崩壊


君の一言で、僕の世界は簡単に暗転する。

「ねぇ、明日暇?もし良かったら……」
「すみません、明日は先約が入ってまして……」

いつもの彼女なら大体僕の誘いを断る事は無かった。勿論、それは必ずとは言えないが、彼女は常に僕を優先してくれていたと思う。それは付き合いの長い二人だからこその特権であると、僕は確かに自惚れていた。だけど、そう思わせるくらいには彼女は僕の隣に居てくれたのだった。

しかし、今日の彼女は何だかいつもと様子が違う。長年見つめ続けていたからこそ、その些細な変化に僕は気付いた。
普段の彼女の断り方にしては、何処かそわそわと浮き足立っているような感じを受けた。これは何かあったな?と直感して普段はあまり聞かない質問を彼女にしてみる事にした。

「……随分とそわそわしているけど、何かあったの?」
「え、そうですか?私はいつも通りですけど……」
「いや、確実に何かあったでしょ?教えてよ」

ここまで問い詰めてみると、彼女はほんのりと頬を赤く染めてポツポツと口を開いていく。

「実は……この間お客様にお誘いを受けまして……」
「……は?」

彼女の口から出た言葉は、僕の予想を超えるものだった。お誘いという言葉で誤魔化したものの、要約するにコガネ百貨店で働く彼女は常連の男性客に熱烈な愛の告白を受けたとの事。そして、とりあえずは友達から始めましょうという事で明日、その男と会うという事になっているらしい。つまりは、僕以外の男と明日会う訳だ。

「……告白なんてされたの、生まれて初めてなので……私、どうして良いか分からなくて……でも良い人そうなのでとりあえずお茶をする流れになったんです」
「……へぇ、そうなんだ」
「あの、マツバさんにだけ特別にお話したんですよ。他の人に話すのは恥ずかしいから……」

そんな笑顔を明日僕以外の男に見せるのか、君は。
照れくさそうにはにかんだ彼女の事がいつもは愛しく思えるのに今日は妬ましくて仕方がなかった。

僕と彼女はずっと昔から付き合いのあるいわば幼馴染という関係だった。僕の隣にはずっと君がいて、その逆も然り。常に二人は共に在ったのに、その平穏を崩そうとしているのがまさかの君だなんてね、僕は思いもしなかったよ。この関係が変わるとしたら、友人同士から恋人関係になる……僕は確かにそんな未来を信じていたのにまさか名も知らぬ男にその未来が妨害されるとはね。
いや、まだだ。まだ何も二人が付き合うとは決まった訳じゃない。想いの強さなら、僕の方が勝っている。僕は出会った頃からずっと彼女の事が好きだったんだ。僕の方が先に好きだったのに、ぽっと出の男に彼女を取られるなんて誰が許しても僕だけは許さない。それに……僕がこれだけ想い続けているのにその想いに一向に気付きはしない彼女は、正直に言うと鈍感な一面があると思う。だからこそ名も知らぬ男の恋は簡単には成就する事はないし、このマツバという男がいる限り絶対にさせはしない。

それに彼女は僕のものなんだ。僕がこれだけ愛しているのだからそう思ったって別に構わないだろ?彼女だって僕の事を特別に思ってくれているのは伝わる。ただ、幼馴染という近すぎる距離感が僕の想いを中々叶えてくれない。こんなに近くにいるのに、手を伸ばせば届く筈なのに、手を伸ばす事もまだ出来ないなんて……君は近すぎて遠い存在でもあるのだと思う。

…… 早くそんな男の告白なんて断って、僕のものになってくれよ。君だって僕が居ないと寂しいだろ?僕だってそうなんだ。二人は何処までも共にあるべき存在なんだと、君は早く気付いて、そして僕だけをその麗しい瞳に宿すべきなんだ。

僕はそう、願っては止まない。

……しかし、僕のそんな願いは虚しく、彼女はその男の告白を無下にしなかった。どうやら人間的にその男の事を悪く思ってないようだった。

「この前の人はどうだった?勿論断ったんでしょ?」
「その件なんですが、いざ話してみればポケモンに知見の深い人で……結構盛り上がってしまい……気付けばお店に長居してしまいました」
「……そうなんだ」
「とりあえず、私にはまだお付き合いとか考えられないってちゃんと伝えたんです。そうしたら、先ずはお友達から始めようって事になりまして……今度はポケスロンの観戦に誘われたのでご一緒してみようかなと……」

どうやら終始和やかな時間だったのだろう。彼女が今後も男と付き合いを継続していくと決めた事に対して強い不快感を覚えた。どうして、なんで?僕という存在がありながらわざわざ他の男と時間を作って会うなんて……そんな事態が僕にとっては大変に不服であった。

それからも彼女はその男とちょくちょく会っているようだった。僕と会っているのにも関わらず彼女は「私がクレーマーとバトルしてる姿にビビッときたらしいです」とか「私が旅行が好きだと話したら各地方の伝承を教えて下さったんですよ」とか、その男の話題を出すようになったが、そんな事を聞かされているこちらとしては毎度吐き気がする程の不愉快な感情に襲われているのを、彼女は知らないのだろう。
あぁ、なんて妬ましくて憎たらしいんだ。

「随分と楽しそうだね」
「はい、知り合いが増えるって楽しい事だと久しぶりに思いました。私の手持ちのポケモン達も気難しい子が多いのですが、なんだか少しずつその人に懐いてるみたいで嬉しいです」
「へぇー……」

彼女の手持ちのポケモン達は確かに気難しい子が多い。何せ長年の付き合いがある僕にですら中々心を開いてくれないのだ。そんな子達が僕の知らぬ男には懐き始めているという事実を耳にした時、僕の中の嫉妬心は大いに燃え上がっていく。
僕には懐いてくれないのに、なんでその男には心を開くんだよ。彼女のポケモン達に否は無いと分かっているものの、そんな思いが胸の中に仄暗い感情を生み出していく。

悔しいのか、妬ましいのか。いや、全ての負の感情が僕を支配していく。もしもこの先、有り得ない話だが彼女と男が付き合う事になった場合僕は素直に二人を祝福出来るのだろうか?

……いや、無理だな。そんな事出来る訳がないだろ。だって彼女と結ばれるのは世界でたった一人、このマツバという男だけなんだ。それ以外の未来なんて有り得ないし、存在する可能性すらあってはいけないのだ。しかし、もしも彼女が道を間違えて僕の手じゃなくてその男の手を握ってしまったら……僕は正気を保てるだろうか。いや、もう既に彼女の事に関してはずっと前から正気なんて失っていると思う。

男との話を聞いてから僕はずっと、心ここに在らずの状態だった。千里眼で二人の様子を垣間見ては、苛立ちと不快感に苛まれて、込み上げる吐き気を抑えきれない事もあったが、だが、監視の目を止める事は出来なかった。幸いな事に男は紳士気取りのつもりなのか、彼女に一切触れる事は無かった事が僕にとっての唯一の救いであったがそれも時間の問題だろう。

こんなに愛しているのに、彼女は他の男に愛想を振りまいているなんて、あぁ、何とも世の中とは無情過ぎる。僕のこれだけ注がれている重い愛に背くような彼女にすらも愛憎を確かに覚えたものだ。それが僕の言動として現れてしまったのだろう。男の話をする度に冷めた態度を見せる僕に、彼女は困惑の表情を見せる事が多くなったと思う。
僕は彼女にとって何処までも優しい男であったと自分でも思うくらいに、彼女の事を丁寧に扱い続けてきた。僕は彼女のどんな些細な話にでも親身に耳を傾けては、まるで壊れ物を扱うかのように接してきたのだ。
それが二人の中では当然となっていたのが、最近になって崩れ始めていく。その事に焦りを覚えたのか、彼女は戸惑いながらも、僕の気を引くような話題をあげるようになった。そんな彼女を見る度に、僕の中の燃え盛る嫉妬心は少しだけ弱まり、そして愉悦のような感情に浸っていくのだった。

僕に今迄とは違う、冷たい態度を取られて彼女は悲しんでいるのだろう。彼女の寂しさを肌で感じ取る度に、僕は彼女にはバレないようにほんの僅かに口角を上げる。ほら、そんなに悲しそうな瞳をするなんて……君には僕が必要って事なんだろ?なら素直にそう言ってくれれば良いのに……なんて思いながらも、彼女が僕の事で思い悩んでいるという事実に背筋がゾクゾクとしてしまう。わざと意地悪をしている訳だが、彼女が僕の機嫌を損ねるような話題を振るのが悪いのだ。

その事に早く気付いて、そして僕の不愉快の原因である男との付き合いを止めてくれれば僕はいつだって以前の関係に戻るのにね。いや……僕はもう十分に待っただろう。そろそろ新しい関係に二人共、踏み出しても良い頃だよね?君があの男との付き合いを断った時点で僕は君に長年の想いを打ち明けて、そして正式に恋人同士になろうと胸の中で密かに決めたのであった。

◇

「……昨日、言われたんです。そろそろ正式にお付き合いして欲しいと……」

彼女に相談があると、久しぶりに呼び出されたかと思えば開口一番にそんな話題を振られた。彼女は神妙な面持ちで、ポツリポツリと言葉を零していく。

「会う度に、凄く良い人だなって思いました。それは事実です」
「でも、その様子だと君の心はその人の事をまだ完璧に受け入れているようには見えないけどね。それに前々から思っていたけど、君とその人ってあくまで従業員とお客さんの関係なんだよね?そんな関係なのに店外でも会っているなんて周囲にバレたらそれこそ大問題じゃない?今迄言わなかったけどさ」
「それは……確かに誤解されるかも知れません。でも……」

僕は中々煮え切らない彼女の態度に、内心で苛立ちを覚えながらも何とか断るように話を持っていこうとする。
勿論、この苛立ちは彼女の事を愛してるからこそのものであって、彼女の事を嫌いになったという訳ではない。

「……私、分からないんです。あの人の事は、多分好きなんだと思います。だけど、その……人して好きって部分が大きくて……」
「そんな迷いのある気持ちじゃ相手には迷惑だよ。この際だからもう関わりを断つのが僕は相手にとっても君にとっても、良い選択だと思うけどな」
「……そうなのでしょうか。だけど、本当に凄く良い人なんです。その人を傷付ける事が良い選択なのか、私にはイマイチ分からなくて……」

……僕と話しているのにその男の肩ばかり持つの……止めてくれないかな。
あぁ、今日でようやく終わりに出来ると思ったのに……なんでこうも上手くいかないんだ。本当にその男を思いやる君の姿が腹立たしくて仕方がない。そんな事を君はしなくて良いんだ。さっさと「付き合えません、もう会えません」と告げれば全ては終わる事なのに。君は何を悩んでいるんだ。

「君が言えないのなら、僕が代わりに言ってあげようか?」
「それは……大丈夫です。自分で考えて……私の口から答えを出そうと思います」
「……君はその人の事が好きなの?」
「……多分、嫌いではないと思います」

嫌いではない、その言葉を聞いた途端に今まで我慢に我慢を重ねてきた感情が決壊したかのように僕の胸のなかに流れ込んでいく。あぁ、そうか。この後に及んで君は何処までも僕の心を弄ぶつもりなんだな。君の事が好きで好きで、大好きで仕方がない男が目の前にいるのに、他所の男からの告白の返事に悩むなんて、君は何時まで僕の愛に背くつもりなんだい?
もう、いい加減にしてくれよ。君が僕の恋心に気付いてくれるのを待つのにも我慢の限界があるんだ。それが、今上限値を超えた。

愛する女に触れたいという気持ちは男なら誰しもが抱く感情であろう。それを人は「欲」と名を付けて呼んでいる。そんな欲を僕はずっと我慢し続けていたんだ。愛してるからこそ、その肌に触れたい。だけど、大切にしたいからこそ乱暴な真似はしたくなかった。何処までも大事にしてあげたいし、君とはゆっくりと愛を育みたかったんだ。
だけど、待てど暮らせど君は一向に僕のこの愛に気付こうとはしてくれないし、なんならこの愛に背きかねないくらいに君自身の心は戸惑いに揺らいでいるのだ。その感情を間違えて愛だと認識しないように、僕が直々に君に本当の愛とやらを教えてあげる事に決めたのだ。

僕だってあまり手荒な真似はしたくないんだけどね。だけど、これは君への罰でもあり報いなんだよ。
さて、どうしようか……。僕の手持ちのポケモン達に手伝って貰って、君にさいみんじゅつを掛けて眠ってる間に事を済ますのもアリだけど……。やっぱり初めて触れるのだから君の反応もこの目に焼き付けたいなとも思うのであった。あぁ、考えただけで胸の奥底に押し留めていたどす黒い感情が僕の青い性を狂わせていく。

僕のこの重たい愛は次のステップへと歩み始めた。
近々、僕は彼女を確実に自分のものにする為の行為に及ぶだろう。僕に心を許している彼女の隙に付け入るのは実に容易な事だ。そう決断してしまえばなんだか今までずっと悩まされていた不快感も晴れていった。その代わりに産み付けられたのは、飽くなき欲求と身を焦がす程の狂おしい程の恋慕の焔だった。

「決行日は、月が綺麗な夜が良いな」


きっと彼女は僕の行いに涙を浮かべるだろう。だがそれすらも僕にとっては甘く滴る蜜に過ぎない。……あぁ、今からその日が愉しみで仕方がない。君を一度でも手に入れたら、僕は二度と離さ無い。何度も僕のものだって理解するまで教育してあげるからね。その身にも、心に。他の男に現を抜かす余裕なんて与えないくらいに、僕で君を満たしてあげる。

……なんだ、もっと早く行動に移していれば僕も君も思い悩みはしなかったのにね、等と思ったらくすくすと笑いが込み上げてきた。

早く、君に刻みつけたい。この僕の長年の想いを、愛を紡ぐ行為と共に。そして教えてあげるんだ。
待っているだけなら、この愛に出逢えなかっただろう、とね。




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