Dear Mr.Night Blue 第一章(了)
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ごうん。
海の底にいる筈なのに、地響きのような轟音と地震のような衝撃がポーラータング号を襲った。
物資補給のために寄る予定の島は航海士のベポの見込みではあと二日。同業者や海軍の襲撃が無い限りはとくに障害の無い安全な航路だということもあり、自室でのんびりと医学書を読んでいたローは訝しげに顔を上げた。
敵の襲撃かと思い、傍らに置いていた刀に視線を走らせたが、そもそもポーラータング号は潜水艦であるので余程のことが無い限り敵に見つかることも無いだろう。
ということは、答えは簡単だ。何か障害物にぶつかったのだ。
ローはひとつ溜息を吐いて椅子から立ち上がった。それと同時に慌ただしい足音と声が艦内の廊下に響く。
「キャプテーン!!」
ノックというマナーの存在を忘れ、文字通り部屋に転がり込んできた白くまは、数回肩で息をしてからがばっと顔を上げた。そしてつぶらな瞳を大きくさせて息巻くように一言。
「ぶつけた!」
「だろうな」
ローは頷くしかなかった。ベポに連れ立って操舵室に向かうと、顔を真っ青にした船員が二人。
「すまねえキャプテン、急に海流が……」
シャチが消え入りそうな声で言うのをローは片手で遮った。
現在のこの船の乗組員は船長であるローを含めて四人。航海術を持つベポの指示の元、全員ローテーションで操舵をしているが、この船に乗り込んでから二月と経っていない。
つまり、操舵術も素人に毛が生えた程度なのだ。そんな中、想定外の事象に対処が遅れてしまったのだろう。
各言うローも飲み込みは早いが、荒狂う海相手に適切な操舵ができるかというと、その鋭い双眸を逸らすことしかできない。
それに、この事故はわざとでは無いので責める謂われも無い。
「とりあえず浮上するぞ」
落ち着いた船長の指示に、幾分か冷静になったシャチは頷いた。ゆっくりと潜水艦は浮上し、完全に水面から顔を覗かすと彼等はデッキへと出た。
数日ぶりに見る太陽の光は眩しく、ローは咄嗟に片手を額に当てて降り注ぐ日光から逃れた。後に続いた三人も口々に「眩しっ」「目がぁ!」等とボヤいている。
「ぶつかったのはどの辺りだ?」
「多分艦首のあたりかと」
ぶつかった(と思われる)箇所を覗きこんでみたが、とくに目立った外傷は無い。念のためその周りも確認したが凹みも傷も見当たらなかった。
この潜水艦の謳い文句の一つが『どんな固い岩でも山でもその気になればブチ抜ける無敵の装甲』であったが、その謳い文句に嘘偽り等無くその強固な守備力をしっかりと発揮してくれたらしい。
鈍く輝いている黄色の装甲の無事を確認したローは、淡々とした様子で甲板を後にした。彼に続いて、甲板に出てきたときとは打って変わった軽い足取りで三人も艦内に戻って行く。
こうして潜水艦は静かに再び海へと潜っていき、海路を進みだしたのだった。
しかし、問題はそこではなかったのだ。
「キャプテン、なんかこの船いつもより暑くない?」
どことなく疲弊した様子でベポがそう零したのが発端だった。
言われてみれば何となく暑い気がする。潜水艦の気温は、搭載している機器が滞りなく働くよう一定を保たなくてはいけない。よって気温を調整する機器が常に動いている、筈なのだ。
ローは眉根を顰めてベポの台詞に賛同した。
「確かにそんな気がしないでもねェな」
「ベポは毛皮着てるからなぁ」
「気のせいじゃねェの。暑いのはいつものことじゃん」
しかし、操舵席に座ったペンギンとシャチは軽い調子であまり気に留めない様子だった。ポーラータング号の艦内はいくら空調設備が効いているといっても『涼しい』と思える気温になることはない。ところが、その考えは聊か甘かった。その数十分後。
「暑ィ」
心底うんざりしました、というありったけの不満をこの三文字に詰め込んだシャチは操舵席に突っ伏した。ミンク族の特徴であるふわふわの毛皮を纏ったベポなんかもう完全に伸びている。
「おれ、ちょっと空調設備見てきます」
ついでに水飲んできます、とペンギンがフラフラと操舵席を離れ、操舵室から出て行った。ベポが絞り出すような声で「おれの分も……みず……」と呟いたが果たしてそれは聞こえているのだろうか。
「キャプテン、駄目です」
しばらくして戻ってきたペンギンは、あまりの暑さにダラダラと汗を垂らしながら、開口一番そう言った。
「どうした」
嫌な予感しかしないが、船長という責任のある立場上現実から逃げることはできないのでローは問うた。
「空調設備、完全にイカれてます……」
そう答えると、ペンギンは力尽きました、と言わんばかりにばたりと倒れた。
「……浮上しろ」
「アイアイ……」
空元気か蚊の鳴くような声でベポの返事を真似しながらシャチは船長の指示に従った。
清々しい青い空。優しく撫でる様に吹く風。懐かしい塩の香り。
「海の上……最高」
「まさかそう思うときがくるなんてな」
「おれは前から潜水キライだけどね」
「水差すなよ、ベポ」
一行は甲板で思う存分外の穏やかな気温に癒されていた。満足するまで深呼吸をしていたシャチが思い出したようにベポに尋ねた。
「ベポ、次の島まであとどれくらいだ」
「多分あと一日くらいだと思うよ」
背に腹はかえられない。潜水艦の本分を存分に発揮させてやれないのは遺憾だが、あの地獄の釜の様な気温で過ごすなど、例え金を積まれても嫌だった。
「このまま海上をいくぞ」
ローの決断に意を唱える者は誰もいなかった。
「次の島ってどんなとこなんだ?」
「えっと、ナットラードってとこ」
多分シャチが一番聞きたいのは島の名前では無いだろう。
「工業都市だ。確か造船所があったはずだ」
すかさずローは補足した。一応立ち寄る予定の島の情報はある程度は集めている。
「マジですか。おれたちツイてる!」
調子の良いシャチは「流石キャプテン!」と意味の分からないことを言っているし、ついにベポまで同調し出したのでローは無視を決め込んだ。
「でもキャプテン。おれ心配なことがあるんですけど」
「なんだ」
ペンギンの答えにローは頭を抱えたくなった。ああ、そうだった。
「おれたち、そんなに金持ってないです」
どんな海賊団だろうと、よっぽどのことが無ければ始まりは質素なものである。
冒険と略奪は海賊の本分であり、彼らとてそれに従って会敵した船を沈めたり、沈められそうになったり、奪い奪われ取り返したりして日々を過ごしている。そして入手した財宝は船の設備の増設やら燃料、日用品等の消耗品や食料であっという間に消えていくのである。医療設備は高いし、食べ盛りな四人のエンゲル係数は留まることを知らない。
そんな中で数週間前にハートの海賊団は今までで一番規模の大きい海賊船を一隻沈め、見たことが無いほどの財宝を手にした。それを元手に暫くは型落ちで諦めようと思っていた医療設備を新しくし、それでも余った金で美味い酒を呑んだ。そしてそれがいけなかった。
「おれたち、はしゃいでオーダーメイドでツナギ作っちゃいましたしね。……五十着くらい」
まさかこんなことになるなんて。ハハ、とペンギンは乾いたように笑う。お揃いのツナギを着た面々を睨みながら、ハートの海賊団のマークが入ったツナギはお前らが考案したんだろ、とローは心の中で呟いたが自分も便乗してパーカーを発注したので悔しいが何も言えない。強いて言うなら酒の所為だ。いや、ちょっと待て。
「五十着ってなんだ、そんなことおれは聞いてない」
「だってキャプテンですよ。きっとでっかい海賊団になりますって!」
「意味がわかんねェ」
横からシャチが口を挟んだので、ローは思わずそう零した。この成り立たない会話。こいつ、さてはまだ暑さで頭が沸いているのでは?
「……キャプテン、おれの貯金箱使う?」
凄く悲しげな様子のベポが耳を垂らしながら健気なことを言うので、ローは小さく首を振った。
「それはいい」
◇
果たして、やっと辿り着いた島は何というか期待外れだった。
「ここが、ナットラード。工業都市……」
茫然とペンギンが呟く。それもその筈。
港は寂れ、停泊している船は一隻も無い。そして船着き場から見える沢山の工場からは稼働しているような音が一切しない。
「廃村じゃねェか」
容赦の無いローの感想に一同は頷いた。このままでは次の島まで海に潜ることができないのではないのか。この島から次の島までかなり距離がある筈だ。確信にも近い不安が皆の頭を過る。そのときだった。
「待って、なんか音が聞こえる」
しょんぼりしていたベポがハッと顔を上げた。常人より耳が良い彼は何か音が聞こえたらしいが、あいにく残り三人の五感は常人レベルなので、なにも聞こえない。
「こっち!」
ずんずん進んでいくベポの後を三人は歩き出した。人の気配がしない気味の悪い工場を横目にベポは微かな音を頼りに進む。その不気味な静けさは、まるで悪い夢でも見ているようだった。
「なんか夢に見そうだな……」
「おれも。幽霊とか出そう」
「怖いこと言わないでよ!」
「馬鹿野郎。幽霊が怖くて海賊ができるか」
両手を交差して肩を摩るシャチとペンギン、それに影響されて青ざめるベポをばっさりと斬り捨てながら暫く歩くと、ロー達にもうっすらと音が聞こえてきた。カンカン、と金属がぶつかる高い音だった。
「造船所だ!あそこには人がいるよ!」
工場が立ち並ぶ島の最奥にそこはあった。造船所からは海に繋がる大きな水路があり、そこには数隻の船が泊まっている。造船所が機能しているのは不幸中の幸いだ。
「あれ、全部海賊船みたいだよ?」
驚くことに、そこに泊まっていた船は全て海賊船だった。どの船にも真っ黒な旗に浮かぶ髑髏が風で揺れている。
「海賊ご用足しってことか」
頭の後で腕を組みながら呑気にシャチが言う。どうやら人の気配を感じて安心したようだ。しかし、ローはどこか嫌な予感を感じていた。後ろを歩くペンギンも彼と同じものを感じ取ったのか首を傾げていた。
「とりあえず、こっち側に船を泊めるぞ」
どの道、船を見て貰うにはこの造船所まで移動させなければいけない。四人は来た道を戻って行った。
「ちはー!」
造船所の入口からひょっこりシャチは顔を覗かせて少し大きめの声で言った。
その上からトーテムポールのようにベポが顔を出す。ドック内からはひっきりなしに甲高い音や火花が散る音が聞こえる。どうやらこのドックの主は作業に夢中で気付いてくれないらしい。ベポとシャチは顔を見合わせてお互い頷き合った。
「「こっんにちはーー!!」」
先程の何倍もの声量の挨拶はぐわん、とドック内に響き渡った。流石に聞こえたらしいドックの主は作業を止めると振り返った。若い女だ。
女は億劫そうに立ち上がると、ロー達の元までやってきた。
「船の空調設備がやられた。直して欲しい」
用件を簡潔に述べたローは、技師の女を見た。平均よりは遥かに高い自分の目線に丁度頭がくるくらいだから女としては背の高い方であろう。年の頃は二十代半ばくらいに見えた。ブルネットの癖毛をおざなりに一つに纏め、モスグリーンのツナギを着たその女はローを値踏みするように眺めた。その視線はやけに鋭い。初対面の相手に、取り方によってはメンチを切られてはあまり良い気がしない。ローは眉根を寄せた。
「船ってどれ」
素っ気なく女は問うた。その高圧的な声音は無駄な会話は一切しない、と言外に含ませていた。
「あれだ」
ローは造船所の船着場に泊めておいたポーラータング号を親指で指した。黄色い潜水艦を一瞥した女は顎に手を当てながら言った。
「潜水艦か。そうだね、六百万ベリー」
「は?」
「だから、修理代。六百万」
「……」
一拍置いて、状況を理解したシャチ、ペンギン、ベポの三人は叫んだ。
「はぁ~~?!」
「おい、流石に高すぎだろ」
「そうか。じゃあ、余所を当たるんだね。まあ、次の島まで十日。でもそこには造船所なんか無いからもっと先の島まで行かないと直せる技師はいないだろうね。潜水艦なんて直せる腕のある技師はそういないよ」
「お前は直せるのか」
「当然だろう。私を誰だと思ってるんだい」
いや、知らねぇし。それにこの女、足元見やがって。ローが言葉なく額に青筋を浮かべていると、後ろからベポが小さく「貯金箱……」と言っているのが聞こえる。やめろ、罪悪感が半端ない。
「そんな金は無い」
物凄く屈辱的だが、事実だった。
「ふうん」
そんなの興味無い、と言わんばかりの生返事にローは見えないように拳を握った。この女、本当に覚えてろよ。
気まずい沈黙が暫く続く。ローは女を睨みつけていたが(人に物を頼む態度では無い)、後の三人は居た堪れないのかどこかそわそわし出している。
ふいに女が口を開いた。
「じゃあ、条件がある。今から言うものを持ってくれば、タダで直してやるよ」
「……何を持ってくればいいんだ」
子供の頃に聞いたお伽噺を思い出しながらローは低い声で尋ねた。それは、求婚してきた男達に無理難題をふっかける姫君の話だ。しかし、どう考えても自分はやんごとなき身分の人間ではないし、女は傾国の美女でもない。そこまで面倒なことはならない、筈だ。というか、そうであってほしい。
「竜の瞳」
やばい。そっち系だ。竜って架空の生き物だろう。どこに生息してるんだよ。動揺をローは顔には出さなかったが、後の三人はごくりと生唾を呑んだ。
「と呼ばれている、大きなサファイヤだ」
良かった。まだ現実的なものだった。今度もローは安堵を顔に出さなかったが、後の三人は安心したような大きな溜息を吐いた。前から思っていたが、彼らはこんな馬鹿正直に生きていて大丈夫なのか。やはり自分がしっかりしなければいけない。ローは人知れず決心を固めた。
「それはどこにあるんだ」
「この町の中心に巨大なカジノがある。そこの景品だ」
「カジノ?」
この街にそんなものがあるとは聞いていない。困惑を滲ませながらそう聞き返すと、女は笑った。だけれども、口角だけを吊り上げて、絶望が詰まった虚ろな瞳のこの表情を果たして笑顔と呼べるのか、彼らには分からない。
「工業都市ナットラードは死んだよ。終わらない夜の街、今はそれがこのナットラードの呼び名さ」
海の底にいる筈なのに、地響きのような轟音と地震のような衝撃がポーラータング号を襲った。
物資補給のために寄る予定の島は航海士のベポの見込みではあと二日。同業者や海軍の襲撃が無い限りはとくに障害の無い安全な航路だということもあり、自室でのんびりと医学書を読んでいたローは訝しげに顔を上げた。
敵の襲撃かと思い、傍らに置いていた刀に視線を走らせたが、そもそもポーラータング号は潜水艦であるので余程のことが無い限り敵に見つかることも無いだろう。
ということは、答えは簡単だ。何か障害物にぶつかったのだ。
ローはひとつ溜息を吐いて椅子から立ち上がった。それと同時に慌ただしい足音と声が艦内の廊下に響く。
「キャプテーン!!」
ノックというマナーの存在を忘れ、文字通り部屋に転がり込んできた白くまは、数回肩で息をしてからがばっと顔を上げた。そしてつぶらな瞳を大きくさせて息巻くように一言。
「ぶつけた!」
「だろうな」
ローは頷くしかなかった。ベポに連れ立って操舵室に向かうと、顔を真っ青にした船員が二人。
「すまねえキャプテン、急に海流が……」
シャチが消え入りそうな声で言うのをローは片手で遮った。
現在のこの船の乗組員は船長であるローを含めて四人。航海術を持つベポの指示の元、全員ローテーションで操舵をしているが、この船に乗り込んでから二月と経っていない。
つまり、操舵術も素人に毛が生えた程度なのだ。そんな中、想定外の事象に対処が遅れてしまったのだろう。
各言うローも飲み込みは早いが、荒狂う海相手に適切な操舵ができるかというと、その鋭い双眸を逸らすことしかできない。
それに、この事故はわざとでは無いので責める謂われも無い。
「とりあえず浮上するぞ」
落ち着いた船長の指示に、幾分か冷静になったシャチは頷いた。ゆっくりと潜水艦は浮上し、完全に水面から顔を覗かすと彼等はデッキへと出た。
数日ぶりに見る太陽の光は眩しく、ローは咄嗟に片手を額に当てて降り注ぐ日光から逃れた。後に続いた三人も口々に「眩しっ」「目がぁ!」等とボヤいている。
「ぶつかったのはどの辺りだ?」
「多分艦首のあたりかと」
ぶつかった(と思われる)箇所を覗きこんでみたが、とくに目立った外傷は無い。念のためその周りも確認したが凹みも傷も見当たらなかった。
この潜水艦の謳い文句の一つが『どんな固い岩でも山でもその気になればブチ抜ける無敵の装甲』であったが、その謳い文句に嘘偽り等無くその強固な守備力をしっかりと発揮してくれたらしい。
鈍く輝いている黄色の装甲の無事を確認したローは、淡々とした様子で甲板を後にした。彼に続いて、甲板に出てきたときとは打って変わった軽い足取りで三人も艦内に戻って行く。
こうして潜水艦は静かに再び海へと潜っていき、海路を進みだしたのだった。
しかし、問題はそこではなかったのだ。
「キャプテン、なんかこの船いつもより暑くない?」
どことなく疲弊した様子でベポがそう零したのが発端だった。
言われてみれば何となく暑い気がする。潜水艦の気温は、搭載している機器が滞りなく働くよう一定を保たなくてはいけない。よって気温を調整する機器が常に動いている、筈なのだ。
ローは眉根を顰めてベポの台詞に賛同した。
「確かにそんな気がしないでもねェな」
「ベポは毛皮着てるからなぁ」
「気のせいじゃねェの。暑いのはいつものことじゃん」
しかし、操舵席に座ったペンギンとシャチは軽い調子であまり気に留めない様子だった。ポーラータング号の艦内はいくら空調設備が効いているといっても『涼しい』と思える気温になることはない。ところが、その考えは聊か甘かった。その数十分後。
「暑ィ」
心底うんざりしました、というありったけの不満をこの三文字に詰め込んだシャチは操舵席に突っ伏した。ミンク族の特徴であるふわふわの毛皮を纏ったベポなんかもう完全に伸びている。
「おれ、ちょっと空調設備見てきます」
ついでに水飲んできます、とペンギンがフラフラと操舵席を離れ、操舵室から出て行った。ベポが絞り出すような声で「おれの分も……みず……」と呟いたが果たしてそれは聞こえているのだろうか。
「キャプテン、駄目です」
しばらくして戻ってきたペンギンは、あまりの暑さにダラダラと汗を垂らしながら、開口一番そう言った。
「どうした」
嫌な予感しかしないが、船長という責任のある立場上現実から逃げることはできないのでローは問うた。
「空調設備、完全にイカれてます……」
そう答えると、ペンギンは力尽きました、と言わんばかりにばたりと倒れた。
「……浮上しろ」
「アイアイ……」
空元気か蚊の鳴くような声でベポの返事を真似しながらシャチは船長の指示に従った。
清々しい青い空。優しく撫でる様に吹く風。懐かしい塩の香り。
「海の上……最高」
「まさかそう思うときがくるなんてな」
「おれは前から潜水キライだけどね」
「水差すなよ、ベポ」
一行は甲板で思う存分外の穏やかな気温に癒されていた。満足するまで深呼吸をしていたシャチが思い出したようにベポに尋ねた。
「ベポ、次の島まであとどれくらいだ」
「多分あと一日くらいだと思うよ」
背に腹はかえられない。潜水艦の本分を存分に発揮させてやれないのは遺憾だが、あの地獄の釜の様な気温で過ごすなど、例え金を積まれても嫌だった。
「このまま海上をいくぞ」
ローの決断に意を唱える者は誰もいなかった。
「次の島ってどんなとこなんだ?」
「えっと、ナットラードってとこ」
多分シャチが一番聞きたいのは島の名前では無いだろう。
「工業都市だ。確か造船所があったはずだ」
すかさずローは補足した。一応立ち寄る予定の島の情報はある程度は集めている。
「マジですか。おれたちツイてる!」
調子の良いシャチは「流石キャプテン!」と意味の分からないことを言っているし、ついにベポまで同調し出したのでローは無視を決め込んだ。
「でもキャプテン。おれ心配なことがあるんですけど」
「なんだ」
ペンギンの答えにローは頭を抱えたくなった。ああ、そうだった。
「おれたち、そんなに金持ってないです」
どんな海賊団だろうと、よっぽどのことが無ければ始まりは質素なものである。
冒険と略奪は海賊の本分であり、彼らとてそれに従って会敵した船を沈めたり、沈められそうになったり、奪い奪われ取り返したりして日々を過ごしている。そして入手した財宝は船の設備の増設やら燃料、日用品等の消耗品や食料であっという間に消えていくのである。医療設備は高いし、食べ盛りな四人のエンゲル係数は留まることを知らない。
そんな中で数週間前にハートの海賊団は今までで一番規模の大きい海賊船を一隻沈め、見たことが無いほどの財宝を手にした。それを元手に暫くは型落ちで諦めようと思っていた医療設備を新しくし、それでも余った金で美味い酒を呑んだ。そしてそれがいけなかった。
「おれたち、はしゃいでオーダーメイドでツナギ作っちゃいましたしね。……五十着くらい」
まさかこんなことになるなんて。ハハ、とペンギンは乾いたように笑う。お揃いのツナギを着た面々を睨みながら、ハートの海賊団のマークが入ったツナギはお前らが考案したんだろ、とローは心の中で呟いたが自分も便乗してパーカーを発注したので悔しいが何も言えない。強いて言うなら酒の所為だ。いや、ちょっと待て。
「五十着ってなんだ、そんなことおれは聞いてない」
「だってキャプテンですよ。きっとでっかい海賊団になりますって!」
「意味がわかんねェ」
横からシャチが口を挟んだので、ローは思わずそう零した。この成り立たない会話。こいつ、さてはまだ暑さで頭が沸いているのでは?
「……キャプテン、おれの貯金箱使う?」
凄く悲しげな様子のベポが耳を垂らしながら健気なことを言うので、ローは小さく首を振った。
「それはいい」
◇
果たして、やっと辿り着いた島は何というか期待外れだった。
「ここが、ナットラード。工業都市……」
茫然とペンギンが呟く。それもその筈。
港は寂れ、停泊している船は一隻も無い。そして船着き場から見える沢山の工場からは稼働しているような音が一切しない。
「廃村じゃねェか」
容赦の無いローの感想に一同は頷いた。このままでは次の島まで海に潜ることができないのではないのか。この島から次の島までかなり距離がある筈だ。確信にも近い不安が皆の頭を過る。そのときだった。
「待って、なんか音が聞こえる」
しょんぼりしていたベポがハッと顔を上げた。常人より耳が良い彼は何か音が聞こえたらしいが、あいにく残り三人の五感は常人レベルなので、なにも聞こえない。
「こっち!」
ずんずん進んでいくベポの後を三人は歩き出した。人の気配がしない気味の悪い工場を横目にベポは微かな音を頼りに進む。その不気味な静けさは、まるで悪い夢でも見ているようだった。
「なんか夢に見そうだな……」
「おれも。幽霊とか出そう」
「怖いこと言わないでよ!」
「馬鹿野郎。幽霊が怖くて海賊ができるか」
両手を交差して肩を摩るシャチとペンギン、それに影響されて青ざめるベポをばっさりと斬り捨てながら暫く歩くと、ロー達にもうっすらと音が聞こえてきた。カンカン、と金属がぶつかる高い音だった。
「造船所だ!あそこには人がいるよ!」
工場が立ち並ぶ島の最奥にそこはあった。造船所からは海に繋がる大きな水路があり、そこには数隻の船が泊まっている。造船所が機能しているのは不幸中の幸いだ。
「あれ、全部海賊船みたいだよ?」
驚くことに、そこに泊まっていた船は全て海賊船だった。どの船にも真っ黒な旗に浮かぶ髑髏が風で揺れている。
「海賊ご用足しってことか」
頭の後で腕を組みながら呑気にシャチが言う。どうやら人の気配を感じて安心したようだ。しかし、ローはどこか嫌な予感を感じていた。後ろを歩くペンギンも彼と同じものを感じ取ったのか首を傾げていた。
「とりあえず、こっち側に船を泊めるぞ」
どの道、船を見て貰うにはこの造船所まで移動させなければいけない。四人は来た道を戻って行った。
「ちはー!」
造船所の入口からひょっこりシャチは顔を覗かせて少し大きめの声で言った。
その上からトーテムポールのようにベポが顔を出す。ドック内からはひっきりなしに甲高い音や火花が散る音が聞こえる。どうやらこのドックの主は作業に夢中で気付いてくれないらしい。ベポとシャチは顔を見合わせてお互い頷き合った。
「「こっんにちはーー!!」」
先程の何倍もの声量の挨拶はぐわん、とドック内に響き渡った。流石に聞こえたらしいドックの主は作業を止めると振り返った。若い女だ。
女は億劫そうに立ち上がると、ロー達の元までやってきた。
「船の空調設備がやられた。直して欲しい」
用件を簡潔に述べたローは、技師の女を見た。平均よりは遥かに高い自分の目線に丁度頭がくるくらいだから女としては背の高い方であろう。年の頃は二十代半ばくらいに見えた。ブルネットの癖毛をおざなりに一つに纏め、モスグリーンのツナギを着たその女はローを値踏みするように眺めた。その視線はやけに鋭い。初対面の相手に、取り方によってはメンチを切られてはあまり良い気がしない。ローは眉根を寄せた。
「船ってどれ」
素っ気なく女は問うた。その高圧的な声音は無駄な会話は一切しない、と言外に含ませていた。
「あれだ」
ローは造船所の船着場に泊めておいたポーラータング号を親指で指した。黄色い潜水艦を一瞥した女は顎に手を当てながら言った。
「潜水艦か。そうだね、六百万ベリー」
「は?」
「だから、修理代。六百万」
「……」
一拍置いて、状況を理解したシャチ、ペンギン、ベポの三人は叫んだ。
「はぁ~~?!」
「おい、流石に高すぎだろ」
「そうか。じゃあ、余所を当たるんだね。まあ、次の島まで十日。でもそこには造船所なんか無いからもっと先の島まで行かないと直せる技師はいないだろうね。潜水艦なんて直せる腕のある技師はそういないよ」
「お前は直せるのか」
「当然だろう。私を誰だと思ってるんだい」
いや、知らねぇし。それにこの女、足元見やがって。ローが言葉なく額に青筋を浮かべていると、後ろからベポが小さく「貯金箱……」と言っているのが聞こえる。やめろ、罪悪感が半端ない。
「そんな金は無い」
物凄く屈辱的だが、事実だった。
「ふうん」
そんなの興味無い、と言わんばかりの生返事にローは見えないように拳を握った。この女、本当に覚えてろよ。
気まずい沈黙が暫く続く。ローは女を睨みつけていたが(人に物を頼む態度では無い)、後の三人は居た堪れないのかどこかそわそわし出している。
ふいに女が口を開いた。
「じゃあ、条件がある。今から言うものを持ってくれば、タダで直してやるよ」
「……何を持ってくればいいんだ」
子供の頃に聞いたお伽噺を思い出しながらローは低い声で尋ねた。それは、求婚してきた男達に無理難題をふっかける姫君の話だ。しかし、どう考えても自分はやんごとなき身分の人間ではないし、女は傾国の美女でもない。そこまで面倒なことはならない、筈だ。というか、そうであってほしい。
「竜の瞳」
やばい。そっち系だ。竜って架空の生き物だろう。どこに生息してるんだよ。動揺をローは顔には出さなかったが、後の三人はごくりと生唾を呑んだ。
「と呼ばれている、大きなサファイヤだ」
良かった。まだ現実的なものだった。今度もローは安堵を顔に出さなかったが、後の三人は安心したような大きな溜息を吐いた。前から思っていたが、彼らはこんな馬鹿正直に生きていて大丈夫なのか。やはり自分がしっかりしなければいけない。ローは人知れず決心を固めた。
「それはどこにあるんだ」
「この町の中心に巨大なカジノがある。そこの景品だ」
「カジノ?」
この街にそんなものがあるとは聞いていない。困惑を滲ませながらそう聞き返すと、女は笑った。だけれども、口角だけを吊り上げて、絶望が詰まった虚ろな瞳のこの表情を果たして笑顔と呼べるのか、彼らには分からない。
「工業都市ナットラードは死んだよ。終わらない夜の街、今はそれがこのナットラードの呼び名さ」
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