【夏油傑】おちたみどりはどんなおと
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「傑は、もう進路とか決めたわけ?」
馨が尋ねる。
ペダルがきいきい音を立てる。
進路は決まってるようなもんなんだよな、と思いながら夏油も足元のペダルを漕いだ。
ボートが前進して、水上の景色が後ろに流れる。
くそ。やっぱり恥ずかしいじゃないか、これ。
「将来の夢とか、ないの?」
「ない、と言えばないし、ある、と言えばあるよ」
2人乗りのスワンボートの中は、車の運転席と助手席みたいになっていた。
違うところと言えば、椅子はひと繋がりのベンチでアクセルブレーキの代わりに足元にペダルがあること。
左右と前の窓にガラスがないこと。
それから、装飾の白鳥の首が邪魔で、全然前の景色が見えないこと。
「高校はあっという間だからねぇ。友達関係も離れちゃえば薄れるし……。仲のいい友達とはずっといい関係が築けるといいね」
「そうだね」
彼等と離れる未来が見えない。
呪術師である限り、彼等との関係は続いていくんだから。
返事をしながら、ちらっと視線を下に落とした。
馨が豪快にペダルを漕ぐから、スカートが膝までめくれ上がっている。
太ももまで見えてしまって、あぁ、と嘆いて灰色の空を見た。
さっきまであんなに晴れていたのに、順番待ちをしている間に雲行きが怪しくなってきた。
夕立でも降るかもしれない。
「大学は行くの?」
「いや、仕事をするよ」
湿った空気の匂いを嗅ぎながら、本当は、と考える。
本当は、迷っている。
術師であるべきかどうか、を。
でもそれ以外の道がわからない。
だから迷いながらも術師の道を歩み、彼等と、たった一人の親友とずっとこのまま最強であり続けたい。
これ以外の仕事など夏油には思いつかなかった。
とりあえずで担任には、術師として働きながら高専の教師にでもなろうかと相談していた。
担任は、何も言わなかった。
何も言わなかったけど、それは肯定を意味していることだけは分かった。
「あっ!」
突然馨が声をあげた。
ガタン、とボートに衝撃が走る。
驚いて顔を上げると、白鳥の頭が岸に生えた木にぶつかっていた。
「ほらー、傑がぼんやりしてるから」
「ハンドル握ってたのは馨だろ」
「今は握ってないもーん」
「え?なんで握ってないの?」
「だって難しいんだもん」
ほらー、とバンザイをして馨は大きく伸びをした。
「疲れたからちょっと休憩!」
ぐっと逸らされる胸の膨らみに、思わず視線が奪われる。
ボートは屋根で覆われていて、彼女の白い太ももの上に薄くなった日光と屋根の影との境界線が斜めにまっすぐ伸びていた。
「ねぇ、」
ここが湖の端の暗い木陰の場所であることを確認してから、夏油は彼女の首筋に鼻を寄せた。
「馨って歳いくつ?」
微かに香水の匂いがする。
「何歳だと思う?」
聞き返されてまた負けた気になる。
まだ高校生の夏油にとって、それは一番困る質問である。
「さっぱりわかんない。仕事は?」
「秘密」
「彼氏は?」
「それも秘密」
「秘密ばっかりじゃないか」
悔しくなって、白い太ももの上の、ほとんど消えかけた光の線を指でなぞった。
「ね、キスしてもいい?」
「それはダメ」
「ここなら誰にもバレないよ」
「そういう問題、じゃ、ないから」
被さるように身体を寄せると、彼女は距離を取ろうと仰け反る。
重心が移動して、ボートが大きく傾いた。
間抜けなことは自覚している。
ただの暇つぶしのつもりだったのに、その日会ったばかりの女性にがっつくなんて。
しかも歳上の、知り合いの術師と同じくらいガサツな女に。
「いいだろ」
「ダメ」
「じゃあ、なんで私とここに来たんだ」
「だっ、て!てっきり大学生だと思ってたから……こら!」
逃げられないように、馨の背中に腕を回す。
無理矢理顔を近付けた時、ポタン、と頭上で音がした。
「あ、」
雨、と馨が呟いた。
つられて夏油も視線をずらす。
水面にポツポツと波紋が広がっている。
見ているうちに、どんどん増える。
タタタ、と走る子供の足音みたいな雨音が、にわかに滝のような轟音に変わった。
「ぎゃっ!冷た!」
土砂降りになった雨がガラスのない窓から入り込んできて、身体にかかる。
湿度が上がる。
温く張り付くような空気が身体の中に入り込む。
濡れた緑の匂いがする。
「もう戻ろっ」
「待って」
ボートのハンドルを握った馨の腕を、夏油は掴んで止めた。
ちょっと待てよ。
このまま戻ってボートから降りたら、アンタどうするの?
そのまま逃げて、二度と会えなくなるんじゃないのか?
「戻らないと。風邪引いちゃう」
「引かないよ。大丈夫でしょ。私たち馬鹿だから」
「認めちゃったよ!」
必死な夏油に、馨が噴き出す。
それから脇に置いていたジャケットを羽織って、ポケットからハンカチを2枚取り出した。
「濡れちゃうから、これで拭いて」
そう言って1枚差し出してくる。
「何で2枚も持ってるんだい」
「乙女のたしなみ」
馨はケラケラ笑って、ハンカチはいつも2枚持ち歩くんだよ、と言った。
「1つはお手洗いで手を拭く用に。もう1つは、素敵な男性に差し出す用に」
はい、と馨はハンカチを渡す。
それが新品みたいに綺麗だったので、夏油は受け取るのに躊躇した。
「プレゼントでもらったの。もったいなくて、自分じゃ汚せないんだ」
「私だって使えないよ。そんな高そうなもの」
「いいの。あげるよ。返さなくていいから」
「返さなくていい、って……」
どういう意味だい、それ。