不安定
私はあの人の事が好きで好きで……大好きで仕方がなかった筈なのに……。
一体いつから私はその感情の中に、恐れにも近いものを生み出してしまったのだろうか。
その答えは、未だに分からない。
いや……正確に言うと、その感情の全貌を理解してしまうのが怖かったんだと思っている自分がいるのが、正しいとも言えよう。
「……ここに居たんだね」
ぼんやりと窓から朝焼けを眺めていた私は油断しきっていたからか、腕を回された瞬間に無意識のうちに力が入ってしまっていたようで、身体が瞬時に強ばってしまった。
そんな私に対して私を抱き締めた背後の存在は、極めて優しい声色で口を開いていく。
「ふと目を覚ましたら、君が隣にいなかったからさー。……探しちゃった」
「……あ、あの、すみません……マツバさん」
「謝る事なんて無いよ?……ただ、僕が寂しくなっちゃっただけ」
彼はそう言いながら私に腰に回していた腕にぎゅっと力を込めていく。それはまるで私の事を二度と離さないとでも言わんばかりに……そう感じてしまうのは私の気の所為では無いと思う。
マツバさんとは恋人同士になる前からも、長い付き合いがあったのだ。
所謂、友人関係だった私達が今は恋人という形に変化しても、日常はさほど大きく変わる事は無いとその時は思っていた。
だけど、実際にマツバさんが友人から恋人になってから、私は彼の私に対する強い執着というか……激しい独占欲のようなものを思い知らされる事となっていく。
マツバさんは、温厚で優しい人だ。そんな彼の人柄は私が惹かれた一面でもある。しかし、彼は優しげな眼差し中に宿る焔のような熱い激情を持っていた。それは主に私に対して向けられるものである。マツバさんの私への愛は、深くて……重いものだった。
彼はとにかく私の事を第一に考え、ただ只管に傍に居たいと願い続けているような人だ。そういった気持ちが伝わると、こんな私でも大事に想ってくれているんだと純粋に嬉しいと感じた。
……付き合いたての頃、抱く感情は恐らくそれだけだったと思う。
……だけど、交際を重ねるに連れて、マツバさんはどんどんと私に依存するかのような言動を取るようになっていった。
具体例を上げるとするならば、彼は私が異性と交流する事を毛嫌いしている節があると思う。
口癖のように「僕以外の男と接しないでよ」と言うマツバさんを何度宥めた事か、もはや覚えていないくらいだ。
自分以外の男性と関わって欲しくないというマツバさんの気持ちが理解できない訳じゃない。
誰だって恋人が必要以上に異性にへと馴れ馴れしくしていたら、嫌だと感じるだろう。
だけど、マツバさんの思いはそんな軽いものでは無いのだった。恐らくというか……いや、マツバさんは本気で……自分以外の男性と私が接する事を禁じたいのだろう。それはあらゆる日常生活においてなのだ。
正直、そんな事……出来る訳が無い。マツバさん本人だってそれは分かっているだろう。口論とまではいかないものの……、はっきり出来ないと告げた時にいつも見せている和かな笑みは消え失せて、彼は真顔になるのだが……。
その時に見せる空虚な瞳に見つめられると、何だか応えられない自分が全て悪いと言われているような……そんな後ろめたすらも感じてしまう事もある。
それに加えてマツバさんは常に私の動向を視ている。
そう、彼は千里眼を使って四六時中と言っても過言では無い程に、私の事を見つめ続けているのだ。
彼の世界にはまるで私しかいないみたいに……マツバさんは私に強い感情を抱いていると感じられる。
私の本音を言うと、マツバさんとの交際は友人だった頃と変わらない穏やかな時間を共有していくもの……という感覚だった。
だから、彼がこんなにも激しい感情を私に抱いていたなんて……知らなかった。どうやら私は人よりもそう言った……所謂恋愛という観念に関してとても鈍い人間らしい。
マツバさんには「そんな所も可愛いけど、もっと早く僕の想いに気付いて欲しかったな」と苦笑されたぐらいだった。
そう言われてしまうぐらいに、私は鈍感な面がある。
そんなヤドンにも負けず劣らずな私にでも分かるぐらいに、付き合い始めてからの私に対するマツバさんの激情は凄まじいものだった。
マツバさんの私への愛は確かだと思うし、私だって彼の事を愛している。
その想いに間違いはない。
……だけど、たまにふと考えてしまう事があるのだ。
私とマツバさん、互いに愛し合っている筈なのに、何だか同じ気持ちではないような……まるですれ違っているかのようなそんな感覚に陥る時が確かにある。
これはマツバさん本人には口が裂けても言えない事だけど……ごめんなさい、マツバさん。私は貴方に愛されて嬉しいと思う気持ちと同時に、何処かで貴方からの愛を恐れてしまう感情が密かに心の奥底で見え隠れしているのです……。
それは貴方が、あまりにも私しか見えていないから。
ふと、怖くなるんです……私に依存し、私の事しか考えていないように振る舞うマツバさんの愛の深さ、そしてその重さに……貴方が正気を失ってしまったんじゃないかと。
そして、私まで貴方に狂わされてしまうのでは無いかと……そんな畏怖にも似た感情を抱いてしまう私はもう既に何処かおかしくなっているのかも知れない。
……本来なら愛とは、何処までも穢れなく純粋な感情だと私は思っていた。そんな愛の延長で恋人同士が肌を重ねるのは、何もおかしい話ではない。だけど、どれだけ私がマツバさんに愛を注いでもまるで穴の空いた器のように直ぐに流れてしまって……満たされないとでも言うかのように、マツバさんは強く私を求めるのだ。他のカップルのこういう事情はよく分からないけど……、マツバさんと共に夜を過ごす度に、彼は私を必ずと言っていい程に私を抱く。その頻度が……個人的に多いと思うのは、私だけがそう感じるのだろうか。
むしろ、そういう事をしない日があると、マツバさんは何となく虚しそうというか……やはり何か物足りなさそうな表情を浮かべてしまうのだが……、それも何だか責められているみたいで、何となく心の重荷にへとなってしまう。
彼は頻りに「愛してるよ」と告げてくれる。それも惜しみなく、溢れんばかりの想いを込めてだ…。
その言葉を受け止める度に、凄く嬉しくて私もまた彼を愛しているって感情がとめどなく湧き上がっていく。
だけど……もしも、私にその気は無くても……マツバさんからの愛に背く事を仕出かしてしまったら?私の愛し方では彼を満足させる事が出来なかったら?……その時マツバさんは一体、私に対してどんな行動を取るのだろうか……。
勿論、マツバさんの気持ちを無碍にするような行動や言動を取るつもりは全くない。
だが、すれ違っているかも知れない愛の行く末を考えると……ほんの少しだけひらひらと憂鬱が脳裏に舞っていく。
「……何だかまた考え込んでない?」
「え、そんな事は……」
「あはは、僕には隠し事は出来ない。……君の事は何でもお見通しだよ。……なんてね?冗談だよ、冗談」
マツバさんは私の耳元で囁くように笑っていたが、彼の言葉に思わず背筋に冷たい汗が流れ、胸の内は静かにだが、確実に騒めき始めた。
マツバさんの事は大好きだ。愛している。この言葉に嘘偽りは無い。だけど……自分で抱いて起きながら「誠の愛」ってものがよく分からない。だけど、どうか二人の未来が幸福なものでありますように……それだけを今は強く願うのであった。
◇
幾ら鈍い彼女だって、流石にここまで縛れば僕からの愛の深さに気付いたか。ここまで来るのに中々時間が掛かったけど、とりあえず現状において一先ず満足はしている。
初めは簡単に触れる事さえ出来なかった長年の恋心が、成就した時……僕は本当に心の底から歓喜に震えたものだ。
しかし、人間というものは実に欲深いものだと、彼女を手に入れてからも己の胸の奥に密かに棲みついていた欲望と言う名前の化け物が目を覚ましてしまったようだった。
一方的に恋焦がれていた時は、彼女に軽く触れるだけで幸せだった。だけど、今はそれだけじゃ全然物足りないと感じてしまうのだ。そんな僕達は恋人同士になってから、わりと直ぐに身体を重ねたけど、それも僕からの強い要望に彼女が折れた結果によるものだった。
彼女がもっとゆっくりと愛を育みたかったのは、分かっていた。だけど、僕の方が、僕の中に巣食う化け物が我慢出来なかったんだ。じゃあ、身も心も彼女を手に入れてようやく満足したか?と問われても、この飽くなき欲求が底尽きる事は無かった。それと同時に、僕の中にずっと燻っていた独占欲やら彼女への執着も今か今かと顔を見せ始めていく。
彼女には僕以外の男となんて接して欲しくない。
これは冗談ではなく本音である。まぁ、そんな事が今の現状では無理だって事ぐらい分かっているけどさ。
だけど言わずには居られないのが、僕の性なのだ。
それに……将来的には僕と彼女は夫婦になる二人なのでもある 。僕としては今直ぐに結婚して彼女を嫁として迎え入れても構わないのだが……彼女の方は流石に早すぎるとこの話に難色を見せる。
なんと言うか、拒絶では無いものの……いつも結婚の話題を出すと彼女は困ったように笑うばかりなのだった。
愛しい彼女を困らせてしまうような愛が、正しいのかと問う人がいるかも知れない。だけど、僕の彼女に対する愛情だけは絶対的なものだと断言出来る。彼女という存在をこの世で一番幸せにするのは、マツバという男だけなのだ。
その為に、僕は生まれて来たんだとすら思っている。
こんなに強い感情が愛じゃなければ、一体何だと言うんだ?
他に答えがあるのなら、どうか教えて欲しいものだ。
……どうせ、皆、答えられないくせに。
……僕の想いの強さを、どこか怖がっている彼女が居る事も僕はずっと前から気付いていた。だけど、そんな風に僕に対して怯える彼女も最高に可愛いって思ってしまう訳であり。
これも愛のなせる技だろ?
あぁ、もう。さっきも目を覚ましたら僕の隣に彼女が居ないから慌てて探しちゃったよね。だって一時も離れたくないんだもん。
君もよく分かってないみたいだけど、正直……僕だって誠の愛なんてものは分からないよ。
だけど、どれだけすれ違っても……君は僕のものである事は変わりないのだ。例え君の思う愛と、僕の愛が違ったとしても……一度でも僕のものになった君を僕は絶対に逃がしはしないから。いや、僕の恋心が実らずでも、僕は君の事を諦めるなんて真似は考えた事なんて無かったけどね。
こんな愛し方しか出来ない僕を、愛する選択をしたのも君なんだ。
責任は、最後まで取ってね?
さぁ、思い悩み疲れたその身体を僕の胸に預けて。
温めようじゃないか、僕の腕の中で。
……もう何処にも、行かせない。
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