Dear Mr.Night Blue 第一章(了)
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ポーラータング号が到着した次の島は古物商で栄えているところだった。
常時開催されている大規模な骨董市は、世界中の多くの骨董品愛好家を魅了して止まない。何に使うか分からないガラクタからアンティークな家具に貴重な古書、機械パーツに絵画等の芸術作品。ありとあらゆる文明の切れ端を手に入れられるという噂話は決して嘘ではない。沢山の骨董店が所狭しと並ぶこの島の案内図を入手したベポはきらきらと目を輝かせていた。
「ナマエ、珍しいものいっぱいあるよ。探検しようよ!」
「私はいいや。ベポくんは先に楽しんできて」
下船者を決めるジャンケンを棄権したナマエは、気まずそうにひらひらと手を振って部屋に戻って行った。ローはどうしても見たいものがあるというので、ジャンケン免除で既に下船している。いくつもの島を巡ったが、ローがそう言うのは初めてだったので、皆二つ返事で了承したのだった。残りは多くて二人であるが、張り合いのないナマエの態度にうっと喉を詰まらせたベポは「じゃあおれもいい……」とこどもを追いかけようとした。しかし、シャチにがしっと腕を掴まれて阻止されてしまった。
「ナマエが知ったら責任感じるだろ」
「……そうだね」
がっくりと肩を落として下船ジャンケンに参加した結果、残りの下船者はベポとシャチになった。気乗りしないときに限ってジャンケンに勝ってしまうのである。
「なんかナマエにお土産買ってくる……」そう言いながら船を降りたベポの優しい心に胸を打たれたペンギンとシャチだった。
ナマエは甲板の隅で体育座りをして、海を眺めていた。
ローは早朝にさっさと下船してしまった。その後に下船したベポもシャチも戻ってきたのに、彼はまだ帰ってこない。
日が沈みゆく海には暁の一線が浮かび、水面はどこか寂しく光る。美しく、優しく、ときには荒々しく、様々な姿を見せてくれる海がナマエは大好きだ。そして、ナマエに再びその景色を見せてくれたローが大好きだ。今頃ローは何をしているのだろうか。
実を言うと、ナマエは熱を出して倒れたときのベポとの会話で答えの糸口を掴んだ気がしていた。でも、いざローに答え合わせをしに行くとなるとやっぱり確信が持てない。こんなときに尻込みをするなんて自分らしくないとナマエは思っているのだが、それ程ローの拒絶はこのこどもに大ダメージを与えたのである。大きく溜息を吐いて、ナマエは自身の膝に顔を埋めた。その小さな後ろ姿をベポがこっそりと見守っているとも知らずに。
暫く突っ伏していたナマエだったが、良いことを閃いたのでがばりと顔を上げた。
そうだ、この偉大な海に力を貰おう。
切羽詰まると明後日の方向に思考が向う人間は一定数いる。そしてナマエは正しくそのタイプだった。
ナマエは甲板のハンドレールに身を乗り出すとできるだけ近くで塩の香りと波の音を聞いた。静かな波の音は逸るナマエの心を落ち着かせてくれたので、お頭が単純な作りをしているこのこどもは“これはいけるのでは”と確信した。
丁度その時、ナマエと少し離れたところで足音がした。この静かで規則正しい足音はローのものだ。これはチャンスだ。ナマエが勢いよく振り向くと、ローの琥珀色の双眸とかち合った。
しかし、それも一瞬。
ナマエは自身がハンドレールの外にほぼ上半身を乗り出し、非常にバランスの悪い態勢だということをすっかり忘れていたのである。急に動いたことで一気にバランスを崩したナマエは真っ逆さまに海へと落ちていった。
綺麗に頭から海に落ちたナマエは衝撃に備えて目を瞑っていたので、一番最初に感じたのは夕暮れの海の冷たさだった。そして小さな口から空気の殆どを溢し、その代わりに入ってきたのは塩の味だった。これ以上水を飲む前に早く水面に顔を出さねば。ナマエは固く瞑った目を薄く開けると、その眼が零れそうなほど大きく見開いた。
こどもの視界に映ったのは、凍えた海色の世界ではなかったのだ。青白い顔をして、力なく四肢を投げ出すローの姿だった。悪魔の実の能力者は海に嫌われ、泳げなくなるどころか水中では力が出ない筈なのに。
まさか自分を助けるために飛び込んだのか。それでローが死んでしまったら、そんなことをされてもナマエは嬉しくなんかない。逆に自分が許せない。ふつふつと沸いた激情はナマエを飲み込んだが、事は一秒を争う。素早く我に返ると、沈みゆくローを手繰り寄せ背に腕を回して水底を蹴った。
「ぷはっ」
ロー共々水面から顔を出すと、船の上は大騒ぎだった。
「ナマエとキャプテンが海に落ちたー!!」
「ハァ!!?」
ハッチの中からそっとナマエを見守っていたベポが叫んだことによって、シャチとペンギンが物凄い速さで甲板に飛び出してきた。ペンギンが素早く繋留用の予備のロープを、甲板の隅で水面を覗き込んでいるベポに放り投げる。見事にキャッチしたベポは流れるような所作でそれを海に放り込んだ。
「これに掴まって!」
蜘蛛の糸さながらに垂らされたそれをナマエが掴んだのを確認して、三人はロープを引き上げた。
常人よりも力があるナマエでも水に濡れてさらに重くなった長身の青年を抱えるのは辛かったので、甲板に打ち揚げられた瞬間手を放してしまった。どさりと倒れこんだローは背を丸めて咳き込んでいる。力尽きたナマエはそのまま力なく甲板に突っ伏した。そしてぴくりとも動かない。
「うわーん、ナマエ死なないでー!」
「馬鹿!それぐらいで死ぬか!」
ナマエに縋り付いて泣き叫ぶベポの頭をべしん、と叩いたシャチはナマエを抱き起して上から大きな白いタオルを覆い被せた。
「だいじょぶ生きてる……」
「良かったぁ」
タオルお化けから小さな声が聞こえたのでベポは安堵でへなへなと座り込んだ。シャチはどうやらそのままナマエを拭いてくれるらしいが、如何せんその手つきが雑だ。タオルに遮られて乱暴に揺らされているナマエの視界に、緩慢に起き上がったローにペンギンがタオルをそっと差し出しているのが映る。それに比べて自分の扱いはだいぶ乱暴ではないかと思ったがどう考えても悪いのはナマエなので、脳天が揺れるような激しい動きに耐えた。それに、ナマエは言わなければいけないことがあるのだ。“今”言わなければ、ナマエはきっとタイミングを逃してずるずるといつまで経っても謝ることができなくなるに違いない。
「キャプテン、私ね」
ナマエはタオルに揉みくちゃにされながら言った。おかげで声が若干ブレているが、ローならしっかりと聞き取ってくれるだろう。
「この前もさっきも。キャプテンが死んだらやだ、それで助かっても嬉しくないって思った。キャプテンもそうなの?」
ローは肯定も否定もしなかった。しかし、ナマエをじっと見つめている瞳は凪いでいたのできっとこれが正解なのだ。
どうして気付かなかったのだろう。ナマエはローがいなくなってしまうのが怖い。では、逆は?もし、ナマエがいなくなってしまったらローはどう思うのだろうか。ナマエの大好きな、この不器用で優しい人はきっと同じように思ってくれるだろう。そして、そう思われていることがナマエは嬉しくてしょうがなかった。ローだけではない。ベポが、シャチが、ペンギンが、皆がそう思ってくれてるのだ。
だからナマエは頬を綻ばせた。
「ごめんなさい」
正解したものの反省の色が見られないナマエに、ローは嘆息するとその柔らかな頬を軽く抓った。
それでもこどもはへらりと笑う。すっかり毒気を抜かれたローは水に濡れた艶やかな髪をぐしゃぐしゃにしてやった。ナマエはされるがままだったが、ふと顔を上げた。まだ言いたいことがあるらしい。
「それからね、助けてくれてありがとう」
「まさかキャプテンが飛び込んじゃうとはね」
生温かい視線を送るシャチに、ローは視線を逸らした。基本的に彼は我が強いので都合が悪くなっても目を逸らすということはあまりしないが、今回は思うところがあるのだろう。それも全てナマエの所為である。逸らした視線で元凶を捕捉すると、こどもは神妙な顔で頭を下げた。先程はヘラヘラと笑っていたが、一応悪いとは思っているらしい。
「でも、流石に肝が冷えました。船長が溺死でハートの海賊団解散とか洒落にならないですよ」
らしくないうっかりはナマエを助ける為。気持ちは痛い程分かるし、船員のためにここまで動いてくれる船長が誇らしい。しかし、誰かが言わなければいけない。断腸の思いで眉根を下げて苦言するペンギンに、彼を援護するべくベポは勢いよく挙手をした。
「おれ、泳ぐの得意だよ!キャプテンが飛び込まなくてもナマエの一人や二人助けられるよ」
果たしてこれは援護になっているのかとか、ナマエは一人しかいないとか、ツッコむのは野暮だ。ローは首筋を乱暴に掻くと渋々口を開いた。
「悪かった」
◇
「そういえば、それなぁに?」
ローにぐしゃぐしゃにされた髪を手櫛で整えながらナマエが指さしたその先には、細長い物体が乱雑に転がっている。
動くのが億劫だったのか、ローは持っていたタオルとその物体の位置を入れ替えた。タオルが落ちる軽い音の代わりに、ローの手の内でカチャリと金属が鳴る音がした。ローはそれをそのままナマエに放り投げた。その物体は綺麗な放物線を描いてナマエの手元に落ちていく。
「やる」
「?」
受け取ったものをまじまじと見ると、それは刀だった。こどものナマエの短いリーチでも十分に扱えるよう長過ぎず、それでもある程度の間合いは取れるように短すぎない丁度良いサイズのものだ。
柄には濃紺の柄糸が丁寧に巻き込まれ、しっかりと手に馴染む。鈍色の円形の鍔には上品な竜胆の模様が彫られている。星の無い夜空のような濡羽色の鞘から刀身を抜くと、曇りのない透き通るような刃にナマエの顔が映る。ナマエは刀身に映る自身の新緑色の瞳と視線がかち合った。それは、まるで宝物を見つけたときのようにきらきらと輝いている。
「無銘だが、質の良いものを選んだ。これは投げるなよ」
「!! 絶対投げない!」
ナマエは刀身を素早く鞘に納めると、刀をぎゅうっと抱きしめて、高らかにそう宣言した。
確かにローから貰った大事なものなら、このこどもは絶対に手荒に扱わないだろう。だから、いざ敵から斬撃を受けてもそれを跳ね除ける術を持たないということは絶対に無くなる。流石キャプテン。
つまり、“どうしても見たいもの”というのはナマエの為のものだったのだ。こどもはきっとその意図に気付かないだろうが、三人はばっちりと読み取った。皆で顔を見合わせて口角を緩めていると、ローから刺すような視線を感じたのでびしっと姿勢を正した。しかし、すぐにその口元はだらしなく緩む。
その緊張感の無い様子には呆れるしかない。何がそんなに面白いのかローには全く理解できないが、皆が楽しそうなのでそういった光景も悪くはない、と彼は思った。
常時開催されている大規模な骨董市は、世界中の多くの骨董品愛好家を魅了して止まない。何に使うか分からないガラクタからアンティークな家具に貴重な古書、機械パーツに絵画等の芸術作品。ありとあらゆる文明の切れ端を手に入れられるという噂話は決して嘘ではない。沢山の骨董店が所狭しと並ぶこの島の案内図を入手したベポはきらきらと目を輝かせていた。
「ナマエ、珍しいものいっぱいあるよ。探検しようよ!」
「私はいいや。ベポくんは先に楽しんできて」
下船者を決めるジャンケンを棄権したナマエは、気まずそうにひらひらと手を振って部屋に戻って行った。ローはどうしても見たいものがあるというので、ジャンケン免除で既に下船している。いくつもの島を巡ったが、ローがそう言うのは初めてだったので、皆二つ返事で了承したのだった。残りは多くて二人であるが、張り合いのないナマエの態度にうっと喉を詰まらせたベポは「じゃあおれもいい……」とこどもを追いかけようとした。しかし、シャチにがしっと腕を掴まれて阻止されてしまった。
「ナマエが知ったら責任感じるだろ」
「……そうだね」
がっくりと肩を落として下船ジャンケンに参加した結果、残りの下船者はベポとシャチになった。気乗りしないときに限ってジャンケンに勝ってしまうのである。
「なんかナマエにお土産買ってくる……」そう言いながら船を降りたベポの優しい心に胸を打たれたペンギンとシャチだった。
ナマエは甲板の隅で体育座りをして、海を眺めていた。
ローは早朝にさっさと下船してしまった。その後に下船したベポもシャチも戻ってきたのに、彼はまだ帰ってこない。
日が沈みゆく海には暁の一線が浮かび、水面はどこか寂しく光る。美しく、優しく、ときには荒々しく、様々な姿を見せてくれる海がナマエは大好きだ。そして、ナマエに再びその景色を見せてくれたローが大好きだ。今頃ローは何をしているのだろうか。
実を言うと、ナマエは熱を出して倒れたときのベポとの会話で答えの糸口を掴んだ気がしていた。でも、いざローに答え合わせをしに行くとなるとやっぱり確信が持てない。こんなときに尻込みをするなんて自分らしくないとナマエは思っているのだが、それ程ローの拒絶はこのこどもに大ダメージを与えたのである。大きく溜息を吐いて、ナマエは自身の膝に顔を埋めた。その小さな後ろ姿をベポがこっそりと見守っているとも知らずに。
暫く突っ伏していたナマエだったが、良いことを閃いたのでがばりと顔を上げた。
そうだ、この偉大な海に力を貰おう。
切羽詰まると明後日の方向に思考が向う人間は一定数いる。そしてナマエは正しくそのタイプだった。
ナマエは甲板のハンドレールに身を乗り出すとできるだけ近くで塩の香りと波の音を聞いた。静かな波の音は逸るナマエの心を落ち着かせてくれたので、お頭が単純な作りをしているこのこどもは“これはいけるのでは”と確信した。
丁度その時、ナマエと少し離れたところで足音がした。この静かで規則正しい足音はローのものだ。これはチャンスだ。ナマエが勢いよく振り向くと、ローの琥珀色の双眸とかち合った。
しかし、それも一瞬。
ナマエは自身がハンドレールの外にほぼ上半身を乗り出し、非常にバランスの悪い態勢だということをすっかり忘れていたのである。急に動いたことで一気にバランスを崩したナマエは真っ逆さまに海へと落ちていった。
綺麗に頭から海に落ちたナマエは衝撃に備えて目を瞑っていたので、一番最初に感じたのは夕暮れの海の冷たさだった。そして小さな口から空気の殆どを溢し、その代わりに入ってきたのは塩の味だった。これ以上水を飲む前に早く水面に顔を出さねば。ナマエは固く瞑った目を薄く開けると、その眼が零れそうなほど大きく見開いた。
こどもの視界に映ったのは、凍えた海色の世界ではなかったのだ。青白い顔をして、力なく四肢を投げ出すローの姿だった。悪魔の実の能力者は海に嫌われ、泳げなくなるどころか水中では力が出ない筈なのに。
まさか自分を助けるために飛び込んだのか。それでローが死んでしまったら、そんなことをされてもナマエは嬉しくなんかない。逆に自分が許せない。ふつふつと沸いた激情はナマエを飲み込んだが、事は一秒を争う。素早く我に返ると、沈みゆくローを手繰り寄せ背に腕を回して水底を蹴った。
「ぷはっ」
ロー共々水面から顔を出すと、船の上は大騒ぎだった。
「ナマエとキャプテンが海に落ちたー!!」
「ハァ!!?」
ハッチの中からそっとナマエを見守っていたベポが叫んだことによって、シャチとペンギンが物凄い速さで甲板に飛び出してきた。ペンギンが素早く繋留用の予備のロープを、甲板の隅で水面を覗き込んでいるベポに放り投げる。見事にキャッチしたベポは流れるような所作でそれを海に放り込んだ。
「これに掴まって!」
蜘蛛の糸さながらに垂らされたそれをナマエが掴んだのを確認して、三人はロープを引き上げた。
常人よりも力があるナマエでも水に濡れてさらに重くなった長身の青年を抱えるのは辛かったので、甲板に打ち揚げられた瞬間手を放してしまった。どさりと倒れこんだローは背を丸めて咳き込んでいる。力尽きたナマエはそのまま力なく甲板に突っ伏した。そしてぴくりとも動かない。
「うわーん、ナマエ死なないでー!」
「馬鹿!それぐらいで死ぬか!」
ナマエに縋り付いて泣き叫ぶベポの頭をべしん、と叩いたシャチはナマエを抱き起して上から大きな白いタオルを覆い被せた。
「だいじょぶ生きてる……」
「良かったぁ」
タオルお化けから小さな声が聞こえたのでベポは安堵でへなへなと座り込んだ。シャチはどうやらそのままナマエを拭いてくれるらしいが、如何せんその手つきが雑だ。タオルに遮られて乱暴に揺らされているナマエの視界に、緩慢に起き上がったローにペンギンがタオルをそっと差し出しているのが映る。それに比べて自分の扱いはだいぶ乱暴ではないかと思ったがどう考えても悪いのはナマエなので、脳天が揺れるような激しい動きに耐えた。それに、ナマエは言わなければいけないことがあるのだ。“今”言わなければ、ナマエはきっとタイミングを逃してずるずるといつまで経っても謝ることができなくなるに違いない。
「キャプテン、私ね」
ナマエはタオルに揉みくちゃにされながら言った。おかげで声が若干ブレているが、ローならしっかりと聞き取ってくれるだろう。
「この前もさっきも。キャプテンが死んだらやだ、それで助かっても嬉しくないって思った。キャプテンもそうなの?」
ローは肯定も否定もしなかった。しかし、ナマエをじっと見つめている瞳は凪いでいたのできっとこれが正解なのだ。
どうして気付かなかったのだろう。ナマエはローがいなくなってしまうのが怖い。では、逆は?もし、ナマエがいなくなってしまったらローはどう思うのだろうか。ナマエの大好きな、この不器用で優しい人はきっと同じように思ってくれるだろう。そして、そう思われていることがナマエは嬉しくてしょうがなかった。ローだけではない。ベポが、シャチが、ペンギンが、皆がそう思ってくれてるのだ。
だからナマエは頬を綻ばせた。
「ごめんなさい」
正解したものの反省の色が見られないナマエに、ローは嘆息するとその柔らかな頬を軽く抓った。
それでもこどもはへらりと笑う。すっかり毒気を抜かれたローは水に濡れた艶やかな髪をぐしゃぐしゃにしてやった。ナマエはされるがままだったが、ふと顔を上げた。まだ言いたいことがあるらしい。
「それからね、助けてくれてありがとう」
「まさかキャプテンが飛び込んじゃうとはね」
生温かい視線を送るシャチに、ローは視線を逸らした。基本的に彼は我が強いので都合が悪くなっても目を逸らすということはあまりしないが、今回は思うところがあるのだろう。それも全てナマエの所為である。逸らした視線で元凶を捕捉すると、こどもは神妙な顔で頭を下げた。先程はヘラヘラと笑っていたが、一応悪いとは思っているらしい。
「でも、流石に肝が冷えました。船長が溺死でハートの海賊団解散とか洒落にならないですよ」
らしくないうっかりはナマエを助ける為。気持ちは痛い程分かるし、船員のためにここまで動いてくれる船長が誇らしい。しかし、誰かが言わなければいけない。断腸の思いで眉根を下げて苦言するペンギンに、彼を援護するべくベポは勢いよく挙手をした。
「おれ、泳ぐの得意だよ!キャプテンが飛び込まなくてもナマエの一人や二人助けられるよ」
果たしてこれは援護になっているのかとか、ナマエは一人しかいないとか、ツッコむのは野暮だ。ローは首筋を乱暴に掻くと渋々口を開いた。
「悪かった」
◇
「そういえば、それなぁに?」
ローにぐしゃぐしゃにされた髪を手櫛で整えながらナマエが指さしたその先には、細長い物体が乱雑に転がっている。
動くのが億劫だったのか、ローは持っていたタオルとその物体の位置を入れ替えた。タオルが落ちる軽い音の代わりに、ローの手の内でカチャリと金属が鳴る音がした。ローはそれをそのままナマエに放り投げた。その物体は綺麗な放物線を描いてナマエの手元に落ちていく。
「やる」
「?」
受け取ったものをまじまじと見ると、それは刀だった。こどものナマエの短いリーチでも十分に扱えるよう長過ぎず、それでもある程度の間合いは取れるように短すぎない丁度良いサイズのものだ。
柄には濃紺の柄糸が丁寧に巻き込まれ、しっかりと手に馴染む。鈍色の円形の鍔には上品な竜胆の模様が彫られている。星の無い夜空のような濡羽色の鞘から刀身を抜くと、曇りのない透き通るような刃にナマエの顔が映る。ナマエは刀身に映る自身の新緑色の瞳と視線がかち合った。それは、まるで宝物を見つけたときのようにきらきらと輝いている。
「無銘だが、質の良いものを選んだ。これは投げるなよ」
「!! 絶対投げない!」
ナマエは刀身を素早く鞘に納めると、刀をぎゅうっと抱きしめて、高らかにそう宣言した。
確かにローから貰った大事なものなら、このこどもは絶対に手荒に扱わないだろう。だから、いざ敵から斬撃を受けてもそれを跳ね除ける術を持たないということは絶対に無くなる。流石キャプテン。
つまり、“どうしても見たいもの”というのはナマエの為のものだったのだ。こどもはきっとその意図に気付かないだろうが、三人はばっちりと読み取った。皆で顔を見合わせて口角を緩めていると、ローから刺すような視線を感じたのでびしっと姿勢を正した。しかし、すぐにその口元はだらしなく緩む。
その緊張感の無い様子には呆れるしかない。何がそんなに面白いのかローには全く理解できないが、皆が楽しそうなのでそういった光景も悪くはない、と彼は思った。