Dear Mr.Night Blue 第一章(了)
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この夜の街で、『誰か』に助けられたのは初めてだった。
闘技場の外では、オーナーの許可がない限りナマエは戦うことができない。抵抗のための牙を折られたここでのナマエの立場は圧倒的な弱者であり、虐げられることが当然だった。だから彼女は正しくあろうとして、その度に心身ともに擦り減らしながら生きてきた。受け身を取って理不尽な暴力から身を守る術もしっかりと身に着けている。しかし、今回は暴力をふるわれることは無かった。そうされる前に一人の青年が相手を地に沈めたからだ。
従業員エリアに入ったナマエは自室に戻る為に殺風景な廊下を歩きながら、彼のことを思い出していた。
「別に」
ナマエを助けた相手は事も無げにそう言った。きっと本当にそのままで、ナマエを助ける意図も無かっただろうし、自分のことなどもう覚えていないだろう。
でも、とても、嬉しかったのだ。こんな風にふわふわとした温かい気持ちになるのは本当に久々だった。彼を思い出してはナマエは頬を緩めたが、遠くから聞こえてきた怒声にその表情は訝しげなものと変わっていった。
「離せ!」
喚きながら、数人の男達に引きずられるようにしてこちらに向かってくるのは白くまだ。ミンク族とは珍しい。きっと、例によって例の如く、不当な詐欺に合い無一文どころか多額の借金を負わされたのだ。可哀想だが、同情していてはキリが無い。
何人、何十人と見てきた光景だ。居た堪れなさからナマエは下を向いて白くま達とすれ違った。しかしその時、ナマエは気付いてしまったのだ。
あのとき、オーナーの部屋で電伝虫の向こうの女は何て言ったか。
『目ぼしいのはミンクの白くまが一匹。あとは若い男が三人』
先程助けてくれた青年は、初めて見る顔だった。つまり、ここに来たばかりだ。ということは、あの白くまは彼の仲間なのでは。ぴたり、とナマエは立ち止まって振り返った。
「キャプテーン」
半べそをかいた白くまは力なくそう溢した。それを聞いたナマエは確信した。あの人が「キャプテン」だ。気付いてしまえば、ナマエが取るべき行動は一つだ。
あの白くまを助けよう。自己満足だろうが何でも良い。あの人の役に立ちたい。
この街の構造の殆どは頭に入っている。当然、売られる前の人間が集められている場所も知っていた。
とりあえず、今は頃合いが悪い。あの白くまを連行するのにだいぶ人手も集まっている。ナマエは機会を待つことにした。そうと決まれば自室に戻ってタイミングを見計るのが最善に思われた。
遠ざかっていく白くまに後ろ髪を引かれながらもナマエは当初の目的通りに自室がある従業員部屋のフロアに向かった。
どう立ち回ろうかと作戦を練りつつ自室のドアを開けた、そのときだ。
けたたましいサイレンの音が鳴った。このサイレンが意味するところは『侵入者』だ。
このカジノの従業員は必ず銀の腕輪をつけている。それは探知機の役割も兼ねていて、それを持っていない者が従業員エリアに侵入すると、察知して警告音を発するのだ。仲間を助けようとした海賊たちの襲撃でナマエも何度もこの音を聞いたことがある。
聞いた場合はその相手を捕まえるのは、物理的に強いナマエや警備を任されている男達の仕事だ。
「こんなときに!」
乱暴にドアを閉めたナマエは踵を返して下の階に降りようと階段に向かおうとした。この従業員棟への出入り口は全部で三つ。その中でここから一番近いところへ行くつもりだ。侵入者などさっさと捕まえて、一刻も早くあの白くまを助けなければ。階段のある通路に向かう為に一歩足を踏み出したナマエは、“それ”を目に入れると吃驚して固まった。
先程、ナマエを助けてくれた青年がこちらに向かって走ってくるではないか。そして遠くで慌ただしい足音や声がする。「そっちに行ったか?!」「多分!」どうやら、いや、確実に彼を探して追ってきている。
数拍固まっていたナマエだったが、ハッと我に返ると青年とすれ違った瞬間に彼の手を引いて自室に押し込んだ。
「ここにいて」
小声でそう言い残すと、ドアを閉めて廊下に出る。
「侵入者?」
慌ただしくかけてきた男たちの内の一人がナマエの姿を目に入れると立ち止まった。急に立ち止まった彼はその反動で体が傾いている。
「ナマエ、不審な奴を見なかったか?」
「私は見てないけど、何人?」
「分からん。おれ達は下の階を探すから、ナマエはこの階から上を頼む!何かあったらオーナーに殺される!」
「わかった」
殺される、というのはあながち嘘では無い。あの男なら見せしめにそれくらいやりそうだ。必死になって走り出す男の背中を見送って視界から完全に消えるのを見届けた後、すぐに自室の扉を開けて部屋に滑り込むとドアを閉めた。
「なんで、貴方がいるの!」
「仲間を助けに来た」
それがどうした、と言わんばかりの堂々とした様子にナマエは肩を落とした。ですよね。一切悪びれていないのがいっそ清々しい。
「その仲間って白くまさん?」
「ああ」
思ったよりあっさりと認めた。もう少し警戒されるかと思ったが、拍子抜けしてしまった。だって、恩人に対してこう言うのも難だが、疑り深そうな顔してるし。
しかし、それなら話が早い。ナマエは状況の説明の為に腕輪が見えるよう右腕を付きだした。
「これを付けていない人が従業員エリアに入ってくると、警報が鳴るの。というか、どうやって入って来たの?」
「……」
ここで初めて黙秘だ。確かに会ってすぐの人間に、こどもといえども手の内を空かせないだろう。ナマエは小さく溜息を吐くと、宣言した。元よりそのつもりだ。
「私も手伝うよ」
そこで、初めて青年は怪訝な顔をした。とはいえその展開は予想していたので、ナマエは真っ直ぐ彼の瞳を見た。
「さっき助けて貰ったから、そのお礼」
「別に助けたつもりはねェが」
「結果的には助けられたもの」
青年は探るような瞳でリコを見てきたが、ナマエは目を逸らさない。そこに言葉は無い。少女は『信じてください』とも何も言わず、ただただ彼の瞳を見つめ続けた。ときとして目は、言葉よりも雄弁に物事の本質を語る。
「分かった。助かる」
暫し睨み合った後、観念したように青年はそう言った。ナマエが折れないことを読み取ったのだろう。とりあえず最低限には信じて貰えたようだった。
「捕まった人たちはこの上の階に連れていかれる。それで、檻には海楼石が使われてる。能力者も……“商品”なので」
ナマエは人を“もの”として扱うのが嫌いだったが、他に上手い言葉が見つからなかったのでその言葉を使うしかなかった。青年は黙ってナマエの話を聞いている。
「多分、貴方は“能力者”だと思うけど、解放は難しい。唯一の手段は当然だけど、鍵で開ける」
「鍵の場所は」
「このカジノのオーナーの部屋」
問題はどうやってオーナーの部屋から鍵を盗み取るかだった。ナマエは道すがら必死に考えたが、とくに上手い考えは浮かんでこない。残念なことにこのこどもは悪巧みや策略といったことには向いていないのである。オーナーの留守中に奪うのが理想だが、基本的にあの男は自室にいるし、外に出るときは必ず部屋に鍵をかけていく。それは、ナマエが過去に何度も忍び込もうとしたので嫌というほど学んでいた。何故なら、ナマエはここに連れられてきてから妹の姿を見たことが無いのだ。オーナーの部屋の奥にさらに別の部屋に繋がる扉があるので、そこが怪しいとナマエは踏んでいる。というか、そこ以外あり得ない。このカジノの殆どが頭に入っているナマエはそう確信していた。ともあれ、オーナーの部屋まで来てみたが、扉はいつも通り固く閉ざされていた。きっと今も部屋にいるのだろう。
「なにか作戦はあるのか」
「無い」
「……」
一周回って潔いナマエの返事に青年は何も言わなかった。多分、いや絶対呆れているに違いない。確かにあれだけ自信満々でノープランとは思わないだろう。誠に不甲斐ないばかりである。
青年が何も言わないのを良いことに、ナマエはそっと扉に耳を当てた。常人よりも優れているナマエの耳は、部屋の中から誰かが話をしている声を拾い上げた。
一人はオーナーの声。もう一人は聞き覚えのある声だ。ナマエが苦手としているサングラスをかけた黒服の男だ。彼は一応従業員の統括であるのでオーナーの部屋にいても不自然ではないが、いったい何の話をしているのだろうか。
◇
「あのガキも馬鹿だな。あんな金ヅル、そう逃がして堪るか」
そう言うオーナーの言葉にナマエは嫌な予感を覚えた。この街において、オーナーの身近なこどもはリコか妹しかいない。
「でも、あと2勝でしょう」
続く黒服の男の台詞で、ナマエは自分のことを言われているのだと断定した。
「ばーか、妹の薬代とかで上乗せすれば良い。あっちは何も使えないが、唯一あのガキの足枷になるのが良いところか」
ナマエの目の前は真っ暗になった。しかし、すぐにそれは怒りで赤く染まる。そんなのは約束が違うではないか。「おい、お前!」遮るローの声も耳に届かず、カッとなったナマエは反射的にオーナーの部屋のドアを蹴破った。
「それはどういうことだ!」
渦中の人物の物騒な突然の来訪に、オーナーは目を丸くした。サングラスの下に隠された黒服の男の瞳はどうなっているか知らないが、若干口が開いているので驚きはしているのだろう。そんな二人であったが、ナマエの後に見知らぬ青年が立っていて、その上捕縛した様子が無いことを見ると状況を察したようだった。
「さっきの警報の原因はこいつか……お前おれを裏切ったのか」
「裏切ったのはあんただろう!この嘘吐き!ハゲ!地獄に落ちろ!」
激高したナマエは思いつく限りの言葉で罵倒した。ちなみにオーナーの男はハゲではない。このこどもは悲しいかな悪口のボキャブリ―が貧相だったので、その悲痛な叫びはただのこどもの癇癪のようにしか薄汚い大人たちには思えない。罵られている当の本人は、ナマエの悪態などどこ吹く風だ。
「ナマエ」
それは冷徹な“支配者”の声音だった。この男は、いつもこの声でナマエに命令する。そしてその命令は、大抵ナマエにとって屈辱的で、このこどもの自由や尊厳を奪う。
「こいつを殺したら、今回の裏切りは無かったことにしてやろう」
「そんな、」
オーナーは戸棚から短剣を取り出すと、ナマエに向かってそれを放り投げた。観賞用の見事な細工が施されたその短剣は、切れ味も良さそうで刃を鋭く光らせている。地面に転がった短剣はナマエの足元で、まるで彼女を嘲笑うようにくるくると回る。
この男は、私にこの人を斬れというのか。この終わらない夜で、気まぐれでもいい、私を助けてくれたこの人を。ナマエは一歩後ずさり、短剣から距離を取った。嫌だ、私にはできない。やりたくない。
ナマエは恐る恐るローの顔を見た。その表情は焦燥でも嫌悪でもなく、ただただ静かだった。
「妹がどうなるか、分かってるだろうな」
男のその言葉は、ナマエにとって最悪の呪いだった。そんなことは分かっている。ここで躊躇えば今までのことが全て無駄になることを。
「……」
ナマエは唇を血が滲むほど噛みしめ、震える手で短剣を拾った。
「やれ!」
そして右手でしっかりと短剣を持ち直すと、ナマエはオーナーの声に引き金を引かれるようにして地を蹴った。
この流れは面倒なことになった、とローは顔に出さず思っていた。
ナマエと男のやりとりで、だいたいこのこどもがどういう立場で何をしてきたのかが察しもつく。一緒にいたのは十分にも満たないが、最初に自分に見せた笑顔、それから自分の瞳をみたときの真っ直ぐな視線。それは、こんな場所には相応しくない人間のそれだ。
だから、それを捻じ曲げてまで背負っているものを守るために、ローに向かってくることは仕方ないということも。自分も大切な人の為だったら、全てを裏切ってみせるだろう。ローはナマエの行動を咎めるつもりなど一切ない。よく考えずとも、ローはナマエを一度助けただけの縁だ。あんな気まぐれを善行と呼べるのなら、だが。
しかし、積極的に向かってくるならまだしも、躊躇して悲痛な顔を見てしまっては斬り捨てるのも寝覚めが悪い。軽くいなすようにして気絶させようと考えた。しかし、ガラの悪い海賊に殴りたい放題されていたこのこどもがこのコロシアムの覇者だとは思わなかった。
低い姿勢で瞬く間に間合いを詰めたナマエは右手でかまえた短剣を突き上げた。即座に後ろに跳んで紙一重に躱したが、それでも躱しきれずに頬を刃先が翳めたときにローは甘い考えを捨てた。
「“ROOM”」
ローは素早くこの部屋を被う程度のサークルを張り巡らせた。普通はこの珍妙なサークルに戸惑って動きが数拍遅れるが、ナマエはそんなものに見向きもしなかった。
再び目に留まらないようなスピードでローの懐に潜り込み、その右手を振りかぶった。
すぱん、斬れたのはローの体では無く、ナマエの右手だった。しかし、それでもこどもは止まらない。斬られた瞬間、短剣を放ると音のような速さで今度は左手にそれを構えてローに斬りかかった。
憐れな程に恐れを知らない、いや、封じ込めているこどもにローは舌打ちをして今度は左手を薙いだ。
ところがそれも予測していたかのように、その刹那の瞬間に再び刃物を放ると、今度はそれを口で構えた。
手加減などできなかった。仕方なくローはナマエの首を撥ねた。ナマエの首は宙を舞ったが、尚もこどもは止まらない。首を、両手を失ったのにその胴体は全く戦意を失っていなかった。右足を軸に跳び、滑らかな回し蹴りをローの首めがけて放った。これはまともに受けたら首の骨が折れる。首を飛ばして視界を封じたのだ。この相手の急所を狙った正確な攻撃が目の見えない状態で行われているのかと思うと末恐ろしいものを感じる。
危ういところで刀を持っていない方の手でナマエの足を掴んだローは、そのまま地面に叩きつけ、こどもの薄い腹に自身の膝を乗せて動かないように固定した。
「うぐっ」
離れたところでナマエの息を飲むような嗚咽が聞こえ、しばらくじたばたと暴れていた彼女の胴体はだんだんと抵抗を止めていった。
それを確認したローはゆっくりとナマエの胴体を抑え込むのを止めて立ち上がった。こんな胸糞悪く不毛なことを一秒と続けるのは嫌だったからだ。
こうなったら仕方がない。正攻法でいくしかない。ローは彼の近くで茫然と立っていた黒服の男の胴体を真っ二つに斬った。あっという間に崩れ落ちたその男を、オーナーの男は悪夢でも見ているような瞳でただ見つめていた。
今まで見ているだけだったオーナーは数拍遅れてきた恐怖にはっと我に返ったのか、化け物を見たように震えながら後ずさった。その背中が壁に当たってもう距離を取ることができないことを悟ると、やけくそのように地に伏せたナマエに罵声を浴びせ、自身の足元に転がっていたこどもの首を蹴り飛ばした。
「この役立たず!」
ナマエの首は数回弾んでローの足元まで転がってきた。そういえば、このこどもと初めて会ったときもナマエは転がっていた。そうやって、大人に踏みにじられて生きてきたのだろう。このこどもを見ていると、どこか、胸の奥に棘が刺さったような痛みがした。
「そうだ、そんな役立たずに良いことを教えてやろう。お前の妹だがな」
それでも、こどもの瞳は光を失っていなかった。男を鮮烈に睨んでいた。しかし、次の男の言葉はこどもの強い光に影を差すのに十分な、いやとてつもない威力を持っていた。
「とっくに死んじまってるよ!」
言葉が、理解できなかった。
いや、したくなかった。だって、じゃあ、私は何のために?ナマエの瞳が揺らぐ。それを見た男は嘲笑うかのように強靭な刃で、再びナマエの心を抉る。
「それなのに、お前は馬鹿みたいに、いやただの馬鹿だ、」
醜悪な男の悪足掻きを見るに堪えられなくなったローは、その呪いのような言葉を最後まで言わせずに男を袈裟切りにした。別に命に別状は無いが、気の小さな男は気絶したようでぴくりとも動かなくなった。本当に最低な男だ。ローが苦々しく嘆息していると、彼の後から弱々しい声がした。ナマエの声だ。
「鍵は、硝子テーブルの引き出しに入ってるよ。早く、白くまくんを助けてあげて」
ローは自身を善良な人間では無いと断言できるが、流石に首と両腕がバラけたこどもを放置するような非人道的なことは抵抗があったので、転がったナマエの両腕と首を拾って胴体にくっつけた。ついでにナマエに問うた。
「お前は」
「私は、いいや。だって、」
ナマエは笑った。きっと、それはローを気遣う為の笑顔だ。
「私は、あの子と一緒に、自由になりたかった」
そう呟くように独白をして、ナマエは瞳を閉じた。そのこどもの白磁の頬を一筋の涙が流れて行く。
自由。ローの大切なあの人は死ぬ間際にそう願った。それも、自身では無く、ローの自由を、だ。自由という言葉はローにとって胸に痛いものだった。そしてあの人も、最期にローに見せた顔は不器用な笑顔だった。どうして、優しい人はこういう場面で微笑むことができるのか。
モヤモヤしたものを感じながら、硝子テーブルの引き出しから金色の鍵の束を取り出した。ちらり、と力なく地面に横たわるこどもを見る。
「くそっ」
どうしても放っておくことができず、ローはナマエを抱きかかえ、空いた片手で刀を掴むと部屋を出て行った。抱え上げたこどもは、驚くほど軽かった。
オーナーの部屋を出て更に奥に進むと、道すがら事前にナマエに聞いていた通り、牢屋が沢山ある薄暗い監獄のようなところに辿り着いた。
素早く視線を巡らすと、目当ての人物――というか熊はすぐ見つかった。何故なら彼の真っ白い体は薄闇から浮いていてものすごく目立っていたのだ。只でさえ目立つのに。
「キャプテーン、助けに来てくれるって信じてたよー!」
檻の錠を外すとベポが飛びついてきた。その行動は予測済だったのでローは意地で踏ん張りその衝撃を耐えた。
「あれ、その子誰?」
ローが抱いているこどもに気付くと、ベポは首を傾げた。
「……拾った。こいつも連れていく」
「えっ」
戸惑った声を上げるベポを余所に、ローは鍵の束を別の檻に放り込んだ。
「ここのオーナーはおれが倒した。お前らは勝手にしろ」
突然の自由の到来に牢屋の中は騒がしくなったが、ローは我関せずといった様子で監獄を出て行った。慌ててベポも彼を追いかける。
「ペンギンとシャチが下で待ってる。面倒なことになる前に船を直させて出るぞ」
「わかった!」
ベポは神妙に頷いた。そしてローに「その子おれが運ぼうか?」と聞いてきたので、ローは黙ってナマエではなく刀の方を渡した。ベポにナマエを託すのは、なんだか無責任なような気がしたからだ。
「ありがとう!!」
遠くから声が聞こえたので、ローは呟いた。とても不本意だ。
「別にお前らの為にやったわけじゃない」
そうしてこの日、この街の夜は終わったのだ。
闘技場の外では、オーナーの許可がない限りナマエは戦うことができない。抵抗のための牙を折られたここでのナマエの立場は圧倒的な弱者であり、虐げられることが当然だった。だから彼女は正しくあろうとして、その度に心身ともに擦り減らしながら生きてきた。受け身を取って理不尽な暴力から身を守る術もしっかりと身に着けている。しかし、今回は暴力をふるわれることは無かった。そうされる前に一人の青年が相手を地に沈めたからだ。
従業員エリアに入ったナマエは自室に戻る為に殺風景な廊下を歩きながら、彼のことを思い出していた。
「別に」
ナマエを助けた相手は事も無げにそう言った。きっと本当にそのままで、ナマエを助ける意図も無かっただろうし、自分のことなどもう覚えていないだろう。
でも、とても、嬉しかったのだ。こんな風にふわふわとした温かい気持ちになるのは本当に久々だった。彼を思い出してはナマエは頬を緩めたが、遠くから聞こえてきた怒声にその表情は訝しげなものと変わっていった。
「離せ!」
喚きながら、数人の男達に引きずられるようにしてこちらに向かってくるのは白くまだ。ミンク族とは珍しい。きっと、例によって例の如く、不当な詐欺に合い無一文どころか多額の借金を負わされたのだ。可哀想だが、同情していてはキリが無い。
何人、何十人と見てきた光景だ。居た堪れなさからナマエは下を向いて白くま達とすれ違った。しかしその時、ナマエは気付いてしまったのだ。
あのとき、オーナーの部屋で電伝虫の向こうの女は何て言ったか。
『目ぼしいのはミンクの白くまが一匹。あとは若い男が三人』
先程助けてくれた青年は、初めて見る顔だった。つまり、ここに来たばかりだ。ということは、あの白くまは彼の仲間なのでは。ぴたり、とナマエは立ち止まって振り返った。
「キャプテーン」
半べそをかいた白くまは力なくそう溢した。それを聞いたナマエは確信した。あの人が「キャプテン」だ。気付いてしまえば、ナマエが取るべき行動は一つだ。
あの白くまを助けよう。自己満足だろうが何でも良い。あの人の役に立ちたい。
この街の構造の殆どは頭に入っている。当然、売られる前の人間が集められている場所も知っていた。
とりあえず、今は頃合いが悪い。あの白くまを連行するのにだいぶ人手も集まっている。ナマエは機会を待つことにした。そうと決まれば自室に戻ってタイミングを見計るのが最善に思われた。
遠ざかっていく白くまに後ろ髪を引かれながらもナマエは当初の目的通りに自室がある従業員部屋のフロアに向かった。
どう立ち回ろうかと作戦を練りつつ自室のドアを開けた、そのときだ。
けたたましいサイレンの音が鳴った。このサイレンが意味するところは『侵入者』だ。
このカジノの従業員は必ず銀の腕輪をつけている。それは探知機の役割も兼ねていて、それを持っていない者が従業員エリアに侵入すると、察知して警告音を発するのだ。仲間を助けようとした海賊たちの襲撃でナマエも何度もこの音を聞いたことがある。
聞いた場合はその相手を捕まえるのは、物理的に強いナマエや警備を任されている男達の仕事だ。
「こんなときに!」
乱暴にドアを閉めたナマエは踵を返して下の階に降りようと階段に向かおうとした。この従業員棟への出入り口は全部で三つ。その中でここから一番近いところへ行くつもりだ。侵入者などさっさと捕まえて、一刻も早くあの白くまを助けなければ。階段のある通路に向かう為に一歩足を踏み出したナマエは、“それ”を目に入れると吃驚して固まった。
先程、ナマエを助けてくれた青年がこちらに向かって走ってくるではないか。そして遠くで慌ただしい足音や声がする。「そっちに行ったか?!」「多分!」どうやら、いや、確実に彼を探して追ってきている。
数拍固まっていたナマエだったが、ハッと我に返ると青年とすれ違った瞬間に彼の手を引いて自室に押し込んだ。
「ここにいて」
小声でそう言い残すと、ドアを閉めて廊下に出る。
「侵入者?」
慌ただしくかけてきた男たちの内の一人がナマエの姿を目に入れると立ち止まった。急に立ち止まった彼はその反動で体が傾いている。
「ナマエ、不審な奴を見なかったか?」
「私は見てないけど、何人?」
「分からん。おれ達は下の階を探すから、ナマエはこの階から上を頼む!何かあったらオーナーに殺される!」
「わかった」
殺される、というのはあながち嘘では無い。あの男なら見せしめにそれくらいやりそうだ。必死になって走り出す男の背中を見送って視界から完全に消えるのを見届けた後、すぐに自室の扉を開けて部屋に滑り込むとドアを閉めた。
「なんで、貴方がいるの!」
「仲間を助けに来た」
それがどうした、と言わんばかりの堂々とした様子にナマエは肩を落とした。ですよね。一切悪びれていないのがいっそ清々しい。
「その仲間って白くまさん?」
「ああ」
思ったよりあっさりと認めた。もう少し警戒されるかと思ったが、拍子抜けしてしまった。だって、恩人に対してこう言うのも難だが、疑り深そうな顔してるし。
しかし、それなら話が早い。ナマエは状況の説明の為に腕輪が見えるよう右腕を付きだした。
「これを付けていない人が従業員エリアに入ってくると、警報が鳴るの。というか、どうやって入って来たの?」
「……」
ここで初めて黙秘だ。確かに会ってすぐの人間に、こどもといえども手の内を空かせないだろう。ナマエは小さく溜息を吐くと、宣言した。元よりそのつもりだ。
「私も手伝うよ」
そこで、初めて青年は怪訝な顔をした。とはいえその展開は予想していたので、ナマエは真っ直ぐ彼の瞳を見た。
「さっき助けて貰ったから、そのお礼」
「別に助けたつもりはねェが」
「結果的には助けられたもの」
青年は探るような瞳でリコを見てきたが、ナマエは目を逸らさない。そこに言葉は無い。少女は『信じてください』とも何も言わず、ただただ彼の瞳を見つめ続けた。ときとして目は、言葉よりも雄弁に物事の本質を語る。
「分かった。助かる」
暫し睨み合った後、観念したように青年はそう言った。ナマエが折れないことを読み取ったのだろう。とりあえず最低限には信じて貰えたようだった。
「捕まった人たちはこの上の階に連れていかれる。それで、檻には海楼石が使われてる。能力者も……“商品”なので」
ナマエは人を“もの”として扱うのが嫌いだったが、他に上手い言葉が見つからなかったのでその言葉を使うしかなかった。青年は黙ってナマエの話を聞いている。
「多分、貴方は“能力者”だと思うけど、解放は難しい。唯一の手段は当然だけど、鍵で開ける」
「鍵の場所は」
「このカジノのオーナーの部屋」
問題はどうやってオーナーの部屋から鍵を盗み取るかだった。ナマエは道すがら必死に考えたが、とくに上手い考えは浮かんでこない。残念なことにこのこどもは悪巧みや策略といったことには向いていないのである。オーナーの留守中に奪うのが理想だが、基本的にあの男は自室にいるし、外に出るときは必ず部屋に鍵をかけていく。それは、ナマエが過去に何度も忍び込もうとしたので嫌というほど学んでいた。何故なら、ナマエはここに連れられてきてから妹の姿を見たことが無いのだ。オーナーの部屋の奥にさらに別の部屋に繋がる扉があるので、そこが怪しいとナマエは踏んでいる。というか、そこ以外あり得ない。このカジノの殆どが頭に入っているナマエはそう確信していた。ともあれ、オーナーの部屋まで来てみたが、扉はいつも通り固く閉ざされていた。きっと今も部屋にいるのだろう。
「なにか作戦はあるのか」
「無い」
「……」
一周回って潔いナマエの返事に青年は何も言わなかった。多分、いや絶対呆れているに違いない。確かにあれだけ自信満々でノープランとは思わないだろう。誠に不甲斐ないばかりである。
青年が何も言わないのを良いことに、ナマエはそっと扉に耳を当てた。常人よりも優れているナマエの耳は、部屋の中から誰かが話をしている声を拾い上げた。
一人はオーナーの声。もう一人は聞き覚えのある声だ。ナマエが苦手としているサングラスをかけた黒服の男だ。彼は一応従業員の統括であるのでオーナーの部屋にいても不自然ではないが、いったい何の話をしているのだろうか。
◇
「あのガキも馬鹿だな。あんな金ヅル、そう逃がして堪るか」
そう言うオーナーの言葉にナマエは嫌な予感を覚えた。この街において、オーナーの身近なこどもはリコか妹しかいない。
「でも、あと2勝でしょう」
続く黒服の男の台詞で、ナマエは自分のことを言われているのだと断定した。
「ばーか、妹の薬代とかで上乗せすれば良い。あっちは何も使えないが、唯一あのガキの足枷になるのが良いところか」
ナマエの目の前は真っ暗になった。しかし、すぐにそれは怒りで赤く染まる。そんなのは約束が違うではないか。「おい、お前!」遮るローの声も耳に届かず、カッとなったナマエは反射的にオーナーの部屋のドアを蹴破った。
「それはどういうことだ!」
渦中の人物の物騒な突然の来訪に、オーナーは目を丸くした。サングラスの下に隠された黒服の男の瞳はどうなっているか知らないが、若干口が開いているので驚きはしているのだろう。そんな二人であったが、ナマエの後に見知らぬ青年が立っていて、その上捕縛した様子が無いことを見ると状況を察したようだった。
「さっきの警報の原因はこいつか……お前おれを裏切ったのか」
「裏切ったのはあんただろう!この嘘吐き!ハゲ!地獄に落ちろ!」
激高したナマエは思いつく限りの言葉で罵倒した。ちなみにオーナーの男はハゲではない。このこどもは悲しいかな悪口のボキャブリ―が貧相だったので、その悲痛な叫びはただのこどもの癇癪のようにしか薄汚い大人たちには思えない。罵られている当の本人は、ナマエの悪態などどこ吹く風だ。
「ナマエ」
それは冷徹な“支配者”の声音だった。この男は、いつもこの声でナマエに命令する。そしてその命令は、大抵ナマエにとって屈辱的で、このこどもの自由や尊厳を奪う。
「こいつを殺したら、今回の裏切りは無かったことにしてやろう」
「そんな、」
オーナーは戸棚から短剣を取り出すと、ナマエに向かってそれを放り投げた。観賞用の見事な細工が施されたその短剣は、切れ味も良さそうで刃を鋭く光らせている。地面に転がった短剣はナマエの足元で、まるで彼女を嘲笑うようにくるくると回る。
この男は、私にこの人を斬れというのか。この終わらない夜で、気まぐれでもいい、私を助けてくれたこの人を。ナマエは一歩後ずさり、短剣から距離を取った。嫌だ、私にはできない。やりたくない。
ナマエは恐る恐るローの顔を見た。その表情は焦燥でも嫌悪でもなく、ただただ静かだった。
「妹がどうなるか、分かってるだろうな」
男のその言葉は、ナマエにとって最悪の呪いだった。そんなことは分かっている。ここで躊躇えば今までのことが全て無駄になることを。
「……」
ナマエは唇を血が滲むほど噛みしめ、震える手で短剣を拾った。
「やれ!」
そして右手でしっかりと短剣を持ち直すと、ナマエはオーナーの声に引き金を引かれるようにして地を蹴った。
この流れは面倒なことになった、とローは顔に出さず思っていた。
ナマエと男のやりとりで、だいたいこのこどもがどういう立場で何をしてきたのかが察しもつく。一緒にいたのは十分にも満たないが、最初に自分に見せた笑顔、それから自分の瞳をみたときの真っ直ぐな視線。それは、こんな場所には相応しくない人間のそれだ。
だから、それを捻じ曲げてまで背負っているものを守るために、ローに向かってくることは仕方ないということも。自分も大切な人の為だったら、全てを裏切ってみせるだろう。ローはナマエの行動を咎めるつもりなど一切ない。よく考えずとも、ローはナマエを一度助けただけの縁だ。あんな気まぐれを善行と呼べるのなら、だが。
しかし、積極的に向かってくるならまだしも、躊躇して悲痛な顔を見てしまっては斬り捨てるのも寝覚めが悪い。軽くいなすようにして気絶させようと考えた。しかし、ガラの悪い海賊に殴りたい放題されていたこのこどもがこのコロシアムの覇者だとは思わなかった。
低い姿勢で瞬く間に間合いを詰めたナマエは右手でかまえた短剣を突き上げた。即座に後ろに跳んで紙一重に躱したが、それでも躱しきれずに頬を刃先が翳めたときにローは甘い考えを捨てた。
「“ROOM”」
ローは素早くこの部屋を被う程度のサークルを張り巡らせた。普通はこの珍妙なサークルに戸惑って動きが数拍遅れるが、ナマエはそんなものに見向きもしなかった。
再び目に留まらないようなスピードでローの懐に潜り込み、その右手を振りかぶった。
すぱん、斬れたのはローの体では無く、ナマエの右手だった。しかし、それでもこどもは止まらない。斬られた瞬間、短剣を放ると音のような速さで今度は左手にそれを構えてローに斬りかかった。
憐れな程に恐れを知らない、いや、封じ込めているこどもにローは舌打ちをして今度は左手を薙いだ。
ところがそれも予測していたかのように、その刹那の瞬間に再び刃物を放ると、今度はそれを口で構えた。
手加減などできなかった。仕方なくローはナマエの首を撥ねた。ナマエの首は宙を舞ったが、尚もこどもは止まらない。首を、両手を失ったのにその胴体は全く戦意を失っていなかった。右足を軸に跳び、滑らかな回し蹴りをローの首めがけて放った。これはまともに受けたら首の骨が折れる。首を飛ばして視界を封じたのだ。この相手の急所を狙った正確な攻撃が目の見えない状態で行われているのかと思うと末恐ろしいものを感じる。
危ういところで刀を持っていない方の手でナマエの足を掴んだローは、そのまま地面に叩きつけ、こどもの薄い腹に自身の膝を乗せて動かないように固定した。
「うぐっ」
離れたところでナマエの息を飲むような嗚咽が聞こえ、しばらくじたばたと暴れていた彼女の胴体はだんだんと抵抗を止めていった。
それを確認したローはゆっくりとナマエの胴体を抑え込むのを止めて立ち上がった。こんな胸糞悪く不毛なことを一秒と続けるのは嫌だったからだ。
こうなったら仕方がない。正攻法でいくしかない。ローは彼の近くで茫然と立っていた黒服の男の胴体を真っ二つに斬った。あっという間に崩れ落ちたその男を、オーナーの男は悪夢でも見ているような瞳でただ見つめていた。
今まで見ているだけだったオーナーは数拍遅れてきた恐怖にはっと我に返ったのか、化け物を見たように震えながら後ずさった。その背中が壁に当たってもう距離を取ることができないことを悟ると、やけくそのように地に伏せたナマエに罵声を浴びせ、自身の足元に転がっていたこどもの首を蹴り飛ばした。
「この役立たず!」
ナマエの首は数回弾んでローの足元まで転がってきた。そういえば、このこどもと初めて会ったときもナマエは転がっていた。そうやって、大人に踏みにじられて生きてきたのだろう。このこどもを見ていると、どこか、胸の奥に棘が刺さったような痛みがした。
「そうだ、そんな役立たずに良いことを教えてやろう。お前の妹だがな」
それでも、こどもの瞳は光を失っていなかった。男を鮮烈に睨んでいた。しかし、次の男の言葉はこどもの強い光に影を差すのに十分な、いやとてつもない威力を持っていた。
「とっくに死んじまってるよ!」
言葉が、理解できなかった。
いや、したくなかった。だって、じゃあ、私は何のために?ナマエの瞳が揺らぐ。それを見た男は嘲笑うかのように強靭な刃で、再びナマエの心を抉る。
「それなのに、お前は馬鹿みたいに、いやただの馬鹿だ、」
醜悪な男の悪足掻きを見るに堪えられなくなったローは、その呪いのような言葉を最後まで言わせずに男を袈裟切りにした。別に命に別状は無いが、気の小さな男は気絶したようでぴくりとも動かなくなった。本当に最低な男だ。ローが苦々しく嘆息していると、彼の後から弱々しい声がした。ナマエの声だ。
「鍵は、硝子テーブルの引き出しに入ってるよ。早く、白くまくんを助けてあげて」
ローは自身を善良な人間では無いと断言できるが、流石に首と両腕がバラけたこどもを放置するような非人道的なことは抵抗があったので、転がったナマエの両腕と首を拾って胴体にくっつけた。ついでにナマエに問うた。
「お前は」
「私は、いいや。だって、」
ナマエは笑った。きっと、それはローを気遣う為の笑顔だ。
「私は、あの子と一緒に、自由になりたかった」
そう呟くように独白をして、ナマエは瞳を閉じた。そのこどもの白磁の頬を一筋の涙が流れて行く。
自由。ローの大切なあの人は死ぬ間際にそう願った。それも、自身では無く、ローの自由を、だ。自由という言葉はローにとって胸に痛いものだった。そしてあの人も、最期にローに見せた顔は不器用な笑顔だった。どうして、優しい人はこういう場面で微笑むことができるのか。
モヤモヤしたものを感じながら、硝子テーブルの引き出しから金色の鍵の束を取り出した。ちらり、と力なく地面に横たわるこどもを見る。
「くそっ」
どうしても放っておくことができず、ローはナマエを抱きかかえ、空いた片手で刀を掴むと部屋を出て行った。抱え上げたこどもは、驚くほど軽かった。
オーナーの部屋を出て更に奥に進むと、道すがら事前にナマエに聞いていた通り、牢屋が沢山ある薄暗い監獄のようなところに辿り着いた。
素早く視線を巡らすと、目当ての人物――というか熊はすぐ見つかった。何故なら彼の真っ白い体は薄闇から浮いていてものすごく目立っていたのだ。只でさえ目立つのに。
「キャプテーン、助けに来てくれるって信じてたよー!」
檻の錠を外すとベポが飛びついてきた。その行動は予測済だったのでローは意地で踏ん張りその衝撃を耐えた。
「あれ、その子誰?」
ローが抱いているこどもに気付くと、ベポは首を傾げた。
「……拾った。こいつも連れていく」
「えっ」
戸惑った声を上げるベポを余所に、ローは鍵の束を別の檻に放り込んだ。
「ここのオーナーはおれが倒した。お前らは勝手にしろ」
突然の自由の到来に牢屋の中は騒がしくなったが、ローは我関せずといった様子で監獄を出て行った。慌ててベポも彼を追いかける。
「ペンギンとシャチが下で待ってる。面倒なことになる前に船を直させて出るぞ」
「わかった!」
ベポは神妙に頷いた。そしてローに「その子おれが運ぼうか?」と聞いてきたので、ローは黙ってナマエではなく刀の方を渡した。ベポにナマエを託すのは、なんだか無責任なような気がしたからだ。
「ありがとう!!」
遠くから声が聞こえたので、ローは呟いた。とても不本意だ。
「別にお前らの為にやったわけじゃない」
そうしてこの日、この街の夜は終わったのだ。