Dear Mr.Night Blue 第一章(了)
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“それ”は、前から薄々と勘付いていたナマエの悪癖だった。
本日未明。ハートの海賊団は敵海賊団を捕捉、戦闘を開始した。
薄らと明るくなった水面から突如浮上した黄色い潜水艦から、ローを筆頭に海賊旗を掲げた敵のガレオン船に乗り移ると五人は次々と敵海賊団の船員を制圧していった。
基本的にローは船長室に向かって敵を斬り捨てながら走り、その後に続くナマエがローが仕留めそこなった敵を一掃していき、他の三人は二人とは真逆の方向に進み船全体を制圧するのが彼らの戦法であった。その気になればスピードではローに勝るナマエであるが、彼を絶対追い抜くことはしない。何故なら後は完全な死角だからだ。ナマエはローの死角を守るためにわざわざ後ろに付いているのである。それは例え自身が交戦中であってもナマエの中では優先すべきことだった。
ナマエは武器を持たない。どうしてかというと、すぐに放り投げてしまうからだ。最初は倒した海賊団から適当な武器を渡されていたが、ローを後ろから狙おうとしていた敵に自分が使用していたそれを容赦なく投擲したのが始まりだった。刀はこどもの中では完全に飛び道具なのである。剣士が聞いたらブチ切れそうな案件であるが、幸いこの海賊団に己の剣に誇りを持っている剣士はいない。そうして成り立っているのが現在のナマエの戦闘スタイルであった。倒した海賊から刀や剣を奪っては投げ、奪っては投げ。幸か不幸かナマエにはその曲芸のような戦い方ができるだけのセンスがあった。それは、生まれもったものと生きていく上で身に付けたものが綺麗に混ざり合った、ナマエが持っているたった一つの武器だったのだ。
ローはナマエにその危なっかしい戦い方を再三止めろと言っていたが、ナマエは止めることが無かった。ナマエにとっては最優先はローであり、それさえ守れれば自分などどうでも良いと思っていたからだ。そんな自分を犠牲にしたナマエの戦い方はローにとっては物凄く不愉快であったので、いつか絶対止めさせようと思っていた。だから、それは起こるべくして起こったことだった。
ナマエが大怪我をしたのだ。原因は持っていた武器を全て投げてしまった為に相手の斬撃を受け止めるものが無く、尚且つ余所見をしていたので反応が遅れたからだ。おかげで左肩をざっくりと斬られた。腕ごと持っていかれなかったのは、ナマエの反射神経が常人を凌駕していたからであったが、少し遅れていれば今以上に大惨事になっていたのは明らかだった。
敵海賊団の船長を打ち取ったローが振り返って目に入ったのは、だくだくと左肩から赤い血を流して立っているこどもだった。悲鳴もなにも上げなかったので全く気付かなかった。左肩を抑えた小さな右手の隙間からとめどなく血は溢れている。そしてそのこどもが開口一番に言ったことは「キャプテン、大丈夫?怪我は無い?」だった。さらにへらりと笑って見せたナマエに、ローの堪忍袋はとうとう尾が切れたのである。
パーカーの下に着ていたシャツを破き素早く止血をすると、ナマエを抱えて一目散にポーラータング号に戻り、処置室にこどもを放り込んで傷口を縫合した。仲間が怪我をして処置が終わったとき、自分が医者で良かったと安心するローであったが、このとき彼の中にあったものはふつふつと沸き上がる様な怒りだった。
「ふざけるな!」
ナマエが出会ってからローが自分に対して声を荒げたのは初めてだった。診察台にちょこんと座ったこどもはその剣幕に肩を震わせた。喉からはひゅっと言葉にならない声が零れ落ちる。
「お前はおれがお前に守って貰わなけりゃいけねェ程弱いと思ってるのか」
「……思ってない」
首を横に振ってそう答えるナマエの顔は真っ青で、頭の中は真っ白だった。何故かローが物凄く怒っている。ナマエはローが弱いなんて思っていない。出会った時自分は彼を殺す気で立ち向かったが、彼はナマエよりも強くナマエは呆気なくバラバラにされたのだ。
「ごめん、なさい」
「お前、なんで怒られてるのか分かってるか」
ナマエは答えられなかった。ナマエはローの為なら本当に自分がどうなったって良かったのだ。その考えは憐れな程に滑稽で、自己満足なものであった。だけれども、今まで当然のように自分を軽んじて、犠牲にしてきたこどもにはそれが理解できなかった。
「もういい、分かるまでおれに近寄るな」
そう言い捨てて、ローは処置室を出て行った。
そしてローが与えた何とも緊張感にかけた罰は、彼のことがだいすきなこどもには覿面に効いた。
なんで彼は怒っているのだ。ナマエはいつも通りに彼の傍に行きたいのに、答えが分からない。答えの代わりにでてきたのは涙だった。ぼろぼろと大粒の涙をとめどなく流し、鼻をすすりながらこどもは考えた。それでも答えは出なかった。
◇
ペンギンとシャチ、ベポの三人が奪った財宝を持ち帰って船に戻って来たとき、彼らを迎えてくれたのはがっくりと項垂れたナマエだった。
その姿はいつもの元気なこどもとはかけ離れていた。幽鬼のような様子に三人は乗る船を間違えて幽霊船にでも乗り込んだのではないかと一瞬思った。
しかし、ナマエが肩に血のにじんだ包帯を巻いていることに気付くと慌てて三人はナマエに詰め寄った。がしゃん、じゃらじゃらっと投げ捨てられた財宝がうるさく主張したが、そんなものに彼らは見向きもしなかった。
「お前、怪我したのか!」
「うん」
「酷い傷だな」
「うぇぇ痛そう、ナマエ大丈夫?」
こくりとこどもは頷いた。「良かったぁぁ」それに胸を撫で下して力なく座り込む三人にナマエは言った。
「でも、キャプテンは凄く怒ってる」
それで三人は全て察した。悔しいことにナマエはローの次に強い。自分たちが大して怪我をしなかったのだから、ナマエだって余程のことが無ければ怪我等しないだろう。余程のこと、そう例えば余所見とか。三人もナマエが戦ってるのを何度か見たことはあるが、あれは確かに肝が冷える。彼らだって苦言はしていたが、一番効果があるであろうローの話も聞き入れないナマエがそれを聞く訳が無かった。まあ、遅かれ早かれなるべくしてなったことだろう。溜息を吐いてペンギンはナマエに目線を合わせた。
「なんでキャプテンが怒ってるか理解してるのか」
「私がキャプテンを守ったからキャプテンの尊厳を傷つけた」
「尊厳なんて難しい言葉よく知ってるな」
「シャチじゃないもん」
お前、たまにおれを呼び捨てにするよね。シャチは半眼になって虚空を見つめた。まあ、この際そんなことはどうでもよい。
「そうだ!」
「分かったのか?!」
天からの啓示を受けたようにナマエがはっと顔を上げたので、やっと気が付いたのかと三人は安堵したがそれは一瞬で木端微塵に砕かれた。
「私が弱いから?」
駄目だこいつ。早くなんとかしないと。三人は頭を抱えた。
でも、これはナマエが自分で気付かなければ意味がないのである。
「とりあえずここで話しても埒があかねェから、場所を変えるぞ」
ハッチの付近で立ち話をするような内容ではない。ペンギンは先ほど自分たちが放り投げた財宝を拾い集め始めた。ナマエも一緒になって拾おうとしたので、慌ててベポはそれを制した。
「いいよ、ナマエは持たなくても。肩痛いでしょ」
とはいえ、このこどもはいつも通り痛くないと言って荷物を運ぶのを手伝うのだろう。三人ともそう思ったのだが、その予想は裏切られた。ナマエはぴたりと動くのを止めて、そうして呟いたのだ。
「いたい」
ナマエがそう零したのは、ハートの海賊団に入ってから初めてだった。
あの夜の街では、誰もナマエを助けてはくれなかった。優しくしてくれた人もいたけど当然医学の知識など無いから、戦って怪我をしたナマエが痛いと言えば困らせてしまう。
いつからか“痛い”と言うことはナマエの中では罪になっていた。
それはこの船に乗りハートの海賊団の仲間になっても当然のことだ。ナマエが痛いと言えばこの大好きな人たちは優しいから困ってしまう。もしかしたら、そんな面倒くさいこどもは必要とされないかもしれない。
痛くない、痛くない。痛みなど感じない。今まで自分を誤魔化してきたのだから。ナマエは大きく一呼吸おいて心の中でおまじないのようにそう唱えた。
だけれども、そんなのは嘘だ。怪我をして抉れた肩が燃えるように痛い。なにより胸が締め付けられるように痛い。
「痛い、うっ、うぇっ」
その切ない想いは波紋のようにナマエの中に広がって、それを感じてしまえばもう駄目だった。小さな呟きは嗚咽に代わり、涙がぼろぼろと頬を伝う。ナマエは声を上げて泣いた。その姿は年相応のこどもで、まるで迷子になったような悲痛な姿に三人は胸を痛めた。耐えきれなくなったベポはしゃがみこんでナマエの小さな体をぎゅうと抱きしめた。
◇
それからの日々はシャチやペンギン、ベポにとって何とも居心地の悪いものだった。
当然原因はナマエとローの二人である。ナマエの楽しそうな声が聞こえない。ローは自分から話すタイプではないので、会話の殆どはナマエの発言で成り立っていてローはたまに相槌を打つ程度である。ナマエはそんな相槌すら嬉しいのか至極幸せそうに笑う。それを見たローの素っ気ない相槌の声色が少し柔らかくなる。そんな二人を微笑ましく見守っていた三人は、会話が一切無くなった二人に戦々恐々とした日々を送っている。
会話が無いどころか、ローは「自分の非を理解するまで近寄るな」とナマエに言ったらしい。ナマエは名実ともにこどもであるが、クールを売りにしている(シャチ調べ)ローにしては、ガキかよ!とツッコミたくなる程次元が低い罰だ。しかし、流石は観察眼に長けた冷静な我らがキャプテン。的確にこどもの痛いところを突いて効果は覿面である。おかげでナマエはテーブルの隅で静かに食事をしている。この重々しい沈黙はなんだ。悪夢か。
いつも騒がしいナマエの発言が一切無いので、他の面々も非常に喋りづらい。結果、とくに悲しいことなど無いのに葬式のように静かなのである。普段ナマエと一緒に騒いでいるシャチは沈黙に耐えるためにずっと下を向いている。ペンギンなど胃がキリキリするのかしょっちゅう胸のあたりを押さえている。ベポはナマエやローを盗み見て(多分バレている)は悲しい顔をする。ローは一切顔色を変えないのだから、流石といえよう。
気まずい食事タイムが終われば働き者のナマエは皆の皿を洗い、シンクを綺麗にして自分の部屋に戻っていく。やっぱりサイレントモードで。
自分が重苦しい雰囲気の原因であると理解しているローも、すぐに自室に引っ込む。一応気遣ってはくれているのだろう。二人がいなくなり、息が詰まる空気から解放された三人はどっと机に突っ伏した。
「おれ、もうこんなの嫌だ……」
感受性豊かなベポはダイレクトにナマエの心境が伝わったのか、鼻をすすりながら不満を零した。
「おれだって嫌だよ」
頬杖をつくペンギンの声はいつもより低い。それにはシャチも全面的に同意である。
「あいつ、なんでわからないんだろうな」
シャチの言葉は空しく虚空に溶けていった。そして誰も死んでもいないのに楽しかった日々が走馬灯のように彼の頭を駆け巡る。おれ、ナマエが元気になったらこの前思いついた冗談を言うんだ……ペンギンが聞いたら鳩尾に正義の鉄槌を食らうことになりそうなことをシャチが考えているとローが戻ってきた。
「前方に海賊船だ。今までで一番デカい」
緊急事態に気持ちを切り替えた三人は、ローの後を追って操舵室に向かう。成程、スコープから覗いた船の影はとてつもなく大きい。それに比例して乗っている人数も多いだろう。
「ナマエはどうするんです」
対してこちらは五人。ナマエを入れないと四人である。圧倒的に人手が足りないし、ナマエがいるのといないのでは戦局がかなり変わってくる。かといって、こんな大物を目の前にして見なかったことにするのも掲げた海賊旗に反するし、ナマエも動いてもいい程度には怪我も回復している。ローは数秒思案した結果、ナマエも戦闘に出すことにした。
「呼んでこい」
「アイアイ」
ローの指示に急いでナマエの部屋に向かったベポは数分と経たずに戻ってきた。後ろにはナマエがしっかり着いてきている。ナマエも状況を理解しているのか先程のどんよりとした空気では無く、前を向いた澄んだ空気を纏っていた。これなら戦闘は無いだろう。
「よし浮上するぞ」
本日未明。ハートの海賊団は敵海賊団を捕捉、戦闘を開始した。
薄らと明るくなった水面から突如浮上した黄色い潜水艦から、ローを筆頭に海賊旗を掲げた敵のガレオン船に乗り移ると五人は次々と敵海賊団の船員を制圧していった。
基本的にローは船長室に向かって敵を斬り捨てながら走り、その後に続くナマエがローが仕留めそこなった敵を一掃していき、他の三人は二人とは真逆の方向に進み船全体を制圧するのが彼らの戦法であった。その気になればスピードではローに勝るナマエであるが、彼を絶対追い抜くことはしない。何故なら後は完全な死角だからだ。ナマエはローの死角を守るためにわざわざ後ろに付いているのである。それは例え自身が交戦中であってもナマエの中では優先すべきことだった。
ナマエは武器を持たない。どうしてかというと、すぐに放り投げてしまうからだ。最初は倒した海賊団から適当な武器を渡されていたが、ローを後ろから狙おうとしていた敵に自分が使用していたそれを容赦なく投擲したのが始まりだった。刀はこどもの中では完全に飛び道具なのである。剣士が聞いたらブチ切れそうな案件であるが、幸いこの海賊団に己の剣に誇りを持っている剣士はいない。そうして成り立っているのが現在のナマエの戦闘スタイルであった。倒した海賊から刀や剣を奪っては投げ、奪っては投げ。幸か不幸かナマエにはその曲芸のような戦い方ができるだけのセンスがあった。それは、生まれもったものと生きていく上で身に付けたものが綺麗に混ざり合った、ナマエが持っているたった一つの武器だったのだ。
ローはナマエにその危なっかしい戦い方を再三止めろと言っていたが、ナマエは止めることが無かった。ナマエにとっては最優先はローであり、それさえ守れれば自分などどうでも良いと思っていたからだ。そんな自分を犠牲にしたナマエの戦い方はローにとっては物凄く不愉快であったので、いつか絶対止めさせようと思っていた。だから、それは起こるべくして起こったことだった。
ナマエが大怪我をしたのだ。原因は持っていた武器を全て投げてしまった為に相手の斬撃を受け止めるものが無く、尚且つ余所見をしていたので反応が遅れたからだ。おかげで左肩をざっくりと斬られた。腕ごと持っていかれなかったのは、ナマエの反射神経が常人を凌駕していたからであったが、少し遅れていれば今以上に大惨事になっていたのは明らかだった。
敵海賊団の船長を打ち取ったローが振り返って目に入ったのは、だくだくと左肩から赤い血を流して立っているこどもだった。悲鳴もなにも上げなかったので全く気付かなかった。左肩を抑えた小さな右手の隙間からとめどなく血は溢れている。そしてそのこどもが開口一番に言ったことは「キャプテン、大丈夫?怪我は無い?」だった。さらにへらりと笑って見せたナマエに、ローの堪忍袋はとうとう尾が切れたのである。
パーカーの下に着ていたシャツを破き素早く止血をすると、ナマエを抱えて一目散にポーラータング号に戻り、処置室にこどもを放り込んで傷口を縫合した。仲間が怪我をして処置が終わったとき、自分が医者で良かったと安心するローであったが、このとき彼の中にあったものはふつふつと沸き上がる様な怒りだった。
「ふざけるな!」
ナマエが出会ってからローが自分に対して声を荒げたのは初めてだった。診察台にちょこんと座ったこどもはその剣幕に肩を震わせた。喉からはひゅっと言葉にならない声が零れ落ちる。
「お前はおれがお前に守って貰わなけりゃいけねェ程弱いと思ってるのか」
「……思ってない」
首を横に振ってそう答えるナマエの顔は真っ青で、頭の中は真っ白だった。何故かローが物凄く怒っている。ナマエはローが弱いなんて思っていない。出会った時自分は彼を殺す気で立ち向かったが、彼はナマエよりも強くナマエは呆気なくバラバラにされたのだ。
「ごめん、なさい」
「お前、なんで怒られてるのか分かってるか」
ナマエは答えられなかった。ナマエはローの為なら本当に自分がどうなったって良かったのだ。その考えは憐れな程に滑稽で、自己満足なものであった。だけれども、今まで当然のように自分を軽んじて、犠牲にしてきたこどもにはそれが理解できなかった。
「もういい、分かるまでおれに近寄るな」
そう言い捨てて、ローは処置室を出て行った。
そしてローが与えた何とも緊張感にかけた罰は、彼のことがだいすきなこどもには覿面に効いた。
なんで彼は怒っているのだ。ナマエはいつも通りに彼の傍に行きたいのに、答えが分からない。答えの代わりにでてきたのは涙だった。ぼろぼろと大粒の涙をとめどなく流し、鼻をすすりながらこどもは考えた。それでも答えは出なかった。
◇
ペンギンとシャチ、ベポの三人が奪った財宝を持ち帰って船に戻って来たとき、彼らを迎えてくれたのはがっくりと項垂れたナマエだった。
その姿はいつもの元気なこどもとはかけ離れていた。幽鬼のような様子に三人は乗る船を間違えて幽霊船にでも乗り込んだのではないかと一瞬思った。
しかし、ナマエが肩に血のにじんだ包帯を巻いていることに気付くと慌てて三人はナマエに詰め寄った。がしゃん、じゃらじゃらっと投げ捨てられた財宝がうるさく主張したが、そんなものに彼らは見向きもしなかった。
「お前、怪我したのか!」
「うん」
「酷い傷だな」
「うぇぇ痛そう、ナマエ大丈夫?」
こくりとこどもは頷いた。「良かったぁぁ」それに胸を撫で下して力なく座り込む三人にナマエは言った。
「でも、キャプテンは凄く怒ってる」
それで三人は全て察した。悔しいことにナマエはローの次に強い。自分たちが大して怪我をしなかったのだから、ナマエだって余程のことが無ければ怪我等しないだろう。余程のこと、そう例えば余所見とか。三人もナマエが戦ってるのを何度か見たことはあるが、あれは確かに肝が冷える。彼らだって苦言はしていたが、一番効果があるであろうローの話も聞き入れないナマエがそれを聞く訳が無かった。まあ、遅かれ早かれなるべくしてなったことだろう。溜息を吐いてペンギンはナマエに目線を合わせた。
「なんでキャプテンが怒ってるか理解してるのか」
「私がキャプテンを守ったからキャプテンの尊厳を傷つけた」
「尊厳なんて難しい言葉よく知ってるな」
「シャチじゃないもん」
お前、たまにおれを呼び捨てにするよね。シャチは半眼になって虚空を見つめた。まあ、この際そんなことはどうでもよい。
「そうだ!」
「分かったのか?!」
天からの啓示を受けたようにナマエがはっと顔を上げたので、やっと気が付いたのかと三人は安堵したがそれは一瞬で木端微塵に砕かれた。
「私が弱いから?」
駄目だこいつ。早くなんとかしないと。三人は頭を抱えた。
でも、これはナマエが自分で気付かなければ意味がないのである。
「とりあえずここで話しても埒があかねェから、場所を変えるぞ」
ハッチの付近で立ち話をするような内容ではない。ペンギンは先ほど自分たちが放り投げた財宝を拾い集め始めた。ナマエも一緒になって拾おうとしたので、慌ててベポはそれを制した。
「いいよ、ナマエは持たなくても。肩痛いでしょ」
とはいえ、このこどもはいつも通り痛くないと言って荷物を運ぶのを手伝うのだろう。三人ともそう思ったのだが、その予想は裏切られた。ナマエはぴたりと動くのを止めて、そうして呟いたのだ。
「いたい」
ナマエがそう零したのは、ハートの海賊団に入ってから初めてだった。
あの夜の街では、誰もナマエを助けてはくれなかった。優しくしてくれた人もいたけど当然医学の知識など無いから、戦って怪我をしたナマエが痛いと言えば困らせてしまう。
いつからか“痛い”と言うことはナマエの中では罪になっていた。
それはこの船に乗りハートの海賊団の仲間になっても当然のことだ。ナマエが痛いと言えばこの大好きな人たちは優しいから困ってしまう。もしかしたら、そんな面倒くさいこどもは必要とされないかもしれない。
痛くない、痛くない。痛みなど感じない。今まで自分を誤魔化してきたのだから。ナマエは大きく一呼吸おいて心の中でおまじないのようにそう唱えた。
だけれども、そんなのは嘘だ。怪我をして抉れた肩が燃えるように痛い。なにより胸が締め付けられるように痛い。
「痛い、うっ、うぇっ」
その切ない想いは波紋のようにナマエの中に広がって、それを感じてしまえばもう駄目だった。小さな呟きは嗚咽に代わり、涙がぼろぼろと頬を伝う。ナマエは声を上げて泣いた。その姿は年相応のこどもで、まるで迷子になったような悲痛な姿に三人は胸を痛めた。耐えきれなくなったベポはしゃがみこんでナマエの小さな体をぎゅうと抱きしめた。
◇
それからの日々はシャチやペンギン、ベポにとって何とも居心地の悪いものだった。
当然原因はナマエとローの二人である。ナマエの楽しそうな声が聞こえない。ローは自分から話すタイプではないので、会話の殆どはナマエの発言で成り立っていてローはたまに相槌を打つ程度である。ナマエはそんな相槌すら嬉しいのか至極幸せそうに笑う。それを見たローの素っ気ない相槌の声色が少し柔らかくなる。そんな二人を微笑ましく見守っていた三人は、会話が一切無くなった二人に戦々恐々とした日々を送っている。
会話が無いどころか、ローは「自分の非を理解するまで近寄るな」とナマエに言ったらしい。ナマエは名実ともにこどもであるが、クールを売りにしている(シャチ調べ)ローにしては、ガキかよ!とツッコミたくなる程次元が低い罰だ。しかし、流石は観察眼に長けた冷静な我らがキャプテン。的確にこどもの痛いところを突いて効果は覿面である。おかげでナマエはテーブルの隅で静かに食事をしている。この重々しい沈黙はなんだ。悪夢か。
いつも騒がしいナマエの発言が一切無いので、他の面々も非常に喋りづらい。結果、とくに悲しいことなど無いのに葬式のように静かなのである。普段ナマエと一緒に騒いでいるシャチは沈黙に耐えるためにずっと下を向いている。ペンギンなど胃がキリキリするのかしょっちゅう胸のあたりを押さえている。ベポはナマエやローを盗み見て(多分バレている)は悲しい顔をする。ローは一切顔色を変えないのだから、流石といえよう。
気まずい食事タイムが終われば働き者のナマエは皆の皿を洗い、シンクを綺麗にして自分の部屋に戻っていく。やっぱりサイレントモードで。
自分が重苦しい雰囲気の原因であると理解しているローも、すぐに自室に引っ込む。一応気遣ってはくれているのだろう。二人がいなくなり、息が詰まる空気から解放された三人はどっと机に突っ伏した。
「おれ、もうこんなの嫌だ……」
感受性豊かなベポはダイレクトにナマエの心境が伝わったのか、鼻をすすりながら不満を零した。
「おれだって嫌だよ」
頬杖をつくペンギンの声はいつもより低い。それにはシャチも全面的に同意である。
「あいつ、なんでわからないんだろうな」
シャチの言葉は空しく虚空に溶けていった。そして誰も死んでもいないのに楽しかった日々が走馬灯のように彼の頭を駆け巡る。おれ、ナマエが元気になったらこの前思いついた冗談を言うんだ……ペンギンが聞いたら鳩尾に正義の鉄槌を食らうことになりそうなことをシャチが考えているとローが戻ってきた。
「前方に海賊船だ。今までで一番デカい」
緊急事態に気持ちを切り替えた三人は、ローの後を追って操舵室に向かう。成程、スコープから覗いた船の影はとてつもなく大きい。それに比例して乗っている人数も多いだろう。
「ナマエはどうするんです」
対してこちらは五人。ナマエを入れないと四人である。圧倒的に人手が足りないし、ナマエがいるのといないのでは戦局がかなり変わってくる。かといって、こんな大物を目の前にして見なかったことにするのも掲げた海賊旗に反するし、ナマエも動いてもいい程度には怪我も回復している。ローは数秒思案した結果、ナマエも戦闘に出すことにした。
「呼んでこい」
「アイアイ」
ローの指示に急いでナマエの部屋に向かったベポは数分と経たずに戻ってきた。後ろにはナマエがしっかり着いてきている。ナマエも状況を理解しているのか先程のどんよりとした空気では無く、前を向いた澄んだ空気を纏っていた。これなら戦闘は無いだろう。
「よし浮上するぞ」