月闇の呪縛の糸
「……ねぇ、君は僕の恋人だよね?」
出会い頭、唐突にそう言いながらマツバさんは私の手首を掴んだ。
「……マツバさん?」
「こっちは聞いてるんだけど?先ずは質問に答えてくれない?」
「ええっと……、恋人です……よね?」
「なんで疑問系なの?そこは恋人です、で良いだろ?」
「マツバさんが問い掛けて来たから、つい釣られてしまいました」
デートの待ち合わせに着いた途端、開口一番こんなやり取りを交わした辺り今日のマツバさんは機嫌を損ねていた。
普段温厚な彼はあまりそんな一面を見せないのだが、どうやら今日はいつもと様子が違ったようだ。私の腕を掴む手には力が込められている。……そんな予定は無いが、振りほどく事が出来ない程にそれはそれはとても強い力であった。あと少し力を込められていたら、骨がミシミシと軋む音が小さな悲鳴のように辺りに響いてしまうだろう。
……とりあえず、今日はせっかくのデートなのだ。
マツバさんが不機嫌なままでは、楽しむ事も出来ないし、彼がどうしてご機嫌ナナメなのかも気になる。
もしかして私の知らない間に何か無礼でも働いてしまったのだろうか……?
心当たりは……正直、無い。
なーんも思い浮かばないのが私の正直な感想であった。
なのでマツバさんの憤りの原因は分からない。だが、分からないのに口先だけ謝罪しても彼は許してはくれないだろう。
私はマツバさんを見つめながら、素直に自分の気持ちを問う事にしてみる事に。
「……なんで怒っているんですか?マツバさん」
「……別に、怒ってないよ。ただ機嫌がちょっと悪いだけ」
「それを世間では怒っていると言うんですよ。……マツバさん、私が何かしましたか?もし、貴方に不愉快な思いをさせていたらそれを謝罪したいんですが……」
私が真っ直ぐに彼を見つめながらそう告げると、マツバさんは若干拗ねたような目で私をその紫の瞳に映しながら口を開いた。
「……だって、君が僕以外の他の男と楽しそうに話していたから……」
「……はい?」
「それに僕という存在がありながら他の男達とお酒を飲みにいくなんて……浮気に等しい行為とか思ってしまうよ」
「はいぃ?……マツバさん……そんな事で怒ってたんですか?」
「そんな事じゃないでしょ、重要な問題だよこれは」
マツバさんは至って真剣な面持ちで話を進めるが、私の方は思わず「そんな事で?」と脱力しそうになってしまった。
大体、マツバさんの言い方は周囲に大分誤解を与える発言だと思う。そもそも、彼の話の前提がおかしいのだ。
私は溜息を零しながらマツバさんに向かって言葉を放つ。
「……まさか、昨日の飲み会の件で怒っていらっしゃるのですか?」
「…………」
「マツバさん。私……事前に言いましたよね?昨日は仕事の同僚達との飲み会に行くって。しかも男女混合な上に、マツバさんがそれでも疑うから実際に皆で飲んでいる動画だって送ったのに……それを浮気だなんだと言うなんて……。それにマツバさんも行っても良いって仰ったじゃないですか?」
「……最初は良いよって言ったけど……やっぱり後からじわじわと嫌になったんだもん……」
私の言葉を聞いてもマツバさんは未だに拗ねたような表情を浮かべていた。
「だって、君はあまりお酒に強くないのに昨日は結構飲んでたじゃないか?」
「……まーた千里眼を使って飲み会の様子を視ていたんですね?ならマツバさんが機嫌を損ねるような不健全な飲み会じゃ無かったって事だってお分かりでしょう?」
「でも、下心がある人がいたらどうするのさ?それにあんなに飲んで酔っ払って無防備な可愛い姿を僕以外の男達に見せるなんて……そこまでは聞いてないよ。しかも、なんだか盛り上がって君と話してる男も居たよね?」
「……マツバさーん。貴方は昔から心配し過ぎなんですよ?確かに昨日はいつもより飲酒量は少し多かったかも知れませんが、それでも私はマツバさんが嫌がるから……一次会で解散してタクシーで家に帰りましたよね?それもご存知でしょう?」
「でも、僕以外の男と楽しそうになんて話して欲しくなかったよ」
「そんな事を言われたら私、マツバさん以外の男性と話せなくなりますけど?」
「実際はそうして欲しいけど」
「……幾らマツバさんの頼みでも、そんな事出来る訳が無いのは百も承知ですよね?」
「……だって、君は僕の恋人だし……僕だけの君なんだ。他の男の目にも映したくないし、声だって聞かせたくない。僕の世界を全部あげるから……だから君の世界も僕に頂戴よ?」
「マツバさんたら……、相変わらずなんですから。それなら二人で各々の世界を分かち合いたいです。それに……私がマツバさん以外の男性に心を奪われる事は無いですよ?」
「……うん、そうだね」
「信じて下さい。いつも私の一番は貴方ですよ、マツバさん」
私がそこまで言うと、マツバさんは渋々私の手首を離して、今度は無言で指を絡めて来た。
……どうやら、多少機嫌は良くなった様子だが、やれやれ……。
全くもってマツバさんは心配症かつ嫉妬深いお方だなと改めて感じ取るのだった。
◇
僕は誰よりも焦がれて大好きな存在がこの世にいるという事柄だけで満足出来るような、幼い子どもでは無い。自分で言うのもなんだがまだ青さが残る成人男性なのである。
そんな僕はとある女の子にずっと前から恋焦がれていて……。
その恋を、彼女を、長年追い求めてようやくそれが実を結んだのが最近の話だった。
長年の恋情が成就した。初めのうちは僕の心はそんな多幸感で潤沢に満たされていたと思う。
ようやく身も心も結ばれた。それだけで僕は幸せだったし、幸せで在り続ける筈だった。
……だけど、強く愛するという想いは、二人の心が通いあっても信じ合う事に僕は何処か臆病になってしまう節があり。
真の絆を確かめたくて、彼女に対して疑り深くなる自分が確かに存在しているのだった。
彼女の事を信じていない訳じゃない。彼女は長年僕の心を魅了し続けた素晴らしい存在だ。
だからこそ、誰にも渡したくない。
……一度でもこのマツバのものになったのだから尚更……そんな思いはどんどんと強く、そして高まっていく。
愛し合っている筈なのに、彼女の金色の月のように美しい瞳に自分が映る度に、どこか心の奥底でちくりと刺すような痛みが広がっていくのを感じる事がある。それは本当の意味でまだ二人が「ひとつになれない」もどかしさを僕が自覚しているからだろう。
僕は君の事を一心不乱に愛している。
だからこそ、委ねた愛の言葉の一欠片すらも届かないんじゃないかと思ったら、それが不安の種になってしまうんだ。
……薄々、彼女の事に関しては嫉妬深くて独占欲の強い男だと自負していたものの……まさかここまで強い感情になるとは。
僕だって初めのうちは、自身の心に戸惑ったものだよ。
まぁ、今はもう……慣れたけどね。慣れたからといって、僕の欲望は留まる事を知らない訳だけど。……だって、嫌なんだよ。
僕だけのものなのに、他人が君の声を聞くのも、その姿を瞳に宿すのも、接触を持つのも全てが腹立たしいよ、本音はね。
何度でも言うけど、君は僕だけのものなんだ。だから、僕がこう思ったって当然じゃないか?……なんて思ったりしてみたりするも、そう思うだけしか出来ない。
そんな僕の心に巣食う内なる願望は、現実世界を生きる彼女にとって到底叶える事は出来ない。むしろ僕の事を愛しているが、彼女は僕のこの頼みだけは叶えるつもりなんてサラサラないだろう。まぁ、当然と言えばそうかも知れないけどさぁ……。
……あぁ、こんなにモヤモヤして息苦しくなるなら、もういっそ僕の家に君を閉じ込めてしまえれば良いのに。
そんな仄暗い欲が脳裏にチラつくも、どうせ僕達はいずれは結婚するんだ。そうしたら、名実共に彼女は僕のものになる訳だし……そうなったら今よりももっと二人で過ごす時間は増える筈だ。
というか、夫婦になったのなら無理やりにでも増やすよ。
大切な事だからね、愛し合う二人の時間ってのはさ。
だから、もう少しだけ……我慢してあげようかな。
……でも、僕だって限界があるんだけどね……?
僕が我慢の限界を迎えたら……子どもでも作っちゃおうかな?
……なんてね。
そんな激しく燃え盛る愛という名の焔に身を焦がしながらも、彼女の素知らぬ所で……今日も僕は宵闇のような呪縛で彼女を出来るだけ縛り続けるのだった。
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