Dear Mr.Night Blue 第一章(了)
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ナマエは今朝からあまり体調が良くなかった。
体がいつもより熱いような気がするし、頭が重い。ときおり眩暈までする。これは風邪を引いたかもしれない。だけれども、これ以上皆に迷惑をかける訳にはいかない。
自分のせいでシャチやペンギン、ベポが肩身の狭い思いをしているのは申し訳なく思っていたし、早くなんとかしなければいけないと思っていたのに。それなのにこの体たらく。ナマエは思い通りにいかない自身にうんざりとした。ともあれ、風邪はあの夜の街でも引いたことがあるし体調があまりよくなくても試合には出ていた。だからこんな風邪なんてことない。気合で何とかなる。多分。いや、絶対に何とかして見せる。
根性論をモットーにナマエは午前を乗り切った。体調の変化に一番敏いローとは、かなりの距離が空いていたのでそれが幸いしたのかもしれない。でも全然嬉しくない。寧ろ最低である。
昼食を取って戻ってきたナマエはそのまま布団にダイブした。少し寝ればよくなるに違いない、そう思ったナマエはそっと目を閉じて呼吸を整えた、が。
寝れない。
それもその筈、ナマエはローの“怒った理由”が分からずにずっとそのことばかり考えているのだ。答えがでていないのに、休むことなどできない。休んでいる暇があったら、一刻も早く答えを見つけてローに謝りたい。そして、素っ気ないけれどもどこか温かいあの相槌を聞きたい。
“どん底でも足掻け”と母は言った。だからナマエはあの夜の街でも負けなかった。だってどん底でもあのときは希望があったのだ。ところが今はどうだろう。答えが分からず迷宮に迷い込んだナマエには一切の光が無いのだ。
それを認めるのが怖くて、ナマエは目を瞑ったまま状況を整理してみることにした。どうせ寝れないのだし、と睡眠を取ることを諦めたのである。その試みは数えるのが馬鹿らしくなるほど何度もしてきたことだが、それしかナマエに残された道は無かった。
ローが怒ったのは何故か。ナマエが怪我したから。何故怪我をした。ローを守ろうとして、自分のことが疎かになったから。けれども、ナマエが怪我したところで拙いことがあるだろうか。
そう考えてしまう時点でダメなのだが、こどもは気付かない。ナマエが出口のない思考回路の迷宮を彷徨っていると、扉の外からベポの声が聞こえた。
「ナマエ、海賊船が見えた。キャプテンが呼んでるよ」
用事があれば普段なら普通に入ってくるのに。相当気を使わせてしまっているのだな、とナマエは申し訳無さに消えてしまいたくなった。
「今行くよ」
せめて戦闘ぐらいは役に立たなければ。起き上がったナマエは両頬を軽く叩いて気分を入れ替えた。
◇
今日の相手は今まで戦った中で一番船も立派で人数も多い海賊団だった。船長は当然として、幹部も数名賞金首となっている。海面からポーラータング号が急に浮上したことに混乱したのも束の間で、甲板には既に多くの戦闘員たちがこちらを警戒して武器を構えていた。数では到底敵わないし、正攻法で攻め込むのは効率が悪い。
ならばどうするのか。そんなものは決まっている。奇襲だ。
敵の海賊船に先陣を斬って乗込んだローは悪い笑みを浮かべて甲板を包囲する大きさのサークルを展開。初手はローの能力で見える範囲にいた戦闘員たちを一閃。ついでに船のメインマストも盛大に真っ二つにしてやる。
一瞬の内にバラバラになった身体に戦闘員たちは混乱から思考を停止し、さらに重い音を響かせて倒れるマストは大きく船を揺らして相手海賊団の士気を削ぐ。
あっという間に混沌の渦の発生地となったが、全ての船員が使い物にならなくなる、なんて彼らに都合の良い展開になる筈もない。ここからが勝負である。ハートの海賊団の四人の戦闘員たちは戦意を失っていない人物を目敏く見つけては倒し、船長が動きやすいように道を作る。
普段はナマエもローの後に着いていくところだが、罰は続行中なのでちらりとローの動きを目で追うだけに留めた。今自分がやることは、船長の戦いの邪魔をさせないこと。四人は自分たちの船長の力を微塵も疑っていない。ただ船長だけを信じて、遠くの発砲音や剣裁の音を聞きながら、ひたすら敵を地に沈めたし、海の底に落としたりもした。暫くして向かってくる敵がいなくなった後、ずうんっと底揺れのする音がした。向こうでも決着が着いたのだ。
「キャプテン大丈夫!?」
「大丈夫だ、見た目程痛くねェ」
四人もそれなりに怪我をしていたが、敵海賊団の船長と一戦して戻ってきたローが当然といえば当然だが一番重傷だった。着ている衣服は全体的に煤けて血が滲み、裾は破れているしそこから見える素肌からはだくだくと血が流れている。ナマエはその惨状を大きな瞳に映すと、立ち竦んだ。そして心の底から思った。その傷が、痛みが全て自分のものだったらいいのに。
「馬鹿なこと考えるな」
そんなナマエの考えなどお見通しとばかりに苦々しく低い声でそう告げたローだが、視界の片隅でキラリと光る何かに気付くとナマエに覆いかぶさった。勢い余って倒れこんだが、そのすぐ上を触れるほどの近い距離で乾いた音が響く。間髪入れずに、物陰から攻撃をしてきた残党をシャチが撃ち抜いた。どさり、と人が倒れる鈍い音がする。
「ナマエ、大丈夫か」
腕の中のナマエに声をかけるが、こどもからの返事はない。倒れこむときにローは咄嗟に腕を滑り込ませてナマエが頭を強打しないように防いだのだから、意識は失っていない筈なのに。不審に思ったローはナマエの顔を覗き込むと、その形の良い眉根を寄せた。新緑色のナマエの瞳は固く閉じられ、吐く息は荒々しい。そして、気付いた。こども体温で常に温かかった身体はそれを通り越して熱いのだ。ナマエの額に手を当てて、触れた熱にローは顔を顰めた。
ナマエを抱いたまま急いでポーラータング号に戻ると、ローはナマエを処置室のベッドに横たえた。
内科は専門ではないが、ある程度の判断はできる。軽く問診してみると、身体にこれといった異常はない。午前中は咳き込むそぶりも、鼻声でも無かった。よってローは結論を出した。
「知恵熱だな」
「うわー」
自分たちの手当てもそっちのけで、処置室の外でナマエの診察結果を待っていた三人は脱力して座り込んだ。
安堵からかぐったりとしたベポの頭をわしゃわしゃと撫でたシャチは「ほら、おれたちもキャプテンに傷を見てもらうぞ」と彼の背を押した。三人と自分の手当てをする為に、ローも一度ベッドから離れようとした。が、ふとした違和感があって動きを止めた。視線でその元を辿ると、彼は小さく嘆息してしまった。ナマエの小さな手が彼の服の裾を掴んでいたのである。こどもの無意識の行動に三人は思った。そうだよね、今まで傷の診察以外では近づけなかったもんね。それを見て生暖かい視線を送った三人だが、ローに睨まれたので即座に表情を引き締めた。
「……剥がします?」
「いい。悪いがこっちにこれるか」
ペンギンの提案に答える声音に滲む柔らかさに、三人の心はじんわりと温かくなった。彼らの、そして今は意識のないナマエの大好きな声だ。きっと、この声を聞いたら、ナマエはへらりと幸せそうに笑うのだろう。
「お前らは何も言わないんだな」
先程睨まれたのに反省の色も無く顔を緩ませる三人に、独白するような小さな声でローは言う。紡がれた言葉に、今度は苦笑いを浮かべるしかない。
「まぁこの件はナマエが悪いですからね。……可哀想だけど」
「これだって心配かけまいと黙ってたんでしょ。どんどん裏目に出てるのがなんとも」
「おれたちだって、ナマエのこと大事なのにね」
この想いとどけーとベポは念じて、そしてそれが伝わることを祈った。そんな彼の胸の内を知らないこどもは、昏々と眠り続けた。久々に感じる温もりを小さな掌で握りしめて。
◇
意識を取り戻したナマエの薄い視界にぼやけて映るのは、鈍色の冷たい天井。
ここはどこだ。自分は海の上に、青い空の元にいた筈だ。緩慢に視線だけ動かして辺りを見回すと、よくよく見れば見知った場所だった。ポーラータング号の処置室だ。そして自分の顔を覗き込んでる白くまのつぶらな瞳と視線がかち合った。ベポはきらりと瞳を輝かせて喜んだ。
「ナマエ、おれがわかる?」
「キャプテンは?!」
ベポの喜びを他所にしてナマエは勢いよく起き上がると彼に掴みかかった。意識が途切れる前のナマエが最後に見たのは、自分を庇うローの姿。霞む意識の遠くで聞こえたのは、母の命を奪った乾いた音。そうだ、あの大切な人を失いたくない。失ってしまったら、どうしよう。湧き上がってくる焦りと恐怖にちりっとナマエの胸が痛む。
「キャプテンなら無事だよ」
目を覚ました後のナマエの行動は予想していたのだろう。ベポはナマエを労り落ち着かせる為に静かに答えた。その甲斐があってか、ナマエは大きく安堵の溜息を吐いて肩の力を抜いた。その肩を優しく押して、再びナマエをベッドに戻すと布団をかけてやる。ベポはナマエを妹のように思っている。だから、遠い昔の記憶に残る兄が彼にしてくれたように優しく接しようと思っているし、そうでなくても一生懸命で素直なこのこどものことが大好きだ。
しかし。
「ナマエ。具合が悪いなら最初から言うんだよ」
それとこれとは別なのである。今回の件はベポだって思うところがあるのだ。ベポは真ん丸の瞳をできるだけ怖く見えるように細めて、唸るように言った。
「ごめんなさい。……迷惑かけたくなかったの」
普段は明るく能天気で負の感情などあまり見せないベポを怒らせたことに、ナマエは素直に謝った。しかし、最後にぽつりと呟かれたナマエの本心はベポの怒りに油を注いだ。そしてその激情が生んだのは、他の三人には到底できない真っ直ぐな叫びだった。
「迷惑じゃない!ナマエが急に倒れたときのおれたちの気持ちわかる?!だってナマエはいつも無茶ばかりする!」
ベポに声を荒げられたのは初めてだ。ローに引き続きベポにもそれをさせてしまった。
「ナマエ、なんでおれが怒ったかわかる?」
そうして、こう聞かれるのも同じだ。でも今度は答えられる。
「……わかる。無理をして“心配させたから”」
今までのナマエなら、最有力だった“迷惑をかけたから”を否定されたのなら返答に窮したことだろう。
ナマエを心配することを“迷惑”などと思うのなら、ベポの怒りは二度目の爆発を起こすところだった。しかし、幸いなことにそれは起きなくて済んだのだった。
だって大切なものを失いかけたナマエは知ってしまった。いや、思い出したのだ。大切なものの犠牲で成り立つ世界の悲しさを。世界が歪むほどの怖さを。締め付けられるような焦燥を。
もし、自分が怪我をして皆にそんな思いをさせていたのだったら。自分がしていたことは、何とも独りよがりだったのだ。守っていたつもりだった。でもそれは表面上のことだけで、きっと見えない傷を負わせていたのだ。何度も。何度も。
「……合ってるよ」
「ごめんなさい」
ナマエはもう一度、深く謝った。心の底からの謝罪にベポは小さく頷いて「いいよ。許したげる。だって仲間だもんね」と微笑んだ。その優しさにナマエはその双眸から熱い涙を零した。
体がいつもより熱いような気がするし、頭が重い。ときおり眩暈までする。これは風邪を引いたかもしれない。だけれども、これ以上皆に迷惑をかける訳にはいかない。
自分のせいでシャチやペンギン、ベポが肩身の狭い思いをしているのは申し訳なく思っていたし、早くなんとかしなければいけないと思っていたのに。それなのにこの体たらく。ナマエは思い通りにいかない自身にうんざりとした。ともあれ、風邪はあの夜の街でも引いたことがあるし体調があまりよくなくても試合には出ていた。だからこんな風邪なんてことない。気合で何とかなる。多分。いや、絶対に何とかして見せる。
根性論をモットーにナマエは午前を乗り切った。体調の変化に一番敏いローとは、かなりの距離が空いていたのでそれが幸いしたのかもしれない。でも全然嬉しくない。寧ろ最低である。
昼食を取って戻ってきたナマエはそのまま布団にダイブした。少し寝ればよくなるに違いない、そう思ったナマエはそっと目を閉じて呼吸を整えた、が。
寝れない。
それもその筈、ナマエはローの“怒った理由”が分からずにずっとそのことばかり考えているのだ。答えがでていないのに、休むことなどできない。休んでいる暇があったら、一刻も早く答えを見つけてローに謝りたい。そして、素っ気ないけれどもどこか温かいあの相槌を聞きたい。
“どん底でも足掻け”と母は言った。だからナマエはあの夜の街でも負けなかった。だってどん底でもあのときは希望があったのだ。ところが今はどうだろう。答えが分からず迷宮に迷い込んだナマエには一切の光が無いのだ。
それを認めるのが怖くて、ナマエは目を瞑ったまま状況を整理してみることにした。どうせ寝れないのだし、と睡眠を取ることを諦めたのである。その試みは数えるのが馬鹿らしくなるほど何度もしてきたことだが、それしかナマエに残された道は無かった。
ローが怒ったのは何故か。ナマエが怪我したから。何故怪我をした。ローを守ろうとして、自分のことが疎かになったから。けれども、ナマエが怪我したところで拙いことがあるだろうか。
そう考えてしまう時点でダメなのだが、こどもは気付かない。ナマエが出口のない思考回路の迷宮を彷徨っていると、扉の外からベポの声が聞こえた。
「ナマエ、海賊船が見えた。キャプテンが呼んでるよ」
用事があれば普段なら普通に入ってくるのに。相当気を使わせてしまっているのだな、とナマエは申し訳無さに消えてしまいたくなった。
「今行くよ」
せめて戦闘ぐらいは役に立たなければ。起き上がったナマエは両頬を軽く叩いて気分を入れ替えた。
◇
今日の相手は今まで戦った中で一番船も立派で人数も多い海賊団だった。船長は当然として、幹部も数名賞金首となっている。海面からポーラータング号が急に浮上したことに混乱したのも束の間で、甲板には既に多くの戦闘員たちがこちらを警戒して武器を構えていた。数では到底敵わないし、正攻法で攻め込むのは効率が悪い。
ならばどうするのか。そんなものは決まっている。奇襲だ。
敵の海賊船に先陣を斬って乗込んだローは悪い笑みを浮かべて甲板を包囲する大きさのサークルを展開。初手はローの能力で見える範囲にいた戦闘員たちを一閃。ついでに船のメインマストも盛大に真っ二つにしてやる。
一瞬の内にバラバラになった身体に戦闘員たちは混乱から思考を停止し、さらに重い音を響かせて倒れるマストは大きく船を揺らして相手海賊団の士気を削ぐ。
あっという間に混沌の渦の発生地となったが、全ての船員が使い物にならなくなる、なんて彼らに都合の良い展開になる筈もない。ここからが勝負である。ハートの海賊団の四人の戦闘員たちは戦意を失っていない人物を目敏く見つけては倒し、船長が動きやすいように道を作る。
普段はナマエもローの後に着いていくところだが、罰は続行中なのでちらりとローの動きを目で追うだけに留めた。今自分がやることは、船長の戦いの邪魔をさせないこと。四人は自分たちの船長の力を微塵も疑っていない。ただ船長だけを信じて、遠くの発砲音や剣裁の音を聞きながら、ひたすら敵を地に沈めたし、海の底に落としたりもした。暫くして向かってくる敵がいなくなった後、ずうんっと底揺れのする音がした。向こうでも決着が着いたのだ。
「キャプテン大丈夫!?」
「大丈夫だ、見た目程痛くねェ」
四人もそれなりに怪我をしていたが、敵海賊団の船長と一戦して戻ってきたローが当然といえば当然だが一番重傷だった。着ている衣服は全体的に煤けて血が滲み、裾は破れているしそこから見える素肌からはだくだくと血が流れている。ナマエはその惨状を大きな瞳に映すと、立ち竦んだ。そして心の底から思った。その傷が、痛みが全て自分のものだったらいいのに。
「馬鹿なこと考えるな」
そんなナマエの考えなどお見通しとばかりに苦々しく低い声でそう告げたローだが、視界の片隅でキラリと光る何かに気付くとナマエに覆いかぶさった。勢い余って倒れこんだが、そのすぐ上を触れるほどの近い距離で乾いた音が響く。間髪入れずに、物陰から攻撃をしてきた残党をシャチが撃ち抜いた。どさり、と人が倒れる鈍い音がする。
「ナマエ、大丈夫か」
腕の中のナマエに声をかけるが、こどもからの返事はない。倒れこむときにローは咄嗟に腕を滑り込ませてナマエが頭を強打しないように防いだのだから、意識は失っていない筈なのに。不審に思ったローはナマエの顔を覗き込むと、その形の良い眉根を寄せた。新緑色のナマエの瞳は固く閉じられ、吐く息は荒々しい。そして、気付いた。こども体温で常に温かかった身体はそれを通り越して熱いのだ。ナマエの額に手を当てて、触れた熱にローは顔を顰めた。
ナマエを抱いたまま急いでポーラータング号に戻ると、ローはナマエを処置室のベッドに横たえた。
内科は専門ではないが、ある程度の判断はできる。軽く問診してみると、身体にこれといった異常はない。午前中は咳き込むそぶりも、鼻声でも無かった。よってローは結論を出した。
「知恵熱だな」
「うわー」
自分たちの手当てもそっちのけで、処置室の外でナマエの診察結果を待っていた三人は脱力して座り込んだ。
安堵からかぐったりとしたベポの頭をわしゃわしゃと撫でたシャチは「ほら、おれたちもキャプテンに傷を見てもらうぞ」と彼の背を押した。三人と自分の手当てをする為に、ローも一度ベッドから離れようとした。が、ふとした違和感があって動きを止めた。視線でその元を辿ると、彼は小さく嘆息してしまった。ナマエの小さな手が彼の服の裾を掴んでいたのである。こどもの無意識の行動に三人は思った。そうだよね、今まで傷の診察以外では近づけなかったもんね。それを見て生暖かい視線を送った三人だが、ローに睨まれたので即座に表情を引き締めた。
「……剥がします?」
「いい。悪いがこっちにこれるか」
ペンギンの提案に答える声音に滲む柔らかさに、三人の心はじんわりと温かくなった。彼らの、そして今は意識のないナマエの大好きな声だ。きっと、この声を聞いたら、ナマエはへらりと幸せそうに笑うのだろう。
「お前らは何も言わないんだな」
先程睨まれたのに反省の色も無く顔を緩ませる三人に、独白するような小さな声でローは言う。紡がれた言葉に、今度は苦笑いを浮かべるしかない。
「まぁこの件はナマエが悪いですからね。……可哀想だけど」
「これだって心配かけまいと黙ってたんでしょ。どんどん裏目に出てるのがなんとも」
「おれたちだって、ナマエのこと大事なのにね」
この想いとどけーとベポは念じて、そしてそれが伝わることを祈った。そんな彼の胸の内を知らないこどもは、昏々と眠り続けた。久々に感じる温もりを小さな掌で握りしめて。
◇
意識を取り戻したナマエの薄い視界にぼやけて映るのは、鈍色の冷たい天井。
ここはどこだ。自分は海の上に、青い空の元にいた筈だ。緩慢に視線だけ動かして辺りを見回すと、よくよく見れば見知った場所だった。ポーラータング号の処置室だ。そして自分の顔を覗き込んでる白くまのつぶらな瞳と視線がかち合った。ベポはきらりと瞳を輝かせて喜んだ。
「ナマエ、おれがわかる?」
「キャプテンは?!」
ベポの喜びを他所にしてナマエは勢いよく起き上がると彼に掴みかかった。意識が途切れる前のナマエが最後に見たのは、自分を庇うローの姿。霞む意識の遠くで聞こえたのは、母の命を奪った乾いた音。そうだ、あの大切な人を失いたくない。失ってしまったら、どうしよう。湧き上がってくる焦りと恐怖にちりっとナマエの胸が痛む。
「キャプテンなら無事だよ」
目を覚ました後のナマエの行動は予想していたのだろう。ベポはナマエを労り落ち着かせる為に静かに答えた。その甲斐があってか、ナマエは大きく安堵の溜息を吐いて肩の力を抜いた。その肩を優しく押して、再びナマエをベッドに戻すと布団をかけてやる。ベポはナマエを妹のように思っている。だから、遠い昔の記憶に残る兄が彼にしてくれたように優しく接しようと思っているし、そうでなくても一生懸命で素直なこのこどものことが大好きだ。
しかし。
「ナマエ。具合が悪いなら最初から言うんだよ」
それとこれとは別なのである。今回の件はベポだって思うところがあるのだ。ベポは真ん丸の瞳をできるだけ怖く見えるように細めて、唸るように言った。
「ごめんなさい。……迷惑かけたくなかったの」
普段は明るく能天気で負の感情などあまり見せないベポを怒らせたことに、ナマエは素直に謝った。しかし、最後にぽつりと呟かれたナマエの本心はベポの怒りに油を注いだ。そしてその激情が生んだのは、他の三人には到底できない真っ直ぐな叫びだった。
「迷惑じゃない!ナマエが急に倒れたときのおれたちの気持ちわかる?!だってナマエはいつも無茶ばかりする!」
ベポに声を荒げられたのは初めてだ。ローに引き続きベポにもそれをさせてしまった。
「ナマエ、なんでおれが怒ったかわかる?」
そうして、こう聞かれるのも同じだ。でも今度は答えられる。
「……わかる。無理をして“心配させたから”」
今までのナマエなら、最有力だった“迷惑をかけたから”を否定されたのなら返答に窮したことだろう。
ナマエを心配することを“迷惑”などと思うのなら、ベポの怒りは二度目の爆発を起こすところだった。しかし、幸いなことにそれは起きなくて済んだのだった。
だって大切なものを失いかけたナマエは知ってしまった。いや、思い出したのだ。大切なものの犠牲で成り立つ世界の悲しさを。世界が歪むほどの怖さを。締め付けられるような焦燥を。
もし、自分が怪我をして皆にそんな思いをさせていたのだったら。自分がしていたことは、何とも独りよがりだったのだ。守っていたつもりだった。でもそれは表面上のことだけで、きっと見えない傷を負わせていたのだ。何度も。何度も。
「……合ってるよ」
「ごめんなさい」
ナマエはもう一度、深く謝った。心の底からの謝罪にベポは小さく頷いて「いいよ。許したげる。だって仲間だもんね」と微笑んだ。その優しさにナマエはその双眸から熱い涙を零した。