仙牧 新⬆旧⬇



🎅🏻某年12月24日

 サンタクロースが苦手なんだ。

 そう恋人が漏らしたのは、あの人と付き合って二年目の冬だったろうか。
 たしか大学生になった牧さんと、高校最後のウインターカップ直前にワンオンワンを決め込んで、息抜きと称してクリスマスデートした時の話だ。
 まだその頃は、彼にプレゼントを渡すのにはまだまだ少し照れがあって、しかも高校生の小遣いなんかで買えるものは限られていた。
 それでも大学に進学して、私生活も、バスケも忙しい彼をなんとかクリスマス前にデートに誘い出し、何が欲しいかリサーチしながら、バスケの練習に使える新しいTシャツとか使いやすいスポーツタオルとか、そんな実用的な物ばかりをあの頃は彼に贈っていたのはよく覚えている。
 その年も俺が牧さんに送ったのはNBAの選手の名前が印刷されたマフラータオルで、クリスマス当日には、いつものワンオンワンのあとに普段は敷居が高いちょっと小洒落たカフェに彼を誘い、店の中でそれを手渡した時、牧さんは満面の笑みで喜んでくれたのだ。
 彼からも俺が常々欲しいと思っていたスポーツバッグをプレゼントされて、クリスマスデートを心から楽しんでいたそんな時。
 混雑した店内で隣に座った家族連れが大きなプレゼントを持っていて、その子供のプレゼントを見つめていた彼に「そういや牧さんってサンタクロースは幾つまで信じてたんです?」と何となく聞いたことがきっかけだっただろうか。

「サンタ……なぁ」
「え、もしかして結構信じてたクチですか?」
「少なくとも小学校六年間は、サンタの存在は信じてたぞ」
 そう言って首をすくめた牧さんは、「俺、兄弟もいないしな」と言葉を続けた。
「毎年毎年、二十五日の朝は枕元に置かれていたクリスマスプレゼントが楽しみで仕方がなかったんだ。模型に、ゲーム、ゲームソフトにバスケットボールに……って具合にな」
 指折り数えてプレゼントを思い出していく牧さんの様子を見るに、本当に素直で良い子だったのだろうなと感心してしまう。俺なんか五つ年上のねぇちゃんが小学校三年生の時に「彰、まだサンタさんなんか信じてんの? そんなもんね、親よ親」と小馬鹿にされたように言われてしまって以来、少なくとも枕元にプレゼントが置かれていたことなんてなかったのに。
「牧さんのことだから、毎年サンタさんへの手紙書いてそうですね」
「そう。ちゃんとレターセットを母さんに買ってもらってな、今年はこれが欲しいですってちゃんと書いて」
 小学校四年生くらいまではちゃんと自分の部屋に、サンタ用のケーキまで用意してたんだと言った小さい頃の牧さんを想像する。前に見せてもらったアルバムに写った小学生の頃の今とは全く違う小さな体躯の彼を思い出し、さぞかし大切にされてたんだろうなと納得した。
 中学三年頃から成長期がはじまり、今の帝王然(面と向かって言うと拗ねるので言わないけど)とした見た目になったと言っていた牧さんは、その厳つい見た目とバスケットへのストイックまでの厳しさとは裏腹に、懐に入れた人間のことはどこまでも信じてしまいやすい少しの甘さを持った人なのだ。
 だから小さな頃から刷り込まれたそれを大切に信じてしまうのは、如何にも彼らしいエピソードだと思った。
「それで……いつサンタは、その、なんていうか……いないって言うことに気がついたんです?」
「中学入ってからだ。部活でそういう話になった時に、俺と同じようにサンタを信じてたヤツがいてな」
──部員みんな寄ってたかって揶揄って、そんなもん親に決まってるだろう、て。
「まぁ、俺はその時遠巻きに黙ってたから、揶揄われるっていうのはなかったけどな」
 そう言って、牧さんは飲んでいたコーヒーカップを置いた。
「でも、……信じていたものを完全に否定されたのは、あの瞬間が初めてだったかもしれん」
──だからサンタは苦手なんだ。
 そう少し寂しそうに苦笑いした牧さんの顔は、もう何年も頭にこびりついたままだったのだ。



*****



 気配に敏感な恋人にしては、珍しく深く寝入っている。


 すぅすぅと寝息を立てている恋人の顔を注意深く見つめ、起きるなよ、と心の中で念じなが、手にしたものを素早く通した。
 キツ過ぎず、しかしすっぱ抜けてしまうようなものでは決してないそれは、バスケットボールを片手で軽々掴む大き節くれだった長い指に引っかかることなくするりと嵌り、心の底からホッと息を吐き出した。
 どうやら第一関門はクリアできたらしい。
 そうして、嵌めたばかりのそれが、まるでずっとそこにあったような顔して輝くの見て──酷く自分の心をじわりと満たす充足感が拡がっていくのを感じて、悦に入ってしまう。
 薬指で輝くそれをゆっくりと撫でながら、そっと両手でよく日に焼けた左手に触れた瞬間に、形のいい眉が一瞬くっとしかめられて息を飲むが、しかし彼の覚醒を促すまでには至らなかったようで、彼は目の前で小さく口を開けたまま寝こけてたままだった。
──だいぶ無理させたかな。
 普段体力お化けを自覚している彼が、行為の後にこんな風に深く寝入ってしまうのはごく稀だ。彼が主導する(もちろん挿入るいれるのは俺だけど)行為も多く、お恥ずかしながら俺の方がもう無理だと懇願させられることも多いというのに。
「……まきさん、今日は子供みたいにはしゃいで、本当に可愛かったもんな」
 寝室から見える居間のテーブルには、クリスマス当日を待ちきれなかった彼が、乱雑に破いてしまった包み紙が見えていた。
 傍に置かれた真っ白なマフラーは、有名なブランドのもので、「俺に白か?」なんて言いながらも、満面の笑みを浮かべてプレゼントを喜んでくれたのだ。
 あの頃に比べれば、この人に贈る物も随分と高価な物を、しかも『俺がこれを身につけている牧さんを見たい』なんて価値観でプレゼントを贈れるようになったのはある意味で成長かもしれない。

 だから、これもある意味で俺のエゴになってしまうのだろう。


──サンタクロースが苦手な貴方の、最後のサンタクロースになれますように。


 明日この人はどんな反応をするだろうか。
 喜んでくれるだろうか。いつものあの特上の笑みを見せてくれるだろうか。
 もしかしたら今更かと、怒られてしまうかもしれないな。まぁでもこの人の性格からして、捨ててしまうようなことはないだろう。
 心中の一抹の不安は、しかしもうそれさえも明日のお楽しみだ。
 そんなこと思いながら、俺は眠くなるまで健やかに眠る恋人の顔を見つめていたのだった。








🎄.*12月25日蛇足


 朝の空気は澄んでいて、温めきれていない室内は少し寒い。
「お、ホワイトクリスマス」
 雪にして粒が大きく、ベチャベチャとしたみぞれのようなそれは、キッチンの小さな窓からも目視できた。
 日常的には厄介な物扱いされてしまうそれは、今日という日に限れば見事な舞台装置にしかならないだろう。
 通りで寒いはずだだと、思わず口癖のようにまろび出てしまう「寒い」という言葉をなんとか飲み込んで、背中を丸くして火にかけていたケトルがシュンシュンと音を立て始めたのを見つめていた俺は、音もなく寝室の扉が静かに開いたのを見て、意識をそちらに集中させた。
 少し緊張してしまうのは、昨晩の己の所業のせいに違いなかった。

「おはようございます。牧さん。まだ寝ててよかったのに」

 そこには、同棲し始めて五年になろうかと言う最愛である牧紳一さんが扉を開いたところだった。
 しかし普段の溌剌とした彼はどこへ行ってしまったのか、実に気怠そうで緩慢な動きで動いていて、挨拶に対しても「おはよう」とゆったりとした生返事を返すのみだ。
 寒さに耐えかねた彼が着ているのは、モコモコしたブラウンのガウンで、それは昨日俺が身ぐるみを剥がす前に彼に贈ったものだった。
 白いマフラーと言い、ガウンといい自分の中で最近彼をモコモコとした素材のもので包んでやるのが流行っていて、俺は自分の見立てに、実に満足していた。
 ガウンの下の襟ぐりの開いただるだるのロンTからは、昨日だったか今日だったかに付けた赤い跡がいくつも浮かんでいるのが、その物憂げな雰囲気によく似合っている。
 そうして──左手に光るまだ真新しいリングを見つけて食い入るように見つめてしまうのは、最早どうしようもできなかった。

──あれ?……というかもしかして牧さん、まだ気がついてないのか?

 眠そうに欠伸しながら、洗面台に向かう牧さんの表情を瞬きをしないでじっと見守っていたが、彼は特に反応を示すことなく洗面所に消えていってしまう。
 そのパターンは想定していなかった。水音が聞こえ始めてから、詰めていた息を吐く。
 朝一彼になんと言われるだろうかと、想像に想像を重ねていたというのに、昨日盛り上がりすぎた弊害がこんな所で出ようとは。
 ちょうどその時トースターからチーンと間延びしたような食パンの焼きあがった音が、キッチンにこだまする。
 いつ彼が気がつくのか分からないが、モタモタとしていた朝食の準備を加速せねばならない。焼きあがったトーストにバターを付けようと、冷蔵庫を開けたのだった。



 髭をあたり、洗面を済ませてキッチンに戻ってきた牧さんは、せっせと朝食作りに励む俺の肩に軽く自分の肩先をぶつけ「何作ってるんだ?」と聞いてくる。
 二人だけに通じる軽い身体接触に、レタスを割いてサラダを準備していた俺は身を屈めて、彼の唇に軽いバードキスを落としてやった。
 牧さんがキス待ちするように顔を上げているのは恐ろしく可愛らしくて、顔がだらしなくニヤけないようにするのが大変だった。
「ドレッシング、フレンチで良かったです?」
「ゴマドレがいい」
「りょーかい。コーヒー出来てるんで座ってて。すぐに持っていきますから」
 わかったと、もう一度軽く肩をぶつけダイニングに向かう牧さんの後頭部に、ぴょんと跳ねた寝癖をみつけ、愛おしさでどうにかなってしまいそうな気持ちを無理やり押さえつける。
 特にコーヒーには頓着しない者同士だったのだが、気まぐれに彼が買ってきたハンドドリッパーが、案外に俺の中では当たりで、時間がある朝はゆっくりとドリップするのにハマっていたりする。
 こぽこぽと湯をかける音を聞きながら、ダイニングに座っているだろう牧さんの様子を伺うと、まるで示し合わせたようにこちらを見つめるアンバーと、バチリと目が合ってしまって狼狽えた。
 その目には彼らしからぬ、まるで悪戯が成功した子どものような色が浮かんでいて、瞬間彼に全て筒抜けていたことを悟るには十分すぎた。

「それで?……サンタさんはいつネタばらししてくれるんだ?」

 そう言って、左手をヒラヒラとさせる牧さんに、俺は天を仰ぐことしかできなかった。
「いつ……から、気がついてたんです?」
「お前がこれ付けた時」
 お前、俺に起きるなよって言いながら付けてただろうが。
 そういう牧さんに「全部バレてたっていうことですか?」とドリップしたコーヒーを彼の目の前に置きながら慎重に問うた。
 ──嫌がられていないあたり、成功したと思っていいのだろうか。
 動揺した心をそっと落ち着かせるように、そのまま俺も彼の隣そっと席に座る。心臓が耳元にあるようにドクドクと酷く煩くて、初めてプロになってアリーナに立った時だってこんなに緊張などしなかった。
「真剣な顔して指輪はめてるお前が可愛いかったぞ」
 しかし牧さんからは、少しズレた答えが返るのみだ。
 ずっとそこにあったかのような顔して輝いているそれと、どことなく得意げな顔した彼の顔を交互に見つめながら、腹の底からそっと息を吐いた。
「可愛くないですよ……あぁでも、牧さんにそれつける時は正直必死だったので、表情なんか取り繕う間も無かったです」
 正直に俺がそう言うと、途端に牧さんが些か驚いたように目を瞬かせる。それに勇気を貰うようにして、俺は机の上に投げ出されていたは牧さんの左手を取った。
「昔、付き合ったばかりの頃に牧さんサンタクロースが苦手だって話をしてくれたでしょ?」
「……したな」
「あれを覚えてたから尚のこと必死だったんです。──ね。貴方が信じてる物を裏切るなんて俺は絶対にしません。だから、」

──俺を貴方の最後のサンタクロースにしてくれませんか?

 音もなく降り積もる雪に、周りの音は吸収されてしまったのか、その言葉は存外部屋の中で大きく響いた。
 彼の左手を握る手に力が籠る。口の中はカラカラで、審判を待つような祈るような気持ちで牧さんの言葉を待った。僅かに目を見開いた彼の表情は、しかし途端に破顔する。
「──プロポーズみたいだな」
「あれ、ちゃんとそのつもりだったんですけど」
「クリスマスの朝にか? とんだロマンチストじゃないか」
 そうして柔らかな笑みを浮かべた彼にそのまま掴んでいた片手をぐいと引き寄せられた。
 牧さんの胸元に抱き寄せられる形になって、俺はどういう事態か分からずに目を白黒させることしかできなかった。
「えーと……」
「今日、朝顔洗おうって洗面台所に行った時、」
「せん……? はい」
「左手見ながら、これ濡らしても良かったかって、たっぷり一分間は考えさせられた俺の気持ちを考えてみろよ」
 思わず牧さんの顔を見上げそうになって、しかし胸元に引き寄せられる強さが強くなってそれは叶わなかった。
「──っふふ、考えたんだ」
 慣れないそれに、四苦八苦する彼を想像するともうそれだけで、最高にたまらなかった。
「ねぇ、牧さん顔見せて」
 強請るように牧さんに言えば、俺の身体を拘束していた力が、ふわりと緩んで優しく背中を撫でられる。
 それが嬉しくて、俺も牧さんの腰に両手を回して抱きしめ直した。
 あんなに余裕そうに見えた彼が耳を赤く染めて照れているのが目に入り、かぶりついてしまいたい衝動に駆られ、自分を制御するのに必死だった。

 お前の指輪を買いに行かなきゃなと、呟く分厚い唇に目いっぱいの愛を込めたキスをおとしながら、もうお揃いを買ってあるということを、いつ言い出そうかと思案したのだった。
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