堕ちる
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アジトにある彼女の部屋にはたった一つだけ窓がある。窓の外側には有刺鉄線で出来た金網があり、決して外に出ることは出来ない。ただ光を取り入れるためだけにある、手を伸ばすことの出来ない窓。
そこから差し込む光の落ちる先、膝を抱えたまま動かない彼女がいた。
オートロックの扉がカチャと音をたて閉まる。ゆっくりと顔を上げた彼女が俺の姿を認めて目を見開いた。どうやら気配にも気づいていなかったらしい。
「ジン、さん……」
彼女は一言俺の名を呼び、力なくまた膝に顔を埋めてしまった。ゆったりと距離を詰めれば、デスクの上のパソコンがチカチカと光っているのが目に入った。
「あの方は、何と?」
「……よくやってくれた……と……」
「それはいい、さぞお喜びになっていたことだろう」
「……っ」
彼女が歯を食いしばるのが見ずとも伝わってくる。うわ言のように「違う……違う……」と繰り返す様はもはや痛々しかった。
「お前は"NOCを炙り出すのに貢献した"。
評価されて当然だろう」
ひゅっ、と息を吸うのが聞こえた。コイツの考えることなど手に取るように分かる。狩るべき鼠を庇い、さらに俺に拳銃を向けたことで何かしらの罰が下ると覚悟していたのだろう、しかし実際に与えられたのは称賛だけ。それは彼女の心を深く抉ったことだろう。
──そうなるよう仕向けたのは俺だが。
抹殺完了の報告をしたのは、他の誰でもない俺自身だ。故意に出来事の詳細を伝えず、任務が完了したことだけをあの方に伝えた。その功績者が彼女だということにして。彼女を利用しようとしていた奴を、分かっていて嵌めたのだ、ということにした。
「違うんです……私は……私は本当にあの子を……」
信じていた、とでも言いたいのか。
裏切り者にそこまで苦しめられて、更に自分を追い込むのか。
とんだ茶番だと唾を吐き捨てたくなる。
口を噤んでしまった彼女へわざと同情を込めたような優しい声を落としてやった。
「ああ、わかってるさ……お前は何も悪くない」
「ちが……っ!」
反論と同時に上げられ見えた顔は、案の定歪んで苦し気だった。その表情に苛立ちが募るが、息をついてやり過ごす。コイツが心を削ってまで考える程の価値などあの鼠には無いというのに。
ふと窓から降りる光が薄れた。雲でもかかったのだろうか。元々電気のついていない部屋が、さらに薄暗さを増した。
「何が違う?お前はずっと奴を信じていただろう……それにつけ込まれて利用されていたに過ぎねぇ」
「……でも、それでもジンさんにまで迷惑をかけて……組織への裏切り行為をしたのは私なのに……っ」
「気にするな…気が動転していたんだろう」
「……っ、どうして……責めないんですか……」
膝を抱えた両手が真っ白になるほど、服を掴んで震えているのが目に入る。彼女の目の前で膝をつきそっと手に触れた。
「言ったろう、お前は何も悪くねぇ。だが……」
あっと声が上がるのを無視をして、腕を掴み引き寄せる。そのまま抱きしめた体も掴んだ腕も酷く軽くて細い。
自分はこの命をいとも簡単に手折れる存在なのだという事実に胸が踊った。
「裏切られる度にお前の心が壊れていくのは、見過ごせねぇな」
「え……」
か細い声が腕の中から漏れ聞こえた。
「可哀想になぁ……律儀に信用して慕って、その度に利用され裏切られて」
「あ……ぁ……」
腕の中の存在がカタカタと震え出す。
「苦しいんだろう、黒の中で生きていくことが」
「あ、ご、めんなさ……っ」
涙混じりに謝る彼女の耳にかかる髪をするりと外し、耳元に口を寄せ脳内に直接注ぎ込むように囁く。
彼女が最も望んでいるであろう言葉を。
"こちら"へと堕とす言葉を。
「楽にしてやろうか」
彼女が息を詰めたのが気配でわかった。
愉悦の色が滲む声色に、彼女は気付かない。気付けないほど追い込ませたのは他でもない自分だ。酷く気分がよかった。
「簡単な話だ、はじめから何も、誰も信じなければいい」
「……っ!それは……でも……っ」
「組織の本当の仲間すらも信じないのは、とでも言いたいのか?それこそいらぬ心配だな」
相も変わらず甘い、甘すぎる。
だからつけ込まれるというのに。
しかしその弱さにつけこもうとしている自分も、俺があれほど忌み嫌った鼠と大して変わらないのかもしれないと、内心で苦笑する。
顔を上げた彼女の瞳は悲しそうに揺れている。加虐心がじわじわと湧き上がるのが止められなかった。
「この際だから教えてやる……。お前を狙う奴は組織の中にもごまんといる」
「えっ!?どうして……」
「お前のハッキング技術、あれは相当のものだ……次の幹部候補はお前だと噂されている。恐らく現実になるだろうな」
組織には向かない心の持ち主がここまであの方に気に入られ、ネームドにもなった理由はそれだった。
パソコンに向かう彼女は完全にこちら側の人間だ。組織の情報を守るだけではなく、時にはわざと敵にチラつかせて飛びついてきた所を一網打尽にする狡がしこさ、冷酷さすら持ち合わせている。
しかし致命的なのが身内だと思ったものへの甘さだった。仲間が怪我でもしようものなら、自分の事のように痛ましい顔をした。仲間が命を落とそうものなら、怒りで拳を握りしめていた。アジトの中にいても常に笑顔で、情に厚く、組織のカラーに似合わないそのちぐはぐな姿が、憐れで愛おしいのだとあの方も時折笑いながらこぼすほど。
「か、幹部……私が……?」
複雑そうな顔で話を聞く彼女。どうやら自分がそこまでの地位にいたことも分かっていなかったのだろう。この話を聞いて歓喜に溺れない辺りが彼女が彼女たる所以なのだろうと内心で呆れ笑った。
「だが、これからお前を妬むやつも、お前を利用してもっと上の地位を掴み取ろうと躍起になるやつも増えるだろうな」
「……そんな」
「はじめから信じなければ裏切られたなどと思うこともねぇ。警戒していればNOCを炙り出すことだってもっと簡単になる」
あと少し。あと少しで堕ちる。
堕ちてきた小さな体を飲み込んでどろどろに甘やかして、後はどうしてやろうか。
込み上げる笑いを必死に抑え、代わりに彼女の背に回した腕に力を込めた。
「それとも、またあんな思いをしたいのか?」
腕の中で、ビクリと大きく反応したのが分かった。直後聞こえる切実な叫び。
「い、嫌!!もう……もうあんなの……っ」
「なら、もう分かるだろう」
「お前に近づく奴は全て敵だ」
絶望に染まった瞳が大きく揺れた。
「……はい」
一瞬の静寂の後、俯いた彼女が小さく頷いたのを確認し、いい子だと頭を撫ぜた。
「緊急性の高い任務は暫くない……今のうちに休んでおけ」
そう言って立ち上がった俺の服が控えめにくいと引っ張られた。顔を向ければ彼女が何かを懇願するような顔で俺を見上げている。
「……どうした」
「ジン、さんは?」
「あ?」
「ジンさんも、信じちゃダメなの……?」
一瞬、思考が停止した。
まるで迷子のような幼さの混じった声。
置いていかないでと、ここにいてと言うかのように。
コイツが縋れるのは自分しかいないのだと改めて思い知らされる。
どうしようもなく可哀想で、愛おしくて仕方ない。
自然と釣り上がる口の端を悟られないように、もう一度彼女の体を掻き抱いた。腕の中で必死にしがみつこうとする彼女に気付いて感情が昂る。
「お前はどう思う」
「じ、ジンさんに見放されたら、私……っ」
「ああ、泣くな……」
今泣かれたらもっとぐちゃぐちゃに歪めたくなってしまうのだから。
「お前を見捨てるなんて真似はしねぇ……安心しろ」
俺の言葉に、強ばっていた彼女の体から力が抜けていくのがわかった。
「そう、ですよね」
嬉しさを滲ませた声が聞こえた。
「ジンさんは、大丈夫、ですよね」
くたりとこちらに体を預けた彼女に、もう疑念も恐怖も何も無かった。
「ああ……それでいい」
褒美だと言わんばかりに首筋に唇を寄せ音を立てて、きつく吸い上げる。上がる可愛らしい悲鳴と、綺麗に咲いた真っ赤な印に、心が満たされていくのを感じた。顔に両手を添え、どこかぼんやりとしている彼女の瞳を覗き込み、確かめさせるように呟いた。
「俺だけを信じてろ……悠芽」
名を呼べば、彼女はいつかのようにへにゃりと笑った。
完全とは言えないが、ここまで堕ちてくれるとは思っていなかった。
これからまた少しずつ染めていけばいい。
自分が酷く狂気的な笑みを浮かべていることに、俺は気付いていなかった。
窓から差し込んでいた光は、いつの間にか完全に消えていた。
そこから差し込む光の落ちる先、膝を抱えたまま動かない彼女がいた。
オートロックの扉がカチャと音をたて閉まる。ゆっくりと顔を上げた彼女が俺の姿を認めて目を見開いた。どうやら気配にも気づいていなかったらしい。
「ジン、さん……」
彼女は一言俺の名を呼び、力なくまた膝に顔を埋めてしまった。ゆったりと距離を詰めれば、デスクの上のパソコンがチカチカと光っているのが目に入った。
「あの方は、何と?」
「……よくやってくれた……と……」
「それはいい、さぞお喜びになっていたことだろう」
「……っ」
彼女が歯を食いしばるのが見ずとも伝わってくる。うわ言のように「違う……違う……」と繰り返す様はもはや痛々しかった。
「お前は"NOCを炙り出すのに貢献した"。
評価されて当然だろう」
ひゅっ、と息を吸うのが聞こえた。コイツの考えることなど手に取るように分かる。狩るべき鼠を庇い、さらに俺に拳銃を向けたことで何かしらの罰が下ると覚悟していたのだろう、しかし実際に与えられたのは称賛だけ。それは彼女の心を深く抉ったことだろう。
──そうなるよう仕向けたのは俺だが。
抹殺完了の報告をしたのは、他の誰でもない俺自身だ。故意に出来事の詳細を伝えず、任務が完了したことだけをあの方に伝えた。その功績者が彼女だということにして。彼女を利用しようとしていた奴を、分かっていて嵌めたのだ、ということにした。
「違うんです……私は……私は本当にあの子を……」
信じていた、とでも言いたいのか。
裏切り者にそこまで苦しめられて、更に自分を追い込むのか。
とんだ茶番だと唾を吐き捨てたくなる。
口を噤んでしまった彼女へわざと同情を込めたような優しい声を落としてやった。
「ああ、わかってるさ……お前は何も悪くない」
「ちが……っ!」
反論と同時に上げられ見えた顔は、案の定歪んで苦し気だった。その表情に苛立ちが募るが、息をついてやり過ごす。コイツが心を削ってまで考える程の価値などあの鼠には無いというのに。
ふと窓から降りる光が薄れた。雲でもかかったのだろうか。元々電気のついていない部屋が、さらに薄暗さを増した。
「何が違う?お前はずっと奴を信じていただろう……それにつけ込まれて利用されていたに過ぎねぇ」
「……でも、それでもジンさんにまで迷惑をかけて……組織への裏切り行為をしたのは私なのに……っ」
「気にするな…気が動転していたんだろう」
「……っ、どうして……責めないんですか……」
膝を抱えた両手が真っ白になるほど、服を掴んで震えているのが目に入る。彼女の目の前で膝をつきそっと手に触れた。
「言ったろう、お前は何も悪くねぇ。だが……」
あっと声が上がるのを無視をして、腕を掴み引き寄せる。そのまま抱きしめた体も掴んだ腕も酷く軽くて細い。
自分はこの命をいとも簡単に手折れる存在なのだという事実に胸が踊った。
「裏切られる度にお前の心が壊れていくのは、見過ごせねぇな」
「え……」
か細い声が腕の中から漏れ聞こえた。
「可哀想になぁ……律儀に信用して慕って、その度に利用され裏切られて」
「あ……ぁ……」
腕の中の存在がカタカタと震え出す。
「苦しいんだろう、黒の中で生きていくことが」
「あ、ご、めんなさ……っ」
涙混じりに謝る彼女の耳にかかる髪をするりと外し、耳元に口を寄せ脳内に直接注ぎ込むように囁く。
彼女が最も望んでいるであろう言葉を。
"こちら"へと堕とす言葉を。
「楽にしてやろうか」
彼女が息を詰めたのが気配でわかった。
愉悦の色が滲む声色に、彼女は気付かない。気付けないほど追い込ませたのは他でもない自分だ。酷く気分がよかった。
「簡単な話だ、はじめから何も、誰も信じなければいい」
「……っ!それは……でも……っ」
「組織の本当の仲間すらも信じないのは、とでも言いたいのか?それこそいらぬ心配だな」
相も変わらず甘い、甘すぎる。
だからつけ込まれるというのに。
しかしその弱さにつけこもうとしている自分も、俺があれほど忌み嫌った鼠と大して変わらないのかもしれないと、内心で苦笑する。
顔を上げた彼女の瞳は悲しそうに揺れている。加虐心がじわじわと湧き上がるのが止められなかった。
「この際だから教えてやる……。お前を狙う奴は組織の中にもごまんといる」
「えっ!?どうして……」
「お前のハッキング技術、あれは相当のものだ……次の幹部候補はお前だと噂されている。恐らく現実になるだろうな」
組織には向かない心の持ち主がここまであの方に気に入られ、ネームドにもなった理由はそれだった。
パソコンに向かう彼女は完全にこちら側の人間だ。組織の情報を守るだけではなく、時にはわざと敵にチラつかせて飛びついてきた所を一網打尽にする狡がしこさ、冷酷さすら持ち合わせている。
しかし致命的なのが身内だと思ったものへの甘さだった。仲間が怪我でもしようものなら、自分の事のように痛ましい顔をした。仲間が命を落とそうものなら、怒りで拳を握りしめていた。アジトの中にいても常に笑顔で、情に厚く、組織のカラーに似合わないそのちぐはぐな姿が、憐れで愛おしいのだとあの方も時折笑いながらこぼすほど。
「か、幹部……私が……?」
複雑そうな顔で話を聞く彼女。どうやら自分がそこまでの地位にいたことも分かっていなかったのだろう。この話を聞いて歓喜に溺れない辺りが彼女が彼女たる所以なのだろうと内心で呆れ笑った。
「だが、これからお前を妬むやつも、お前を利用してもっと上の地位を掴み取ろうと躍起になるやつも増えるだろうな」
「……そんな」
「はじめから信じなければ裏切られたなどと思うこともねぇ。警戒していればNOCを炙り出すことだってもっと簡単になる」
あと少し。あと少しで堕ちる。
堕ちてきた小さな体を飲み込んでどろどろに甘やかして、後はどうしてやろうか。
込み上げる笑いを必死に抑え、代わりに彼女の背に回した腕に力を込めた。
「それとも、またあんな思いをしたいのか?」
腕の中で、ビクリと大きく反応したのが分かった。直後聞こえる切実な叫び。
「い、嫌!!もう……もうあんなの……っ」
「なら、もう分かるだろう」
「お前に近づく奴は全て敵だ」
絶望に染まった瞳が大きく揺れた。
「……はい」
一瞬の静寂の後、俯いた彼女が小さく頷いたのを確認し、いい子だと頭を撫ぜた。
「緊急性の高い任務は暫くない……今のうちに休んでおけ」
そう言って立ち上がった俺の服が控えめにくいと引っ張られた。顔を向ければ彼女が何かを懇願するような顔で俺を見上げている。
「……どうした」
「ジン、さんは?」
「あ?」
「ジンさんも、信じちゃダメなの……?」
一瞬、思考が停止した。
まるで迷子のような幼さの混じった声。
置いていかないでと、ここにいてと言うかのように。
コイツが縋れるのは自分しかいないのだと改めて思い知らされる。
どうしようもなく可哀想で、愛おしくて仕方ない。
自然と釣り上がる口の端を悟られないように、もう一度彼女の体を掻き抱いた。腕の中で必死にしがみつこうとする彼女に気付いて感情が昂る。
「お前はどう思う」
「じ、ジンさんに見放されたら、私……っ」
「ああ、泣くな……」
今泣かれたらもっとぐちゃぐちゃに歪めたくなってしまうのだから。
「お前を見捨てるなんて真似はしねぇ……安心しろ」
俺の言葉に、強ばっていた彼女の体から力が抜けていくのがわかった。
「そう、ですよね」
嬉しさを滲ませた声が聞こえた。
「ジンさんは、大丈夫、ですよね」
くたりとこちらに体を預けた彼女に、もう疑念も恐怖も何も無かった。
「ああ……それでいい」
褒美だと言わんばかりに首筋に唇を寄せ音を立てて、きつく吸い上げる。上がる可愛らしい悲鳴と、綺麗に咲いた真っ赤な印に、心が満たされていくのを感じた。顔に両手を添え、どこかぼんやりとしている彼女の瞳を覗き込み、確かめさせるように呟いた。
「俺だけを信じてろ……悠芽」
名を呼べば、彼女はいつかのようにへにゃりと笑った。
完全とは言えないが、ここまで堕ちてくれるとは思っていなかった。
これからまた少しずつ染めていけばいい。
自分が酷く狂気的な笑みを浮かべていることに、俺は気付いていなかった。
窓から差し込んでいた光は、いつの間にか完全に消えていた。
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