王太女と騎士団長の小物語

 新緑が鮮やかになったアストリア王国の城下街を、足取り軽く進む少女。
 ローズブロンドを耳の高さでふたつに結い、簡素な淡緑色のワンピースに白いタブリエを着けた可憐な令嬢の正体は、王太女リゼットだ。午睡の時間を使って、お忍びの最中である。
 昼下がりの広場は、屋台や大道芸で賑わっていた。辺りを見回していたリゼットは、近くにいた花売りの少女に声を掛ける。
「あの、ミュゲはありますか?」
 簡素な格好をしていても貴族の令嬢とわかってしまうリゼットに声を掛けられ、花売りの少女は驚いた顔をしたがすぐに笑顔で対応する。
「はい、もちろん! 今が旬ですから」

 広場の中央にある噴水の縁に、リゼットは腰掛けた。膝に乗せたバスケットには、ミュゲの花束。
 城の庭にもミュゲは咲いているが、全体に毒があるので触らないようにと言われている。口に入れなければ問題はないらしいが。
 爽やかな風に乗って、ミュゲの香りがする。
「……何で素敵な風習をなくしてしまったのかしら?」
「どんな風習ですか?」
 独り言のはずが、聞き慣れた声が返ってきた。
 紅茶色の髪に顔の上半分を仮面で隠し、細身の長身にペリースを掛けた青年。王立騎士団団長であり王太女の護衛騎士でもあるシラスだ。
「シラス君、視察のお仕事は終わりましたの?」
 お忍び中に見つかるのは、いつものことだ。リゼットは慌てることなく愛らしい笑顔を見せた。
「ええ」 
「お疲れさま。少し休憩してから帰りましょう」
 シラスはリゼットに促されて、隣に座った。
「リゼット様、先程仰った風習とは?」
 シラスが思い出したよう聞いた。 
「うふふ、これですわ」
 リゼットはミュゲを一輪取ると、シラスに渡した。
「ミュゲ……ですね」
 毒に詳しいシラスは、ミュゲも知っている。しかし、この花と風習がどう結びつくのか不思議そうにしている。
「今日はミュゲの日で、贈られた人は幸せが訪れるといわれてますの」
 昔の国王が少年だった頃、静養で訪れた地で幸せを運ぶ花としてミュゲを贈られた。彼はとても喜び、成人してから宮廷の女官たちにミュゲを贈るようになった。それが約百年前の今日の日付だった。何代かは続いていたが、時代の流れで消えてしまったようだ。
 先日、図書室で見つけた古い文献の話をリゼットはシラスに聞かせた。
「確かに素敵な風習ですね」
「でしょ! ミュゲの花言葉も幸せの再来とか喜びとか、贈り物にぴったりなのですわ」
 シラスはミュゲの花束を見つめる。毒の強さから物騒なイメージがあったが、こうして見ると白くて小さな花は可憐だ。
「……リゼット様みたいだ」
 シラスがぽつりと言ったのを、リゼットはしっかり聞いていた。
「ん? 毒があるということかしら?」
「可愛らしくて幸せを運んでくれるところですよ……ありがとうございます」
 普段は寡黙なシラスの褒め言葉に、リゼットは頬を染めたあと花のように笑った。
「──幸せが訪れますように」
 
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