深夜の悪魔的誘惑


「いただきます」
「……ちょっと待って。晩御飯……それだけ?」
「はい、これだけです」

テーブルに置かれたサラダを目にしたマツバさんは、怪訝そうな表情を浮かべた。

「……明らかに少ないよね?それで足りるの?」
「朝と昼にしっかり食べたから、これで十分です」
「もしかして今日は疲れちゃったからご飯作りたくないとか?それなら今から僕が作ろうか?それとも何か買ってくる?」
「いや、本当に大丈夫です。これだけで足りるというか……」
「駄目だよ。食事はしっかり摂らなきゃ」

そう言いながら何とか私にサラダ以外のものを食べさせようとしてくるマツバさんに私は苦笑してしまった。ちなみに今日は私の仕事が遅く終わったのでマツバさんは既に夕飯を済ませている。

「今の時間でもデリバリーなら間に合うんじゃない?何か頼もうよ?」
「……今から食べたらカロリー過多になるので、お気持ちだけ受け取りますね」
「……もしかしてダイエットでも始めたのかい?君には必要ないと思うけどなぁ」

……何故だか分からないけど、マツバさんは私の話していない事を良く当ててしまう。それが彼の特性がおみとおしであるのか、はたまた千里眼の力なのかは分からない。そう、マツバさんの言葉の通り私はダイエットに励んでいる。まぁ、実際は今日から始めたばかりなんだけど。そんな訳で夕飯はサラダのみにしていたのだが、マツバさんは納得していないという表情で私を見つめているのだった。

「僕の推測は間違ってないようだね。また同じ事を言って申し訳ないけど、君には必要ないじゃないか?過度なダイエットは健康を損ねるよ?」
「……夕飯をサラダのみにするだけですよ。そんなに激しいものはしてないです」
「三食きちんと食べなきゃ駄目だよ。それに体重が減るという事はこの世界から君という概念が少なくってしまう事だよね?なら余計にダイエットなんてしちゃいけない」
「マツバさん、途中で変な事を言うのは止めてください」

マツバさんの謎自論は理解できないが、とりあえず彼はダイエットに反対しているようだ。でもなぁ……、秋の味覚の誘惑に負けてしまい、ここ最近体重が増加傾向にあるのもまた言い訳のできない事実でもあるのだった。マツバさんはその事に気付いて無いのだろうか?
そう思った私は、非常に聞づらい質問を彼に投げ掛けた。

「凄く聞にくい事ですが、……マツバさんから見て最近の私……太ったと思いませんか?」
「え?思わないけど」
「……三キロは増えてしまったんですよ?」
「そんなの誤差の範囲じゃないか」
「それでも、私は気になるんです。だから早く体重を元に戻したいんですよ」
「焦って痩せなくても君は可愛いよ?うん、やっぱり可愛い。ほぼ毎日君の事を見ている僕がこうやって言ってるし……やっぱり君にダイエットは必要ないよ。という事で今からラーメンでも食べに行く?」

マツバさんの笑顔の提案は、ダイエットには大敵であるものだった。ラーメン……そう言えば、最近食べてないかも。無意識のうちにほかほかとした湯気の立ち込める情景を思い浮かべてしまったが、いかんいかんと何とかそれらを振り払うように思考を切り替えた。

「マツバさん……私は真剣にダイエットに取り組んでいるんですよ?ラーメンなんてこんな時間に食べたらそれこそダイエットの意味が無いし、何なら逆に太ってしまいますよ」
「今日だけでそんなに太らないって。ほら、今直ぐに行こうよ。僕、本気でラーメン食べたくなって来ちゃった」
「それならお一人で行ってください。私はサラダを食べたら寝ますので」
「そんな寂しい事、言わないでよ」

こんな押し問答をしていても埒が明かない。それに……マツバさんのせいで私もラーメンが食べたくなってきてしまったが、ここで食べたらダイエットが開始一日で挫折した事になってしまう。それは、あまりにも情けないので何とか誘惑に打ち勝とうとするも、マツバさんは私の腕を掴んでずっと駄々を捏ねているのだった。全く……彼にはこちらの女心も少しは分かって欲しいものである。

そんな私の思いをスルーするかのように、目の前のマツバさんはニコニコとしながら話を続けていく。

「ほら?ミナキ君と三人でよく行ってたラーメン屋、まだやってるよ?」
「私は何も聞こえません。さて、サラダを食べなきゃ」
「ヤサイニンニクマシアブラカラメ」
「止めてください、その呪文は……。誘惑しないで下さい、マツバさん」

ムウマージの呟く呪文のようにマツバさんの悪魔的誘惑に負けないように、私はサラダを口にする。野菜だって美味しいもん。うん、お手製ドレッシングも中々に良い……。もしゃもしゃとサラダを食べ始めた私の隣でマツバさんはため息を零しながら言葉を続けた。

「……僕はね、君の食べている姿を見るのが好きなんだよ。それに美味しそうに食べる君の満足そうな顔もね。それにいっぱい食べる君は可愛いと思うんだ。だからこっちだって沢山食べて欲しいんだよ」
「……今だって食事中ですよ?」
「でも、物足りなさそうに食べているじゃないか」
「これを食べた後、デザートに炭酸水を使ったドリンクを飲んで、お腹を満たします」
「あー、あれね?何かフルーティなお酢と割って飲むんだっけ?あれも美味しいけど……だけど僕にはわかる。君の空腹がそれだけでは満たされない事が」
「……千里眼をこんな事に使うのは止めて下さい」
「使わずとも君と僕は長い付き合いなんだ。何となくこの位の事は分かるさ。今……君はラーメンが食べたい筈だ」
「それはマツバさんのせいです」
「あ、認めたね?やっぱりラーメン食べたいんじゃないか」
「これは誘導尋問です。こう言わされたんです私は」
「もう言質とったから。ほら、さっさと行くよ」
「……お一人でどうぞ」
「やだー。絶対に君と行くもん」
「そんな可愛い顔しても、駄目なものは駄目ですってば……これ以上太りたくないんです」

私の言葉にマツバさんは不思議そうな面持ちで答えた。

「そもそも太ったように見えないんだけど?」
「……お腹の辺りが気になるんです」
「そうかなぁ?…………あっ、」
「え?」

先程までのやり取りの最中でマツバさんが突然一声あげたかと思った途端、彼か考え込むように黙ってしまった。先程までラーメン!ラーメン!と騒いでいたのに、急に訪れた沈黙に私の方が戸惑ってしまうのだった。

「……あのー、マツバさん?どうされました……?」

恐る恐る尋ねて見ると、マツバさんは極めて真剣な顔をして口を開く。

「……君が太ったと思い悩む原因、もしかして僕のせいかも」
「……はい?」
「いやだってさぁ……君と僕が付き合い始めてからここも大きくなったような気がするし。太ったというよりは……ムチムチしてきた感じだね。ここだって元々大きいけど、更に美味しく実ったというか……豊満って言葉が良く似合うよね、君は」

そんな事を言いながらマツバさんは私の胸を、涼しい顔で揉んだ。……彼はまるで世間話でもするかのように平然としているが、これはセクハラなのでは……?というか、セクハラですよね?え、なんでマツバさんこのタイミングで私の胸を揉んでいるのですか?唐突なマツバさんの行動にフリーズしている私とは裏腹に、マツバさんは笑いながら言葉を続けていく。

「形も良くてハリがある上に、僕がほぼ毎日触ってるからより大きくなっちゃたんだね。でも……痩せたらここも少し小さくなっちゃうんだろ?折角僕が育てたんだし……勿体ないよ。愛の証みたいなものだと思うし。だからやっぱりダイエットは必要ないよ。それに今、思いついたんだけど……夜の営みだって結構なカロリー消費になるんじゃないの?そうと分かったらさっさとラーメン食べてから今晩も愛を育もうよ。ね?良い提案だと思うんだけど」
「……マツバさん。おうふくビンタしても良いですか?」
「えー、やだー。暴力反対だよ」
「……マツバさんのえっち。ドスケべ修験者なのも如何なものかと思いますけど」
「そんな酷い事言わないでよ、傷付くなぁ。傷付いたし今夜はたっぷり慰めてね?じゃ、とりあえずラーメン食べに行こうか」
「……そもそも、マツバさんは夕飯を食べましたよね?」
「これから僕もカロリー消費するからスタミナをつけなきゃね?あ、勿論この後の事を考えてニンニクは無しにするから安心してくれよ」
「……そういう問題じゃないんですけどね……」

あっけらかんとしているマツバさんに、思わず溜息が零れてしまった。だがそんな私を他所に彼は私の腕を掴んでは、何処かご機嫌な様子でコガネシティの繁華街へと行くように促すのだった。

「マツバさんに負けたんじゃないです。ラーメンに負けたんです、私は……」
「はいはい。それよりも沢山食べて、体力つけてからいっぱい愛し合おうね~」

ニコニコとご機嫌な様子のマツバさんと手を繋いで、私達はネオンが眩しいくらいにギラつく繁華街にへと向かうのであった。


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