きょうのジンさん
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ジンさんから連絡が来たのは、深夜一時過ぎ、静かな夜のことだった。彼のセーフハウスのリビングでテレビを見ながらそろそろ寝ようかと考えていた時、いきなり鳴ったスマホに表示された名前に私は心底驚いた。確か彼は長期の任務に出ていて、あと一週間は帰らないはずだ。何かトラブルでもあったのだろうか、それとも単に任務が終わってしまったのか。慌てて電話に出たのだが、ジンさんが口にしたのはたった一言だけ。
『今から、行く』
嫌に胸が騒いだ。それは、普段のジンさんからは想像つかないほどの、何処かおぼつかない、今にも消えてしまいそうな声だった。
それから私はひたすら玄関で待つことになった。何せジンさんがどこからここに向かうのか、そこからどれくらいでここに着くのか、彼は一切教えてくれなかったから。ならば、いつ来てもすぐに迎え入れてあげられるようにここにいなければ。そんな使命感のような物が、私を動かしていた。
かなり長い時間が経ったはずなのに、一度吹き飛んだ眠気は戻ってくる気配がなかった。じわじわと迫り来る不安に焦り始めた頃、ようやく近くで聞き覚えのある車のエンジン音が聞こえたので、私はドアの鍵を開けて離れた。そのドアがゆっくりと開けられ、ゆらりと家の中に入ってきたジンさんを見た時、私は全身が粟立つのをはっきりと感じた。
突っ立ったまま動かない彼の後ろで、ドアが音を立てて閉まる。今の彼におかえり、なんて誰が暢気に言えよう。少し近付いただけで鼻につく鉄の匂い。握られたままの拳銃。
「……ジンさん?」
名を呼んでも、ピクリとも反応しない。いつもの冷たい目は、酷く虚ろだった。その視界には明らかに私がいるはずなのに、認識されている気がしない。心臓を握りつぶされているような感覚がした。
いったい、何人殺したのだろう。何人の死を見たのだろう。人を手にかけることに躊躇いなど持ち合わせていない彼が、こうなるほどとは。
――いや、違う。私は頭を振った。あの方のため、組織のためならどんな過酷な任務でも身を投じられるとはいえ、彼は人殺しに快楽を見いだすような殺人鬼ではない。そして、非情を貫いているように見えて、仲間を犠牲にする道をわざわざ選ぶような人でもない。今、目の前で死の気配に纏わりつかれ一人動けないままのジンさんを見ていると。如何に自分が彼に勝手極まりない幻想を抱いていたのかを思い知らされるようだった。
一歩、また一歩と近付いていく。きっと彼は、まだあの血だまりと屍が散りばめられた世界から帰ってきていない。
――呼び戻さなきゃ。決意を抱いて踏み出した足は、震えも何も無く確かに進んでいく。
「……ジンさん」
返事はない。届いているのかさえ、分からなかった。
彼のすぐ目の前に立つ。
「ジンさん」
今度は思いのほか大きな声が出た。それでも微動だにしないジンさんを、覗き込むように見上げたが、視線が交わることは無かった。どこを見ているのだろう。遠い遠い、ここじゃない何処かを写しているのだろうか。
「……っ、」
堪らず、大きな体に抱きつく。少しだけジンさんが身じろいだ気がして、すかさず名前を呼んだ。意識に届くように。
「ジンさん」
世界で一番大切な名を、一音一音想いを込めて口にする。
「ジン、さん」
この小さな体じゃ、彼の全てを包んであげられないのが、もどかしい。せめて背中に回した腕から体温が伝わればいいと、ありったけの力を込めた。
「大丈夫、ここに、貴方の敵はいないから」
そう、ここに彼を傷つけるものはひとつも無い。彼が手を下すべき相手もいない。だから力を抜いて、いつものように悪態をついて舌打ちをして欲しい。それだけだ。
一度抱きついていた体を離す。その時目に入った拳銃が、いつでも撃てる状態にあることにはとっくに気が付いていた。それでもいいと、冷えきった左手を銃ごと両手で包むように触れて、私の胸元まで持ち上げた。恐怖は何故か無く、それよりもきつく銃を握ったままの手をどうにかしてあげたい、その一心だった。
祈るように、包んだ手に力を込める。
「ねぇ、ジンさん、お願い」
――帰ってきて
その言葉が宙に溶けて消えてしまう前に、どうか。
瞬間、軋むような痛みが体に走った。すぐ近くで、ガランと重いものが落ちた音が聞こえる。落ちた物が拳銃だと気付くと同時に、痛みの正体も分かってしまった。
「……痛いですよ、ジンさん」
苦しいくらいの抱擁が、今は嬉しくてたまらない。ジンさんがここにいると、嫌でも感じることができるから。
「そんなに死にたかったのか」
どうやらジンさんは、私が拳銃を持ったままの彼に近付いていったことに怒っているらしい。しかし、声にいつものようなドスが利いていなくて、少しだけ可笑しくなってしまった。
「オイ……聞いてんのか」
「聞いてます聞いてます」
「……チッ」
「あ、舌打ち。ふふ……あいだだだだごめんなさい久々で嬉しくてつい……っ、」
ギブギブと背中を叩くけど、力を緩めてくれる気配は全くなかった。
「殺されてもおかしくなかった」
「……ですね」
でも、と私は続けた。
「ジンさんともっと一緒にいたかったから。怖くなんてなかったんですよ」
負けじと胸に顔を埋めて、本心を隠さず告げる。呆れたような溜め息が耳元で聞こえた。
「――馬鹿が」
予想通りの言葉に、涙が滲みそうになったのは、内緒だ。
「おかえりなさい、ジンさん」
「……あァ」
『今から、行く』
嫌に胸が騒いだ。それは、普段のジンさんからは想像つかないほどの、何処かおぼつかない、今にも消えてしまいそうな声だった。
それから私はひたすら玄関で待つことになった。何せジンさんがどこからここに向かうのか、そこからどれくらいでここに着くのか、彼は一切教えてくれなかったから。ならば、いつ来てもすぐに迎え入れてあげられるようにここにいなければ。そんな使命感のような物が、私を動かしていた。
かなり長い時間が経ったはずなのに、一度吹き飛んだ眠気は戻ってくる気配がなかった。じわじわと迫り来る不安に焦り始めた頃、ようやく近くで聞き覚えのある車のエンジン音が聞こえたので、私はドアの鍵を開けて離れた。そのドアがゆっくりと開けられ、ゆらりと家の中に入ってきたジンさんを見た時、私は全身が粟立つのをはっきりと感じた。
突っ立ったまま動かない彼の後ろで、ドアが音を立てて閉まる。今の彼におかえり、なんて誰が暢気に言えよう。少し近付いただけで鼻につく鉄の匂い。握られたままの拳銃。
「……ジンさん?」
名を呼んでも、ピクリとも反応しない。いつもの冷たい目は、酷く虚ろだった。その視界には明らかに私がいるはずなのに、認識されている気がしない。心臓を握りつぶされているような感覚がした。
いったい、何人殺したのだろう。何人の死を見たのだろう。人を手にかけることに躊躇いなど持ち合わせていない彼が、こうなるほどとは。
――いや、違う。私は頭を振った。あの方のため、組織のためならどんな過酷な任務でも身を投じられるとはいえ、彼は人殺しに快楽を見いだすような殺人鬼ではない。そして、非情を貫いているように見えて、仲間を犠牲にする道をわざわざ選ぶような人でもない。今、目の前で死の気配に纏わりつかれ一人動けないままのジンさんを見ていると。如何に自分が彼に勝手極まりない幻想を抱いていたのかを思い知らされるようだった。
一歩、また一歩と近付いていく。きっと彼は、まだあの血だまりと屍が散りばめられた世界から帰ってきていない。
――呼び戻さなきゃ。決意を抱いて踏み出した足は、震えも何も無く確かに進んでいく。
「……ジンさん」
返事はない。届いているのかさえ、分からなかった。
彼のすぐ目の前に立つ。
「ジンさん」
今度は思いのほか大きな声が出た。それでも微動だにしないジンさんを、覗き込むように見上げたが、視線が交わることは無かった。どこを見ているのだろう。遠い遠い、ここじゃない何処かを写しているのだろうか。
「……っ、」
堪らず、大きな体に抱きつく。少しだけジンさんが身じろいだ気がして、すかさず名前を呼んだ。意識に届くように。
「ジンさん」
世界で一番大切な名を、一音一音想いを込めて口にする。
「ジン、さん」
この小さな体じゃ、彼の全てを包んであげられないのが、もどかしい。せめて背中に回した腕から体温が伝わればいいと、ありったけの力を込めた。
「大丈夫、ここに、貴方の敵はいないから」
そう、ここに彼を傷つけるものはひとつも無い。彼が手を下すべき相手もいない。だから力を抜いて、いつものように悪態をついて舌打ちをして欲しい。それだけだ。
一度抱きついていた体を離す。その時目に入った拳銃が、いつでも撃てる状態にあることにはとっくに気が付いていた。それでもいいと、冷えきった左手を銃ごと両手で包むように触れて、私の胸元まで持ち上げた。恐怖は何故か無く、それよりもきつく銃を握ったままの手をどうにかしてあげたい、その一心だった。
祈るように、包んだ手に力を込める。
「ねぇ、ジンさん、お願い」
――帰ってきて
その言葉が宙に溶けて消えてしまう前に、どうか。
瞬間、軋むような痛みが体に走った。すぐ近くで、ガランと重いものが落ちた音が聞こえる。落ちた物が拳銃だと気付くと同時に、痛みの正体も分かってしまった。
「……痛いですよ、ジンさん」
苦しいくらいの抱擁が、今は嬉しくてたまらない。ジンさんがここにいると、嫌でも感じることができるから。
「そんなに死にたかったのか」
どうやらジンさんは、私が拳銃を持ったままの彼に近付いていったことに怒っているらしい。しかし、声にいつものようなドスが利いていなくて、少しだけ可笑しくなってしまった。
「オイ……聞いてんのか」
「聞いてます聞いてます」
「……チッ」
「あ、舌打ち。ふふ……あいだだだだごめんなさい久々で嬉しくてつい……っ、」
ギブギブと背中を叩くけど、力を緩めてくれる気配は全くなかった。
「殺されてもおかしくなかった」
「……ですね」
でも、と私は続けた。
「ジンさんともっと一緒にいたかったから。怖くなんてなかったんですよ」
負けじと胸に顔を埋めて、本心を隠さず告げる。呆れたような溜め息が耳元で聞こえた。
「――馬鹿が」
予想通りの言葉に、涙が滲みそうになったのは、内緒だ。
「おかえりなさい、ジンさん」
「……あァ」