指先から君想う
「会う度に毎回思っているけど……君の爪って綺麗だよね」
そう言いながらマツバさんは尊いとされる紫色の瞳を細めながら私の指先を見つめた。きっと彼の視線を辿るに、最近変えたネイルの事を褒めて下さっているのだろう。
「ネイルの事ですよね?……ありがとうございます」
「あ、そうそう。その言葉が中々出てこなくてね。いつもキラキラしていて綺麗だなぁって思っていたんだよ。自分でやってるの?」
「自分でやる時もあれば、お店でやってもらう事もありますよ。今回はネイルサロンでやって頂きました」
「ふぅん、そうなんだ。もっと近くで見たいからちょっと触るね」
マツバさんはそう言って私の手に触れて、指先をまじまじと見つめる。
……なんだかそんなに見つめられると、例え瞳が重なっている訳じゃないのになんだか照れくさいような感情が芽生えて来てしまうのだった。
「……マツバさん。見すぎです」
「だって今回のも綺麗だからさ……。あ、指先だけじゃなくて君という存在自体が美しいと思ってるから」
「そんなお世辞を言うと誤解されますよ?」
「君に誤解されるなら本望だよ」
「ほら、またそうやって……。私が相手だから何事も起きない訳であり、世の女性達にはそんな台詞を軽々しく言ったら駄目ですよ?」
マツバさんと私は所謂幼馴染という関係だ。なので彼は良くこんな冗談を口にするも、私には通用しない。何故なら私達はあくまで親しい友人という間柄だからであるからだ。二人の中ではこういう言葉のやり取りは、ある意味定番のものになっていたので、今更浮かれたりはしない。マツバさんはただ単に褒めて下さると同時に、私をからかっているだけなのだ。
そんな事も出来てしまう程に、二人の仲は極めて友好である証なのだとマツバさんの言動を私は受け止め、認識している。
「……僕がこういう事を言うのは君にだけだよ?」
「はいはい、そろそろ手を返して下さいね」
「え、もうちょっと見つめていたかったのに」
「……見すぎってくらい見つめていたと思われますよ、マツバさん」
私がマツバさんの手を極めて軽く振りほどくと、マツバさんは物足りなさそうな表情を浮かべた。
「全然足りないよ。綺麗だからずっと眺めていたかったのに……」
「……そんなに仰るなら、マツバさんの指にも塗ってあげましょうか?」
ぶーぶーと文句を言うマツバさんに、私は小さく溜息を零しながら冗談のつもりで言葉を返した。男性も美容に興味を持つ方が増えているけど、マツバさんはきっとそうじゃないだろう。だから、「嫌だよ」なんて返すに決まっている。そう思っていたが、マツバさんは私の言葉を聞いて一瞬驚いた表情をした後、軽く微笑んで口を開いた。
「……君がやってくれるの?」
「……え、」
「だから、君が僕の爪にも彩りをくれるの?」
「え、えぇ……まぁ、マツバさんが望むならやっても良いですけど……」
「そっか、じゃあ……お願いしようかな」
「え!?……本気ですか?マツバさん。てっきり私は冗談のつもりだったんですけど……」
「僕はいつだって本気だよ?ちょうど今なら時間もあるし、やってよ。あ、君の家に行くよね?だって君がやってくれるんだもんね、その方が良いでしょ」
マツバさんはそう言いながら、にっこりと笑いながら私に手のひらを差し出す。
……彼の言葉の通り、マツバさんは本気である。
長年の付き合いでそれは分かったものの……、マツバさんがこういう事に興味を持ったのが聞いておいてなんだが、大層意外だった。とりあえず……マニキュアで良いよね……?
そんな事を考えながら私はマツバさんと共に我が家にへと向かうのであった。
◇
「……何色が良いですか?マツバさん」
「うーん、そうだなぁ。おまかせで」
「安易に考える事を放棄してはいけませんよ」
「じゃあ、君が思い描く僕らしい色でお願いしようかな?」
「……そう言われたら余計に難しくなったじゃないですか。ここは一旦シンプルに黒にしましょう」
そんなやり取りを交わした後、私はマツバさんの爪に黒いマニキュアを塗り始めていく。自分でやる分にはともかく、人様の爪を塗るのは初めてだったが、だからこそ失敗は許されない訳である。それは幾ら親しい間柄でもだ。いや、失敗したくないというのは、恐らくは私のプライドの問題だろう。私のミスでマツバさんに恥をかいて欲しくない、そんな思いが強く心から滲み出た。
という訳で、私は真剣にマツバさんの爪を黒く彩っていく。
一本一本、自分の指に塗るよりも、ムラなく……丁寧に。
そんな気合いを込めながら作業をしていたら、マニキュアを塗るだけなのに思った以上に時間が掛かってしまっていたようだった。全部の指のトップコートまでの工程が終わり、ひと段落しながら時計を見た私が目開くぐらいには、そりゃあもう。
時の流れの早い事やら。
「……すみません、思った以上に時間が掛かりすぎてしまって……」
「なんで謝るの?君が謝る事なんてないだろ?」
「いえいえ、お忙しい身の上なのに……申し訳ないです」
「全然平気だよ。……それよりも、君が色付けてくれた僕の指、君みたいにキラキラはしてないけど、なんだか良い感じだね」
「単色ですが……何となくゴーストタイプのエキスパートであるマツバさんらしさがあるんじゃないかなと、塗りながら思いました」
私の塗った爪を眺めながら、マツバさんは満足気な表情を浮かべてくれた。それがほのかに嬉しかったのは私の気の所為では無いだろう。
「今度はさぁ、君とお揃いにして欲しいな」
「お気に召してくれたのなら良いのですが、すぐまたそうやって冗談ばかり言うんですから……」
「えー、良いと思うけどな。君も今度は僕と同じ色にしてよ」
そう言いながら、マツバさんはご自分の指先を目を細めながら見つめるのだった。
◇
「どうこれ?あの子がやってくれたんだよ」
彼女と解散した後に、僕は傍にいたゲンガー達に自分の黒く彩られた爪を見せた。ゲンガー達は見慣れなさに一瞬驚いたものの、すぐさま上機嫌そうに笑ってくれた。
「君達のタイプがこの色っぽいんだって。確かにそうかもね」
僕の言葉を聞いて、彼らは更に喜び、各々で盛り上がる。
そんな様子を微笑ましげに見つめながら、僕は数時間前の自分を思い返す。真剣な彼女の凛とした瞳は、金糸のように美しかった。加えて整った顔立ちに陶器のような白い肌や、艶のある髪の毛までもを、あんなに近くで見つめる事が出来たなんて……とても夢のような一時だったなぁ、と噛み締める。
それに、彼女が指が僕の手に触れていたという事実が、今も尚愛しくて堪らない。僅かに重なった手の温もりを、今も僕の肌は記憶している。誰よりも愛しい彼女が、与えてくれた僕の爪先の宵闇は、月がなくともどんな夜よりも美しいに違いないだろう。
あの子は真剣だったから気付いて無かったけど……触れられている間、僕の心臓はずっと煩いくらいに高鳴っていた。その音と共に溢れるときめきという名の感情に、切なさが少しだけ混ざったあの想いは間違いなく「愛」なのだと僕は確信しているのだ。
「僕はいつだって、本気だよ……君の事に関してはね」
……いつだって分かっていた。なんか違うね、と。
彼女の思いと僕の想い、どちらも恐らくは互いの事を「好きだ」という感情なのだが、友好的なのは彼女の方だけ。
僕の方は友人とか、そんな枠じゃなくて……ずっと前から一人の女の子として彼女の事を意識しているんだけどなぁ。
出会った頃から精神的に……ずっと傍に居てくれたけど、それが仇となってあの子は僕の事を異性としての認識が薄いのだと僕は推測するに至る。全く、時という敵は僕には難敵でもあるのだ。
「……今度は本気でお揃いにしたいなぁ……」
自身の爪から彼女を感じる度に、この決して軽くは無い愛情は募っていく。
次なる願いを彼女が彩ってくれた爪先の闇に託して、僕は静かに自身の中に未だ眠る事の無い想いを燻らせていくのだった。
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