春告げ鳥と花の唄
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「では、ナマエの正式加入を祝って!乾杯!」
「かんぱーい!」
私が三段飛ばしで大人の階段を駆け上がって現実を知った翌日の夜、食堂に集まったハートの海賊団の面々は私の歓迎会をしてくれた。今朝の私は喉と身体に深刻なダメージを喰らっていたのだが、流石に夜にもなれば動けるようになってきた。これは遠回しに気を使われているのではないかと勘繰ってしまったのだが、そもそも私が朝食を食べに食堂に来なかった時点で自ら答え合わせをしているようなものだ。ロー先生改めキャプテンも食堂に行かなかったのだから、これはもう真っ黒である。どことなく彼らの視線に生温かいものが混ざっているような気もするが、それについては気付かないフリをした。
そんな面々に見守られつつ、私は食堂の中央に立っていた。隣には乾杯の音頭を取ったシャチさんもいる。
「それでは新入りさん、抱負をどうぞ」
シャチさんが私にマイクを向ける真似をするので、私も至極真面目な面持ちで彼のインタビューに答えた。
「戦闘では役に立たないけど、私にできることでこの船を支えていこうと思うわ」
「具体的にはナニを」
返された言葉には何か含みがあるような気がしたが、それに深く突っ込むと痛い目を見そうだったのでまるっと無視をすることにした。公衆の面前で堂々とやらかした誰かさんと違って、私はそういったプライベートなことは隠しておきたい派なのである。
「この船をピカピカにします!」
宣誓、とばかりに片手を高く上げると成り行きを見守っていてくれたクルー達が動揺してザワつき出したではないか。私は忙しなく辺りを見回して、答え合わせとばかりにキャプテンの顔を見てみたが彼は平然とお酒を呷っていたのでこの答えは多分間違いではない、はず。しかし初日から粗相をするのも如何なものだろうか。そんな中、シャチさんがわざとらしい咳ばらいをしたので皆は静まり返った。
「……音楽家じゃねェの?」
サービス精神が旺盛らしいシャチさんはこんな時でも役柄を忘れまいと自分にエアマイクを向けた後に、しっかりと私にも向けてきた。彼の言葉でクルー達の動揺の原因がやっと分かった私はそれに頷く。
「私は清掃員のつもりだけど?だって、職業にしたら嫌な時も歌わなきゃいけないじゃない。私は好きなときに歌いたいの」
職業にする、ということはそういうことだ。甘えは許されないのである。
「ナマエ、わりとそういうところはシビアだよね」
周りの面々は不服そうだったが、ベポくんはうんうんと頷いてくれたし、キャプテンも特にノーリアクションだったので間違いはないのだろう。でも。
「皆が喜んでくれるなら嬉しいから歌うわ」
そう言うなり、皆がわっと大喜びをしてくれたのでフレジアでの日々は無駄ではなかったのだなと思ってしまった。流石に感謝はしないけれども。今まで生きてきた全てが複雑に絡み合って、今の私がいるのだ。何か歌ってとぐいぐいとベポくんに背を押されたので、満更でもない気分の私は息を吸った。今の私の気分に相応しい、心が弾むようなうんと楽しい歌を歌う為に。
主役である筈なのに一番働いた私がキャプテンの隣に座って二杯目のミモザを飲んでいると、ケーキの乗った大皿を持ったシャチさん、ペンギンさん、ベポ君の三人がやってきた。いつぞやと同じ光景だ。ただ、今までと違うのはケーキが均等にしっかりと切れているというところだ。
「今回はコックが切ったから公平だ」
「世の中には適材適所って言葉があるんだぞ、知ってたかナマエ」
シャチさんはしたり顔で頷くのだが、過去二回のショートケーキの成れの果てを知っている私としては「それはそうだろうな……」という感想しか出てこなかった。
「気付くの遅すぎだろ」
呆れるペンギンさんが言いたいことを全て言ってくれたので言葉にはしなかったけれども。均等に切られたケーキが乗った皿をずずいっと目の前に持ってこられたので、私はどれを選ぶべきか考えた。そのときにふと疑問が湧いた。そういえば、この船に乗ってからショートケーキを見るのは三度目だ。ショートケーキってそんな簡単に出てくるものだろうか。結構な頻度で見ているので、私は首を傾げてしまった。
「この船はお祝い事があると、ショートケーキを出すしきたりでもあるの?」
「だってナマエ、ショートケーキが好きなんだろ。まぁ一回目は偶然だけどな」
どうしてそれを知っているのだろう。目を瞬かせて記憶を手繰ると、一つだけ思い当たる節があった。私はふっと隣のキャプテンを見た。彼は相変わらずお酒を呷っている。先程から飲んでいるものが変わっているので、かなりのハイペースだ。素知らぬ顔をしているけれども、私がショートケーキが好きなのが知っているのは彼しかいないのだ。
「ナマエが喜ぶものないですか、ってキャプテンに聞いたらショートケーキだって言うから」
「ええ、私ショートケーキが大好きなの」
何だか気分が良くなった私は、こくりと大仰に頷いた。
「ほら、じゃあお好きなのどーぞ」
「おれ苺!苺のところ!」
「うるせェ、ナマエが先!」
前回同様に微笑ましいやりとりをしている二人を見ながら、私はじっとケーキを吟味してその中の一つを指さした。
「じゃあ、私はこれ」
私が指したものは、苺も乗ってなければクリームの盛り上がりもない場所だった。それにシャチさんは戸惑った声を出した。
「苺はいいのか?今日だけだぞ、選べる権利があるの」
ちらりとキャプテンの顔を盗み見ると、ほんの少しだけ眉根が寄っていた。やっぱり、彼は私が遠慮しているのを見るのが嫌いなのだ。そのことが嬉しくて、私は小さく笑ってしまった。それに気付いた彼に睨まれてしまったがちっとも怖くない。だって、私はもう遠慮しない。自分のやりたいようにすると決めたのだ。だから。
「いらないわ、だって苺はキャプテンがくれるもの」
ね、とキャプテンに同意を求めると、どうやら私の回答は予想外だったらしい。一瞬だけ、その琥珀の瞳を大きくしたのを私は見逃さなかった。してやったり、と得意げに笑って見せるとどうやら彼はそれが気に喰わなかったらしい。シャチさんから苺の乗ったケーキを受け取ったキャプテンの行動は今までと違った。以前はフォークで刺した苺を私のケーキに乗せてくれたのに、今回はそのまま指で苺を摘まむと私の口元にそれを持ってきたのである。
「おい、口開けろ」
「普通に頂戴、自分で食べれるわ!むぐっ」
苺を唇に押し付けられたので、仕方なく口を開いてそれを迎え入れた。すると、キャプテンはそれだけでは飽き足らずに私の唇についたクリームを指で掬って徐にそれを舐めたのである。どうして彼は伏目でクリームを舐めるだけでこんなに艶めかしいのだろうか。顔面が熱くなったので、きっと今の私はそれこそ苺のように顔が真っ赤なのだろう。
「お前らあっち向け!!」
そのとき、シャチさんの声が食堂に響き渡った。
「何で?」
その声に冷静になった私が嫌な予感を感じつつ尋ねると、やはりシャチさんの回答は碌でもなかった。
「今のキスする流れじゃねェの?」
「しません!」
私は反射で叫んだ。だから、私はプライベートは隠しておきたい派だというのに、遺憾なことにそれを誰一人として理解してくれない。
「何だ、しねェのか」
「絶対にしません!!」
全てを分かっていながら揶揄うように口角を上げるキャプテンに私は噛みつくように言ってやった。とはいえ、ここでなければキスするのはやぶさかではない。
「……ここでは」
私の消え入りそうな声は、キャプテンにしっかりと届いたらしい。彼は一瞬だけ真顔になった。そしてシャチさんの声が響く。
「よーし、お前らあっち向け!!」
「もうそれはいいです放っといてよ!」
◇
あの島を出てからポーラータング号が次に停泊したのは春島だった。彼は景色の綺麗な高台の宿を取ったらしく、そこに私を引っ張っていった。揃って見送ってくれたクルー達の生温かい瞳が忘れられない。できることならこのまま帰りたくない。現実逃避で視線を向けた窓の外には、月に照らされてぼんやりと白く光る花弁がときおり風に揺れている。その優しいそよ風に合わせるように私は小さく歌った。一番を歌い終わったところで、シャワーを浴びてきた彼が戻って来た。
「おかえりなさい、ローせ、キャ、じゃなかった、ロー?」
たまにどう彼を呼ぶべきなのか瞬時に出てこないときがある。何せ私は出会ってからずっと彼のことを“ロー先生”と呼んでいたのだ。しかし、先日に一線を越えて医者と患者の関係では無くなったし、この船に乗ることにして彼のクルーとなった私は、彼のことを皆と同じようにキャプテンと呼ぶべきだろう。今は二人きりであるので、名前で呼ぶのが正解だと思われる。小難しい顔の私にローは小さく溜息を吐いた。
「凄ェ混ざってるじゃねェか。もう好きに呼べよ」
こういう細かいことはあまり気にしないらしく、彼は物凄くどうでもよさそうだ。しかし、こちらとしてはそうはいかない。
「そうはいかないわ。そこの線引きはしっかりしなきゃ。皆に示しがつかないわ」
「お前変なところ真面目だよな」
私は郷に入ったら郷に従う女だ。加えてあの船では一番の下っ端である。先輩方を差し置いて、皆のキャプテンを馴れ馴れしく名前で呼ぶのもどうかと思われた。
「でもね、“ロー先生”も“キャプテン”も“ロー”も、どんな貴方も大好きよ」
それは本当のことだった。どんな呼び方だろうが、私はこの男が好きなのだ。ローはあまりこの手の言葉を私に言うことはないが、私は彼に思ったときにそれを伝えることにしている。返事の代わりにふと和らぐ雰囲気に浸るのが好きだからだ。ちなみに、その優しい反応を見せてくれる確率は半々くらいだ。今日はどうやら違うらしい。ローはソファに座ると、そのまま私を押し倒した。視界に映る彼はいたく扇情的に笑っている。
「待って、何するつもり」
「イイコト。お前も好きだろ」
初めて例の行為をしたときに、違和感の残る下腹部を撫でながら私が“悪いことをしてるみたい。この船に乗って私は悪いことを沢山覚えたわ”と零すと、彼は意地悪く言ったものだ。“今度からはイイコトにしてやるよ”と。その言葉の通りに不本意ながらローに染め上げられたこの身体は彼のいう行為をすっかり気持ちの良いこととして受け止めていた。図星なのが悔しくて、私はつんっと彼から顔を背けた。
「嫌よ。まだ歌っていたい気分」
私の気持ちなどお見通しだと言わんばかりに、ローは琥珀の瞳を意地悪く細めてみせた。それから、腕を引いて私を起こすとそのままソファに座らせて、自分もその横にすとんと座る。
横目で彼を見ると、読みかけだった本をパラパラと捲っている。先程ふらりと立ち寄った本屋で購入したそれは、まだ半分以上捲る頁がある。
どうやら待ってくれるらしい。ローの端正な横顔を盗み見て、私は彼の肩にこてんと寄りかかった。海の底だろうと、冬が訪れた秋島だろうと、この人の隣は春のように暖かい。幸せの温度を感じながら、目を閉じた私は歌を紡ぎ出す。
「そういえばお前、その歌はあいつらに歌ってやらねェのか」
「これはローの為の歌」
「なんだそれ」
ローは小さく笑った。
この優しい人に、早く春が来ると良い。だから彼の雪が解けるまで、私はずっと歌うのだ。
大切な人に聞かせるための、とっておきの花の唄を。
了
「かんぱーい!」
私が三段飛ばしで大人の階段を駆け上がって現実を知った翌日の夜、食堂に集まったハートの海賊団の面々は私の歓迎会をしてくれた。今朝の私は喉と身体に深刻なダメージを喰らっていたのだが、流石に夜にもなれば動けるようになってきた。これは遠回しに気を使われているのではないかと勘繰ってしまったのだが、そもそも私が朝食を食べに食堂に来なかった時点で自ら答え合わせをしているようなものだ。ロー先生改めキャプテンも食堂に行かなかったのだから、これはもう真っ黒である。どことなく彼らの視線に生温かいものが混ざっているような気もするが、それについては気付かないフリをした。
そんな面々に見守られつつ、私は食堂の中央に立っていた。隣には乾杯の音頭を取ったシャチさんもいる。
「それでは新入りさん、抱負をどうぞ」
シャチさんが私にマイクを向ける真似をするので、私も至極真面目な面持ちで彼のインタビューに答えた。
「戦闘では役に立たないけど、私にできることでこの船を支えていこうと思うわ」
「具体的にはナニを」
返された言葉には何か含みがあるような気がしたが、それに深く突っ込むと痛い目を見そうだったのでまるっと無視をすることにした。公衆の面前で堂々とやらかした誰かさんと違って、私はそういったプライベートなことは隠しておきたい派なのである。
「この船をピカピカにします!」
宣誓、とばかりに片手を高く上げると成り行きを見守っていてくれたクルー達が動揺してザワつき出したではないか。私は忙しなく辺りを見回して、答え合わせとばかりにキャプテンの顔を見てみたが彼は平然とお酒を呷っていたのでこの答えは多分間違いではない、はず。しかし初日から粗相をするのも如何なものだろうか。そんな中、シャチさんがわざとらしい咳ばらいをしたので皆は静まり返った。
「……音楽家じゃねェの?」
サービス精神が旺盛らしいシャチさんはこんな時でも役柄を忘れまいと自分にエアマイクを向けた後に、しっかりと私にも向けてきた。彼の言葉でクルー達の動揺の原因がやっと分かった私はそれに頷く。
「私は清掃員のつもりだけど?だって、職業にしたら嫌な時も歌わなきゃいけないじゃない。私は好きなときに歌いたいの」
職業にする、ということはそういうことだ。甘えは許されないのである。
「ナマエ、わりとそういうところはシビアだよね」
周りの面々は不服そうだったが、ベポくんはうんうんと頷いてくれたし、キャプテンも特にノーリアクションだったので間違いはないのだろう。でも。
「皆が喜んでくれるなら嬉しいから歌うわ」
そう言うなり、皆がわっと大喜びをしてくれたのでフレジアでの日々は無駄ではなかったのだなと思ってしまった。流石に感謝はしないけれども。今まで生きてきた全てが複雑に絡み合って、今の私がいるのだ。何か歌ってとぐいぐいとベポくんに背を押されたので、満更でもない気分の私は息を吸った。今の私の気分に相応しい、心が弾むようなうんと楽しい歌を歌う為に。
主役である筈なのに一番働いた私がキャプテンの隣に座って二杯目のミモザを飲んでいると、ケーキの乗った大皿を持ったシャチさん、ペンギンさん、ベポ君の三人がやってきた。いつぞやと同じ光景だ。ただ、今までと違うのはケーキが均等にしっかりと切れているというところだ。
「今回はコックが切ったから公平だ」
「世の中には適材適所って言葉があるんだぞ、知ってたかナマエ」
シャチさんはしたり顔で頷くのだが、過去二回のショートケーキの成れの果てを知っている私としては「それはそうだろうな……」という感想しか出てこなかった。
「気付くの遅すぎだろ」
呆れるペンギンさんが言いたいことを全て言ってくれたので言葉にはしなかったけれども。均等に切られたケーキが乗った皿をずずいっと目の前に持ってこられたので、私はどれを選ぶべきか考えた。そのときにふと疑問が湧いた。そういえば、この船に乗ってからショートケーキを見るのは三度目だ。ショートケーキってそんな簡単に出てくるものだろうか。結構な頻度で見ているので、私は首を傾げてしまった。
「この船はお祝い事があると、ショートケーキを出すしきたりでもあるの?」
「だってナマエ、ショートケーキが好きなんだろ。まぁ一回目は偶然だけどな」
どうしてそれを知っているのだろう。目を瞬かせて記憶を手繰ると、一つだけ思い当たる節があった。私はふっと隣のキャプテンを見た。彼は相変わらずお酒を呷っている。先程から飲んでいるものが変わっているので、かなりのハイペースだ。素知らぬ顔をしているけれども、私がショートケーキが好きなのが知っているのは彼しかいないのだ。
「ナマエが喜ぶものないですか、ってキャプテンに聞いたらショートケーキだって言うから」
「ええ、私ショートケーキが大好きなの」
何だか気分が良くなった私は、こくりと大仰に頷いた。
「ほら、じゃあお好きなのどーぞ」
「おれ苺!苺のところ!」
「うるせェ、ナマエが先!」
前回同様に微笑ましいやりとりをしている二人を見ながら、私はじっとケーキを吟味してその中の一つを指さした。
「じゃあ、私はこれ」
私が指したものは、苺も乗ってなければクリームの盛り上がりもない場所だった。それにシャチさんは戸惑った声を出した。
「苺はいいのか?今日だけだぞ、選べる権利があるの」
ちらりとキャプテンの顔を盗み見ると、ほんの少しだけ眉根が寄っていた。やっぱり、彼は私が遠慮しているのを見るのが嫌いなのだ。そのことが嬉しくて、私は小さく笑ってしまった。それに気付いた彼に睨まれてしまったがちっとも怖くない。だって、私はもう遠慮しない。自分のやりたいようにすると決めたのだ。だから。
「いらないわ、だって苺はキャプテンがくれるもの」
ね、とキャプテンに同意を求めると、どうやら私の回答は予想外だったらしい。一瞬だけ、その琥珀の瞳を大きくしたのを私は見逃さなかった。してやったり、と得意げに笑って見せるとどうやら彼はそれが気に喰わなかったらしい。シャチさんから苺の乗ったケーキを受け取ったキャプテンの行動は今までと違った。以前はフォークで刺した苺を私のケーキに乗せてくれたのに、今回はそのまま指で苺を摘まむと私の口元にそれを持ってきたのである。
「おい、口開けろ」
「普通に頂戴、自分で食べれるわ!むぐっ」
苺を唇に押し付けられたので、仕方なく口を開いてそれを迎え入れた。すると、キャプテンはそれだけでは飽き足らずに私の唇についたクリームを指で掬って徐にそれを舐めたのである。どうして彼は伏目でクリームを舐めるだけでこんなに艶めかしいのだろうか。顔面が熱くなったので、きっと今の私はそれこそ苺のように顔が真っ赤なのだろう。
「お前らあっち向け!!」
そのとき、シャチさんの声が食堂に響き渡った。
「何で?」
その声に冷静になった私が嫌な予感を感じつつ尋ねると、やはりシャチさんの回答は碌でもなかった。
「今のキスする流れじゃねェの?」
「しません!」
私は反射で叫んだ。だから、私はプライベートは隠しておきたい派だというのに、遺憾なことにそれを誰一人として理解してくれない。
「何だ、しねェのか」
「絶対にしません!!」
全てを分かっていながら揶揄うように口角を上げるキャプテンに私は噛みつくように言ってやった。とはいえ、ここでなければキスするのはやぶさかではない。
「……ここでは」
私の消え入りそうな声は、キャプテンにしっかりと届いたらしい。彼は一瞬だけ真顔になった。そしてシャチさんの声が響く。
「よーし、お前らあっち向け!!」
「もうそれはいいです放っといてよ!」
◇
あの島を出てからポーラータング号が次に停泊したのは春島だった。彼は景色の綺麗な高台の宿を取ったらしく、そこに私を引っ張っていった。揃って見送ってくれたクルー達の生温かい瞳が忘れられない。できることならこのまま帰りたくない。現実逃避で視線を向けた窓の外には、月に照らされてぼんやりと白く光る花弁がときおり風に揺れている。その優しいそよ風に合わせるように私は小さく歌った。一番を歌い終わったところで、シャワーを浴びてきた彼が戻って来た。
「おかえりなさい、ローせ、キャ、じゃなかった、ロー?」
たまにどう彼を呼ぶべきなのか瞬時に出てこないときがある。何せ私は出会ってからずっと彼のことを“ロー先生”と呼んでいたのだ。しかし、先日に一線を越えて医者と患者の関係では無くなったし、この船に乗ることにして彼のクルーとなった私は、彼のことを皆と同じようにキャプテンと呼ぶべきだろう。今は二人きりであるので、名前で呼ぶのが正解だと思われる。小難しい顔の私にローは小さく溜息を吐いた。
「凄ェ混ざってるじゃねェか。もう好きに呼べよ」
こういう細かいことはあまり気にしないらしく、彼は物凄くどうでもよさそうだ。しかし、こちらとしてはそうはいかない。
「そうはいかないわ。そこの線引きはしっかりしなきゃ。皆に示しがつかないわ」
「お前変なところ真面目だよな」
私は郷に入ったら郷に従う女だ。加えてあの船では一番の下っ端である。先輩方を差し置いて、皆のキャプテンを馴れ馴れしく名前で呼ぶのもどうかと思われた。
「でもね、“ロー先生”も“キャプテン”も“ロー”も、どんな貴方も大好きよ」
それは本当のことだった。どんな呼び方だろうが、私はこの男が好きなのだ。ローはあまりこの手の言葉を私に言うことはないが、私は彼に思ったときにそれを伝えることにしている。返事の代わりにふと和らぐ雰囲気に浸るのが好きだからだ。ちなみに、その優しい反応を見せてくれる確率は半々くらいだ。今日はどうやら違うらしい。ローはソファに座ると、そのまま私を押し倒した。視界に映る彼はいたく扇情的に笑っている。
「待って、何するつもり」
「イイコト。お前も好きだろ」
初めて例の行為をしたときに、違和感の残る下腹部を撫でながら私が“悪いことをしてるみたい。この船に乗って私は悪いことを沢山覚えたわ”と零すと、彼は意地悪く言ったものだ。“今度からはイイコトにしてやるよ”と。その言葉の通りに不本意ながらローに染め上げられたこの身体は彼のいう行為をすっかり気持ちの良いこととして受け止めていた。図星なのが悔しくて、私はつんっと彼から顔を背けた。
「嫌よ。まだ歌っていたい気分」
私の気持ちなどお見通しだと言わんばかりに、ローは琥珀の瞳を意地悪く細めてみせた。それから、腕を引いて私を起こすとそのままソファに座らせて、自分もその横にすとんと座る。
横目で彼を見ると、読みかけだった本をパラパラと捲っている。先程ふらりと立ち寄った本屋で購入したそれは、まだ半分以上捲る頁がある。
どうやら待ってくれるらしい。ローの端正な横顔を盗み見て、私は彼の肩にこてんと寄りかかった。海の底だろうと、冬が訪れた秋島だろうと、この人の隣は春のように暖かい。幸せの温度を感じながら、目を閉じた私は歌を紡ぎ出す。
「そういえばお前、その歌はあいつらに歌ってやらねェのか」
「これはローの為の歌」
「なんだそれ」
ローは小さく笑った。
この優しい人に、早く春が来ると良い。だから彼の雪が解けるまで、私はずっと歌うのだ。
大切な人に聞かせるための、とっておきの花の唄を。
了
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