恋と恐怖は表裏一体(?)
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体に伝わる振動に、私は目を覚ました。周りはやけに暗い。
「……うぅ」
「やっとお目覚めか?」
「ひぇ!」
すぐ近くから聞こえた声に驚く。
どうやらここは車の中らしい。左隣には銀髪のお兄さんがいてハンドルを握っていた。運転席と助手席の位置の違和感がすごかったが、回らない頭では外車だからという答えにたどり着くことが出来ない。
窓の外は街灯しか見えず、その暗さが今が夕方ではなく夜なのだと教えてくれた。
この車はどこへむかっているのだろう。が、とりあえず思い当たった可能性に私はざあっと青ざめた。
「……あの」
「何だ」
善は急げだ、と勇気を持って息を吸った。聞きたいことは山ほどあるが、早急にこれだけは伝えなければいけない。膝の上でぎゅっと両手を握りしめた。
「……海に沈めるのなら、先に息の根を止めるか意識を失わせてからにして頂けると助かります……」
隣を見ることも出来ずに、膝に向かって言葉を発してしまった。しかしそれでもわかる、きっと彼は呆れた表情でいるんだろう。これからバラすつもりの相手が自ら死に方を指定してきたのだから。でも意識があるのに海に沈められでもしたら苦しくて仕方ないだろうし、どうせ死ぬなら一瞬で死にたい。それくらいの願いくらい叶えてくれてもいいでしょうという思いを込めて視線を向ければ、彼は静かに肩を震わせていた。
いや、なにわろてんねん。
時々誤魔化しきれていない笑い声が漏れ聞こえてしまっていることに彼は気づいていないようだ。
「安心しろ、お前の家に送るだけだ…っ」
「そ、そうでしたか、すみません…」
「それとも、そんなに行きたいのなら今からでも海へ向かうか?」
「心の底から遠慮させていただきます……」
「ククッ……」
漫才のようなやり取りを終えると、見計らったかのようにピロンとメールを受信したことを伝える音が胸元から聞こえた。携帯を取りだし、一応隣をちらりと見たが彼は興味無さそうに前を向いたままだったのでそのままメールを確認した。烏末さんからだった。
『ジンが怖がらせて悪かったね。
どうやら色々と遅かったようだ。
まあ気に入られているみたいだから、機嫌を損ねなければきっと悪いことは起きないはずだし、釘は刺しておいたから一応安心してくれていい。私との条件は、彼やベルに関しては気にせずにしててくれて構わないよ。それより下手に彼らに逆らったりしないようにね、命が惜しければ。
じゃあ、Goodluck!
烏末』
「そんな軽いことある……?」
こんなにも「きっと」と「一応」という単語が怖いと思ったことがあろうか、いやない。
こちとら拳銃向けられましたけど……?
まあとにかく私のまずい状況はさほど変化することなく続いているらしい。隠すこともせず大きな溜息をついた私を見て、彼がふんと鼻を鳴らした。
「奴を助けたのが、運の尽きだったな」
「……まあ、よくわかんないままあれよあれよと事が進んでいたので、助けたっていう感覚もあまりないんですけどね……気付いたらこんなことに」
「あの男はそういう奴だ、全てわかった上で手のひらで転がしてくる。今更だが奴以上に気をつけるべきはない。覚えておくんだな」
道端で倒れている影を見つけた辺りで教えて欲しかった、とは言わなかった自分を褒めて欲しい。
会話が途切れて、車と車がすれ違う音だけが聞こえる。
普通に会話を続けることが出来ているように見えて、実はまだまだ恐怖に震えている。むしろ、まだ会話している時の方がましだったりする。だって1時間前くらいにあんな経験をしたのだ、そして件の男がすぐ側にいて車という密室空間で2人きり。恐れるなという方が無理というものだろう。あんな始まりじゃなければ、こんな状況、私は鼻息荒くして楽しんでいたに違いないのに。
何とか(機嫌を損ねなそうな)話題を選んで口を開いた。
「えっと……すみません、名前ってジンさんで合ってますか?」
「ああ」
「あの、私あの時の記憶がとにかく曖昧で……。ちょっとだけでいいので説明頂ければと……」
ジンさんが息を吐いてゆっくりブレーキを踏んだ。前を見れば信号は赤だった。
「お前は気付かなかったようだが、お前が電話に出る少し前から俺はあのフロアにいた」
「嘘ぉ……」
「まあ気配を消していたがな……それから銃を突きつけてから、お前が気絶するまでは早かったな。俺と奴の会話なんざ何一つ覚えてねぇんだろ」
「……はい」
正直どの辺から意識を失ったのかも全く覚えていない。
「まあいい……奴に許可を取っていただけだからな」
「許可……ですか?」
「ああ」
まさかベル姉と同じように私と話していい許可だろうかと考えつくが、ジンさんがどこか楽しそうに放った言葉にそれはないと首を振った。
「子猫を飼っていいか、許可をな」
「こんな(ブラックそうな)会社で猫を飼うんですか……?」
まあでも動物を飼うのに善人も悪人も関係ないか……と一人納得をした。
すると、ジンさんが視線だけこちらに投げてふっと笑った。何故か身震いをしてしまい、首ごとひねって視線を逸らした。しばらく解していない首からはパキリと小気味良い音が鳴った。地味に痛い。
絶対に今は目を合わせてはいけない、そんな気がしたのだ、なんでだか分からないけど。
「嫌でもわかるさ、そのうちにな……」
「はぁ……」
含みのある言葉の意味に私は気付くことも無く、そのまま2度目の静寂が場を支配した。
震えの止まらない手に気づかれないように、両手の指をぎゅっと組ませる。そのまま視線を彷徨わせていると、夜だからだろう、右の窓ガラスが鏡のように自分とジンさんを写していたのが見えた。それ越しにジンさんをじっと眺めてみた。直視するのが怖くて、あれから一度も目を合わせていない。これなら窓の外を眺めているだけに見えるはず、と今度こそ遠慮なくジンさんを観察した。
(……やっぱり、綺麗)
街灯が過ぎる度にその光を反射して銀色が闇に浮かぶ。彼の表情は、暗闇と帽子のせいであまり読めないが、灰緑の瞳だけは窓に写されたものだとしてもはっきりと認識出来る。でもその瞳に温度はない。
人を近づかせないオーラを纏っていて、風貌全てがどこか現実離れしている。ジンさんを眺めてた日は数える程しかないし、殆どが今日のあのやり取りから来たものだが、私から見たジンさんはそういう人だった。
ドクドクと音を立てて動き続ける心臓に驚く。その大きな鼓動が聞こえていないか心配になるほどだった。
気付いてしまった、私が何故ずっと彼の姿を目に焼き付けようとしていたか。恋をしていたか。
結局それは恋なんて優しい感情じゃない、初めから「恐怖」だったのだ。目に焼き付けようとしていたんじゃない、目を離せなかったのだ。一瞬でも逸らすなと、その本能のままに。それをあろうことか私は恋なんて勘違いをしていたんだろう。
(きっと、この人は本当に危ない人だ)
それがわかっていて、でもやっぱり目が離せない。ずっと見ていたいような、そんな気持ちに駆られてしまう。それがどれだけ危険なことなのか、いかに自分の首を絞める行為なのか。頭では理解出来ていても体が追いつかない。逃げ出したくなるような気持ちと、見ていたい気持ちがせめぎ合ってどうしたらいいか分からなくて動けない。
現に今窓ガラスから、いやそこに写るジンさんの姿から目が離せないのだから困ってしまう。そのせいで、窓の反射越しに私を見たジンさんの瞳とぶつかってしまい慌てて体を戻して下を向いた。気付かれていたのならこんなに恥ずかしいことは無い。
そんな挙動不審な私を見て、ジンさんが笑みをこぼしていたことを私は知る由もなかった。
-------------------
車が止まり、無言で顎をしゃくられ降りればそこはちゃんと今は亡き両親と過ごしていた紛うことなき実家で、心底ほっとした。
律儀にジンさんは玄関まで送ってくれた。
「あ、あの、ありがとうございました……」
じゃあ、と言って背中を向けようとしたその時、最後の会話から一言も発さなかったジンさんに呼び止められた。
「おい」
「っ、はい、何でしょう……」
「何故こちらを見ない」
「えっ……あぅっ!?」
片手でぐいと顎をすくわれ、突然のことによろけた私は背中をドアに思いきしぶつけてしまう。背中と顎どちらも痛くて、そしてジンさんの行動がよく分からなくて思わず目をぎゅっと閉じてしまった。不機嫌だ、今ジンさん絶対不機嫌だ、損ねるなって言われてたのに!
「あんなに物欲しそうな目で見つめておいて、今更どうした?」
「物欲し……はい!?」
予想もしていなかった台詞に思わず目を開いて返事してしまった。
眼前に広がる凶悪な笑みにこれはまずいと逸らそうとするが、ジンさんの手がそれを許さなかった。
「寄越せ……てめぇのその恐怖を孕みながら期待を隠しきれねぇ視線は心地がいいからなァ……?」
そう言ってジンさんは無理矢理私と視線を交わらせた。ひゅっと、息を飲んだ。
ジンさんの瞳いっぱいに写った私の顔は、驚きと恐怖、そして、
確かに期待に染まっていた。
「あぁ、それでいい」
途端動かなくなる体に、私は軽くパニックになったがそれすらも面白そうに見下ろすジンさんが今はただ恐ろしかった。
顎にかけられていた指が外れ、代わりに幼子にするような口付けが頬に落ちた。
「ちゃんと覚えておけよ……飼い主は俺だ」
ゆらりと私から離れ、そのままジンさんは車に向かっていった。途中で振り向いて、確かめるように言った。
「次は来週だったな?」
シフトのことだと気付くまで数秒かかった。私は小さく頷くことしか出来なかった。
運転席に乗り込んだジンさんがその窓を開ける。
「じゃあな、悠芽――」
紡がれたのは、私の名前だった。
鍵は閉めろよというありがたい言葉を残して、ジンさんは去っていった。
その車のエンジン音も聞こえなくなって、私が玄関のドアを開けることが出来たのはそれから5分くらい経った後だった。
言いつけ通り鍵を閉めて、荷物を置いて。
緊張の糸が切れた私の体はずるずるとドアを伝って崩れ落ちた。
何故私の名前を知っていたかとか、家を知っていたかとか、何故私のシフトを把握してるのかとか、ジンさんとにかくやばい人だったなとか、考えなきゃいけないことは山ほどあったのだが。
もうとっくのとうにキャパオーバーを迎えていた頭は、限界状態の中たった一言だけ紡ぎ出すことが出来た。
「かっこよ……」
もう一度言う。私は限界だったのだ。
「……うぅ」
「やっとお目覚めか?」
「ひぇ!」
すぐ近くから聞こえた声に驚く。
どうやらここは車の中らしい。左隣には銀髪のお兄さんがいてハンドルを握っていた。運転席と助手席の位置の違和感がすごかったが、回らない頭では外車だからという答えにたどり着くことが出来ない。
窓の外は街灯しか見えず、その暗さが今が夕方ではなく夜なのだと教えてくれた。
この車はどこへむかっているのだろう。が、とりあえず思い当たった可能性に私はざあっと青ざめた。
「……あの」
「何だ」
善は急げだ、と勇気を持って息を吸った。聞きたいことは山ほどあるが、早急にこれだけは伝えなければいけない。膝の上でぎゅっと両手を握りしめた。
「……海に沈めるのなら、先に息の根を止めるか意識を失わせてからにして頂けると助かります……」
隣を見ることも出来ずに、膝に向かって言葉を発してしまった。しかしそれでもわかる、きっと彼は呆れた表情でいるんだろう。これからバラすつもりの相手が自ら死に方を指定してきたのだから。でも意識があるのに海に沈められでもしたら苦しくて仕方ないだろうし、どうせ死ぬなら一瞬で死にたい。それくらいの願いくらい叶えてくれてもいいでしょうという思いを込めて視線を向ければ、彼は静かに肩を震わせていた。
いや、なにわろてんねん。
時々誤魔化しきれていない笑い声が漏れ聞こえてしまっていることに彼は気づいていないようだ。
「安心しろ、お前の家に送るだけだ…っ」
「そ、そうでしたか、すみません…」
「それとも、そんなに行きたいのなら今からでも海へ向かうか?」
「心の底から遠慮させていただきます……」
「ククッ……」
漫才のようなやり取りを終えると、見計らったかのようにピロンとメールを受信したことを伝える音が胸元から聞こえた。携帯を取りだし、一応隣をちらりと見たが彼は興味無さそうに前を向いたままだったのでそのままメールを確認した。烏末さんからだった。
『ジンが怖がらせて悪かったね。
どうやら色々と遅かったようだ。
まあ気に入られているみたいだから、機嫌を損ねなければきっと悪いことは起きないはずだし、釘は刺しておいたから一応安心してくれていい。私との条件は、彼やベルに関しては気にせずにしててくれて構わないよ。それより下手に彼らに逆らったりしないようにね、命が惜しければ。
じゃあ、Goodluck!
烏末』
「そんな軽いことある……?」
こんなにも「きっと」と「一応」という単語が怖いと思ったことがあろうか、いやない。
こちとら拳銃向けられましたけど……?
まあとにかく私のまずい状況はさほど変化することなく続いているらしい。隠すこともせず大きな溜息をついた私を見て、彼がふんと鼻を鳴らした。
「奴を助けたのが、運の尽きだったな」
「……まあ、よくわかんないままあれよあれよと事が進んでいたので、助けたっていう感覚もあまりないんですけどね……気付いたらこんなことに」
「あの男はそういう奴だ、全てわかった上で手のひらで転がしてくる。今更だが奴以上に気をつけるべきはない。覚えておくんだな」
道端で倒れている影を見つけた辺りで教えて欲しかった、とは言わなかった自分を褒めて欲しい。
会話が途切れて、車と車がすれ違う音だけが聞こえる。
普通に会話を続けることが出来ているように見えて、実はまだまだ恐怖に震えている。むしろ、まだ会話している時の方がましだったりする。だって1時間前くらいにあんな経験をしたのだ、そして件の男がすぐ側にいて車という密室空間で2人きり。恐れるなという方が無理というものだろう。あんな始まりじゃなければ、こんな状況、私は鼻息荒くして楽しんでいたに違いないのに。
何とか(機嫌を損ねなそうな)話題を選んで口を開いた。
「えっと……すみません、名前ってジンさんで合ってますか?」
「ああ」
「あの、私あの時の記憶がとにかく曖昧で……。ちょっとだけでいいので説明頂ければと……」
ジンさんが息を吐いてゆっくりブレーキを踏んだ。前を見れば信号は赤だった。
「お前は気付かなかったようだが、お前が電話に出る少し前から俺はあのフロアにいた」
「嘘ぉ……」
「まあ気配を消していたがな……それから銃を突きつけてから、お前が気絶するまでは早かったな。俺と奴の会話なんざ何一つ覚えてねぇんだろ」
「……はい」
正直どの辺から意識を失ったのかも全く覚えていない。
「まあいい……奴に許可を取っていただけだからな」
「許可……ですか?」
「ああ」
まさかベル姉と同じように私と話していい許可だろうかと考えつくが、ジンさんがどこか楽しそうに放った言葉にそれはないと首を振った。
「子猫を飼っていいか、許可をな」
「こんな(ブラックそうな)会社で猫を飼うんですか……?」
まあでも動物を飼うのに善人も悪人も関係ないか……と一人納得をした。
すると、ジンさんが視線だけこちらに投げてふっと笑った。何故か身震いをしてしまい、首ごとひねって視線を逸らした。しばらく解していない首からはパキリと小気味良い音が鳴った。地味に痛い。
絶対に今は目を合わせてはいけない、そんな気がしたのだ、なんでだか分からないけど。
「嫌でもわかるさ、そのうちにな……」
「はぁ……」
含みのある言葉の意味に私は気付くことも無く、そのまま2度目の静寂が場を支配した。
震えの止まらない手に気づかれないように、両手の指をぎゅっと組ませる。そのまま視線を彷徨わせていると、夜だからだろう、右の窓ガラスが鏡のように自分とジンさんを写していたのが見えた。それ越しにジンさんをじっと眺めてみた。直視するのが怖くて、あれから一度も目を合わせていない。これなら窓の外を眺めているだけに見えるはず、と今度こそ遠慮なくジンさんを観察した。
(……やっぱり、綺麗)
街灯が過ぎる度にその光を反射して銀色が闇に浮かぶ。彼の表情は、暗闇と帽子のせいであまり読めないが、灰緑の瞳だけは窓に写されたものだとしてもはっきりと認識出来る。でもその瞳に温度はない。
人を近づかせないオーラを纏っていて、風貌全てがどこか現実離れしている。ジンさんを眺めてた日は数える程しかないし、殆どが今日のあのやり取りから来たものだが、私から見たジンさんはそういう人だった。
ドクドクと音を立てて動き続ける心臓に驚く。その大きな鼓動が聞こえていないか心配になるほどだった。
気付いてしまった、私が何故ずっと彼の姿を目に焼き付けようとしていたか。恋をしていたか。
結局それは恋なんて優しい感情じゃない、初めから「恐怖」だったのだ。目に焼き付けようとしていたんじゃない、目を離せなかったのだ。一瞬でも逸らすなと、その本能のままに。それをあろうことか私は恋なんて勘違いをしていたんだろう。
(きっと、この人は本当に危ない人だ)
それがわかっていて、でもやっぱり目が離せない。ずっと見ていたいような、そんな気持ちに駆られてしまう。それがどれだけ危険なことなのか、いかに自分の首を絞める行為なのか。頭では理解出来ていても体が追いつかない。逃げ出したくなるような気持ちと、見ていたい気持ちがせめぎ合ってどうしたらいいか分からなくて動けない。
現に今窓ガラスから、いやそこに写るジンさんの姿から目が離せないのだから困ってしまう。そのせいで、窓の反射越しに私を見たジンさんの瞳とぶつかってしまい慌てて体を戻して下を向いた。気付かれていたのならこんなに恥ずかしいことは無い。
そんな挙動不審な私を見て、ジンさんが笑みをこぼしていたことを私は知る由もなかった。
-------------------
車が止まり、無言で顎をしゃくられ降りればそこはちゃんと今は亡き両親と過ごしていた紛うことなき実家で、心底ほっとした。
律儀にジンさんは玄関まで送ってくれた。
「あ、あの、ありがとうございました……」
じゃあ、と言って背中を向けようとしたその時、最後の会話から一言も発さなかったジンさんに呼び止められた。
「おい」
「っ、はい、何でしょう……」
「何故こちらを見ない」
「えっ……あぅっ!?」
片手でぐいと顎をすくわれ、突然のことによろけた私は背中をドアに思いきしぶつけてしまう。背中と顎どちらも痛くて、そしてジンさんの行動がよく分からなくて思わず目をぎゅっと閉じてしまった。不機嫌だ、今ジンさん絶対不機嫌だ、損ねるなって言われてたのに!
「あんなに物欲しそうな目で見つめておいて、今更どうした?」
「物欲し……はい!?」
予想もしていなかった台詞に思わず目を開いて返事してしまった。
眼前に広がる凶悪な笑みにこれはまずいと逸らそうとするが、ジンさんの手がそれを許さなかった。
「寄越せ……てめぇのその恐怖を孕みながら期待を隠しきれねぇ視線は心地がいいからなァ……?」
そう言ってジンさんは無理矢理私と視線を交わらせた。ひゅっと、息を飲んだ。
ジンさんの瞳いっぱいに写った私の顔は、驚きと恐怖、そして、
確かに期待に染まっていた。
「あぁ、それでいい」
途端動かなくなる体に、私は軽くパニックになったがそれすらも面白そうに見下ろすジンさんが今はただ恐ろしかった。
顎にかけられていた指が外れ、代わりに幼子にするような口付けが頬に落ちた。
「ちゃんと覚えておけよ……飼い主は俺だ」
ゆらりと私から離れ、そのままジンさんは車に向かっていった。途中で振り向いて、確かめるように言った。
「次は来週だったな?」
シフトのことだと気付くまで数秒かかった。私は小さく頷くことしか出来なかった。
運転席に乗り込んだジンさんがその窓を開ける。
「じゃあな、悠芽――」
紡がれたのは、私の名前だった。
鍵は閉めろよというありがたい言葉を残して、ジンさんは去っていった。
その車のエンジン音も聞こえなくなって、私が玄関のドアを開けることが出来たのはそれから5分くらい経った後だった。
言いつけ通り鍵を閉めて、荷物を置いて。
緊張の糸が切れた私の体はずるずるとドアを伝って崩れ落ちた。
何故私の名前を知っていたかとか、家を知っていたかとか、何故私のシフトを把握してるのかとか、ジンさんとにかくやばい人だったなとか、考えなきゃいけないことは山ほどあったのだが。
もうとっくのとうにキャパオーバーを迎えていた頭は、限界状態の中たった一言だけ紡ぎ出すことが出来た。
「かっこよ……」
もう一度言う。私は限界だったのだ。