log:生誕祭



【とっておき】
(初出:2020.07.15)





俺の誕生日の、今日。
ヨメさんはわざわざ職場の同僚にシフト変更を頼んでまで時間をつくり、俺の帰宅時にはテーブルの上を料理の皿で埋め尽くして待っていてくれた。

ビールとジュースとで乾杯をして、蝋燭を吹き消したケーキを食べて。
いつもどおりの他愛のない会話を交わしながら、料理に舌鼓を打って…。
その、ゆったりと流れる時間があんまり幸せだったから…だろうか。
不意にぽつん…と胸の内に浮かんだ不安を押さえ込むことができず、俺はついそのまま、声に出して問うてしまった。


──本当に、俺なんかで良かったのか?…と。


予想外に長く続く無言の間に耐えきれなくなり、グラスに落としていた視線をそろりと上げれぱ。
俺の瞳に写ったのは、目を大きく見開いたままで固まっているヨメさんの姿だった。
どくり…と不吉な音を立てて、心臓が鳴る。

「…あ……えっと、その……」

慌てて取り繕ろうための言葉を探して、視線を宙に彷徨わせる。
そんな俺の隙を突くかのように、さっ…と素速く伸びてきた細い腕が、俺の手からグラスを引ったくった。

「お、おりひ…め…っ?!」

唖然とする俺の眼前で、こ、こ、こ、こ、こっ…と。
それはそれはもの凄い勢いで、ヨメさんがグラスの中身を空にしていく。

「ぷはっ…!」

大きく息が吐きだされると同時に、たんっ!と音を立ててグラスが置かれて。
ぐい…と些か乱暴な仕草で、ヨメさんは口元の泡を拭った。
その、髪の間からのぞく頬が。
ブラウスの袖から伸びる、腕が。
俺の視線の先で、じわりじわりと薄紅色に染まっていく。

「……くろしゃきくん」
「…………………はい」

名字呼びに突っ込みを入れる余裕など、今の俺には既になかった。
恐る恐る返事をすれば、俯いていたヨメさんがゆっくりと面を上げていく。
──そして。
真正面から俺をひた…と見つめた瞳は、今や完全に据わっていた。

「…っ、?!」

喉の奥がひきつるような感覚に襲われながら、息を詰めてヨメさんの顔を見返す。
視線がぶつかること、数秒。
ふっと視線を反らせたヨメさんは、もぞもぞと四つん這いでテーブルのこちら側に移動してきたかと思うと、何故か俺のすぐ側できっちりと正座をした。

「くろしゃきくん」
「……はい」
「おねがいが、ありましゅ」
「……何でしょうか」
「うで、ひろげてくらしゃい。こーんなかんじれ」
「……こ、こうか?」

ヨメさんを真似て、大きく腕を横に広げてみせる俺。

「そのまま…おへしょのあたりに、ぐぅーっとちからをいれてくらしゃい」
「……入れたぞ」

今度も、言われるがままに下腹に力を込める。

「それれは……いのうえおりひめ、いきましゅ!」
「……へ?」
「くろしゃきくん、おかくごを!」
「……は?」
「とうっ!!」
「……う、わっ?!」

どすんっ…と。
鈍く重たい音が、部屋に響いた。
ヨメさんが折った膝をバネにして首元に飛びついてきたものだから、流石の俺も受け止め切れきれず、勢いよく背後に倒れこんでしまったのだ。
後頭部こそどうにか打たずに済んだものの、板張りの床に強かに打ち付けた背中が痺れるように痛む。

「お、おま…一体、何を………」

抗議の言葉を途中で飲み込んだ、のは。
俺の首に回されたヨメさんの細い腕が、まるで溺れて縋るかのように、より一層強く絡みついてきたからだった。

「……織姫…?」

泣く幼子をあやすときのように、ぽんぽん…と背を叩いてみる。
すると、甘えるように幾度か肩口に額を擦り付けたあと、ヨメさんがぽつりぽつりと言葉を零し始めた。

「ずっと、ずっと…ネルしゃんが、うらやましかったの…。くろしゃきくんのとこに来たときは、いつらってこんなふうに、どーんっ!ぎゅーっ…て……」
「……うん」
「あたしらって…くろしゃきくんに逢えたときはうれしくって、どーんっ!ぎゅーってしたかったもん。
れも…そんなことしたら、きっとめいわくらって……ずっと…ずっと、がまん……」
「そっか…」

くすり…とひとつ苦笑をこぼして、柔らかな髪に頬を押し当てる。
俺としては痛くて苦しくて迷惑なばかりのネルのあれを、ヨメさんがそんなにも羨んでいたのかと思うと、何やら可笑しくて、くすぐったい気持ちになる。

「……ねぇ、くろしゃきくん…」
「ん……?」
「……もう、がまんしなくても、いいれしょう…?」
「勿論」

よしよし…と、頭の天辺を撫でてやって。
そのまま髪に指を差し入れ、ゆっくりと毛先まで梳いていけば、くふん…と気持ちよさげに鼻の鳴る音がした。
まるで長毛種の犬にでも甘えられているみたいだ…などと笑いを堪えながら梳き続けていけば、今度はふわぁ…と欠伸の気配。

……そう言えば、髪を梳かれると眠くなると言っていたっけ。

割と最近の夜の記憶をぼんやり思い起こしていると、緩みかけていたヨメさんの腕に少し力が戻って。
どうかしたのかと、軽く眉根を寄せた……その時、だった。

「……おれなんか…って、いわないれ…」

思わず、髪を梳く手と呼吸が止まる。
そんな俺の反応に気付いているのかいないのか、ヨメさんのたどたどしく舌足らずな声は、尚も先を続けてていく。

「くろしゃきくんが、いいの。くろしゃきくんれなきゃ、いやらったの…! それがもしかなわないなら、いっそしぬまれひとりれいいとおもうくらい……」
「っ、?!」
「らから…もう……おれなんかって、いわない…れ……」

ふ…と首に巻かれた腕の力が抜けると同時に、俺に覆い被さっていた身体が重みを増した。
そして、微かに耳に届く規則正しい呼吸音に、ヨメさんが意識を手放したことを知る。

──気付けば、必死で歯を食いしばっていた。
ヨメさんの一途さが、泣きたくなるほど嬉しくて。
何年も想いを告げられずにいた自分が、吐き気がするほど情けなくて。

「……ごめん。それから…ありがと、な?」

ずっと俺を、待っていてくれて。
ずっと、諦めずにいてくれて。





……なぁ、織姫。
本当に…本当に、有り難うな……?















「……あれ…私、いつの間に……?」

ヨメさんが目を覚ましたのは、丁度俺が俺が洗い終えた皿を食器棚へと戻しているときだった。
台所から顔を出し、「起きたか?」と声をかければ、焦点の合わない寝ぼけ眼がぼんやりと俺を見返す。

一度ゆっくりと、瞼が降りて。
また、持ち上がって。

薄茶の瞳が再度俺の姿を写した、その瞬間。
ぼっふん…と噴火音が聞こえそうな勢いで真っ赤になったヨメさんは、悲鳴を上げながら手で顔を覆って俯いてしまった。
──つまり、は。
寝落ちる前の記憶は、ほぼほぼ消えずに残っているということなのだろう。

笑い出しそうになるのを堪えながら側に寄り、目の前にしゃがみこむ。
すると気配を察したらしいヨメさんは、今にも消え入りそうな声で「ごめんなさい」とつぶやいた。

「その……痛くて重かったでしょ…?」
「それほどでもねぇよ」
「……………引いちゃった?」
「何に」
「えと…その…………………………私の、気持ち」
「全然」

むしろ嬉しかったよ…と、伸ばした手でぐしゃぐしゃと頭を撫でてやる。
漸く自分の顔から手を外したヨメさんは、それでもまだまだ不安そうに、前髪の隙間から俺の顔を見上げてきた。

「後片付けも、全部やらせちゃって……」
「そもそも、作らなかった方が片づけるルールだろ」
「そうだけど……今日は折角のお誕生日なんだもの。片づけも全部私が引き受けて、その間にゆっくり好きな映画でも観て貰おうと思ってたの……」

そう言いながら再び俯き、しゅん…と肩を落とすヨメさん。
俺は「気にしすぎだ」と声を掛けようとして…直前に思いとどまった。
自己嫌悪から抜け出せないヨメさんを宥めるのに最適で、なおかつ、俺にとっても大変に利のある方法を思いついたからだ。

「……そんなに悪かったと思うなら、さ。お詫びにとっておきのデザートでも、ご馳走してくれねぇ?」
「え?」

顔を上げたヨメさんが、戸惑いも露わな表情で首を傾げる。

「ケーキも果物も、さっき食べたので全部だよ? 買い置きのお菓子やアイスが無い訳じゃないけど、とっておきと言えるほどのものじゃ……………あ」

俺の浮かべる意地の悪い笑みから「とっておき」の意味を察したらしきヨメさんは、意味不明な言葉を発しながら、手近にあったクッションを掴んで投げつけてきた。
それを余裕でかわして距離を詰め、膝裏に腕を回して抱き上げてしまう。
ヨメさんは真っ赤になって手足をばたつかせていたけれど、いざ俺が寝室へと足を踏み入れてしまえば、えっち…と小さく呟いたきり、俺の首元に顔を埋めて大人しくなった。

躊躇いがちに…では、あるけれど。
白く細い腕が、ゆるりと優しく俺の首へと絡みつく。

その、いじらしさと。
心の奥底から溢れる、ヨメさんへの愛しさに。
知らず、口元が綻んだ。












終
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