女心は難しい
今日は念願のマツバさんとカフェ巡りデートの日である。
そんな訳で私は前日からスキンケアに夜用パックやら美容液などを仕込んで気合十分に早めの就寝を決め込んだ。
そして、いつもより朝早く起きて身支度を始めていく。
……私の隣に寝ていた筈のマツバさんは修行に向かったのか、今は不在だった。
「マツバさんが戻ってくる前にメイクは済ませておかないとな……」
同棲している訳じゃないけど、マツバさんは交際を始めてからよく私の家に泊まるようになった。毎回「お泊まりデートだね」とご機嫌になるマツバさんはとても可愛い。
勿論、私も彼と一緒に過ごせるのはとても嬉しいと感じる。
……が、お泊まりとなると色々と気を遣う事が多くなる。
マツバさんの方は「ありのままの君が好きだよ」なんて言って下さるけど……、女心とは複雑なものなのだ。
付き合う以前に比べて、恋人同士になってから私はとにかく自分で出来る範囲のスキンケアやらメイクやらに力を入れていく事となるのだった。
元々、接客業なので気にはしていたし、そういう事が苦にはならないタイプではあると思うけど……。
マツバさんと付き合い始めてからは、すっぴんを見せて幻滅されたくないとか……いつでもマツバさんに少しでも良いから可愛く見られたいとか、そんな思いがどんどんと強くなっていった。
昨晩だって、お風呂の時間の際にマツバさんは頻りに「僕も一緒に入りたい」と言っていたけど、その申し出を断って一人で入浴して肌ケアやパックやらに専念したものだ。
その間洗面所及びお風呂場を出禁にされたマツバさんは、少し不満げだったけど女心も分かって下さいと言いくるめて何とか彼を宥めるたものだ。
今日も朝早く起きたのも、マツバさんが寝ているうちにスキンケア及びメイクを済ませてしまおうと思った計画だった。
だが、マツバさんはもう既に起床しているものの、今は不在である。
この好機を逃すまいと私は急いで身支度を始めるのだった。
「メイクしている姿はまだ見せたくないな。でも焦って失敗しても嫌だし……急いては事を仕損じますね」
「……君は化粧しなくても十分に可愛いけどなぁ?」
「そうは言ってもマツバさんの前で…………って、マツバさん!?い、いつの間に戻られたんですか……?」
「うーん、さっき。君が鏡に向かって独り言を呟いてたから、ただいまって言いそびれちゃった」
この人、足音も気配もなく私の背後に立っているんだけど……。さすがゴーストタイプのエキスパートだ。……いや、そんな呑気な事を考えている場合じゃない。私の今の姿はメイクをする為にヘアクリップで前髪を止めている、洒落っ気とは真逆のスタイルなのだ。しかも、正真正銘のすっぴんである。少なくとも恋人には見られたくない姿であるのだ。
「……マツバさん、とりあえず私のメイクが終わるまで別室に行ってて貰えませんか?」
「え、普通に嫌だけど」
「……すっぴんを見せたくない女心も分かってください」
「でも、寝る時は化粧してないじゃないか?なら、今僕が見てても何も変わらないよね?」
「……正確にはすっぴんというか……メイクの最中を貴方に見られるのは抵抗があります」
「なんでぇ?僕としては可愛い子が更に可愛くなっていく姿に興味しかないけど?」
「……マツバさんって以外に女心には疎いんですね」
「まぁ、修行ばかりしていたから、そういう分野はまだ勉強中なんだよ。あ、君は可愛いけど美人でもあるから、可愛い子が綺麗になっていく過程を間近で見たいって方が正しいのかもね」
「…………」
私が幾らマツバさんをこの場から引き離そうとしても、彼は私の隣にドカッと座り込んでそこ動こうとしない。
普段は穏やかなマツバさんだが、彼は結構頑固な一面があると常々私は感じている。
譲りたくない事は、絶対に譲らない……それは私が相手でもだ。
……まぁ、マツバさんのお願いなら大体の事は聞いてしまうし、そんな無茶な頼みを言う人では無いけども……。
そんな訳でこうなってしまったマツバさんをこの場から退けさせるのは、不可能だと私は推測する。押し問答をしても無駄に時間を浪費していくだけなので私はほんの僅かに溜息を零した後、メイクに専念する事にした。
私がメイクをしている姿を、マツバさんは隣でご機嫌そうに見つめ続けていた。そんな彼は何だか同時に嬉しそうな笑みも浮かべているような気がしたが、それは私の気の所為だろうか。
暫し無言の空間が二人を包むも、マツバさんの方が上機嫌なので空気は不穏なものでは無かった。とりあえずテキパキとこなしたお陰か顔面の塗装は早めに終わったので、隣のマツバさんに視線を向けてみれば彼はニコニコと未だにご機嫌な様子だった。
「……あ、終わったの?いつもの君だー。」
「……終わりましたけど、なんでマツバさんはそんなに嬉しそうなんですか?」
「だって、好きな子が間近でどんどん綺麗になっていく姿を見られるなんて恋人の特権でしょ?そう思ったら頬も緩んじゃうよね」
「……もう、マツバさんたら……。朝から褒めすぎです。……褒めても何も出ませんからね?」
「僕はただ単に事実を述べただけだよ?でも、女の子の……というか君の化粧している姿は実に新鮮で良い光景だったなぁ」
そう言いながらメイクを終えた私をマツバさんは抱き締めた。
何も朝からくっつかなくても……なんて思いつつも、上機嫌なマツバさんに抱き締められるのはこちらだって嫌な訳じゃない。
そんな私の耳元でマツバさんは囁くように言葉を告げる。
「……大体、君と僕は恋人になる前からの付き合いも長いんだから、今更どんな姿を見せても恥ずかしがる事無くない?」
「……好きな人にだからこそ、恥じらいという気持ちもあるんですよ、マツバさん……」
「それはつまり……僕の前では常に可愛い姿を見せたいって事かな?……その発想の時点で既に可愛い過ぎるんだけど?」
「…………千里眼って女心まで視れるんですか?」
「それは想像にお任せするよ。……でもね、僕は女心は勉強中だけど、君だって男心をもっと知っといた方が良いと思うよ?」
「……へ?」
そこまで言うとマツバさんは、照れくさそうに微笑みながら言葉を続けた。
「……少なくとも、自分の為に可愛く見せたいって思う気持ちが既に僕は愛しくて仕方がないよ。そうだなぁ……君は僕の為に色々と頑張ってくれているってその事実だけで可愛いなって思う。あと普段なら他人には見せない君の特別な部分も僕は見れるんだって思うと、恋人の特権だって感じるし……その度に僕は君の事を益々好きになっていくんだよ」
「……マツバさん……」
「男って案外単純だからね。……単純だし、まだ朝だけど君と愛し合いたくなっちゃったって……言ったらどうする?」
「……そこは我慢してください。折角メイクをしたのにもう崩すつもりですか?」
「だってさー、昨日はお風呂も一緒に入れなかったし、夜もお預けだったし……その分、僕は我慢を強いられた訳だよ?」
「なら夜まで我慢して下さい。今日はカフェ巡りの約束でしょう?」
「……言ったね?なら夜まで我慢するけど……今日は寝かせないから。約束だし言質とったから」
あ、これ本気の台詞だ。……マツバさん、こう見えて修験者だし、その修行の賜物なのか結構体力があるから、そんな彼に付き合う私はいつも翌朝ベッドから起き上がるのに一苦労する程に……夜は激しかったりするのだ。
先述した通り、マツバさんは頑固な一面がある。
特にこう言った事に関しては頑として譲らないし、なんやかんやである意味での主導権は彼なのであると私は理解しているのだ。
何故、メイクの話からスイッチが入ってしまったのかは分からないが……とりあえず、今晩の覚悟は決めておこうと思う。
「……分かりました。なら夜に備えて、カフェで美味しいものを沢山食べましょうね」
マツバさんにそう言葉を掛けると、彼はこれまた嬉しそうに笑うのであった。
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