一生飼われる覚悟。
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「うっ……」
遠のいていた意識がじわじわと戻ってくる感覚がした。いつの間にか自分は床にうつ伏せになっていたらしい。起き上がろうと地面を両手で押すが、体が酷く重くてゆっくりとしか動けなかった。
「な、何が……起きて……」
鈍く痛む頭を何とか動かし、辺りを見回す。そこはまさしく闇の中だった。
煌々と周囲を照らしていた蛍光灯の明かりが、一切ない。加えてやけに煙たく、息ができないほどではなくても、深く吸えば確実に咳き込んでしまうそんな匂いが充満していた。まるで違う場所にいるみたいで、夢だと言われた方がまだましかもしれない。
パニックになりそうな心を落ち着けようとした時、近くでチカッと何かがきらめいた。
しかしそれが何の光なのか理解する間もなく、気付けば私は正面からいきなりやってきた熱風に、床へ吹き飛ばされていた。ドンともバンとも表しずらい音と、感じたことの無い熱さ。
「あ……」
顔を上げると、目に飛び込んできたものに、ひゅっと息を吸った。
目と鼻の先で、エレベーターが燃えている。
ようやくそこで、自分がどこにいるのかはっきり理解することが出来た。どうやら気を失う前にいた場所からほとんど動いていなかったようだ。
初めの爆音と揺れと闇。爆発。目の前で勢いよくあがる炎と煙。
いよいよ恐怖と混乱が確実に自分の中の平静さを奪っていく中、鼻をついた匂いに脳裏を過ったのは先程の男2人だった。
(そうだ、あれは……火薬の匂い……)
彼らがどうしてこんなことをしたのか、一般人の私にわかるはずがないしそもそも今は考える余裕がない。それでも、彼らがやったのだと直感でわかってしまった。
また、そう遠くないであろうところからいくつか爆発音が聞こえ、反射的に耳を塞ぐ。
自分の周りを、今まで経験したことのないような事が取り囲んでいる。例えようのない恐ろしさに、カチカチと歯が鳴り始める。震える体を守るように自分を抱きしめたが、全く意味がなかった。
そんな中、どこか冷静な自分がいた。
分かってたはずじゃないか、と。
――このバイトも、このビルも、ここに出入りする人達も、『普通』じゃない
それを見ないふりしていたのは紛れもなく自分だったはず。
わかってて関わっていたつもりだったのに、いざその片鱗、いやもっと深いところを見てしまった今は、ただ怖くて怖くて仕方ない。未だ燃え続けるエレベーターを見て、あともう少し自分が近くにいたら、もう少し意識を取り戻すまで時間が経っていたらどうなってたかと考えずにはいられない。
これだけのことを当たり前のようにやってのける人達がここに出入りしていた。自分が思っていたよりも何倍も恐ろしい世界がここにあったのだ。
助けて、と声を出そうとした。けれど、酷く震えたか細い音が空気に溶けていくだけだった。
「っげほ、ぅく……」
至近距離で煙を吸いすぎたのか、呼吸がどんどん苦しくなっていく。とにかく早くここから離れないと。分かっているのに、足が動かない。瞳が潤み、視界がじわりと滲んでいく。
そんな時だった。ふと遠くから聞き覚えのあるサイレンの音が聞こえた。音を何重にもして、徐々に近付いてきているようだった。恐らく消防車とパトカーだろう。音のする方へ目を向けると、煙で見えずらいもののぼんやりと赤い光がチカチカとしているのが見えた。エレベーターの位置と合わせれば、あちらがエントランスの方だと分かるのに時間はかからなかった。
助かるかもしれない! ようやく頭が冷静さを取り戻していった。
今なら誰かに見つけてもらえる。この底知れない闇を持つビルから出ることが出来る。
そうだ、今なら、まだ『戻れる』。
(なのに、何やってんだろ私)
力を振り絞って立ち上がった、その足は。
エントランスとは逆方向へと、踏み出されていた。
――――――――――――
何度も咳き込み、息を切らしながら、震えの収まらない足に鞭を打って前へ進む。正義の味方が照らしている光に背を向けて、自分の欲のために奥へと歩き続けている。
大それたことをしている自覚がないわけではなかった。それでも、自分を突き動かす義務感にも似た何かが、理性を乗り越えて正常な判断を鈍らせていく。
(行かなきゃ)
だって、もう二度と会えないかもしれない。
(行かないで)
だって、置いていかれるかもしれない。
ガシャンとガラスの割れる音と、複数人の声が背後でかすかに聞こえた。あの人たちに見つかれば、ここに来ることはきっと出来ないだろう。もう立ち止まるわけにはいかなかった。
約束した場所で、『彼』はきっと待っている。私の勝手な希望なのか、確かな予感なのかわからないけど。そんな気がした。
必死に歩いて、階段の前にたどり着いた。エレベーターが使えない以上、地下に行くには階段しかない。
「……どう、しよう」
非常階段は、すでに火の海だった。特に上へ向かう階段は、燃えている上に派手に壊されている。そして、その火が少しずつ、まるで意思を持っているかのように動き、地下への道を飲み込もうとしていた。
駆け抜けるしかない。わかっていても、空気から伝わる熱が足を止めてしまう。少しでも間違えれば自分が丸焼きにされてしまうだろう。
怖じ気づいて一歩下がったところで、足に固い物が触れた感覚がした。しゃがんで確認すると、それは仕事用の携帯だった。いつの間にかポケットから落ちたらしい。使えるかもと慌てて開くが、画面は真っ暗で壊れてしまったようだった。
途端に脳裏によぎったのは、あの日の電話。
――迷ってはいけないよ
そんな烏末さんの声が、聞こえた気がした。
私は意を決して、炎が爆ぜる音の中に飛び込むように駆け出した。
無我夢中で階段を降りた先、あると思っていた扉は開いていた。肩で息をしながら、おぼつかない足取りで駐車場へと歩みを進める。
辺りを見回す。数台の車があった。だが、どれも求めていたあの黒い車では無い。彼の姿も見えない。
――遅かったんだ。
そう悟った瞬間、体のあちこちに痛みが走って、一気に体が重くなった。立っていられなくなり、膝から崩れるように地面に身を投げ出す。もう全身に力が入らない。痛みも徐々に感じなくなっていった。
意識が薄れていく。
そんな中、何故か思い出したのは、走馬灯ではなく家を出る時に見たあのニュースだった。
「……なら……飼い主、なら、」
ここにはいない黒く大きな背中に、投げつけたい言葉が浮かんだ。
人間という生き物は、死の間際には大胆になれるらしい。どうせこれで終わりならこれくらいの愚痴を吐いたっていいだろう。
「飼い主なら、最後まで、責任もって……めんど……見て……くださ……いよ」
そして私は意識を手放した。
「……それは聞き捨てならねぇなァ、Kitty?」
遠のいていた意識がじわじわと戻ってくる感覚がした。いつの間にか自分は床にうつ伏せになっていたらしい。起き上がろうと地面を両手で押すが、体が酷く重くてゆっくりとしか動けなかった。
「な、何が……起きて……」
鈍く痛む頭を何とか動かし、辺りを見回す。そこはまさしく闇の中だった。
煌々と周囲を照らしていた蛍光灯の明かりが、一切ない。加えてやけに煙たく、息ができないほどではなくても、深く吸えば確実に咳き込んでしまうそんな匂いが充満していた。まるで違う場所にいるみたいで、夢だと言われた方がまだましかもしれない。
パニックになりそうな心を落ち着けようとした時、近くでチカッと何かがきらめいた。
しかしそれが何の光なのか理解する間もなく、気付けば私は正面からいきなりやってきた熱風に、床へ吹き飛ばされていた。ドンともバンとも表しずらい音と、感じたことの無い熱さ。
「あ……」
顔を上げると、目に飛び込んできたものに、ひゅっと息を吸った。
目と鼻の先で、エレベーターが燃えている。
ようやくそこで、自分がどこにいるのかはっきり理解することが出来た。どうやら気を失う前にいた場所からほとんど動いていなかったようだ。
初めの爆音と揺れと闇。爆発。目の前で勢いよくあがる炎と煙。
いよいよ恐怖と混乱が確実に自分の中の平静さを奪っていく中、鼻をついた匂いに脳裏を過ったのは先程の男2人だった。
(そうだ、あれは……火薬の匂い……)
彼らがどうしてこんなことをしたのか、一般人の私にわかるはずがないしそもそも今は考える余裕がない。それでも、彼らがやったのだと直感でわかってしまった。
また、そう遠くないであろうところからいくつか爆発音が聞こえ、反射的に耳を塞ぐ。
自分の周りを、今まで経験したことのないような事が取り囲んでいる。例えようのない恐ろしさに、カチカチと歯が鳴り始める。震える体を守るように自分を抱きしめたが、全く意味がなかった。
そんな中、どこか冷静な自分がいた。
分かってたはずじゃないか、と。
――このバイトも、このビルも、ここに出入りする人達も、『普通』じゃない
それを見ないふりしていたのは紛れもなく自分だったはず。
わかってて関わっていたつもりだったのに、いざその片鱗、いやもっと深いところを見てしまった今は、ただ怖くて怖くて仕方ない。未だ燃え続けるエレベーターを見て、あともう少し自分が近くにいたら、もう少し意識を取り戻すまで時間が経っていたらどうなってたかと考えずにはいられない。
これだけのことを当たり前のようにやってのける人達がここに出入りしていた。自分が思っていたよりも何倍も恐ろしい世界がここにあったのだ。
助けて、と声を出そうとした。けれど、酷く震えたか細い音が空気に溶けていくだけだった。
「っげほ、ぅく……」
至近距離で煙を吸いすぎたのか、呼吸がどんどん苦しくなっていく。とにかく早くここから離れないと。分かっているのに、足が動かない。瞳が潤み、視界がじわりと滲んでいく。
そんな時だった。ふと遠くから聞き覚えのあるサイレンの音が聞こえた。音を何重にもして、徐々に近付いてきているようだった。恐らく消防車とパトカーだろう。音のする方へ目を向けると、煙で見えずらいもののぼんやりと赤い光がチカチカとしているのが見えた。エレベーターの位置と合わせれば、あちらがエントランスの方だと分かるのに時間はかからなかった。
助かるかもしれない! ようやく頭が冷静さを取り戻していった。
今なら誰かに見つけてもらえる。この底知れない闇を持つビルから出ることが出来る。
そうだ、今なら、まだ『戻れる』。
(なのに、何やってんだろ私)
力を振り絞って立ち上がった、その足は。
エントランスとは逆方向へと、踏み出されていた。
――――――――――――
何度も咳き込み、息を切らしながら、震えの収まらない足に鞭を打って前へ進む。正義の味方が照らしている光に背を向けて、自分の欲のために奥へと歩き続けている。
大それたことをしている自覚がないわけではなかった。それでも、自分を突き動かす義務感にも似た何かが、理性を乗り越えて正常な判断を鈍らせていく。
(行かなきゃ)
だって、もう二度と会えないかもしれない。
(行かないで)
だって、置いていかれるかもしれない。
ガシャンとガラスの割れる音と、複数人の声が背後でかすかに聞こえた。あの人たちに見つかれば、ここに来ることはきっと出来ないだろう。もう立ち止まるわけにはいかなかった。
約束した場所で、『彼』はきっと待っている。私の勝手な希望なのか、確かな予感なのかわからないけど。そんな気がした。
必死に歩いて、階段の前にたどり着いた。エレベーターが使えない以上、地下に行くには階段しかない。
「……どう、しよう」
非常階段は、すでに火の海だった。特に上へ向かう階段は、燃えている上に派手に壊されている。そして、その火が少しずつ、まるで意思を持っているかのように動き、地下への道を飲み込もうとしていた。
駆け抜けるしかない。わかっていても、空気から伝わる熱が足を止めてしまう。少しでも間違えれば自分が丸焼きにされてしまうだろう。
怖じ気づいて一歩下がったところで、足に固い物が触れた感覚がした。しゃがんで確認すると、それは仕事用の携帯だった。いつの間にかポケットから落ちたらしい。使えるかもと慌てて開くが、画面は真っ暗で壊れてしまったようだった。
途端に脳裏によぎったのは、あの日の電話。
――迷ってはいけないよ
そんな烏末さんの声が、聞こえた気がした。
私は意を決して、炎が爆ぜる音の中に飛び込むように駆け出した。
無我夢中で階段を降りた先、あると思っていた扉は開いていた。肩で息をしながら、おぼつかない足取りで駐車場へと歩みを進める。
辺りを見回す。数台の車があった。だが、どれも求めていたあの黒い車では無い。彼の姿も見えない。
――遅かったんだ。
そう悟った瞬間、体のあちこちに痛みが走って、一気に体が重くなった。立っていられなくなり、膝から崩れるように地面に身を投げ出す。もう全身に力が入らない。痛みも徐々に感じなくなっていった。
意識が薄れていく。
そんな中、何故か思い出したのは、走馬灯ではなく家を出る時に見たあのニュースだった。
「……なら……飼い主、なら、」
ここにはいない黒く大きな背中に、投げつけたい言葉が浮かんだ。
人間という生き物は、死の間際には大胆になれるらしい。どうせこれで終わりならこれくらいの愚痴を吐いたっていいだろう。
「飼い主なら、最後まで、責任もって……めんど……見て……くださ……いよ」
そして私は意識を手放した。
「……それは聞き捨てならねぇなァ、Kitty?」