煙草と、メスと
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ライターの火を付ける時、私はいつも躊躇する。初めてでもないのに、あのジッという擦れる音と生まれた火花に焦って、肝心の火は付かないまま終わる。
今日もそんなお決まりの流れを二度繰り返し、ようやく火の付いた煙草を私は思いきり吸い込んだ。
「……っ、ケホ……ッ」
咳と共に口から吐き出された煙が、屋上に吹く夜風に流されていった。どうも好きにはなれない。この独特の味も、煙たさも。不快さに顔を歪めたまま、私は眼下に広がる街の夜景をただぼんやりと見ていた。
――数時間前、組織の仲間の一人が死んだ。
組織専属の医者である私の元に緊急の呼び出しが入った頃には、既に彼は虫の息だったらしい。被弾数も相当だったが、そのうちの一つが体内に残ってしまったのが良くなかった。すぐに手術を始めたが、処置の最中に命を落とした。
だが、逆に言えばそれだけだ。死と隣り合わせのこの世界ではこんなことは日常茶飯事であって、その男の死すら数え切れないほどの終わりの中のたった一つでしかない。
また風が吹いた。先程よりも冷たくて強い風が、仕事に戻れとでも言うかのように私の白衣を靡かせる。もう少し、と内心で答えて、もう一度煙草を吸おうと右手を口に近づけたその時、何者かにそれを抜き取られてしまった。ぎょっとして隣を見れば、真っ黒な格好をしたうちの組織の幹部サマがいた。気配には聡いはずだったのにと落ち込みかけていたが、良かった、この男相手なら気付けと言う方が無理な話だろう。
「お前は本当にまずそうに煙草を吸う」
「……ジン」
「そんなに嫌いなら吸わなければ良いものを」
そう言って、ジンは見せつけるように私から奪った煙草に口をつけた。長い銀髪を靡かせ紫煙をくゆらせる。煙草とはこの男に吸われるために存在しているのではないかと思えてしまうくらい様になっている。そんな光景に舌打ちをかましそうになるのを必死にこらえ、私は視線を逸らした。
煙草同様、私はこの男のことをどうも好きにはなれなかった。いつも全てを見透かしたような目をしておきながら敢えてこちらの出方を窺ってくる辺り、性格が悪いとしか思えない。
「何しに来たの」
「その面を拝みに来てやっただけだ。”今日は”お前がここにいる気がしたからなァ?」
「……幹部サマは随分と暇なのね」
嫌味全開で吐き捨てれば、彼はくつくつと喉奥で笑った。どうせ何もかも知っているのだろう、仲間の死も、私が嫌いな煙草をわざわざ吸う理由、その行為をするタイミングも。何故か機嫌が良さそうに見えて、余計に腹が立つ。
もうこれ以上何も言うまいと、私はフェンスの向こうへと目をやった。チカチカと煌めく街の明かり。あれらが全て人間の生きる証なのだと思うと、何かドロドロとしたものがせり上がってくる感覚がする。今の私には眩しくて仕方がなかった。
隣の気配は未だ消えない。とっとと帰ってくれればいいのに。それか、私がこの場を後にすればいいのか。そう思いながらも、足は地面に縫い付けられたかのように全く動かなかった。代わりに動いてくれた手は震えていて、フェンスを掴んだ音がやけに大きく響き渡った。
「……あと、」
誰かに聞いて欲しかったわけじゃない。しかも、今いる相手はよりにもよってこの男だ。ここで本音を話せば私の負けだ。
理解していても一度堰を切ってしまえば、それは容易くあふれていった。
「あと5分、早く運ばれてたら、救えた」
煙草を投げ捨てる音が聞こえた。
「あともう少し、私の手際が良ければ、救えた」
落ちたそれを踏み潰す音が聞こえた。
「あと……っ」
それ以上は言葉にしなかった。だって意味がない。言い訳にも懺悔にもならない、何のためにもならないものを並べたところで、たった数時間前にこの手からこぼれ落ちていった命は戻らない。ギリと奥歯を噛み締めて、暴れ出しそうな激情ごと言葉を飲み込む。
しばらくして、ジンは鼻で笑って言った。
「……理解できねぇな。何故お前がそうも心を砕く」
「……何が言いたいの」
「お前からすれば皆”悪人”だろう。身を粉にしてまで救うだけの価値を、お前は奴らに見いだしているのか?」
ああ、またか。試すような台詞に、私はそう思った。
ジンは何故か、組織の人間としてそれなりの時を過ごした私をやたらと『善人』扱いする節がある。私の組織に入るまでの来歴が一般人さながら真っ白だからだと、私は勝手に思っているが。そうやって線引きをしてくるくせに、こちらに興味を示してはちょっかいをかけるのだから、気に食わない。
私は自嘲気味に答えた。
「アナタにはわからないでしょうね……アナタの言うその悪人達が、今際の際に決まっていたかのように『ありがとう』なんて零していく気持ちなんて」
先程あの男に言われた言葉が脳裏をよぎる。
――アンタみたいな奴に、看取ってもらえんだ……それだけでこのクソみてぇな人生もちったあ救われるってモンよ……
――ありがとうな、嬢ちゃん……
そう言い残して、彼は私の手を握ったまま息を引き取った。彼らの死が日常茶飯事だとしても、それを看取る私は永遠に慣れることはないのだろう。揃いも揃って残していく感謝の言葉には。
「……それに、私だって」
「あ?」
自分から聞いてきたくせに興味なさそうに私の話を聞いていたジンが、初めて反応した。
「アナタ達に手を貸している時点で、私だって……」
「悪人だとでも?」
遮るように、ジンが先に答えを言った。肯定する代わりに彼を見上げれば、彼は肩を震わせ笑っていた。
「何処までも失礼な男ね」
「ククッ……悪いな。ただあまりにも、」
途切れた言葉に、ジンが纏っていた雰囲気が変わるのを肌で感じる。
ジンが胸元から取り出したベレッタと、私が取り出したメスが空を切って交わったのは、ほぼ同時だった。
「――傑作だと思ってな」
銃口は私の額に正確に向けられている。黒いそれ越しに私は彼を睨みつけた。リーチの違いか、私のメスは胴にすら届いていない。ドクドクと心臓が脈打っているのがわかった。
「そんなものしか、持たねぇくせに」
哀れみすら感じるような声に、私はそうよ、と怒りにまかせて叫んだ。
「これが私の、唯一の”武器”なのよっ、なのに……っ」
力を無くした手からメスがあっけなく落ちていく。カランと音を立てながら、それは夜の闇に紛れて見えなくなった。
「救えなきゃ、何の価値もないじゃない……!」
膝をつき、地面に座り込む。あの男の死を看取った時にすら流れなかった涙が、とめどなく頬を濡らしていく。
命に善も悪もない。それが私の信念で、私の軸だった。だからこそ私は私欲にまみれ腐りきったしがらみだらけの大病院を捨て、組織のスカウトを受けた。だというのに、ここでも変わらず命は簡単に私の手をすり抜けていく。いや、自由にやれる環境なだけ、前よりも酷い後悔が付きまとっていた。
あまりにも惨めだ、惨めすぎる。私は両手で顔を覆い、慟哭した。こんな私を、目の前の彼はどんな顔で見下ろしているのだろうか。いっそのこと馬鹿だと罵ってくれればどんなによかったか。こういう時だけ何も言わない彼に、掴みかかってやりたくなった。
どれだけ泣いたか。そもそも泣き叫ぶなんて、赤ん坊の時以来なんじゃないかと、くだらないことが考えられるようになるくらいには、頭が冴えてきていた。胸のつかえも幾分か楽にはなった。
ふと、今も目の前に居続けているジンの顔を見たくなって、自分の顔の有様も考えずに顔を上げてみた。しかし、ばっちり合った視線に、私は思わず眉を顰めた。まさか今の今までずっと見つめていたのだろうか。相変わらず読めない思考に、溜め息をついた時だった。
――ピリリリ……
バイブと共に、胸ポケットに入った携帯が鳴る。ゆっくり立ち上がり、通話ボタンを押した。
「私よ。今度は何人?……そう、ならそのままオペするから、用意しといて。今行くわ」
行かなければ。とにかく今は、救えなかった命に嘆いている場合ではない。例え同じ結末になろうとも、それが私の役目なのだと自分に言い聞かせるしかないのだ。
目尻に残る涙を強引に拭う。そうして私は屋上のドアへと足を踏み出した、はずだった。
「……何」
「……」
私の手首を掴みあげたジンの手はとても冷たく、そしてちょっとやそっとの力じゃ外せそうになかった。何なのだろう、この手は。彼の急な奇行に怪訝な顔を向ければ、少しの無言の後にジンはフッと笑った。その笑みは、私が今まで見たことのない、何処か穏やかさすら感じさせるもので。不覚にも胸が高鳴った。
――まあ、その後ジンの放った言葉に全て帳消しになったが。
「今度こそ、救えるといいなァ?」
「っ、言われなくとも!!」
ニタリと擬音が聞こえてきそうな笑みを浮かべたジン。やはり数秒前のあの顔は幻覚だったらしい。掴まれた手を勢いよく離すと、私は苛立ちを隠さないまま、ガンガンと足音を立ててその場から離れた。
今日もそんなお決まりの流れを二度繰り返し、ようやく火の付いた煙草を私は思いきり吸い込んだ。
「……っ、ケホ……ッ」
咳と共に口から吐き出された煙が、屋上に吹く夜風に流されていった。どうも好きにはなれない。この独特の味も、煙たさも。不快さに顔を歪めたまま、私は眼下に広がる街の夜景をただぼんやりと見ていた。
――数時間前、組織の仲間の一人が死んだ。
組織専属の医者である私の元に緊急の呼び出しが入った頃には、既に彼は虫の息だったらしい。被弾数も相当だったが、そのうちの一つが体内に残ってしまったのが良くなかった。すぐに手術を始めたが、処置の最中に命を落とした。
だが、逆に言えばそれだけだ。死と隣り合わせのこの世界ではこんなことは日常茶飯事であって、その男の死すら数え切れないほどの終わりの中のたった一つでしかない。
また風が吹いた。先程よりも冷たくて強い風が、仕事に戻れとでも言うかのように私の白衣を靡かせる。もう少し、と内心で答えて、もう一度煙草を吸おうと右手を口に近づけたその時、何者かにそれを抜き取られてしまった。ぎょっとして隣を見れば、真っ黒な格好をしたうちの組織の幹部サマがいた。気配には聡いはずだったのにと落ち込みかけていたが、良かった、この男相手なら気付けと言う方が無理な話だろう。
「お前は本当にまずそうに煙草を吸う」
「……ジン」
「そんなに嫌いなら吸わなければ良いものを」
そう言って、ジンは見せつけるように私から奪った煙草に口をつけた。長い銀髪を靡かせ紫煙をくゆらせる。煙草とはこの男に吸われるために存在しているのではないかと思えてしまうくらい様になっている。そんな光景に舌打ちをかましそうになるのを必死にこらえ、私は視線を逸らした。
煙草同様、私はこの男のことをどうも好きにはなれなかった。いつも全てを見透かしたような目をしておきながら敢えてこちらの出方を窺ってくる辺り、性格が悪いとしか思えない。
「何しに来たの」
「その面を拝みに来てやっただけだ。”今日は”お前がここにいる気がしたからなァ?」
「……幹部サマは随分と暇なのね」
嫌味全開で吐き捨てれば、彼はくつくつと喉奥で笑った。どうせ何もかも知っているのだろう、仲間の死も、私が嫌いな煙草をわざわざ吸う理由、その行為をするタイミングも。何故か機嫌が良さそうに見えて、余計に腹が立つ。
もうこれ以上何も言うまいと、私はフェンスの向こうへと目をやった。チカチカと煌めく街の明かり。あれらが全て人間の生きる証なのだと思うと、何かドロドロとしたものがせり上がってくる感覚がする。今の私には眩しくて仕方がなかった。
隣の気配は未だ消えない。とっとと帰ってくれればいいのに。それか、私がこの場を後にすればいいのか。そう思いながらも、足は地面に縫い付けられたかのように全く動かなかった。代わりに動いてくれた手は震えていて、フェンスを掴んだ音がやけに大きく響き渡った。
「……あと、」
誰かに聞いて欲しかったわけじゃない。しかも、今いる相手はよりにもよってこの男だ。ここで本音を話せば私の負けだ。
理解していても一度堰を切ってしまえば、それは容易くあふれていった。
「あと5分、早く運ばれてたら、救えた」
煙草を投げ捨てる音が聞こえた。
「あともう少し、私の手際が良ければ、救えた」
落ちたそれを踏み潰す音が聞こえた。
「あと……っ」
それ以上は言葉にしなかった。だって意味がない。言い訳にも懺悔にもならない、何のためにもならないものを並べたところで、たった数時間前にこの手からこぼれ落ちていった命は戻らない。ギリと奥歯を噛み締めて、暴れ出しそうな激情ごと言葉を飲み込む。
しばらくして、ジンは鼻で笑って言った。
「……理解できねぇな。何故お前がそうも心を砕く」
「……何が言いたいの」
「お前からすれば皆”悪人”だろう。身を粉にしてまで救うだけの価値を、お前は奴らに見いだしているのか?」
ああ、またか。試すような台詞に、私はそう思った。
ジンは何故か、組織の人間としてそれなりの時を過ごした私をやたらと『善人』扱いする節がある。私の組織に入るまでの来歴が一般人さながら真っ白だからだと、私は勝手に思っているが。そうやって線引きをしてくるくせに、こちらに興味を示してはちょっかいをかけるのだから、気に食わない。
私は自嘲気味に答えた。
「アナタにはわからないでしょうね……アナタの言うその悪人達が、今際の際に決まっていたかのように『ありがとう』なんて零していく気持ちなんて」
先程あの男に言われた言葉が脳裏をよぎる。
――アンタみたいな奴に、看取ってもらえんだ……それだけでこのクソみてぇな人生もちったあ救われるってモンよ……
――ありがとうな、嬢ちゃん……
そう言い残して、彼は私の手を握ったまま息を引き取った。彼らの死が日常茶飯事だとしても、それを看取る私は永遠に慣れることはないのだろう。揃いも揃って残していく感謝の言葉には。
「……それに、私だって」
「あ?」
自分から聞いてきたくせに興味なさそうに私の話を聞いていたジンが、初めて反応した。
「アナタ達に手を貸している時点で、私だって……」
「悪人だとでも?」
遮るように、ジンが先に答えを言った。肯定する代わりに彼を見上げれば、彼は肩を震わせ笑っていた。
「何処までも失礼な男ね」
「ククッ……悪いな。ただあまりにも、」
途切れた言葉に、ジンが纏っていた雰囲気が変わるのを肌で感じる。
ジンが胸元から取り出したベレッタと、私が取り出したメスが空を切って交わったのは、ほぼ同時だった。
「――傑作だと思ってな」
銃口は私の額に正確に向けられている。黒いそれ越しに私は彼を睨みつけた。リーチの違いか、私のメスは胴にすら届いていない。ドクドクと心臓が脈打っているのがわかった。
「そんなものしか、持たねぇくせに」
哀れみすら感じるような声に、私はそうよ、と怒りにまかせて叫んだ。
「これが私の、唯一の”武器”なのよっ、なのに……っ」
力を無くした手からメスがあっけなく落ちていく。カランと音を立てながら、それは夜の闇に紛れて見えなくなった。
「救えなきゃ、何の価値もないじゃない……!」
膝をつき、地面に座り込む。あの男の死を看取った時にすら流れなかった涙が、とめどなく頬を濡らしていく。
命に善も悪もない。それが私の信念で、私の軸だった。だからこそ私は私欲にまみれ腐りきったしがらみだらけの大病院を捨て、組織のスカウトを受けた。だというのに、ここでも変わらず命は簡単に私の手をすり抜けていく。いや、自由にやれる環境なだけ、前よりも酷い後悔が付きまとっていた。
あまりにも惨めだ、惨めすぎる。私は両手で顔を覆い、慟哭した。こんな私を、目の前の彼はどんな顔で見下ろしているのだろうか。いっそのこと馬鹿だと罵ってくれればどんなによかったか。こういう時だけ何も言わない彼に、掴みかかってやりたくなった。
どれだけ泣いたか。そもそも泣き叫ぶなんて、赤ん坊の時以来なんじゃないかと、くだらないことが考えられるようになるくらいには、頭が冴えてきていた。胸のつかえも幾分か楽にはなった。
ふと、今も目の前に居続けているジンの顔を見たくなって、自分の顔の有様も考えずに顔を上げてみた。しかし、ばっちり合った視線に、私は思わず眉を顰めた。まさか今の今までずっと見つめていたのだろうか。相変わらず読めない思考に、溜め息をついた時だった。
――ピリリリ……
バイブと共に、胸ポケットに入った携帯が鳴る。ゆっくり立ち上がり、通話ボタンを押した。
「私よ。今度は何人?……そう、ならそのままオペするから、用意しといて。今行くわ」
行かなければ。とにかく今は、救えなかった命に嘆いている場合ではない。例え同じ結末になろうとも、それが私の役目なのだと自分に言い聞かせるしかないのだ。
目尻に残る涙を強引に拭う。そうして私は屋上のドアへと足を踏み出した、はずだった。
「……何」
「……」
私の手首を掴みあげたジンの手はとても冷たく、そしてちょっとやそっとの力じゃ外せそうになかった。何なのだろう、この手は。彼の急な奇行に怪訝な顔を向ければ、少しの無言の後にジンはフッと笑った。その笑みは、私が今まで見たことのない、何処か穏やかさすら感じさせるもので。不覚にも胸が高鳴った。
――まあ、その後ジンの放った言葉に全て帳消しになったが。
「今度こそ、救えるといいなァ?」
「っ、言われなくとも!!」
ニタリと擬音が聞こえてきそうな笑みを浮かべたジン。やはり数秒前のあの顔は幻覚だったらしい。掴まれた手を勢いよく離すと、私は苛立ちを隠さないまま、ガンガンと足音を立ててその場から離れた。
1/2ページ