春告げ鳥と花の唄
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
改めてロー先生の船にお世話になってから早一週間が経った。ログが貯まるまで、あともう少しだけこの島に停泊するらしい。
相も変わらず私は自分の記憶も思い出せやしないし、自分が指名手配犯になった経緯も分からなかった。絶対に口を割りそうにないロー先生に聞いても時間の無駄なので、周りから落としていこうとクルー達にそれとなく尋ねたら、どうやら船の皆は私が一億の首だと知っていたらしい。私が失踪してからとても心配したんだぞ、とこの時とばかりに逆に怒られてしまった。それに釈然としない何かを感じながらも私は謝った。
しかし、少しでも私の記憶云々の話を振ろうとすると、先程の勢いはどうしたのかというくらいに皆口ごもるのである。十中八九ロー先生に口止めされているのだ。更に話を聞こうとしてもすぐに逃げられてしまう。この船の人間は、当然のように船長であるロー先生の味方なのだ。知ってた。
とはいえ、そんな大事なロー先生が殺人未遂を犯した女と一緒にいてもニコニコしているし、寧ろ謎のロー先生プッシュで私も仲間に引きずり込もうとしていたくらいなのだから、この前の私の過程も間違ってはいないのでは、と思いたくなる。まぁ私のような女など、ロー先生なら両目を瞑って指一本で殺せるのだろうから大した脅威ではないのだろう。
そんな私は今、ロー先生と二人並んで島を歩いていた。
億単位の懸賞金がかかっているのに、ロー先生は堂々と太陽の下を歩く。それもわざわざ私を連れて。外に出たいのなら、足手まといになる歩く一億ベリー(私のことだ)を連れるのは止めればいいのにと伝えたところ、彼はそれを鼻で笑った。曰く「お前は何も言わずに勝手に抜け出すくらい外に出たかったんだろ。可哀想だから付き合ってやるよ」とのことだ。未だにロー先生は私が脱走したことをチクチクと刺してくる。そしてそれを言われると私は黙るしかなかった。
しかし、私としても何が記憶を戻す引鉄になるか分からないから、色々なものを見られて体験できる外に出られるのはありがたい。そう考えると、ロー先生は私の記憶が戻ることについてはやはりどうとも思っていないのかもしれない。
ロー先生は一日に一回は私を連れてふらりと船を降りた。偏見で塗れていたロー先生像と比べて実物は思ったよりアクティブなのだな、と認識を改めたのだが「いやー、ナマエのおかげでキャプテンが規則正しい生活をしている」とクルー達から感謝されたので、やはりそんなことはないのだろう。穏やかな浜辺を散歩したり、古本屋や骨董品屋を物色したり。行先に目的のない日もあった。これは傍から見るとデートというやつではなかろうか。なんて、それを聞く勇気は私には無い。
「今日はどこに行くの」
「酒でも飲みに行く」
冬が訪れた秋島の夜の海は、静かに凪いでいる。先日の雪は嘘ではなく、吐く息も白い。それでも不思議と彼の隣は温かった。だけれども私は、真っ直ぐ前を見据えるロー先生の瞳の奥に、ふとしたときに冬を見る。まるで迷っているような、戸惑っているような、自分を責めるような。堂々と自信に満ちた普段の彼に似つかわしくないようなそれは、彼の身体に刻まれた文字や模様に関係しているのだろうか。気にはなるのだが、記憶も無く自分の立ち位置が分からない私にそんな無責任な真似ができるはずもない。私は結局のところ、少しでも彼が温かくなればよいと思いながら彼の隣を歩くことしかできないのだ。
繁華街は思ったよりもギラギラしていなくて、代わりに優しい光が煌々と溢れていた。特に行く店は決めていないそうなので、好きなところを選べとここに来て丸投げをされてしまった。だから私はロー先生の代わりに店の外に置かれたメニューやら雰囲気を吟味して歩き回った。そして一軒の店の前で立ち止まる。アイボリーの漆喰の壁にお洒落な小さな丸窓がついていて、その下に置かれたプランターには可愛らしい花が咲いている。こじんまりとした可愛らしい建物だ。
「飲み屋じゃねェじゃねェか」
「好きに選べって言ったのロー先生じゃない」
昼はランチを、おやつ時にはケーキを、夜にはディナーとお酒を出すといったスタイルの、バーというよりはカフェ寄りのお店だ。私はここのスイートポテトのパフェが気になったのである。ロー先生は自分の発言を思い出したのか、渋々着いてきてくれるようだった。意気揚々と店内に入ると、カランカランとベルの音が鳴る。ピンクとレースが増し増しの店内の内装に、ロー先生は露骨に嫌そうな顔をした。でもそれは無視。
案内された二人用の席に座って、改めてあたりを見回すと私たちの他に6組の先客がいる。いずれも女性同士か男女の二人組だ。
お目当てのスイートポテトのパフェを注文した私がワクワクしながら待っていると、奥の方に座っている席の雲行きが怪しいことに気が付いてしまった。ロー先生の肩越しに見えるボックス席に座っているのは私と同年代くらいの男女の二人組だ。カップルなのだろうか。とはいえ、私とロー先生も男女二人であるがカップルでは無いのでそう決めつけるのは早計だろう。真っ赤なネイルに、唇に真っ赤なルージュを引いた凛とした感じのキツめの美人と、気が弱そうで草でも食べてそうな男性だ。美女は男のことを射抜くような瞳で見ている。そしてその深紅の唇が男を責めるべく開いた。
「誰よ、あの女」
その底冷えした声音に私は震えあがったが、ロー先生が小声で「あまり見るな」と嗜めてくるので、我に返ってこくりと頷いた。確かに他人の話に聞き耳を立てるのは行儀が悪い。しかし、位置的に嫌でも視界に入ってしまうのだ。私は勃発した修羅場を視界から追い出そうと必死のあまり、何も考えずに彼に話を振った。
「ロー先生はこういうところに来るの初めて?」
「おれがこんなところに入り浸ってるように見えるか」
「……見えない」
会話終了である。私の脳内に、ちーんっと終了のベルが鳴った。しかし、これは会話の続けようによっては過去を探ることができるのでは。私はめげずに延長戦に持ち込んだ。
「私はこういうところ、好きだったのかしら」
「知らねェ」
そう言ってロー先生は私に視線を向けた。多分、彼は今、私の奥にいるであろう過去の私を見ている。その視線にモヤモヤとしたものを感じたのだが、ロー先生のにべもない返事に何も言えなかったので、今度こそ会話が途切れてしまった。静かになった私の耳に、再び先程の男女の声が入って来る。相変わらず彼女は男を鋭い言葉の刃で詰問していた。話を聞く限り、男が美しい女に夢中になっているのではなくどうやら逆のようだ。彼女だったらもっと良い人と付き合えるのではないか、と思わなくもなかったが恋愛は自由だし本人同士にしか分からない魅力というものがあるのだろう。ふと辺りを見回すと、私の他にも数人が野次馬として聞き耳を立てていた。そんな野次馬に見守られる中で女の声は少しずつ、か細く悲痛なものになっていく。
「ロー先生、あの人たち……」
「放っとけ」
その声が私の胸をつきんと刺したので、眉尻を下げてロー先生を見ると彼は心底どうでも良さそうな顔をしていた。強い。でも、確かに彼の言う通り私はただの他人で野次馬なので、彼女にしてやれることは何もない。ちなみに彼女に同情的なのは、あの冴えない男がまさかの二股をかけているということを知ったからだ。こんなに綺麗で自分を愛してくれる人がいるのに何故。多分、ここにいる野次馬たちは皆彼女の味方だった。
しかし、二人の諍いはどんどんとマズい方向に転がっていく。男の煮え切らない返事にぐつぐつと彼女の怒りは燃え上がってとうとう沸騰したそれは、吹きこぼれまで起こしたのである。
「こうなったら貴方を殺して私も死んでやる!!」
極めつけに響き渡った女性の物騒な金切り声に、今度こそ私は飛び上がって小さく悲鳴を上げた。ロー先生の肩越しにガタリと立ち上がった彼女が見える。そして、彼女は目の前に置かれた肉を切る用のぎざぎざした刃をしたナイフを掴んで、徐にそれを男に振りかぶったのだ。その瞬間、青白い光が辺りを包んだかと思うと彼女の手の中のナイフが水の入ったコップに変わった。そのまま重力に従って振り下ろされたコップから飛び出た水が男の頭にぶちまけられる。びしゃっという音は男の血が飛ぶ音ではなく、水がかかった音だ。私を含む野次馬たちは、何が起きたか理解できずに目を白黒させることしかできなかった。ぽかんと口を開けたままの私の腕を、いつのまにか立ち上がったロー先生が引っ張った。
「出るぞ、飲み直す」
状況が飲み込めない私はよく分からないまま頷いて、彼に腕を引かれて店を後にした。色々と衝撃的過ぎて、スイートポテトパフェに関する未練は無かった。
「さっきのってロー先生?」
「さァな」
店を出てから暫く夜風に当てられた私は、冷静さを取り戻してきたので隣を歩くロー先生にそう尋ねた。真面目に答える気はなさそうだったが、どう考えてもこんな芸当ができるのは彼しかいないだろう。
「貴方ってやっぱり能力者なのね」
「知らなかったのか」
「知ってたわ」
先日のバラバラ事件は私の記憶にしっかりと刻まれた恐怖映像である。繋がりは分からないけれども、分解と移動ができる能力なのだろうか。ロー先生は自分の能力をペラペラとひけらかす様なタイプでは無さそうなので、こればっかりは分からない。だから私はこの話をこれ以上考えるのを止めた。私は無駄なことをしない主義なのだ。
「それにしても、さっきのは凄かったわね」
「いい迷惑だ。時と場所を考えろ」
その発言は時と場所を考えたらやっても良いと思っていると取れるのだが、そういうことだろうか。そう尋ねて肯定されるのが怖かったので、私は返事をしないことにした。
しかし、恋をした女というのは恐ろしい。
なんて言葉で先程の事件を片づけてしまうと全世界の恋する乙女を敵に回してしまうので、そこまで主語を大きくはしないが、恋の形は人それぞれで予測のつかないことをしてしまう場合もあるのだろう。きっと、彼女だって普段はそんなこと思ってもいなかったに違いない。現に最初に見た彼女は凛とした素敵な女性だった。全てはあの最低な男が悪いのだ。かなりやりすぎた感は否めないが、心象的に未だに私は彼女の味方だった。
恋は人を狂わせる。私にはよく分からないが、身を焦がす様な感情は時として抗えない衝動を生むに違いない。
非力で何の偏屈も無い私だって、人を殺そうとしたのだ。恋する乙女だってそのような感情を抱くこともあるかもしれない。
そこではたと気が付いた。
私が人を殺そうとした理由ってまさか、彼女と同様に痴情のもつれというやつなのでは?私はばっとロー先生の顔を見た。
とはいえ、彼女のように私がロー先生を殺そうとしたところで返り討ちに合うし、そもそも彼はデッドオアアライブな賞金首であるので殺そうとして賞賛はされても懸賞金をかけられることは無いだろう。それに、ロー先生は浮気はしなさそうだ。そんな面倒なことになる前に、いらなくなった相手とスッパリと分かれそう。
とすると、例えばライバル的な人物がいたとしてその相手を殺そうとしたとか。そして、そのお相手が良いところのお嬢様だったとか。
「……ロー先生、私が殺そうとした人って女の人だったりする?」
「は?」
こいつ急に何を言いだすんだ、とばかりに彼は顔を顰めたので流石にそれは無いだろう、と馬鹿らしくなった私は小さく「何でもないです、忘れてください……」と先程の言葉を撤回した。
宛もなく繁華街の中心に向かって歩いていくと隣を歩く私の姿が見えないのか、ロー先生は結構な頻度で客引きのお姉様方に声をかけられていた。私とぱちりと目が合うと、彼女たちは皆「あら気付かなかったわ」と言わんばかりに長いまつ毛に縁どられた瞳を歪めて微笑んでみせる。見事なプロポーションにふわりと香る甘い香水の匂い。華やかな装いから滲み出る色香。その微笑みは圧倒的な勝者のそれだった。私は自分の身体を見下ろして溜息を吐くしかできない。救いはロー先生が全く相手にしていないことだけだ。引っ切り無しに声をかけられるのが煩わしくなったのか、ロー先生は目に付いた店にさっと入って行った。確かに雰囲気も悪くない次第点の店だ。足元に小さな照明が付いている薄暗い階段を降りて、灯りの漏れる硝子窓が嵌め込まれた木製の扉を開けると、漂ってくるお酒の香り。どうやら賑わっているようで楽しそうな笑い声も聞こえる。外と比べて大分明るく温かいこの店は、カウンターにお酒を注文しに行くシステムらしい。
「座ってろ」
奥の壁際の二人席に私を座らせると、ロー先生はお酒を注文しに行った。如何せん私はお酒には詳しくないので、ロー先生に適当に見繕ってもらうのが最良だろう。私は頷いて彼を見送った。きっと私をここに置いて行ったのは場所取りのような意味合いも兼ねているのだ。しかし、何にもしないのもそれはそれで居心地が悪い。何か私ができることはないかと、辺りを見回すとカウンターと反対側の場所にウォーターサーバーが置いてあるのが目に入った。水もセルフなのか。私は着ていた上着を椅子に被せて場所を取ると、席を立った。せめて水でも取りに行こうと思ったのだ。
ピカピカに磨かれた二つのグラスに爽やかなレモン水を注いだ私が席に座ったところで、丁度注文が終わったのかロー先生がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
ところが、一向に彼は席に近付いてこなかった。
何故なら。たった数メートルを歩いたところで、綺麗なお姉さまに声をかけられて引き留められたのだ。彼女は物凄く積極的らしく、あろうことかぐっと豊満なバストをロー先生の腕に当てている。面白くない。物凄く面白くない。幸いなことに先程と同様、ロー先生はさっと絡みつく女の腕を振りほどいて我関せずといった様子で私の元まで戻って来た。
そして、彼が私の正面に座ったのと、私の口から意図せぬ言葉が出たのは同時だった。
「大分おモテになるのね」
「何だ、妬いてんのか」
揶揄うようで満更でも無いロー先生の声音に私は確信した。自惚れでもなんでもなく、この人は記憶を無くす前の私のことが好きだったのだ。ロー先生はきっと、何とも思っていない人間から悋気を持たれても面倒くさそうだったり愛想の無い態度を取るに違いない。そして、細められた彼の瞳は“私”を見ていない。
残念でした、今の私は貴方の知っている私じゃないわ。心の中でべっと彼に舌を出した。記憶があろうとなかろうと、私は私なのに。全くもって腹が立つ。
「ええ、そうよ」
妬いているわ。記憶を無くす前の自分に。殺してしまいたい、と思うくらいには。嫉妬の対象が自分だなんて馬鹿げた話だ。このままでは、彼の前で更なる醜態を晒してしまいそうだ。そうなる前に私は席を立った。
「どこに行くんだ」
「お手洗いですけど!」
そして、そのままお手洗いを通過した私はこっそりと店の外に出た。夜風でも吸って頭を冷やそう。
相も変わらず私は自分の記憶も思い出せやしないし、自分が指名手配犯になった経緯も分からなかった。絶対に口を割りそうにないロー先生に聞いても時間の無駄なので、周りから落としていこうとクルー達にそれとなく尋ねたら、どうやら船の皆は私が一億の首だと知っていたらしい。私が失踪してからとても心配したんだぞ、とこの時とばかりに逆に怒られてしまった。それに釈然としない何かを感じながらも私は謝った。
しかし、少しでも私の記憶云々の話を振ろうとすると、先程の勢いはどうしたのかというくらいに皆口ごもるのである。十中八九ロー先生に口止めされているのだ。更に話を聞こうとしてもすぐに逃げられてしまう。この船の人間は、当然のように船長であるロー先生の味方なのだ。知ってた。
とはいえ、そんな大事なロー先生が殺人未遂を犯した女と一緒にいてもニコニコしているし、寧ろ謎のロー先生プッシュで私も仲間に引きずり込もうとしていたくらいなのだから、この前の私の過程も間違ってはいないのでは、と思いたくなる。まぁ私のような女など、ロー先生なら両目を瞑って指一本で殺せるのだろうから大した脅威ではないのだろう。
そんな私は今、ロー先生と二人並んで島を歩いていた。
億単位の懸賞金がかかっているのに、ロー先生は堂々と太陽の下を歩く。それもわざわざ私を連れて。外に出たいのなら、足手まといになる歩く一億ベリー(私のことだ)を連れるのは止めればいいのにと伝えたところ、彼はそれを鼻で笑った。曰く「お前は何も言わずに勝手に抜け出すくらい外に出たかったんだろ。可哀想だから付き合ってやるよ」とのことだ。未だにロー先生は私が脱走したことをチクチクと刺してくる。そしてそれを言われると私は黙るしかなかった。
しかし、私としても何が記憶を戻す引鉄になるか分からないから、色々なものを見られて体験できる外に出られるのはありがたい。そう考えると、ロー先生は私の記憶が戻ることについてはやはりどうとも思っていないのかもしれない。
ロー先生は一日に一回は私を連れてふらりと船を降りた。偏見で塗れていたロー先生像と比べて実物は思ったよりアクティブなのだな、と認識を改めたのだが「いやー、ナマエのおかげでキャプテンが規則正しい生活をしている」とクルー達から感謝されたので、やはりそんなことはないのだろう。穏やかな浜辺を散歩したり、古本屋や骨董品屋を物色したり。行先に目的のない日もあった。これは傍から見るとデートというやつではなかろうか。なんて、それを聞く勇気は私には無い。
「今日はどこに行くの」
「酒でも飲みに行く」
冬が訪れた秋島の夜の海は、静かに凪いでいる。先日の雪は嘘ではなく、吐く息も白い。それでも不思議と彼の隣は温かった。だけれども私は、真っ直ぐ前を見据えるロー先生の瞳の奥に、ふとしたときに冬を見る。まるで迷っているような、戸惑っているような、自分を責めるような。堂々と自信に満ちた普段の彼に似つかわしくないようなそれは、彼の身体に刻まれた文字や模様に関係しているのだろうか。気にはなるのだが、記憶も無く自分の立ち位置が分からない私にそんな無責任な真似ができるはずもない。私は結局のところ、少しでも彼が温かくなればよいと思いながら彼の隣を歩くことしかできないのだ。
繁華街は思ったよりもギラギラしていなくて、代わりに優しい光が煌々と溢れていた。特に行く店は決めていないそうなので、好きなところを選べとここに来て丸投げをされてしまった。だから私はロー先生の代わりに店の外に置かれたメニューやら雰囲気を吟味して歩き回った。そして一軒の店の前で立ち止まる。アイボリーの漆喰の壁にお洒落な小さな丸窓がついていて、その下に置かれたプランターには可愛らしい花が咲いている。こじんまりとした可愛らしい建物だ。
「飲み屋じゃねェじゃねェか」
「好きに選べって言ったのロー先生じゃない」
昼はランチを、おやつ時にはケーキを、夜にはディナーとお酒を出すといったスタイルの、バーというよりはカフェ寄りのお店だ。私はここのスイートポテトのパフェが気になったのである。ロー先生は自分の発言を思い出したのか、渋々着いてきてくれるようだった。意気揚々と店内に入ると、カランカランとベルの音が鳴る。ピンクとレースが増し増しの店内の内装に、ロー先生は露骨に嫌そうな顔をした。でもそれは無視。
案内された二人用の席に座って、改めてあたりを見回すと私たちの他に6組の先客がいる。いずれも女性同士か男女の二人組だ。
お目当てのスイートポテトのパフェを注文した私がワクワクしながら待っていると、奥の方に座っている席の雲行きが怪しいことに気が付いてしまった。ロー先生の肩越しに見えるボックス席に座っているのは私と同年代くらいの男女の二人組だ。カップルなのだろうか。とはいえ、私とロー先生も男女二人であるがカップルでは無いのでそう決めつけるのは早計だろう。真っ赤なネイルに、唇に真っ赤なルージュを引いた凛とした感じのキツめの美人と、気が弱そうで草でも食べてそうな男性だ。美女は男のことを射抜くような瞳で見ている。そしてその深紅の唇が男を責めるべく開いた。
「誰よ、あの女」
その底冷えした声音に私は震えあがったが、ロー先生が小声で「あまり見るな」と嗜めてくるので、我に返ってこくりと頷いた。確かに他人の話に聞き耳を立てるのは行儀が悪い。しかし、位置的に嫌でも視界に入ってしまうのだ。私は勃発した修羅場を視界から追い出そうと必死のあまり、何も考えずに彼に話を振った。
「ロー先生はこういうところに来るの初めて?」
「おれがこんなところに入り浸ってるように見えるか」
「……見えない」
会話終了である。私の脳内に、ちーんっと終了のベルが鳴った。しかし、これは会話の続けようによっては過去を探ることができるのでは。私はめげずに延長戦に持ち込んだ。
「私はこういうところ、好きだったのかしら」
「知らねェ」
そう言ってロー先生は私に視線を向けた。多分、彼は今、私の奥にいるであろう過去の私を見ている。その視線にモヤモヤとしたものを感じたのだが、ロー先生のにべもない返事に何も言えなかったので、今度こそ会話が途切れてしまった。静かになった私の耳に、再び先程の男女の声が入って来る。相変わらず彼女は男を鋭い言葉の刃で詰問していた。話を聞く限り、男が美しい女に夢中になっているのではなくどうやら逆のようだ。彼女だったらもっと良い人と付き合えるのではないか、と思わなくもなかったが恋愛は自由だし本人同士にしか分からない魅力というものがあるのだろう。ふと辺りを見回すと、私の他にも数人が野次馬として聞き耳を立てていた。そんな野次馬に見守られる中で女の声は少しずつ、か細く悲痛なものになっていく。
「ロー先生、あの人たち……」
「放っとけ」
その声が私の胸をつきんと刺したので、眉尻を下げてロー先生を見ると彼は心底どうでも良さそうな顔をしていた。強い。でも、確かに彼の言う通り私はただの他人で野次馬なので、彼女にしてやれることは何もない。ちなみに彼女に同情的なのは、あの冴えない男がまさかの二股をかけているということを知ったからだ。こんなに綺麗で自分を愛してくれる人がいるのに何故。多分、ここにいる野次馬たちは皆彼女の味方だった。
しかし、二人の諍いはどんどんとマズい方向に転がっていく。男の煮え切らない返事にぐつぐつと彼女の怒りは燃え上がってとうとう沸騰したそれは、吹きこぼれまで起こしたのである。
「こうなったら貴方を殺して私も死んでやる!!」
極めつけに響き渡った女性の物騒な金切り声に、今度こそ私は飛び上がって小さく悲鳴を上げた。ロー先生の肩越しにガタリと立ち上がった彼女が見える。そして、彼女は目の前に置かれた肉を切る用のぎざぎざした刃をしたナイフを掴んで、徐にそれを男に振りかぶったのだ。その瞬間、青白い光が辺りを包んだかと思うと彼女の手の中のナイフが水の入ったコップに変わった。そのまま重力に従って振り下ろされたコップから飛び出た水が男の頭にぶちまけられる。びしゃっという音は男の血が飛ぶ音ではなく、水がかかった音だ。私を含む野次馬たちは、何が起きたか理解できずに目を白黒させることしかできなかった。ぽかんと口を開けたままの私の腕を、いつのまにか立ち上がったロー先生が引っ張った。
「出るぞ、飲み直す」
状況が飲み込めない私はよく分からないまま頷いて、彼に腕を引かれて店を後にした。色々と衝撃的過ぎて、スイートポテトパフェに関する未練は無かった。
「さっきのってロー先生?」
「さァな」
店を出てから暫く夜風に当てられた私は、冷静さを取り戻してきたので隣を歩くロー先生にそう尋ねた。真面目に答える気はなさそうだったが、どう考えてもこんな芸当ができるのは彼しかいないだろう。
「貴方ってやっぱり能力者なのね」
「知らなかったのか」
「知ってたわ」
先日のバラバラ事件は私の記憶にしっかりと刻まれた恐怖映像である。繋がりは分からないけれども、分解と移動ができる能力なのだろうか。ロー先生は自分の能力をペラペラとひけらかす様なタイプでは無さそうなので、こればっかりは分からない。だから私はこの話をこれ以上考えるのを止めた。私は無駄なことをしない主義なのだ。
「それにしても、さっきのは凄かったわね」
「いい迷惑だ。時と場所を考えろ」
その発言は時と場所を考えたらやっても良いと思っていると取れるのだが、そういうことだろうか。そう尋ねて肯定されるのが怖かったので、私は返事をしないことにした。
しかし、恋をした女というのは恐ろしい。
なんて言葉で先程の事件を片づけてしまうと全世界の恋する乙女を敵に回してしまうので、そこまで主語を大きくはしないが、恋の形は人それぞれで予測のつかないことをしてしまう場合もあるのだろう。きっと、彼女だって普段はそんなこと思ってもいなかったに違いない。現に最初に見た彼女は凛とした素敵な女性だった。全てはあの最低な男が悪いのだ。かなりやりすぎた感は否めないが、心象的に未だに私は彼女の味方だった。
恋は人を狂わせる。私にはよく分からないが、身を焦がす様な感情は時として抗えない衝動を生むに違いない。
非力で何の偏屈も無い私だって、人を殺そうとしたのだ。恋する乙女だってそのような感情を抱くこともあるかもしれない。
そこではたと気が付いた。
私が人を殺そうとした理由ってまさか、彼女と同様に痴情のもつれというやつなのでは?私はばっとロー先生の顔を見た。
とはいえ、彼女のように私がロー先生を殺そうとしたところで返り討ちに合うし、そもそも彼はデッドオアアライブな賞金首であるので殺そうとして賞賛はされても懸賞金をかけられることは無いだろう。それに、ロー先生は浮気はしなさそうだ。そんな面倒なことになる前に、いらなくなった相手とスッパリと分かれそう。
とすると、例えばライバル的な人物がいたとしてその相手を殺そうとしたとか。そして、そのお相手が良いところのお嬢様だったとか。
「……ロー先生、私が殺そうとした人って女の人だったりする?」
「は?」
こいつ急に何を言いだすんだ、とばかりに彼は顔を顰めたので流石にそれは無いだろう、と馬鹿らしくなった私は小さく「何でもないです、忘れてください……」と先程の言葉を撤回した。
宛もなく繁華街の中心に向かって歩いていくと隣を歩く私の姿が見えないのか、ロー先生は結構な頻度で客引きのお姉様方に声をかけられていた。私とぱちりと目が合うと、彼女たちは皆「あら気付かなかったわ」と言わんばかりに長いまつ毛に縁どられた瞳を歪めて微笑んでみせる。見事なプロポーションにふわりと香る甘い香水の匂い。華やかな装いから滲み出る色香。その微笑みは圧倒的な勝者のそれだった。私は自分の身体を見下ろして溜息を吐くしかできない。救いはロー先生が全く相手にしていないことだけだ。引っ切り無しに声をかけられるのが煩わしくなったのか、ロー先生は目に付いた店にさっと入って行った。確かに雰囲気も悪くない次第点の店だ。足元に小さな照明が付いている薄暗い階段を降りて、灯りの漏れる硝子窓が嵌め込まれた木製の扉を開けると、漂ってくるお酒の香り。どうやら賑わっているようで楽しそうな笑い声も聞こえる。外と比べて大分明るく温かいこの店は、カウンターにお酒を注文しに行くシステムらしい。
「座ってろ」
奥の壁際の二人席に私を座らせると、ロー先生はお酒を注文しに行った。如何せん私はお酒には詳しくないので、ロー先生に適当に見繕ってもらうのが最良だろう。私は頷いて彼を見送った。きっと私をここに置いて行ったのは場所取りのような意味合いも兼ねているのだ。しかし、何にもしないのもそれはそれで居心地が悪い。何か私ができることはないかと、辺りを見回すとカウンターと反対側の場所にウォーターサーバーが置いてあるのが目に入った。水もセルフなのか。私は着ていた上着を椅子に被せて場所を取ると、席を立った。せめて水でも取りに行こうと思ったのだ。
ピカピカに磨かれた二つのグラスに爽やかなレモン水を注いだ私が席に座ったところで、丁度注文が終わったのかロー先生がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
ところが、一向に彼は席に近付いてこなかった。
何故なら。たった数メートルを歩いたところで、綺麗なお姉さまに声をかけられて引き留められたのだ。彼女は物凄く積極的らしく、あろうことかぐっと豊満なバストをロー先生の腕に当てている。面白くない。物凄く面白くない。幸いなことに先程と同様、ロー先生はさっと絡みつく女の腕を振りほどいて我関せずといった様子で私の元まで戻って来た。
そして、彼が私の正面に座ったのと、私の口から意図せぬ言葉が出たのは同時だった。
「大分おモテになるのね」
「何だ、妬いてんのか」
揶揄うようで満更でも無いロー先生の声音に私は確信した。自惚れでもなんでもなく、この人は記憶を無くす前の私のことが好きだったのだ。ロー先生はきっと、何とも思っていない人間から悋気を持たれても面倒くさそうだったり愛想の無い態度を取るに違いない。そして、細められた彼の瞳は“私”を見ていない。
残念でした、今の私は貴方の知っている私じゃないわ。心の中でべっと彼に舌を出した。記憶があろうとなかろうと、私は私なのに。全くもって腹が立つ。
「ええ、そうよ」
妬いているわ。記憶を無くす前の自分に。殺してしまいたい、と思うくらいには。嫉妬の対象が自分だなんて馬鹿げた話だ。このままでは、彼の前で更なる醜態を晒してしまいそうだ。そうなる前に私は席を立った。
「どこに行くんだ」
「お手洗いですけど!」
そして、そのままお手洗いを通過した私はこっそりと店の外に出た。夜風でも吸って頭を冷やそう。