携帯越しの激情。
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モップで磨かれた床がキラリと天井からの明かりを反射する。床磨きならもうプロを名乗ってもいいんじゃないかというくらいの塵一つない床。ぼーっとしながら覗き込むと、どこか難しい顔をした自分の顔が写った。
「はぁ……」
誰もいないからか、ため息が静かなフロアに響く。少し恥ずかしくて、意味のない咳払いをする。
もう何日もこんな調子だった。それもこれもあの日彼が落としていった特大爆弾のせい。
ため息をついてもついても落ち着かない心臓に、疲れさえも覚えてしまう。この鼓動を、落ち着かせる術を私は知らなかった。
『――いい子にしてろよ、俺のKitty』
「……っ!」
そう言ってニヤリと笑ったジンさんの顔が目に浮び、ぶわりと全身に熱が灯る。思わず手のひらで顔を仰いだ。
何なんだろう、これは。彼のことを考える度に、焦げてしまいそうなくらいの熱に胸を押さえてしまう。だと言うのに、同時に体はぶるりと震えてしまう。
この震えは、初めてジンさんの視界に自分が入った、まだバイト始めたてのあの時のそれと似ていた。つまり、本能的な恐怖からの震えということに他ならない。でも、前回会った時は「あれ、怖くない……」なんて思えていた覚えがあるのにどうしてだろう。
正反対に見える2つの感情に挟まれて、どうにかなりそうで。それなのに、私は今日もジンさんに会えることを待ち望んでいる。
彼なら、これがなんなのか分かるのだろうか。あの日、挙動不審になった自分を見て、全てを悟ったかのような瞳をしていた彼なら。
次に会えたら思い切って聞いてみようか。
なんて、思っていたのだが。
それから2週間の時が流れ。いつものようにバイトに勤しんでいた私は、ようやく環境の異変に気づいた。
あれだけ毎日のように出入りしていた黒ずくめの人達の姿を、びっくりするくらい見かけない。
最近ジンさんやベル姉を見かけないなー、忙しいのかなー、なんて呑気に思っていた数日前の自分に「正気か?」と言いたくなるくらいだ。気付かなかったのは自分のことばかり考えていたからだろう。
それでもしばらくはまばらに来ていた人達がいたのに、今日は誰にも挨拶をした記憶がなかった。
1人2人会えないくらいなら、忙しさを考えて何も思わないけれど、こんなにいきなり誰の姿も見かけなくなるなんてことあるのだろうか。
――まさか私がシフトを間違えてる?
慌てて業務用に貰った携帯の中のファイルを見たが、ひとつの狂いもなかった。
これは、もしかするともしかするのか。いやいや、まさか。首を横に振りながらも、浮かんでしまったとある疑念に、どうしても手にしていた携帯に目がいってしまう。悪いことは一度考えると、それしか考えられなくなるものだ。
私が携帯を見ていたのを知っていたかのように突然ピリリリリ……と鳴り出した携帯を、私は残像が見えるほどの史上最高速度で耳に当てた。
『もしもし、仕事の調子はど「烏末さん!!!!まさかこの会社潰れたんですか!!!!?」………へ?』
電話の向こうでは素っ頓狂な声がしていたのだが、焦り散らした今の私が気付くことはなかった。
「わ、私、もしかして解雇なんでしょうか……!!」
『ごめんよ、出来たら何がどうしてそうなったのか一から説明してくれるかな』
「そうなったら退職金とかは……!」
『聞こえてないね……あとアルバイトで退職金ぶんどる気なのかい……』
その後、烏末さんは馬を諌める調教師のように『どうどう』としてくれて、ようやく落ち着いた私は眉間に皺を寄せ頭を押えながら謝り倒した。何かデジャヴのような気もしたけれど。
「すみません、焦ってしまいまして……」
『こちらこそちゃんと説明しておけば良かったね、すまなかった』
「それでその、急に皆さんの姿を見かけなくなったのは……?」
「……まあ簡単に言うと、今会社がドタバタしていてね。ほとんどの人間はまあ、その……そう、出張のようなものだ。皆出払っているんだよ」
随分とあやふやな説明だ。しかし、このビルもあの黒ずくめの人達も明らかに怪しいのも、ここ最近の出来事で私は一応知ってしまっている。今回も突っ込まない方が身のためだろうと、無難に「そうなんですね」と返しておいた。
「あまりにも静かだったんで、知らないうちに捨てられたのかと思ってしまいました」
『……』
一瞬、不自然な間が空いた。
「烏末さん?」
『ああいや、何でもないよ。安心しなさい、さすがに予告もなしにそんなことはしないさ』
「あはは、そうですよね。騒いでしまってすみません。それで、皆さんどれくらいで戻られるんですか?」
『そうだねぇ……こちらの忙しさは日々変動していてね。何日後とは約束出来ないんだ。すまないね』
「そう、ですか」
どうやら、彼らに会えるのは大分先になってしまうらしい。普通に返事をしようとしたのに、少しつっかえてしまったのを、烏末さんは見逃してくれなかった。
『不安かい』
「え、あ、その、すみません、子供っぽくって……最近毎日のように話していたから、慣れなくて」
『いや、いいんだよ。……そうか、もうそこまで……』
烏末さんは何かをぽつりと呟くと、少し黙ってからいつもより少し低い声で私に問いかけてきた。
『ひとつ、聞いてもいいかい』
「な、何でしょう」
『何か欲しいものを手にする為に、君の全てを失うことになるとしたら、君はどうする?』
「え……」
なぞなぞとかですか、なんて気軽に返せる雰囲気じゃないことは、わかる。でも、いきなり言われたところで、何と答えるのかが正解かなんて分かるはずがなかった。
「全てって、例えばどんな……」
『そうだね。君が必死に生きて守っている財産や、御両親が遺したもの、あとは……平穏な日々、とかかな』
「はぁ……」
随分と物騒な質問だと思った。しかし聞かれたからには答えないと。大丈夫、ただの例え話だろうから。そう思いながらも、口は重く閉ざされたまま動かない。
ようやく絞り出せた答えは、
「分からない、です」
この一言だけだった。
『分からない?』
「こういう答えは無しでしたか……?」
烏末さんは小さく『ふむ』と零すと、間を開けて先程の緊張感はどこに行ったのかというくらいの明るい声で言った。
『いや、それが普通なんだろうね。ありがとう、私の話に付き合ってくれて』
「面白い返しも出来ず、すみません」
『はは、いいんだよ。そうだ、付き合ってくれたお礼にいいものをあげよう』
「へ?」
『君の携帯にメールを送っておいた。後で確認してみてくれ』
何のことだろう。皆目見当もつかないで首を傾げた私も、次の言葉に目を丸くした。
『ちなみに、その番号にかけるなら書いてあるとおりの時間を厳守してくれると有難い。――彼も多忙の身でね』
「えっ、か、彼ってまさか」
『そうだよ、君が恋しがっている銀髪の彼だ』
「こ……っ!?」
『おや、違うのかい?』
「いや、そのっ」
『はは、それはともかく。先程も言ったように、彼、今は誰よりも忙しくしていてね。ぜひ君からねぎらいの言葉でもかけてやってくれ』
「は、はい……。……っ、」
そういえば私、ジンさんの連絡先を知らなかったなと今更ながら気が付いた。急なことで頭がついていかないが、どうやらとんでもないものを貰ってしまったらしい。
それでも、いつもならここで興奮して叫んでいた自分が、今は何故か嘘のように落ち着いていた。ただ「ジンさんと話せる」という事実が嬉しくて、噛み締めるようにガラケーを持つ手にきゅっと力を入れた。
自分は何て幸せ者なんだろう。もう烏末さんが神様のように思えてきて、自然と口が開いた。
「あの、ありがとうございます」
『構わないよ、いつもの働きの礼だと』
「いえ、今回のことだけじゃなくて……」
話しながらも、考える。
初めて烏末さんに会ったあの日、あの路地裏の近くを歩いていなかったら今の私はなかったのかもしれない。何なら両親無しで生きていく術もわからないままどこかでひっそり野垂れ死んでいたかもしれない。大げさかもしれないけれど、本当に感謝しなければならないのだと、この機会に思い知った。
思いの丈を述べていたら考えていたよりも長く語ってしまって、「……というわけで!」と何とかまとめに入る。
「……本当に何度お礼を言っても足りないと思っているんです。いつも気にかけてくださってありがとうございます」
『……』
「あ、そうだ、今度ぜひ直接お礼をさせてください!烏末さんの都合がいい日に、良かったらランチとか……あ、勿論私がおごります!」
うん、それがいい。あれ、でもこの場合烏末さんに貰っている給料で払うんだから、結局烏末さんが払ったことになるのでは?なんてことを考えて唸っていたら、
『っ、……ふふ、はははは!』
突然電話の向こうから聞いたことのないような笑い声が聞こえてきた。
『くくっ、なるほど……彼らが夢中になるわけですね……全く面白い』
気のせいか、口調まで変わってしまった烏末さんに、何か粗相でもしてしまったのかと謝る私に、彼は『これは失敬』とどこか上品な言い方をした。
『ただ、君を拾ったのは正解だったと思ってね』
「う、烏末さんまで猫扱いですか……」
そう返すと、彼はまた大声で笑い出したのだった。
「はぁ……」
誰もいないからか、ため息が静かなフロアに響く。少し恥ずかしくて、意味のない咳払いをする。
もう何日もこんな調子だった。それもこれもあの日彼が落としていった特大爆弾のせい。
ため息をついてもついても落ち着かない心臓に、疲れさえも覚えてしまう。この鼓動を、落ち着かせる術を私は知らなかった。
『――いい子にしてろよ、俺のKitty』
「……っ!」
そう言ってニヤリと笑ったジンさんの顔が目に浮び、ぶわりと全身に熱が灯る。思わず手のひらで顔を仰いだ。
何なんだろう、これは。彼のことを考える度に、焦げてしまいそうなくらいの熱に胸を押さえてしまう。だと言うのに、同時に体はぶるりと震えてしまう。
この震えは、初めてジンさんの視界に自分が入った、まだバイト始めたてのあの時のそれと似ていた。つまり、本能的な恐怖からの震えということに他ならない。でも、前回会った時は「あれ、怖くない……」なんて思えていた覚えがあるのにどうしてだろう。
正反対に見える2つの感情に挟まれて、どうにかなりそうで。それなのに、私は今日もジンさんに会えることを待ち望んでいる。
彼なら、これがなんなのか分かるのだろうか。あの日、挙動不審になった自分を見て、全てを悟ったかのような瞳をしていた彼なら。
次に会えたら思い切って聞いてみようか。
なんて、思っていたのだが。
それから2週間の時が流れ。いつものようにバイトに勤しんでいた私は、ようやく環境の異変に気づいた。
あれだけ毎日のように出入りしていた黒ずくめの人達の姿を、びっくりするくらい見かけない。
最近ジンさんやベル姉を見かけないなー、忙しいのかなー、なんて呑気に思っていた数日前の自分に「正気か?」と言いたくなるくらいだ。気付かなかったのは自分のことばかり考えていたからだろう。
それでもしばらくはまばらに来ていた人達がいたのに、今日は誰にも挨拶をした記憶がなかった。
1人2人会えないくらいなら、忙しさを考えて何も思わないけれど、こんなにいきなり誰の姿も見かけなくなるなんてことあるのだろうか。
――まさか私がシフトを間違えてる?
慌てて業務用に貰った携帯の中のファイルを見たが、ひとつの狂いもなかった。
これは、もしかするともしかするのか。いやいや、まさか。首を横に振りながらも、浮かんでしまったとある疑念に、どうしても手にしていた携帯に目がいってしまう。悪いことは一度考えると、それしか考えられなくなるものだ。
私が携帯を見ていたのを知っていたかのように突然ピリリリリ……と鳴り出した携帯を、私は残像が見えるほどの史上最高速度で耳に当てた。
『もしもし、仕事の調子はど「烏末さん!!!!まさかこの会社潰れたんですか!!!!?」………へ?』
電話の向こうでは素っ頓狂な声がしていたのだが、焦り散らした今の私が気付くことはなかった。
「わ、私、もしかして解雇なんでしょうか……!!」
『ごめんよ、出来たら何がどうしてそうなったのか一から説明してくれるかな』
「そうなったら退職金とかは……!」
『聞こえてないね……あとアルバイトで退職金ぶんどる気なのかい……』
その後、烏末さんは馬を諌める調教師のように『どうどう』としてくれて、ようやく落ち着いた私は眉間に皺を寄せ頭を押えながら謝り倒した。何かデジャヴのような気もしたけれど。
「すみません、焦ってしまいまして……」
『こちらこそちゃんと説明しておけば良かったね、すまなかった』
「それでその、急に皆さんの姿を見かけなくなったのは……?」
「……まあ簡単に言うと、今会社がドタバタしていてね。ほとんどの人間はまあ、その……そう、出張のようなものだ。皆出払っているんだよ」
随分とあやふやな説明だ。しかし、このビルもあの黒ずくめの人達も明らかに怪しいのも、ここ最近の出来事で私は一応知ってしまっている。今回も突っ込まない方が身のためだろうと、無難に「そうなんですね」と返しておいた。
「あまりにも静かだったんで、知らないうちに捨てられたのかと思ってしまいました」
『……』
一瞬、不自然な間が空いた。
「烏末さん?」
『ああいや、何でもないよ。安心しなさい、さすがに予告もなしにそんなことはしないさ』
「あはは、そうですよね。騒いでしまってすみません。それで、皆さんどれくらいで戻られるんですか?」
『そうだねぇ……こちらの忙しさは日々変動していてね。何日後とは約束出来ないんだ。すまないね』
「そう、ですか」
どうやら、彼らに会えるのは大分先になってしまうらしい。普通に返事をしようとしたのに、少しつっかえてしまったのを、烏末さんは見逃してくれなかった。
『不安かい』
「え、あ、その、すみません、子供っぽくって……最近毎日のように話していたから、慣れなくて」
『いや、いいんだよ。……そうか、もうそこまで……』
烏末さんは何かをぽつりと呟くと、少し黙ってからいつもより少し低い声で私に問いかけてきた。
『ひとつ、聞いてもいいかい』
「な、何でしょう」
『何か欲しいものを手にする為に、君の全てを失うことになるとしたら、君はどうする?』
「え……」
なぞなぞとかですか、なんて気軽に返せる雰囲気じゃないことは、わかる。でも、いきなり言われたところで、何と答えるのかが正解かなんて分かるはずがなかった。
「全てって、例えばどんな……」
『そうだね。君が必死に生きて守っている財産や、御両親が遺したもの、あとは……平穏な日々、とかかな』
「はぁ……」
随分と物騒な質問だと思った。しかし聞かれたからには答えないと。大丈夫、ただの例え話だろうから。そう思いながらも、口は重く閉ざされたまま動かない。
ようやく絞り出せた答えは、
「分からない、です」
この一言だけだった。
『分からない?』
「こういう答えは無しでしたか……?」
烏末さんは小さく『ふむ』と零すと、間を開けて先程の緊張感はどこに行ったのかというくらいの明るい声で言った。
『いや、それが普通なんだろうね。ありがとう、私の話に付き合ってくれて』
「面白い返しも出来ず、すみません」
『はは、いいんだよ。そうだ、付き合ってくれたお礼にいいものをあげよう』
「へ?」
『君の携帯にメールを送っておいた。後で確認してみてくれ』
何のことだろう。皆目見当もつかないで首を傾げた私も、次の言葉に目を丸くした。
『ちなみに、その番号にかけるなら書いてあるとおりの時間を厳守してくれると有難い。――彼も多忙の身でね』
「えっ、か、彼ってまさか」
『そうだよ、君が恋しがっている銀髪の彼だ』
「こ……っ!?」
『おや、違うのかい?』
「いや、そのっ」
『はは、それはともかく。先程も言ったように、彼、今は誰よりも忙しくしていてね。ぜひ君からねぎらいの言葉でもかけてやってくれ』
「は、はい……。……っ、」
そういえば私、ジンさんの連絡先を知らなかったなと今更ながら気が付いた。急なことで頭がついていかないが、どうやらとんでもないものを貰ってしまったらしい。
それでも、いつもならここで興奮して叫んでいた自分が、今は何故か嘘のように落ち着いていた。ただ「ジンさんと話せる」という事実が嬉しくて、噛み締めるようにガラケーを持つ手にきゅっと力を入れた。
自分は何て幸せ者なんだろう。もう烏末さんが神様のように思えてきて、自然と口が開いた。
「あの、ありがとうございます」
『構わないよ、いつもの働きの礼だと』
「いえ、今回のことだけじゃなくて……」
話しながらも、考える。
初めて烏末さんに会ったあの日、あの路地裏の近くを歩いていなかったら今の私はなかったのかもしれない。何なら両親無しで生きていく術もわからないままどこかでひっそり野垂れ死んでいたかもしれない。大げさかもしれないけれど、本当に感謝しなければならないのだと、この機会に思い知った。
思いの丈を述べていたら考えていたよりも長く語ってしまって、「……というわけで!」と何とかまとめに入る。
「……本当に何度お礼を言っても足りないと思っているんです。いつも気にかけてくださってありがとうございます」
『……』
「あ、そうだ、今度ぜひ直接お礼をさせてください!烏末さんの都合がいい日に、良かったらランチとか……あ、勿論私がおごります!」
うん、それがいい。あれ、でもこの場合烏末さんに貰っている給料で払うんだから、結局烏末さんが払ったことになるのでは?なんてことを考えて唸っていたら、
『っ、……ふふ、はははは!』
突然電話の向こうから聞いたことのないような笑い声が聞こえてきた。
『くくっ、なるほど……彼らが夢中になるわけですね……全く面白い』
気のせいか、口調まで変わってしまった烏末さんに、何か粗相でもしてしまったのかと謝る私に、彼は『これは失敬』とどこか上品な言い方をした。
『ただ、君を拾ったのは正解だったと思ってね』
「う、烏末さんまで猫扱いですか……」
そう返すと、彼はまた大声で笑い出したのだった。