よもやま
引っ越しの御挨拶に代えて
2024/09/08 14:49遅刻ですが、織姫さんお誕生日おめでとう御座いました!
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その言葉を、いつ、どこで聞いたのかは、情けないことに全く思い出せない。
それを口にしたときの彼女が、どんな表情をしていたのかも。
内容としては、他愛のないものだし。
もしかしたら休み時間や登下校中に、竜貴達との会話を、背中越しに漏れ聴いただけなのかもしれない。
——ただ。
その声が俺の脳裏にくっきりと刻まれて、ふ…とした瞬間に古傷のように疼くの、は。
文言が、過去形であったこと。
そして何より、表面的には明るく弾むようでありながら、裏側に絶望が色濃く滲んでいるように思えてならない声音だったからだ。
確かにその頃、地元駅の改装があって、閉店していた時期はあった。
でも、工事後には再びテナントのひとつとして戻ってきたし、工事中だって電車で二駅も乗れば別の支店があったはずだ。
それなのに……。
なぜ記憶の中の、その声は。
まるで死地にでも赴く者のような、悲壮なまでの覚悟を秘めていたのだろう。
そのことが、ずっと気がかりで。
思い出す度、心臓を握りつぶされるような痛みを感じて……。
故、に。
いつしかそれは、俺自身の願いへと変わって行った。
必ず、叶えてやりたい——と。
「『全部ください』って言っても、構わねぇからな」
その言葉に、思わず息が止まった。
大きく見開いた私の目に映る黒崎くんは、悪戯が成功した子供のような顔をして笑っている。
私の誕生月、とある週末の昼下がり。
土曜日にも大学の講義が入っていて、鰻屋のバイトも死神代行のお仕事も続けている黒崎くんと、定休日が平日でシフト勤務の私との、唯一空きが重なった、その日。
遅ればせながらの、誕生祝いに——と、連れて行かれたアイス屋さんの前での出来事だった。
「そう、言ってみたかったんだろ?」
「………どうして、それ…」
ようやっと絞り出した声は、情けないほど震えて掠れていた。
対する、黒崎くんは。
ちょっとだけ困ったように眉尻を下げて、いつ、何処で——と、はっきり記憶しているわけではないのだと、すまなそうに肩を竦める。
「他にも何か言ってたような記憶も薄っすらあるんだけど……はっきり憶えてるのは、店名の聞こえたところだけで、さ」
ごめんな——と苦笑する黒崎くんの言葉、に。
大いなる安堵感と、針の先ほどの複雑な気持ちを抱えながら、ゆっくりと首を横に振った。
そして顔をあげ、とびっきりの笑顔を彼に向ける。
「ありがとう! とってもとっても、嬉しいよ!!」
そりゃ、良かった——と。
まるでお日様のように、黒崎くんは鮮やかな笑みを返してくれた。
「マジで、遠慮いらねぇからな。
先月のバイト代、結構な額稼げたし、井上には色々と世話になってるし」
「そんなこと…」
「あるよ! ほんと、井上ン家のマンションの方角には、足向けらんねぇなっていつも思ってるんだ、これでも」
「そんな、大袈裟な——」
「あ、そうだ! 井上、あそこのビルの角、ちょっと見てみ」
「えと…あの、今改装工事してるっぽいとこ?」
「そう、そこ!
昨日の新聞に広告挟まってだんだけどさ、
来週末にドーナツ屋がオープンするんだと」
「ほ、本当?! ここの改装終わった時に戻ってこなくて、がっかりしてたんだけど…」
「また、食べたい時にはすぐ買いに来られるようになるな——てな、わけで…井上」
「はい?」
「来年の誕生日は、ドーナツ屋で『全部』って言わせてやるからな!」
「——、っ?!」
必ず、守るから——と。
柔らかく目を細めた黒崎くんの髪を、秋の気配を含んだ風が、優しく揺らして吹き抜けて行った。
終
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その言葉を、いつ、どこで聞いたのかは、情けないことに全く思い出せない。
それを口にしたときの彼女が、どんな表情をしていたのかも。
内容としては、他愛のないものだし。
もしかしたら休み時間や登下校中に、竜貴達との会話を、背中越しに漏れ聴いただけなのかもしれない。
——ただ。
その声が俺の脳裏にくっきりと刻まれて、ふ…とした瞬間に古傷のように疼くの、は。
文言が、過去形であったこと。
そして何より、表面的には明るく弾むようでありながら、裏側に絶望が色濃く滲んでいるように思えてならない声音だったからだ。
確かにその頃、地元駅の改装があって、閉店していた時期はあった。
でも、工事後には再びテナントのひとつとして戻ってきたし、工事中だって電車で二駅も乗れば別の支店があったはずだ。
それなのに……。
なぜ記憶の中の、その声は。
まるで死地にでも赴く者のような、悲壮なまでの覚悟を秘めていたのだろう。
そのことが、ずっと気がかりで。
思い出す度、心臓を握りつぶされるような痛みを感じて……。
故、に。
いつしかそれは、俺自身の願いへと変わって行った。
必ず、叶えてやりたい——と。
「『全部ください』って言っても、構わねぇからな」
その言葉に、思わず息が止まった。
大きく見開いた私の目に映る黒崎くんは、悪戯が成功した子供のような顔をして笑っている。
私の誕生月、とある週末の昼下がり。
土曜日にも大学の講義が入っていて、鰻屋のバイトも死神代行のお仕事も続けている黒崎くんと、定休日が平日でシフト勤務の私との、唯一空きが重なった、その日。
遅ればせながらの、誕生祝いに——と、連れて行かれたアイス屋さんの前での出来事だった。
「そう、言ってみたかったんだろ?」
「………どうして、それ…」
ようやっと絞り出した声は、情けないほど震えて掠れていた。
対する、黒崎くんは。
ちょっとだけ困ったように眉尻を下げて、いつ、何処で——と、はっきり記憶しているわけではないのだと、すまなそうに肩を竦める。
「他にも何か言ってたような記憶も薄っすらあるんだけど……はっきり憶えてるのは、店名の聞こえたところだけで、さ」
ごめんな——と苦笑する黒崎くんの言葉、に。
大いなる安堵感と、針の先ほどの複雑な気持ちを抱えながら、ゆっくりと首を横に振った。
そして顔をあげ、とびっきりの笑顔を彼に向ける。
「ありがとう! とってもとっても、嬉しいよ!!」
そりゃ、良かった——と。
まるでお日様のように、黒崎くんは鮮やかな笑みを返してくれた。
「マジで、遠慮いらねぇからな。
先月のバイト代、結構な額稼げたし、井上には色々と世話になってるし」
「そんなこと…」
「あるよ! ほんと、井上ン家のマンションの方角には、足向けらんねぇなっていつも思ってるんだ、これでも」
「そんな、大袈裟な——」
「あ、そうだ! 井上、あそこのビルの角、ちょっと見てみ」
「えと…あの、今改装工事してるっぽいとこ?」
「そう、そこ!
昨日の新聞に広告挟まってだんだけどさ、
来週末にドーナツ屋がオープンするんだと」
「ほ、本当?! ここの改装終わった時に戻ってこなくて、がっかりしてたんだけど…」
「また、食べたい時にはすぐ買いに来られるようになるな——てな、わけで…井上」
「はい?」
「来年の誕生日は、ドーナツ屋で『全部』って言わせてやるからな!」
「——、っ?!」
必ず、守るから——と。
柔らかく目を細めた黒崎くんの髪を、秋の気配を含んだ風が、優しく揺らして吹き抜けて行った。
終