手に片想いなんて負け戦。
同情されるのが嫌だから、誰にも相談なんてしなかった。
“片想いの時期が一番楽しい”なんてよく聞くけれど、そんな文句が書かれた立て札が目の前に立ってたら引っこ抜いてやりたいと思うね、俺は。
例えばさ、放課後任務へ行くために廊下を歩いてる途中、校舎の窓からどこかへ出かける馨を見つけたとする。
あー、今日は任務ないのかなぁ。
やっぱり可愛いなぁ。
遠目から見ても抜群に可愛い。
なんてぼんやり見とれてしまうとする。
だけど、馨の向かう先には必ずアイツがいるんだ。
年上のアイツ。
たぶん呪術師。
名前なんて知りたくもないムカムカする奴。
そいつがさ、馨と並んで帰ってるんだよ。
一緒に手を繋いでるとこを目撃した日なんか最悪だ。
ハートがぱりん、どころの騒ぎじゃない。
破砕機だよ、破砕機。
ダブルロールのクラッシャー。
自分のハートがバラバラに千切れる度に、唇を噛んで耐えることしかできなかったんだ。
そうやって足下に散らばった恋心の破片をメソメソしながら掻き集めてさ、大事に大事に抱えて家に持って帰って、夜、布団の中で不格好な形に修復するしかできなかったんだ。
何度壊れても、もう止めたいと思っても。
なんて惨めなんだろうと思ってた。
なんで俺じゃないんだろうって思ってた。
世界で一番、馨のことを想っているのは俺なのに。
頭の出来は知らんけど友達の数は俺の方がアイツより上だし、体の丈夫さも身体能力も俺の方が上だ。
それに、俺は、アイツみたいに、恋人を自慢のためのツールにするなんてこと絶対にしない。
笑いのために他人を貶すなんて死んでもしない。
むしろアイツが不慮の事故で死ねばいいのに、なんてことまで考えた。
アイツがこの世からいなくなったら、馨はきっと悲しむ。
泣いてしまう。
でも彼女が打ちひしがれるところを想像しても、ちっとも心が痛まなかった。
だからだろうか。
見たこともない女性と手を繋いでホテルに入って行くアイツを街で見かけた時、内心、”勝った”と思った。
相手の女性からは呪力を感じられなかったから非術師だと思う。
後をつけて、あれよあれよと言う間に二股の物的証拠が出揃ってあっという間に馨とアイツは破局した。
ついでに、彼女の俺に対する信頼も勝ち取った。
それが最近―――だいたい、2ヶ月くらい前のこと。
その後、傷心した馨の「よき理解者」ポジションを確立した俺は、気分転換になんて体の良い口実を組み立ててデートに誘い続けた。
数えて今日が3回目。
3回目のデートといえば、俗に言う裁判の日だ。
告白すべき日。
判決の日。
勝負の日。
「綺麗な音だね」
馨がふいに呟いた。
アイスコーヒーをストローで掻き混ぜている。
何が?と口を開きかけて、慌てて言葉を飲み込んだ。
ここにきて無風流な男だと思われたくない。
この席に座ったときから、店内には小さくピアノのBGMが流れている。
けれどこれは綺麗というより、緩急のついた陽気な曲だ。
答えにする代わりに、彼女の視線の先―――ミルクが混ざって甘い茶色へと変わったグラスを見つめた。
耳を澄ますと、カランコロン、と氷がぶつかり合う澄み切った音がする。
ショーウインドウに飾られた、指紋の付いていないプラチナリングみたいな音。
「ほんと、綺麗だ」
と慎重に言葉を選んだ。
「聞いてるだけで、涼しくなってくる」
この解答は正しかったようで、馨は無言で目を細めた。
ストローをくわえる唇が満足そうに弧を描いている。
感覚を共有できて嬉しいんだ、と手にとるように分かった。
あぁやっぱり、この子のこういうところが好きだ、と思うと同時に優越感。
ほらね、俺はきっと馨と相性が良い。
どっかの二股男には、どうせこういうセンスなかっただろ?
ふと、告白するなら、今じゃないかと思った。
好きって言わなきゃ。
底なし沼でも青天井でもなんでも良い。
この気持ちはどこまでも大きくなっていくはずだ。
言わなきゃ。
好きって。
この流れなら言える。
「あのさ!」
自分でもびっくりのデカい声が出た。
先程の店員が、斜め奥のテーブルを片付けながらこちらを見たのが視界の端からわかってしまった。
慌てて下を向く。
か、顔が、顔が熱い。
「はい」
どぎまぎしている俺とは対照的に、馨はゆったりと返事をした。
背筋を伸ばして、畏まった風に俺を見ている。
相変わらず、洞察力があって勘が鋭い。
これから、大切な話があるのだと察知したんだ。
ねぇそんなに敏感なのにどうして、俺の気持ちにはいつも無頓着な態度を取っているんだろう。
「あの、あのさ、馨?」
情けない声。
「はい」
「今日……楽しかった?」
「うん」
馨が柔らかく微笑む。
「楽しかったよ」
そう、その答えが返ってくることは分かりきってた。
今日がどんな1日だったとしても、馨は必ず同じ答えを口にするんだ。
口角を上げて、目尻を下げて。
「俺も、すごく楽しかった。馨といると、あっという間に時間が過ぎてく」
「私も。今日は本当にありがとう」
少し前の俺だったら、この言葉だけで馬鹿みたいに喜んだんだろう。
だけど、今はただ不安が込み上げてくるだけだった。
だって、おかしいんだよ。
性格が良すぎる。
異常なほどに。
今まで3回のデートの中で、馨は一度だってわがままを言わなかった。
俺の意見に従ってばっかりなんだ。
所謂イエスマン。
多分、誰の前でも。
デッドロック、という単語が頭をよぎる。
俺も彼女も、相手が本音を出すのを待ち続けてる。
お互いに身動きがとれなくなってる。
口の中が渇いていた。忘れ去られていたコーラをすすると、炭酸の抜けた味が口に広がって、余計に心が乱される。
自分のグラスの下には何も敷いていないから、水滴が輪の形になってテーブルを濡らしてしまっていた。
———きっと、相手の心を開きたいなら、まずこちらから本音を出さなきゃいけない。
わかってる。
わかってるけど、この空気に、終止符を打つ言葉が見つからない。
しばらく考えてからようやく「あのさ、」と口を開いた。
「俺じゃダメかな」
言ってしまってから、会話の繋がりを無視してしまったことに気が付いた。
けれど、何が?とは聞かれなかった。
それどころか、馨の視線はアイスコーヒーに浮かぶ氷の島々に降り注いで微動だにしない。
長い長い沈黙の後、彼女は、映画のワンシーンみたいに、「ごめん」と言った。
割れやすい、硝子の言葉を俺の目の前に置くように。
ごめん。
だってさ。
なんとなく、その返事を俺も待ち受けていたんだと思う。
次の言葉が頭の中をぐるりと回って、勝手に口から出ていった。
「わかってるよ。馨がまだ、アイツのこと好きだってわかってる」
返事はなかった。
「でも、浮気されちゃったもんはしょうがないだろ?過去を引きずってても何も変わんないよ」
返事はなかった。
だから、構わず続けた。
「今すぐアイツのこと忘れろなんて言わない。思い出を全部上から塗りつぶすなんてこともできない。でもさ、俺はずっと側にいてあげるから。馨に寂しい思いなんてさせないし、わがままだって、いくらでも言ってよ。嫌いになんてならないから。だからさ、これから、一緒に色んなとこ行って、色んな楽しいことしてればさ、いつか、アイツとの思い出だって薄れて————」
「ありがとう、」
やっと馨の顔が上がった。
鈴の音のような声と視線。
「虎杖くんは優しいね。あの人より、ずっとずっと優しい。一緒にいても楽しいし、いつも気を遣ってくれる。とっても良い人」
「じゃあ、」
「でもね、それだけなの」
それだけ、とは?
一瞬意味が分からず、え?と聞き返そうとした。
けれど、喉の奥からは、息の音しか出なかった。
「私が二股かけられてるって教えてくれたことも、たくさん、相談も愚痴も聞いてくれたことも、すごく感謝してる。でもね、」
彼女の声から、ゆっくりと色が消えていくようだった。
「私は多分、あの人じゃなきゃだめなの」
「……浮気するような奴でも、良いの?」
血の気が引く感覚がした。
魂を抜かれるみたいに、頭の先から浮いてっちゃいそうだ。
馨は、1度だけ頷いた。
「騙されたままでいいから、あの人とずっと一緒にいたかった」
そう言うと、それっきり、無言になってしまった。
つまり。
つまり俺は、馨の幸せを壊した男、だったわけ?
そんな、誤解だよ。
ただ、馨を幸せにしたかっただけなのに。
ほとんど飲んでいない炭酸の抜けた薄まったコーラのグラスについた水滴を見つめながら、校舎窓から見たアイツと馨の背中を思い出していた。
それを黙って見ることしかできなかった自分のことも。
じゃあ、その気がないのに、どうして俺と遊んでたんだよ。
負け惜しみを言おうともしたけれど、泣きそうな馨の顔を見た途端、何も言えなくなってしまった。
どうしたらいいかわからなくて、途方に暮れてしまって、店内に流れる小さなピアノの音を聞いていた。
悲しいわけでも、腹が立ったわけでもなかった。
ただ、席を立とうともしない馨を前に、彼女もまた、俺と同じ弱い人間なのかもしれないな、と考えていた。