Dear Mr.Night Blue 第一章(了)
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「これ、全部私のお金?!」
分け前だ、とローに渡された袋を覗きこんだナマエは目を輝かせた。
その小さな袋はナマエが今まで持ったことの無い程の重みがあって、左右に軽く振るとじゃらじゃらと音を立てる。あの夜の街でのメダルの音は大嫌いだったナマエだが、本物の硬貨が奏でる音色は違う。大差ないというツッコミは野暮なものだろう。今、この手の中にあるお金が本物であることが大事なのだ、多分。
「これだけあればなんでも買えるね!」
「いや、何でもは買えないと思っ、いてェ!!」
幸せそうに笑うナマエに、こんなときだけ至極冷静にツッコんでこどもの夢を壊そうとするのがシャチである。すかさずペンギンはシャチの鳩尾に肘鉄を打ち込んだ。
「無駄遣いはするなよ」
「……母ちゃんかよ」
唐突に鳩尾を打たれて崩れ落ちたシャチは、患部を摩りながら唸った。何だかんだでペンギンが一番ナマエに甘い気がするのは彼の気のせいだろうか。
そんなこともあり、次の島に辿り着いていざ上陸!となったときナマエは上機嫌だった。そういえば、ナマエがこの船に乗ってから自分が自由に使えるお金を手にしたのは初めてだ。きっと“買い物をすること”が楽しみで仕方ないのだろう。微笑ましい限りだ。
船番はいつも通りじゃんけんで決めようかと思ったのだが、今回は最初からローが棄権した。昨日から読書にかまけて殆ど寝てないらしく、街に出るのは明日でも良いと考えたようだった。
ローが残るなら、と自他認めるキャプテン大好きなナマエも残るかと思われた。ところが、当の本人はじゃんけんに備えて両手を組んで必勝のおまじないをしている。これはもう準備万端である。余談だが、そのおまじないはシャチが教えたものでナマエはじゃんけんの度に馬鹿丁寧にそれをやっていた。このこどもは何でも信じてしまうのだ。紙一重で馬鹿といえてしまいそうなその信じやすさは皆の懸念事項であったが、ベポにすら心配されるという事実を一同はもっと重く捉えるべきだった、と後で彼らは猛省するのであるがそれは少し先のことだ。
ともあれ、やる気満々でじゃんけんに臨むナマエにペンギンやシャチは違和感を感じたのは事実だった。しかし楽天的な彼らは、まあそういうときもあるだろうと引っ掛かりを無視してじゃんけんを始めることにした。
結果、器用にスキップしながら下船したナマエを先頭に、シャチとペンギンは久々の陸に降り立ったのである。
「お前、どこか行くとこあんのか」
シャチが鼻歌まで歌い出して前を行くナマエにそう尋ねると、こどもはぴたりと足を止めた。そして振り返ったナマエは悪戯を企むような笑顔だ。
「ないしょ!!」
「内緒ってお前」
「着いてきちゃ駄目だからね!」
びしっと指を指すとナマエは走り出す。自身の駿足を惜しみなく発揮したナマエはあっという間に見えなくなってしまった。ぽつん、と取り残された二人は首を傾げるばかりである。
「何だあいつ……」
「さあ」
◇
ナマエは“自分のお金”が手に入ったら、一番最初に買うべきものを既に決めていた。
賑わっている商店街に辿り着いたナマエは、美味しそうな果物が売っている露店や本屋に見向きもせずに雑貨屋を探し始めた。本当は美味しいお菓子や面白い本や可愛い雑貨を物色したかったが、今は優先するものがあるのだ。
勘だけを頼りに歩き回ると、暫くしてこじんまりとした雑貨屋を見つけた。探していた店を見つけたナマエは、脇目も振らず吸い寄せられるようにして店に入って行った。
小さなベルを鳴らして雑貨屋に入ったナマエは、早速目的のものが売っているコーナーを探した。
雑貨屋の店主はナマエの母親くらいの年齢で、店の中をきょろきょろと物色しているナマエを微笑ましい目で見守ってくれている。
そんな視線に気付かずに、ナマエは可愛いぬいぐるみやお洒落な小物が所せましとおかれた棚に目移りする自分を首を振って戒めていた。雑念を振り切って店の奥に進むと目当ての棚がある。そこには様々な食器が綺麗に並べられていた。
「えっと、コップはどこだろう」
そう、ナマエはマグカップを買いに来たのである。少し前にローが気に入っていたマグカップをナマエが不注意で割ってしまったのだ。ナマエは代わりになるものを買おうとずっと思っていたのだが、今日初めてチャンスが到来したのである。
まずは前のカップと似たダークブルーのものを探す。落ち着いた色合いがとてもローに似合っていたから、今回もこの路線で行こうと思う。ナマエが一人頷きながら食器を物色していると、丁度目線にくる高さのところに探していたものはあった。大きさといい、形といい、前のものとそっくりだ。しかも。
「ベポくんがいる……可愛い」
ワンポイントで白くまの可愛らしい顔が描いてあったのだ。ナマエはこれを即決で買うことを決めた。ときとして買い物は衝動と勢いが大事なのだ。きっとこの場にペンギンがいたら「ちょっと冷静になれ」と止めてくれたかもしれないが、残念ながら彼はここにはいない。だからナマエはとびきりの笑顔でレジにマグカップを持って行った。
「これください! プレゼント包装で!」
雑貨屋の女主人は目をきらきらと輝かせたこどもを微笑ましく思い、通常よりも豪華なリボンを使って包装してくれた。包装して貰った箱を入れた紙袋を抱きしめながら、ナマエは最高な気分で店を出た。ああ、世界が輝いて見える!
ローへのプレゼントを買っても十分にお金はある。左手でポケットを探り、取り出した袋にはまだしっかりと重みがあった。とりあえず立ち止まってナマエは欲しいものを考えた。本も欲しい、お菓子も欲しい。それから、ナマエは日記帳が欲しかった。ナマエが愛読している冒険書は実際にあった『航海日誌』を元に書かれているらしい。それに倣ってナマエもこの素晴らしい日々を記録に残しておきたいのだ。
期待に胸を膨らませて、どの店から行こうかと考えていると不意に誰かにぶつかった。どうやら相手は男性らしく、考え事に夢中だったナマエは見事に跳ね飛ばされた。マグカップだけは根性で死守したが、しっかりと尻餅をついてしまったではないか。
打ちつけた尻を摩りながら、ナマエは涙目で遠ざかってく男を睨みつけた。確かに道の真ん中で立ち止まっていたナマエも悪いが、これだけ盛大に転んだのに無視とはちょっと酷いのでは。楽しい気分に水を差され、素直なこどもは唇を尖らせて世の不条理について考えた。しかし、何か違和感がある。ナマエは首を傾げながら自分の両手を見てみた。マグカップの袋を持っている右手。何も持っていない左手。さて、この左手はさっきまで何を持っていたのだろうか。
そこまで考えて違和感の正体に気付いたナマエは弾かれたように顔を上げた。
「ひったくりだ!!」
犯人は先程の男に違いない。ナマエは慌てて男が走って行った方向に駆けだした。
持前の身体能力と常人より優れた五感であっという間に男に追いついたナマエは「待て泥棒!」と相手に罵声を浴びせた。ところがそれを聞いた男は、こどもが恐ろしいスピードで追いついてきたことに恐怖した。
そして予想外の出来事に気が動転した男は何も考えずに逃走したため、気が付いたら路地裏の行き止まりだった。つまり彼は見事に自分で自分の首を絞めたのである。
「私のお金、返して」
もう逃げ場の無くなった男にじりじりとにじり寄りながら、ナマエは半眼になって男に右手を差し出した。よくありがちな修羅場とは完全にポジションが逆である。
ナマエのお金をひったくった男は四十代くらいで、草臥れた服装でパッとしない、どこにでもいそうな人物だった。しかも真面目そうな印象で、到底こんな悪事を働くようには見えない。
「すまない、どうしても金が必要だったんだ」
男があまりにも悲しそうなので、ナマエは自分が悪いことをしているような錯覚を覚えた。多分ここにシャチがいたら「いや、お前全く悪くないじゃん!?」などと正気に戻してくれただろうが、生憎ここに彼はいない。
「なんで?」
きっと何か訳があるに違いない。ナマエは自分の立場も忘れ、親身になって男の話を聞いた。
「おれには七人のこどもがいるんだ」
「随分いるんだね」
「その中で一番下の子が君と同い年くらいなんだが、今日が誕生日なんだ」
「それは素敵だね、おめでとう!」
ナマエはパチパチと手を叩いて見知らぬこどもの誕生日を祝った。しかし、対する男はううっと喉を鳴らして俯いてしまった。
「でもケーキを買う金が無いんだ」
「……」
それはこどもが七人もいれば、お金が沢山必要なことはナマエでもわかる。男が草臥れた服装なのは、きっとこども達を優先しているからに違いない。ナマエの母も自分のことよりもこどものことを考えてくれるような親だった。だから、きっと彼もそうに違いない。基本的にナマエは性善説を唱えて生きていきたいのだ。ナマエはまだ見ぬ七人のこどもたちとこの男の奥さんが九人で暮らしている様を想像した。きっと貧しいながらも皆協力し合って毎日懸命に生きているのだろう。互いに想いあえる家族がいるというのはとても幸せなことだ。ナマエには誕生日を祝ってくれる家族はもういない。そう思うと、今の自分の買い物などどうでも良く思えた。一番欲しいものは買えたのだし。
「……いいよ、じゃああげる。皆で食べれる大きなケーキを買ってあげて」
俯いた男はにやりと笑ったが、素直なこどもは純粋に喜んでくれているのだろうと思った。何度もお礼を言う男と別れて、ナマエは船に戻っていった。良いことをしたからとても清々しい気持ちでいっぱいだ。
◇
ナマエが船に戻ると、すでにシャチやペンギンが戻っていた。一眠りしたのかローも起きてきていて、ベポも混ざって四人は食堂で思い思いに過ごしていた。
白いマグカップで珈琲を飲んでいるローの姿を目に入れると、ナマエは彼の元に駆けよって紙袋を渡した。それを目撃した三人はナマエに尻尾の幻覚が見えたらしいが、これはもうデフォルトであるのでどうとも思わない。
「なんだ」
「あのね、この前カップ割っちゃったでしょ。だから新しいの買ってきたの」
開けて開けてと視線で促すナマエの迫力に負けて包みを開くと、中には丁寧に梱包されたマグカップが入っていた。形といい色合いといい、ダークブルーのこのマグカップは以前割られてしまったものとよく似ている。別にそんな気遣いはいらなかったが、ナマエから全身全霊で「貰って!!」という圧を感じたので、ローは礼を言って有難く頂戴した。マグカップを受取って貰えた(強制)ナマエは、にこにこしながらこのマグカップのプレゼンを始めた。
「これ、可愛いでしょ!」
ダークブルーのシンプルなマグカップのどこが可愛い?嫌な予感に従ってマグカップを手に取りひっくり返すとローは押し黙った。自然に眉間に皺が寄る。不思議に思った三人が問題のブツを覗きこむと、その理由を察した。マグカップの反対側には、可愛らしい白くまの顔が描かれていたのである。
「アラ可愛い」
ノリで反射的にそう呟いたシャチはローの刺すような視線で殺された。これは雲行きが怪しくなってきた。話を逸らすべく、ペンギンはナマエに別の話題を振ることにした。そして、その話題は地雷原に裸足で突っ込むようなものだったが彼がそんなことを知る筈も無く。
「お前、他に何か買ってこなかったのか」
「うん」
それが何か?といった様子で当たり前のように頷くナマエに一同は首を傾げた。しかしローだけは嫌な予感に目を細めた。
「あれだけ楽しみにしてたのに?」
「お金無かったの」
「は?ひょっとして落としたのか」
「ううん」
ナマエは静かに首を振った。そうして爆弾を投下。
「あげちゃった」
空気が凍った。数秒無言のブリザードが吹き荒れたが、嫌な予感に警戒していた分一番早く回復したローは静かに尋ねた。
「……誰に」
「街で会ったおじさん。なんかね七人のこどもがいて、一番下の子が今日誕生日なんだけど、ケーキを買うお金が無いんだって。だから、あげたの」
おいおい、それ絶対嘘だろ。なんでそんな嘘に引っ掛かったの。その場の全員、つまりベポですら沈痛な面持ちなのに恐ろしいのは当の本人がとても清々しい顔をしていることである。
「私の買い物はいつでもできるけど、その子の誕生日は今日だけだもんね!」
ナマエはにっこりと笑う。完全にその男を信じて微塵も疑ってない素敵な笑顔である。「今頃皆でケーキ食べてるかなぁ」等と寝言を言うこどもに、全員二の句が告げなかった。
「おれたちが目を離したばっかりに!」とペンギンがローにアイコンタクトを送ってきたので、ローはゆっくりと首を振った。誰がそんなあからさまな嘘に引っ掛かって全財産手放すことが予測できるというのだ。そんなのローでも予測できない。四人はナマエに現実を教えてやるべきか迷ったが、空想上の立派なケーキを自分のことのように喜ぶこどもにそんなことはできなかった。現実主義でドライなローですら言えなかったのだから、ある意味このこどもが一番強いのかもしれない。
◇
「それにしてもナマエ、あんな嘘に騙されちゃうんだね」
翌朝、気分転換に島に降り立ったローとベポはとくに目的も無く街を歩いていた。一晩経ってもナマエの所持金は変わらずゼロだったので、悲しいことにやっぱりあれは現実だったようだ。
しょんぼりと呟くベポもローに言わせればお人好し具合では大差無いような気がしたが、今回の件はベポの言うとおりだったので大人しく相槌を打った。
まだ殆ど店が開いていない時間だからだろうか、商店街を通っても人はまばらだ。営業しているのは昨日の夜からやっている飲み屋くらいだろう。
数件先の店は飲み屋らしく、賑やかな声が聞こえる。その笑い声は店の外まで聞こえるのだから、なかなかに盛り上がっているようだ。
「なんかだいぶ盛り上がってるね」
耳に入ってくる品の無い笑い声にベポは唸った。ベポは楽しく騒ぐのは大好きだが、こういう騒ぎ方はあまり好きでは無いのだ。
対するローは生返事だ。それどころか少しピリピリしているような気もする。ベポは目を瞬かせた。
「キャプテン?」
どうしたの、と言外に含ませたベポに答えるかわりにローは店の入口でぴたりと足を止めた。
どうやら先程から声がよく聞こえていたのは、換気の為に少し窓を開けていた為らしい。窓の隙間から数人の男達が酔っぱらってくだを巻いているのが見えた。あまり関わり合いたくない感じである。
彼らはにやにやしながら何か話している。ローが黙ってその声を拾っているので、ベポも隣に並んで聞き耳を立ててみた。
「お前、こんなに呑んで大丈夫なのかよ」
「馬鹿なガキから金を騙し取ったからな!ガキのくせに大金持ってやがって」
「お前子供から金取ったのかよ!悪い奴だな!」
ん?子供からお金を騙し取った?あれ、この話つい最近聞いた気がする。その答えに思い当たったベポがローの方にばっと顔を向けると、彼は涼しい顔で店の中に入って行った。
「ねぇ、今のって……あれ、キャプテンどこ行くの?!」
◇
真面目そうなその男は、容姿に似合わず働くことが大嫌いで、できることなら一生遊んで暮らしたいと思っていた。
気まぐれに働いてはいたが、彼の収入の半分以上は旅行者から巻き上げた金品だった。そんな男であったが、昨日臨時の収入が入った。ぼんやりとしたこどもが金目のものを持っていたのでひったくったのだ。
予想外だったのはそのこどもは異様に足が速くすぐに追いつかれたことだったが、適当にでっちあげた身の上話を信じてあっさりと譲り渡してきたので所詮はこどもだ。それも相当の馬鹿だ。この街のこどもですらそんな嘘に騙されないだろう。
しかもそのこどもから奪った袋には思った以上の金額が入っていた。何故あんなこどもがこんな大金を持っていたのかは謎であるが、それはそれ。金は天下の回り物。男は悪い仲間達と夜通し酒を呑んだ。
「お前、こんなに呑んで大丈夫なのかよ」
いつもと違って羽振りが良い男に、彼の仲間はそう訪ねたが男はニヤリと悪い顔で笑った。
「馬鹿なガキから金を騙し取ったからな!ガキのくせに大金持ってやがって」
「お前子供から金取ったのかよ!悪い奴だな!」
人として最低なそれに、普通は咎めて軽蔑するところだが男の友人も類友である。皆で下品に笑い合っていると、ふと男に影がさしかかった。不思議に思って上を見ると、一人の青年が男を覗きこんでいた。冷たい印象のある、整った顔の青年だった。
「その馬鹿なガキの話、おれにも聞かせてくれよ」
そう言って青年は口角を吊り上げたが、その鋭い瞳は凍てつくようで全く笑っていなかった。
分け前だ、とローに渡された袋を覗きこんだナマエは目を輝かせた。
その小さな袋はナマエが今まで持ったことの無い程の重みがあって、左右に軽く振るとじゃらじゃらと音を立てる。あの夜の街でのメダルの音は大嫌いだったナマエだが、本物の硬貨が奏でる音色は違う。大差ないというツッコミは野暮なものだろう。今、この手の中にあるお金が本物であることが大事なのだ、多分。
「これだけあればなんでも買えるね!」
「いや、何でもは買えないと思っ、いてェ!!」
幸せそうに笑うナマエに、こんなときだけ至極冷静にツッコんでこどもの夢を壊そうとするのがシャチである。すかさずペンギンはシャチの鳩尾に肘鉄を打ち込んだ。
「無駄遣いはするなよ」
「……母ちゃんかよ」
唐突に鳩尾を打たれて崩れ落ちたシャチは、患部を摩りながら唸った。何だかんだでペンギンが一番ナマエに甘い気がするのは彼の気のせいだろうか。
そんなこともあり、次の島に辿り着いていざ上陸!となったときナマエは上機嫌だった。そういえば、ナマエがこの船に乗ってから自分が自由に使えるお金を手にしたのは初めてだ。きっと“買い物をすること”が楽しみで仕方ないのだろう。微笑ましい限りだ。
船番はいつも通りじゃんけんで決めようかと思ったのだが、今回は最初からローが棄権した。昨日から読書にかまけて殆ど寝てないらしく、街に出るのは明日でも良いと考えたようだった。
ローが残るなら、と自他認めるキャプテン大好きなナマエも残るかと思われた。ところが、当の本人はじゃんけんに備えて両手を組んで必勝のおまじないをしている。これはもう準備万端である。余談だが、そのおまじないはシャチが教えたものでナマエはじゃんけんの度に馬鹿丁寧にそれをやっていた。このこどもは何でも信じてしまうのだ。紙一重で馬鹿といえてしまいそうなその信じやすさは皆の懸念事項であったが、ベポにすら心配されるという事実を一同はもっと重く捉えるべきだった、と後で彼らは猛省するのであるがそれは少し先のことだ。
ともあれ、やる気満々でじゃんけんに臨むナマエにペンギンやシャチは違和感を感じたのは事実だった。しかし楽天的な彼らは、まあそういうときもあるだろうと引っ掛かりを無視してじゃんけんを始めることにした。
結果、器用にスキップしながら下船したナマエを先頭に、シャチとペンギンは久々の陸に降り立ったのである。
「お前、どこか行くとこあんのか」
シャチが鼻歌まで歌い出して前を行くナマエにそう尋ねると、こどもはぴたりと足を止めた。そして振り返ったナマエは悪戯を企むような笑顔だ。
「ないしょ!!」
「内緒ってお前」
「着いてきちゃ駄目だからね!」
びしっと指を指すとナマエは走り出す。自身の駿足を惜しみなく発揮したナマエはあっという間に見えなくなってしまった。ぽつん、と取り残された二人は首を傾げるばかりである。
「何だあいつ……」
「さあ」
◇
ナマエは“自分のお金”が手に入ったら、一番最初に買うべきものを既に決めていた。
賑わっている商店街に辿り着いたナマエは、美味しそうな果物が売っている露店や本屋に見向きもせずに雑貨屋を探し始めた。本当は美味しいお菓子や面白い本や可愛い雑貨を物色したかったが、今は優先するものがあるのだ。
勘だけを頼りに歩き回ると、暫くしてこじんまりとした雑貨屋を見つけた。探していた店を見つけたナマエは、脇目も振らず吸い寄せられるようにして店に入って行った。
小さなベルを鳴らして雑貨屋に入ったナマエは、早速目的のものが売っているコーナーを探した。
雑貨屋の店主はナマエの母親くらいの年齢で、店の中をきょろきょろと物色しているナマエを微笑ましい目で見守ってくれている。
そんな視線に気付かずに、ナマエは可愛いぬいぐるみやお洒落な小物が所せましとおかれた棚に目移りする自分を首を振って戒めていた。雑念を振り切って店の奥に進むと目当ての棚がある。そこには様々な食器が綺麗に並べられていた。
「えっと、コップはどこだろう」
そう、ナマエはマグカップを買いに来たのである。少し前にローが気に入っていたマグカップをナマエが不注意で割ってしまったのだ。ナマエは代わりになるものを買おうとずっと思っていたのだが、今日初めてチャンスが到来したのである。
まずは前のカップと似たダークブルーのものを探す。落ち着いた色合いがとてもローに似合っていたから、今回もこの路線で行こうと思う。ナマエが一人頷きながら食器を物色していると、丁度目線にくる高さのところに探していたものはあった。大きさといい、形といい、前のものとそっくりだ。しかも。
「ベポくんがいる……可愛い」
ワンポイントで白くまの可愛らしい顔が描いてあったのだ。ナマエはこれを即決で買うことを決めた。ときとして買い物は衝動と勢いが大事なのだ。きっとこの場にペンギンがいたら「ちょっと冷静になれ」と止めてくれたかもしれないが、残念ながら彼はここにはいない。だからナマエはとびきりの笑顔でレジにマグカップを持って行った。
「これください! プレゼント包装で!」
雑貨屋の女主人は目をきらきらと輝かせたこどもを微笑ましく思い、通常よりも豪華なリボンを使って包装してくれた。包装して貰った箱を入れた紙袋を抱きしめながら、ナマエは最高な気分で店を出た。ああ、世界が輝いて見える!
ローへのプレゼントを買っても十分にお金はある。左手でポケットを探り、取り出した袋にはまだしっかりと重みがあった。とりあえず立ち止まってナマエは欲しいものを考えた。本も欲しい、お菓子も欲しい。それから、ナマエは日記帳が欲しかった。ナマエが愛読している冒険書は実際にあった『航海日誌』を元に書かれているらしい。それに倣ってナマエもこの素晴らしい日々を記録に残しておきたいのだ。
期待に胸を膨らませて、どの店から行こうかと考えていると不意に誰かにぶつかった。どうやら相手は男性らしく、考え事に夢中だったナマエは見事に跳ね飛ばされた。マグカップだけは根性で死守したが、しっかりと尻餅をついてしまったではないか。
打ちつけた尻を摩りながら、ナマエは涙目で遠ざかってく男を睨みつけた。確かに道の真ん中で立ち止まっていたナマエも悪いが、これだけ盛大に転んだのに無視とはちょっと酷いのでは。楽しい気分に水を差され、素直なこどもは唇を尖らせて世の不条理について考えた。しかし、何か違和感がある。ナマエは首を傾げながら自分の両手を見てみた。マグカップの袋を持っている右手。何も持っていない左手。さて、この左手はさっきまで何を持っていたのだろうか。
そこまで考えて違和感の正体に気付いたナマエは弾かれたように顔を上げた。
「ひったくりだ!!」
犯人は先程の男に違いない。ナマエは慌てて男が走って行った方向に駆けだした。
持前の身体能力と常人より優れた五感であっという間に男に追いついたナマエは「待て泥棒!」と相手に罵声を浴びせた。ところがそれを聞いた男は、こどもが恐ろしいスピードで追いついてきたことに恐怖した。
そして予想外の出来事に気が動転した男は何も考えずに逃走したため、気が付いたら路地裏の行き止まりだった。つまり彼は見事に自分で自分の首を絞めたのである。
「私のお金、返して」
もう逃げ場の無くなった男にじりじりとにじり寄りながら、ナマエは半眼になって男に右手を差し出した。よくありがちな修羅場とは完全にポジションが逆である。
ナマエのお金をひったくった男は四十代くらいで、草臥れた服装でパッとしない、どこにでもいそうな人物だった。しかも真面目そうな印象で、到底こんな悪事を働くようには見えない。
「すまない、どうしても金が必要だったんだ」
男があまりにも悲しそうなので、ナマエは自分が悪いことをしているような錯覚を覚えた。多分ここにシャチがいたら「いや、お前全く悪くないじゃん!?」などと正気に戻してくれただろうが、生憎ここに彼はいない。
「なんで?」
きっと何か訳があるに違いない。ナマエは自分の立場も忘れ、親身になって男の話を聞いた。
「おれには七人のこどもがいるんだ」
「随分いるんだね」
「その中で一番下の子が君と同い年くらいなんだが、今日が誕生日なんだ」
「それは素敵だね、おめでとう!」
ナマエはパチパチと手を叩いて見知らぬこどもの誕生日を祝った。しかし、対する男はううっと喉を鳴らして俯いてしまった。
「でもケーキを買う金が無いんだ」
「……」
それはこどもが七人もいれば、お金が沢山必要なことはナマエでもわかる。男が草臥れた服装なのは、きっとこども達を優先しているからに違いない。ナマエの母も自分のことよりもこどものことを考えてくれるような親だった。だから、きっと彼もそうに違いない。基本的にナマエは性善説を唱えて生きていきたいのだ。ナマエはまだ見ぬ七人のこどもたちとこの男の奥さんが九人で暮らしている様を想像した。きっと貧しいながらも皆協力し合って毎日懸命に生きているのだろう。互いに想いあえる家族がいるというのはとても幸せなことだ。ナマエには誕生日を祝ってくれる家族はもういない。そう思うと、今の自分の買い物などどうでも良く思えた。一番欲しいものは買えたのだし。
「……いいよ、じゃああげる。皆で食べれる大きなケーキを買ってあげて」
俯いた男はにやりと笑ったが、素直なこどもは純粋に喜んでくれているのだろうと思った。何度もお礼を言う男と別れて、ナマエは船に戻っていった。良いことをしたからとても清々しい気持ちでいっぱいだ。
◇
ナマエが船に戻ると、すでにシャチやペンギンが戻っていた。一眠りしたのかローも起きてきていて、ベポも混ざって四人は食堂で思い思いに過ごしていた。
白いマグカップで珈琲を飲んでいるローの姿を目に入れると、ナマエは彼の元に駆けよって紙袋を渡した。それを目撃した三人はナマエに尻尾の幻覚が見えたらしいが、これはもうデフォルトであるのでどうとも思わない。
「なんだ」
「あのね、この前カップ割っちゃったでしょ。だから新しいの買ってきたの」
開けて開けてと視線で促すナマエの迫力に負けて包みを開くと、中には丁寧に梱包されたマグカップが入っていた。形といい色合いといい、ダークブルーのこのマグカップは以前割られてしまったものとよく似ている。別にそんな気遣いはいらなかったが、ナマエから全身全霊で「貰って!!」という圧を感じたので、ローは礼を言って有難く頂戴した。マグカップを受取って貰えた(強制)ナマエは、にこにこしながらこのマグカップのプレゼンを始めた。
「これ、可愛いでしょ!」
ダークブルーのシンプルなマグカップのどこが可愛い?嫌な予感に従ってマグカップを手に取りひっくり返すとローは押し黙った。自然に眉間に皺が寄る。不思議に思った三人が問題のブツを覗きこむと、その理由を察した。マグカップの反対側には、可愛らしい白くまの顔が描かれていたのである。
「アラ可愛い」
ノリで反射的にそう呟いたシャチはローの刺すような視線で殺された。これは雲行きが怪しくなってきた。話を逸らすべく、ペンギンはナマエに別の話題を振ることにした。そして、その話題は地雷原に裸足で突っ込むようなものだったが彼がそんなことを知る筈も無く。
「お前、他に何か買ってこなかったのか」
「うん」
それが何か?といった様子で当たり前のように頷くナマエに一同は首を傾げた。しかしローだけは嫌な予感に目を細めた。
「あれだけ楽しみにしてたのに?」
「お金無かったの」
「は?ひょっとして落としたのか」
「ううん」
ナマエは静かに首を振った。そうして爆弾を投下。
「あげちゃった」
空気が凍った。数秒無言のブリザードが吹き荒れたが、嫌な予感に警戒していた分一番早く回復したローは静かに尋ねた。
「……誰に」
「街で会ったおじさん。なんかね七人のこどもがいて、一番下の子が今日誕生日なんだけど、ケーキを買うお金が無いんだって。だから、あげたの」
おいおい、それ絶対嘘だろ。なんでそんな嘘に引っ掛かったの。その場の全員、つまりベポですら沈痛な面持ちなのに恐ろしいのは当の本人がとても清々しい顔をしていることである。
「私の買い物はいつでもできるけど、その子の誕生日は今日だけだもんね!」
ナマエはにっこりと笑う。完全にその男を信じて微塵も疑ってない素敵な笑顔である。「今頃皆でケーキ食べてるかなぁ」等と寝言を言うこどもに、全員二の句が告げなかった。
「おれたちが目を離したばっかりに!」とペンギンがローにアイコンタクトを送ってきたので、ローはゆっくりと首を振った。誰がそんなあからさまな嘘に引っ掛かって全財産手放すことが予測できるというのだ。そんなのローでも予測できない。四人はナマエに現実を教えてやるべきか迷ったが、空想上の立派なケーキを自分のことのように喜ぶこどもにそんなことはできなかった。現実主義でドライなローですら言えなかったのだから、ある意味このこどもが一番強いのかもしれない。
◇
「それにしてもナマエ、あんな嘘に騙されちゃうんだね」
翌朝、気分転換に島に降り立ったローとベポはとくに目的も無く街を歩いていた。一晩経ってもナマエの所持金は変わらずゼロだったので、悲しいことにやっぱりあれは現実だったようだ。
しょんぼりと呟くベポもローに言わせればお人好し具合では大差無いような気がしたが、今回の件はベポの言うとおりだったので大人しく相槌を打った。
まだ殆ど店が開いていない時間だからだろうか、商店街を通っても人はまばらだ。営業しているのは昨日の夜からやっている飲み屋くらいだろう。
数件先の店は飲み屋らしく、賑やかな声が聞こえる。その笑い声は店の外まで聞こえるのだから、なかなかに盛り上がっているようだ。
「なんかだいぶ盛り上がってるね」
耳に入ってくる品の無い笑い声にベポは唸った。ベポは楽しく騒ぐのは大好きだが、こういう騒ぎ方はあまり好きでは無いのだ。
対するローは生返事だ。それどころか少しピリピリしているような気もする。ベポは目を瞬かせた。
「キャプテン?」
どうしたの、と言外に含ませたベポに答えるかわりにローは店の入口でぴたりと足を止めた。
どうやら先程から声がよく聞こえていたのは、換気の為に少し窓を開けていた為らしい。窓の隙間から数人の男達が酔っぱらってくだを巻いているのが見えた。あまり関わり合いたくない感じである。
彼らはにやにやしながら何か話している。ローが黙ってその声を拾っているので、ベポも隣に並んで聞き耳を立ててみた。
「お前、こんなに呑んで大丈夫なのかよ」
「馬鹿なガキから金を騙し取ったからな!ガキのくせに大金持ってやがって」
「お前子供から金取ったのかよ!悪い奴だな!」
ん?子供からお金を騙し取った?あれ、この話つい最近聞いた気がする。その答えに思い当たったベポがローの方にばっと顔を向けると、彼は涼しい顔で店の中に入って行った。
「ねぇ、今のって……あれ、キャプテンどこ行くの?!」
◇
真面目そうなその男は、容姿に似合わず働くことが大嫌いで、できることなら一生遊んで暮らしたいと思っていた。
気まぐれに働いてはいたが、彼の収入の半分以上は旅行者から巻き上げた金品だった。そんな男であったが、昨日臨時の収入が入った。ぼんやりとしたこどもが金目のものを持っていたのでひったくったのだ。
予想外だったのはそのこどもは異様に足が速くすぐに追いつかれたことだったが、適当にでっちあげた身の上話を信じてあっさりと譲り渡してきたので所詮はこどもだ。それも相当の馬鹿だ。この街のこどもですらそんな嘘に騙されないだろう。
しかもそのこどもから奪った袋には思った以上の金額が入っていた。何故あんなこどもがこんな大金を持っていたのかは謎であるが、それはそれ。金は天下の回り物。男は悪い仲間達と夜通し酒を呑んだ。
「お前、こんなに呑んで大丈夫なのかよ」
いつもと違って羽振りが良い男に、彼の仲間はそう訪ねたが男はニヤリと悪い顔で笑った。
「馬鹿なガキから金を騙し取ったからな!ガキのくせに大金持ってやがって」
「お前子供から金取ったのかよ!悪い奴だな!」
人として最低なそれに、普通は咎めて軽蔑するところだが男の友人も類友である。皆で下品に笑い合っていると、ふと男に影がさしかかった。不思議に思って上を見ると、一人の青年が男を覗きこんでいた。冷たい印象のある、整った顔の青年だった。
「その馬鹿なガキの話、おれにも聞かせてくれよ」
そう言って青年は口角を吊り上げたが、その鋭い瞳は凍てつくようで全く笑っていなかった。